第6話 混乱

   <小説>   


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 夜が来て亨はまたいつもの夢の中にいた。真っ暗な闇はやはり不安と恐怖が入り混じり、さらに淀んだ重たい空間を作り上げていた。何も無い闇の中は不気味なほど静まり返り、どこか間違った世界へと入り込んでしまったかのように不安を駆り立てる。混沌とした闇の中こんな所に長くいては絶える事はできないだろう。抜け出したい、立ちさりたい、そう思うが叶わない。
 今日の夢はいつに無く闇の強い夢だった。体を取り巻く空気が重たい。呼吸をすると体に闇が入り込み、体を蝕み始める。冷たい…寒い……怖い?

 ―― この感じはどこかで?

 胸の奥が痛い。夢の中の亨は眉をひそめて体を縮めた。まとわりつく冷たい風は亨を取り巻き離さない。亨の体は不安と言う鎖につながれてしまっていて、 身動きがとれない。

―― ここからずっと出れないのだろうか?

 不安が生まれる。恐怖が生まれる。この闇の思いなのか、自分の心なのかすでにわからなくなってきていた。
 なぜ毎日こんな夢を見なくてはならない。ふつふつと怒りに似た感情が生まれた。行き場の無いこの想い……僕に何が出来るのか?何をしろというのか?

―― いい加減にして欲しい。

―― 分からない…どうしていいか、分からないんだ……。

 怒りと戸惑いと、苦しさが亨を混乱の淵へと誘い出す。頭が良く優等生。人当たりが良く面倒見が良い。気配りが行き届いていて、しっかりもの。亨という人物を尋ねたら皆、同じようにこう言うだろう。優しくっていい人よ。頼りになるお兄さん。気のいいやつ。
 そんなものがここでなんの役に立つのだろうか。ここでは自分は頼りなく、何も出来ずに戸惑っている。苛々し、心の広さなんて感じさえしない。動く事さえ、信じることさえ出来はしない。
 ひどく自分が惨めに思えた。そして、普段の自分が偽りの姿のようにさえ思えてならなかった。本当に自分はそんな偉い人物ではない。まだ、未熟な子供でしかないのだと、思い知らされたような気がした。

「いい加減に信じてよ!!」

 蛍がいきなり背後から現れた。闇の中に光を灯すように白い服がひらひらと揺れる。いつも微笑を浮かべている蛍だが、目前の浮かんでいる彼女の顔から優しさは消えていた。怒りを感じた。

「なぜ信じてくれないの?私たちの存在を。どうして見ようとしないの?」
「信じてない?」
「夢だ、現実じゃない」
「これは夢だ、現実じゃない。分からないのは僕の方だ。なぜこんな夢ばかり続くのか?」

 珍しく亨は取り乱していた。混乱は感情を狂わす。落ち着きは無く、苛々する。

「これは夢よ、でも現実なのよ。番人は守りたいの主人を。分かるでしょ?この不安と恐怖!!私の主人はこんな中で生きている。幸せな想いを取り戻してほしいの、このままじゃ……このままじゃ悲しすぎるじゃない」

 何か言葉を飲み込むように噛み締めて叫んだ。

「現実の世界を私には変えることは出来ない。でも、この闇の夢から救ってあげたいの。亨にしか出来ないのよ。貴方にしか救えないの。もっと周りに目を向けて、勝手なこと言っているかもしれないけど心で感じれば分かるはずよ。私たちの存在を否定さえしなければ分かるはずよ。夢だと決めてしまわないで。ここを現実から切り離さないで」
「…………」

 亨の混乱はさらに大きさを増していた。現実と夢の狭間。夢は夢だ、現実ではない、ここは作られた世界なんだ。現実にどうかかわっていると言うのか。どこかでそんな思いが交錯していた。当たり前の事である。夢はどんなに素敵なものを見たとしても、苦しいものを見たとしても夢でしかない。予知夢を見たとしても、夢で起きた事に似ているだけである。
 現実社会で起きている出来事と密接に関係しているとは考えにくい。蛍は言う、これは夢だけど現実だと。ではどこまでが夢でどこまでが現実なのだろうか?救って欲しい人がいると言うのは夢?現実?見つけて欲しい人は誰?
 目覚めてしまえばすべて夢。たとえその感覚が現実的だったとしても夢なのだ。
 現実で蛍の主人が誰なのかなんて分からない。救い方も知らない。本当に夢の番人がいるかも信じられない。この夢すべてを信じるなんて事はばかげている。夢は夢。ここはここ。

「僕が何か出来るはずはない。何ができるというんだ。確かに信じていない。夢は夢だ僕にどうしろと言うんだ。助けるってどうやって?助けるって誰を。簡単に見つけられるの?君達を信じたら見つけられるの? 信じるってどうやって、これは夢だ、現実じゃない。現実に戻って、何を信じたら良い?分かるわけ無いだろ。 救うって簡単に言うけど人を救うほど僕は出来た人間じゃない。蛍、君は僕に何を望んでいるの?分からない…分からないんだ……助けたいと思うよ。こんな夢を見ている人がいるのなら。力に慣れるならなりたいと思う。 だけどどうやって、何をどうやって!!僕は神様じゃないんだ、分からない事ばかりでこんなに混乱していて、夢と現実を切り離さないとどうして良いか分からない。こんなんじゃ救えない。何も変わりはしないんだ」
「だけど、言えないのよ、言えば助けてくれる?誰か分かれば?何から救えば良いか?亨自身が気づかなくてはならないのよ!!これは貴方の運命なのだから。救えるはずなのよ。救えなきゃいけないのよ。亨だから分かるのよ。言うのは簡単だわ掟を破りさえすれば。でもそれではダメなのよ。自分で自分の心に気が付かなくてはならないように運命も自分で紡ぎださなくてはならないのよ。こんな風に諭す事もしてはいけないの……それに亨はもう感じているはずよ、救うべき人間が誰なのか……見ないふりを、知らないふりをしているだけよ」
「……運命」
「言えば気が済む、人に言われて気が付いてあなたはそれで生きていて楽しい?自分で人生を生きているから幸せだと思うのじゃない。確かに急かしているのかもしれない、私という存在が。でも、もう気が付いていいころなのよ。気が付かなくては遅いのよ。これ以上待っていられないのよ。時間がないのよ。だって……」

「止めろ蛍!!」

 蛍は感情のままに思いのたけをぶちまけていた。感情に狂った蛍と亨。混乱は二人を狂わせる。今にもすべてを語りそうだった蛍の暴走した感情を突然静止する声が聞えてきた。
 その声に我に返ったかのように口をつぐんだ。押し黙った蛍は振り返った。涙が溢れ出てきた目をこする。悔しさと悲しさと、押し上げてくる感情の高ぶりで溢れる涙。
 亨は苛々とし、落ち着かない気持ちをなだめようと深く息を吐いた。

「蛍、掟を破ると罪になる。それだけはダメだ」
「月人……」
「人は見たものしか、触れられる物しか信じない。夢は夢でしかない。目が覚めてベットで眠っている自分を見れば夢だと思う。それがどんなに現実的な夢だとしても、変わりはしない。運命はひとつじゃない。蛍が望む運命はそのひとつでしかない。それが蛍が望むべき運命だとしても、この人にとって一番良い運命だとしても、作り出すのはこの人自身。俺たちが手を加えることは出来ない。自分で感じ、気がつき、そして歩き出す。それが人生なんだ」
「…………」
「確かに俺たちを信じていれば探す気になるかもしれない。でも、見つけられないだろう。見つけようとするのは蛍の主人じゃなく自分の心にいる人なのだから。心に誰もいないと、その人と蛍がつながっていると気が付かないのだったら見つけるのは不可能だ」

 突然現れたのは蛍より少し大人っぽい少年。歳は中学生くらいだろうか?そのわりに落ち着いた雰囲気は亨とダブルところがある。目を引くのは金色の髪と、瞳。強い光を放つ視線は真っ直ぐと亨に向けられていた。人をひきつけて離さない、独特な雰囲気は冷たく研ぎ澄まされていた。
ナイフのように亨を突き刺す。

「自分の心を見たことがある?」
「心?」
「自分の中に誰が居るか」
「…………?」

 亨は首を横に振った。

「なぜ見ようとしないのか?」
「分からない、考えた事も無いから」
「夢の番人はいると思う?」
「信じることは難しい……」
「確かに、亨の言うとおりだ。信じるのは難しいかもしれない。俺たちを信じようといないと思おうと、結果的にはどうでもいいんだ。俺たちが望むのは主人の幸せ。蛍は主人に暖かい優しい夢を見せてあげたいだけなんだ。もちろん救って欲しい事はたくさんあるけど。亨に望んでいるのはそれだけだ。俺たちは守る事は出来ても心を救うことは出来ない。蛍の主人の心を助けるのは亨だけなんだ。それは真実。この世界は辛すぎる。望みのない闇の世界だ。これは心の奥にある真実が見せている世界。救いたいと思うなら、自分の心に向き合うんだな。俺たちが望むものと亨が望むものが同じなら、おのずと道は開けるだろう。それが亨の望む運命ならば」
「こんなの辛すぎるわ。こんな世界にいるなんて、どうして誰も気が付かないの?どうして誰も分かろうとしないの……。私は早く亨に気が付いて欲しかったの」

 自分の心?そんなもの考えても見なかった。誰にも見せた事が無いのかもしれない。大人として頼られる事が多い亨、誰かに自分をさらけ出した事があっただろうか?長い付き合いの直人に出さえあまり自分が思っていることを話した事が無かった。秘密主義というわけではないが、聞かれない限り自分から話すと言う事は無かったように思う。周りに合わすのに慣れてしまっているのか、自分と言う存在も意見も忘れていたようにさえ感じた。空っぽで、何も無い箱。自分の心を振り返ったとき、浮かんだものは何も無かった。月人と呼ばれる少年は分かっていたのだろうか?蛍とは違った視点から自分を見ている。蛍は主人の味方。その人をおいて求めるものは無い。その人の幸せだけを願う。彼は第三者だから見えていたのだろうか?
 なんてつまらない毎日を送っていたのだろうか?ただ良い顔だけをして生きてきたのだろうか?亨はさらに自分が惨めに思えた。色んな人の相談にも乗ってきた。その内容を思い出すと、そういう経験の無い自分がひどく珍しく、皆より子供なのではないかと思えたくらいだった。

「蛍もういいよ。きっと伝わったと思う、後は亨がどう道を切り開くかだ」

 亨は月人を見た。蛍の言う主人を助けたいと思っていた。それは同情だったかもしれないし、哀れに思ったからかもしれない。哀れだったのは自分なのではないか?もし、自分が月人の言う切り開くべき道を進んでいたら、その人も救われていたのではないかと。見ないようにしていたのかもしれない、自分の心。見たくなかったのかもしれない、現実と向き合うのを避け、真実から逃げていた。
 亨は押し黙ったままそこにいた。発見したのは何も無い自分の心。その中にひとつだけ大切にしているものがあることに気が付いた。真っ赤な夕日が脳裏に焼き付いている。

―― あれは、あの日の思い出だ。

 月人は亨をしばらくじっと見つめていた。

「国立星翔大学って知ってる?」
「え?知っているけど」
「音楽科ピアノ専攻の3年に倉沢美咲っているんだ。彼女に会うといい」
「え?倉沢?」
「亨の役に立つか分からないけど何か心の迷いを吹っ切るのに良いかもしれないからね」
「その人は誰?」
「俺の知り合い。俺の名前を出したら良いだろう」
「間って知り合いって!」
「美咲は少なくとも君とは違って俺たちの存在を信じている。亨に必要なものは力じゃない。自分と向き合う勇気だ」
「…………」

 心を読まれていたような気がした。この金髪の瞳は透明で綺麗だった。まるですべてを映し出す真実の鏡のように思えた。後ろで蛍の心配そうな顔が覗いている。

「美咲に会うのがいいか悪いか分からないけど、会いに行くって事は俺たちを信じてみるって事だから」
「美咲さんなら亨を導ける?」
「賭けだな、またお節介してって怒られるかな」

かすかに冗談めいてそう言った。

「亨、お願い会いに行って」

 蛍が叫んだ。

「朝が来る」

 薄明かりは番人を飲み込んでしまった。呆然と立ち尽くした亨はまた、ベットの中にいた。夢と現実を揺れ動き自分は目覚めたのだと実感する。

「夢」

 夢なはずだ……。

「クラサワミサキ。馬鹿げている?何考えているんだ。でも……もし本当に……」

 向き合うのは自分の心。そうなのかもしれない、それがもっとも真実に繋がる。でも、番人の存在を信じられない自分に何かを与えてくれるのではないかと思った。道を広げてくれるのではないかと思った。
 もし夢以外であった人に番人の存在を公定されたら、きっともっと自分を信じられるようなきがした。ぼやけたように浮かんだあの日の思い出。浮かんでのあの人の姿。

「もしかして?でも、まさか……」

 番人を信じられないことによって閉ざされる心の扉。信じてみる?信じたい。そして、知りたい。見つけたい自分の心を。そして、救えるものなら救いたい。闇の夢から。出来るものなら力になりたい。僕にしか出来ない事ならなおさらだ……。

 朝の光と共に亨は思った。夢の番人が夢か、現実かどうか確かめてみよう。
 そして、開いてみよう隠してきた自分の心の扉を。真実と向き合い、自分の運命と向き合う。それが今出来る事。
 亨はそう思うと起き上がり、カーテンを開けた。眩いばかりの光が飛び込んでくる。暑い日の始まりだった。


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