第四章 父の残した言葉
第三話 昔話 +----------------------------------------------------------------+
思い耽ったまま止まっていた秋雅は、急に目覚めたように微笑むと月華を抱きしめた。 沈黙は続く。 秋雅の腕の中は温もりを感じるが、心はまったく揺れ動かなかった。 家族のように大切な人だけれど、神楽への愛情とは違うことを思い知る。 ―― なぜ、秋雅では駄目なのか? 大切と思っていても、大好きと感じてもそこで思いは止まってしまう。 秋雅は、自分が思っていたよりもずっと素敵な人だった。 だからよけいに疑問が生まれてきた。 天命でも、変える事ができないくらい、神楽に惹かれる。 それは言葉では言い表す事は難しい。心が、心を呼び寄せる。言葉では片付けられない、力があるに違いない。 抱きしめられた月華は、急に体が浮くのを感じ、驚いて秋雅の着物を掴む。側にある顔を見上げた。 そこには、父親のような優しい表情の男がいた。 「秋雅様?」 「天命には逆らえない。ならば結婚しかない」 ゆっくりと歩く。寝台に降ろされた月華は手のひらに感じる蒲団の感触に恐怖が目覚めた。 ―― 結婚するということは、この人に抱かれるということ。 実感という形で頭にその言葉が流れていった。 顔色は蒼白、混乱に満ちた月華を覗き見て秋雅は鼻で笑った。 すべてを見透かしているという風に、優しく微笑むと、少し距離を置いて腰をおろした。 「あそこにいては風邪を引いてしまう」 「あの……?」 「さっきも言ったはずだ。私には姫は抱けないと。無理に抱けというのなら出来ないことはないと思うが……禁忌を犯している気がして、私には無理だ。それとも、私に抱かれたいか?」 月華は首を横に振ると、正直だとまた笑い声を立てた。 楽しそうに笑う秋雅は心地よい。 神楽はあまり声を立てて笑うような男ではないと知っていたから、よけいにそう思った。 「では、どうするのですか?」 「三日は夜を共に過ごさないとならない」 「共に?」 「私は姫の幸せを願っている、悪いようにはしない、信じて欲しい」 「天命に背くのですか?」 「天命は私と姫の結婚。本当に抱いたかどうかなんて分からない。必要なのは結婚したという事実だけ」 「?」 月華は頭が良い、大抵の事は理解できる。しかし、秋雅の頭の中は理解できなかった。 「昔話をしてあげよう」 いずれ分かるというように話を流すと、突然妙なことを言い出した。 「昔話?」 「夜は長い、しかも三日もある……今日はこの話からだ……一人の男がいた」 秋雅は、静に話し出した。 その時はまだ、何を意図した話なのか月華には分からなかった。 話は、少し前の平安京が舞台になっていた。 すべてを手に入れたいと思い、そしてその地位に生まれた男の話。 人は、その地位を帝という。 「そうだな、名前を春宮《はるのみや》としよう」 春宮は帝になりたかった。望みは叶い東宮から帝になった。この平安京すべてを手に入れた。 「姫、主上は天の声が聞けると知っているか?」 「もちろんです。だから私に天命が」 「そう、主上は天の声が聞こえる。聞こえないとならない」 春宮にはその力がなかった。 誰も気付かなかった。 主上たるもの、持っていてあたりまえの力だったからである。 その力があるものが、天から選ばれて、その地位に生まれ、帝となると誰も信じて疑わなかった。 帝自身さえも疑っていなかった。 帝になって、その事実の重大さに気付いた。 春宮は隠し続けた。 力がないと知られては、望んできたものすべてを失う事になる。 手に入れた、地位を捨てる事になると思った。 手放したくない、自分こそが帝である。その思いは日増しに強くなっていった。 「春宮は隠し続けたまま京を治めていた。平和も続いた。天命に頼らずに自分の力で守るほど才覚もあった。このままならきっと大丈夫、そう思っていた」 誰も疑わない、良き帝だと称える。 なかなか親王が生まれないということくらいしか悩みは無い。 世は、平和の中に暮らしていた。 「そこに一人の女が登場する。春宮からすると父親の妻、血の繋がらない母上という存在の女。その女には一人の息子がいた。名前は、秋宮《あきのみや》としよう」 秋宮は心優しく、大人しい感じの男で、兄である春宮の力になりたいと、忠実に仕えていた。 秋宮の母の地位は高く、春宮がいなければ間違いなく帝になったはず。 女は、春宮を恨んでいた。 女としても勝てず、地位でも勝てず、息子すら負けている。 どうしても息子を帝にしたかった。 親王のいない春宮に東宮はわが息子、秋宮だと口出しをしはじめた。 他の者達も賛成だった。 反論する要因が見つからないくらい秋宮は出来た人柄だった。 春宮も異論はなかった。 息子がいない以上、彼以外に最適な人間はいない。 かわいい弟でもあったし、何より人を惹き付ける力も、頭の良さも持ち合わせていた。 きっと立派な帝になるだろうと思った。 しかし、その瞬間に気付いた。 「春宮と秋宮との年の差は四歳、そう変わりはない。今すぐにでも取って代わられる、そんな恐怖が生まれたのだ。一番恐れていたのは秋宮の才覚だった。自分には聞こえない声が、帝でもないのに聞こえる秋宮に嫉妬と恐れを覚えた」 そんな時、春宮の妻に子が授かったという噂が広がった。 春宮は自分の地位のためにも、秋宮を東宮につけるわけには行かないと、かわいい弟という思いを越えるほどに排除したいと思い始めたの。 その迷いが女の野心に火をつけさせた。 呪詛をかけようとした。 この世を手に入れたいといういくつもの野心が重なり合い、世は乱れ始めた。 流れは誰にも止められない。 疑いと野心は罵りあい、恨みあう。 主上も止められなくなった激しい時代の流れに、翻弄され始めた。 母の罪をたてに秋宮を流刑させる事に決めたのだ。 母共々淡路へ。 秋宮は潔白を申し出るが、受け入れられずに、心を痛めたまま刑を受けた。 「ある姫がいた」 「他の話ですか?」 「いや、繋がっているよ」 「誰と?」 「まあ、最後まで聞いていてくれ。姫の名は……そうだな……藤姫《ふじひめ》としよう」 藤姫は大臣家の流れを組む家柄の姫だった。 父がそれほど官位は高くなかったので、わりと質素な暮らしをしていた。 控えめだが、とても美しい姫で、琴の腕前は相当なものだった。 この姫には幼い頃からの許婚がいて、互いに将来を誓い合っていた。硬い絆で結ばれ、愛を育んでいた。 「そんな藤姫に恋心を抱いた男が一人……それが秋宮だ」 「婚約者のいるかたに恋を?」 「叶わない恋だった」 望めば側室に出来ただろう。 しかし、秋宮は無理やり手に入れようとはしなかった。 藤姫がどれほど婚約者の男を愛しているかを知っていたからだ。 兄とのいざこざで憔悴しきっていたうえに、藤姫の結婚が決まった。 心のバランスが崩れたのだろう、秋宮は罪を起こす。 一番大切な愛を手に入れられなかったからか、それとも間が刺したのか。 「罪?」 「他の男の妻と密通してしまったのだ」 「誰の妻と?」 「兄である春宮の正妃」 「…………」 「しかも子供が出来た」 その子は、春宮が後に東宮と望む待望の親王となった。 罪の意識に苦しんでいる頃、さらに追い討ちをかけるように刑が決定された。 辛い立場へと追いやられていった秋宮は、すべてを語らないまま淡路へと赴いたのだ。 「ささやかな願いは、生まれてくるその子が東宮になり、主上になり、平和な世を作る事」 同じ罪を背負った春宮の妻は、不義の子を産み、すぐにこの世を去った。 死に方が普通ではなかったらしく、秋宮が母を殺し、自害したあとだった事も重なった為、呪いだとささやかれた。 「それが、呪いの時代の始まり」 月華は語られる話を、物語のように聞いていた。 三日目の夜、「秋雅が呪いの時代の始まり」と呟いた時初めて、その話が実際にあった事だと悟り、秋雅の腕を掴んだ。 「秋雅様、これって……」 「実話だ、姫」 混乱する頭でたぐり寄せる、誰が誰なのか。 「春宮が帝?」 秋雅は静に微笑んだ。 「秋宮が呪った本人といわれている、雅良親王……生まれた不義の子が……」 月華は秋雅を見上げた。 「そう、私のことだ」 「…………」 言葉を失った。 何を言っていいのか分からない。 そして、この話を自分にした意味を考えたが、聞かされた事実に驚くばかりで答えが見つからない。 緊迫した空気が流れていた。 「藤姫は誰か分かるか?」 しばらく記憶をたどるように考えを張り巡らせたが、思い当たる人は出てこなかった。 「いいえ」 「名前は葵……姫の母上だ」 驚きばかりだったが、一番衝撃的な言葉だった。 「雅良親王が生涯、唯一愛した姫。手に入れたくても入らなかった。地位を使えば得ることも出来ただろうが、それだけはしなかった。それは本物の愛を手に入れられないことを知っていたからだ」 「それが雅良親王の愛情だった?」 「そうだろうね」 「どうして私にそんな話を?重大な事ではないですか。不義の子なんて主上すら知らないのでしょう?」 「その通りだ、主上は知らない。これからも知ることはないだろう、私も語るつもりはない」 秋雅の顔つきから笑みが消え、難しい表情が残る。どこか寂しげで悲しい横顔だった。 「天命が聞けないはずの主上が聞いた私たちへの天命はどういうことだと思う?」 「作り話ですか?」 「いや、作り話なら姫でなくても良かったはず。月姫が相手でなくてはならなかったのだ」 「どうして?」 「呪いは本当だったのだろう。私がこの真実を知っているのが、それを物語っている。雅良親王は未だに彷徨っているのだ」 月華はぞっと寒さを感じた。 「主上が聴いた声は雅良親王の声だった。自分の子である私を帝に、そしてその側にかつて愛した人の娘を望んだ」 すべての糸が繋がった。 なぜ天命が自分に下されたのか、何も手に出来ずに追われるままに命をたった雅良親王の唯一の願い。 それが、天命として主上に届いた。 「姫は犠牲者だった。雅良親王の意のままに人生を変えられた。だから姫は自由に生きて欲しい。巻き込んですまなかった」 「秋雅様……」 悲しく歪む顔は、本当に秋雅のものだろうか? まるで、秋雅の体を使い雅良親王が語っているように思えた。 「私が事実を知ったのは最近だ。渦巻いていたものがはっきりとした。姫、これだけは言える。例え、天命がどうであれ、私の心に嘘はない。姫を何よりも大切に思っている」 「分かっております、私も真実を知ったとしても心は変わりません」 「それが真実かなんて分からない。これも私の作り話かもしれないし、夢の話かもしれない。でも、真実ならすべてが繋がる」 秋雅は薄明かりを感じたのか、顔を上げた。 「もうすぐ夜が明ける。すべての手配は整っている。幸せになるのだよ。私が出来るたったひとつのことは、幸成殿が求めた姫の幸せを守る事。この話が本当でも、そうではなかったとしても、私がする事もただひとつ」 優しく笑うと、そっと月華の頬に唇を触れさせた。 「朝長、いるか」 「はい、ここに」 「姫を頼む」 「分かりました」 「秋雅様?」 「私たちはもう夫婦だ。外から見ればね。絹をもらえるか?」 「はい……」 月華は腰布を引き抜いて出しだした。秋雅は自分の布で月華の着物を止めなおす。 「まずは、生まれ育った屋敷へ戻りなさい。そのあとの事は惟高に伝えてある」 「惟高?」 「皆が願っている、姫の幸せをね。幸せにおなり。私のかわいい姫。月もきっと見ないふりをしていてくれる」 月華は、秋雅に抱きついた。 「私も秋雅様の幸せを願っております。幸せになってください、必ず」 「私は幸せだよ。たまには文くれ。無いと寂しいからね」 「分かりました、必ず」 秋雅は、朝長に合図をした。 まだ眠りの中にある内裏を人目につかずに出て行けるように手配していた。 部屋を抜けると、一度秋雅を振り返った。 穏やかな笑顔の秋雅と目がう、もう言葉はいらなかった。 微笑みで語り合う。月華も笑った。そして、深々と頭を下げる。 駆け出そうとして、不意に足を止めた。 もう一度振り返ると、秋雅から少しはなれたところに視線を向けて、じっと動かない。 少しの時間だったのだろうが、とても長い時間のように思えた。 月華は、驚いたように目を見開くがすぐに、ふわりと優しい笑顔に変わった。 秋雅は、月華の視線を追うように、背後を見る。 そこには誰もいない。 でも、誰かがいたような気がした。 「あの日、月華をこの腕に抱いていなければ、きっと女として愛していただろうな。雅良親王、聞こえているか?あなたの願った通り、私は帝になる。もう、下手な束縛は終わりです……あの二人の運命を切ることはできない。たとえこの世を作る天の力でも……そうは思いませんか……父上」 独り言を呟いた。 そばにいるような気がする気配に向けての言葉だった。 秋雅の穏やかな微笑は、朝日に輝きまぶしかった。 +----------------------------------------------------------------+
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