第四章  父の残した言葉

 第四話 天命の終わり

   <小説>   

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 秋雅は朝日の中にいた。
 にわかに騒がしくなってきた内裏に一人たたずんでいる。
 月華が去って、半時は経っただろうか。
 そのうち女官達がやって来る。
 月華のいない事が知れたら騒ぎになるだろう。
 その前に、秋雅の脳裏にはひとつの思惑があり、それを皆が信じる事にかけていた。

「さて、ここは私の腕の見せ所……うまくいくといいのだが……」

 高欄に秋雅は寄りかかった。単は出来るだけ乱れさせる。

「この格好でここにいたら風邪を引いてしまいそうだな。おっと……そろそろ、女官たちが来る頃だろう」

 笑い混じりの独り言を消し去った。
 人の足音が近づいてくるのが分かったからだ。
 秋雅は大きく息を吐くと、だらりと体から力を抜いた。
 頭の中は作戦でいっぱいだが、見た風は色っぽい男が一人座っているように見える。
 重たい表情、うつろな瞳、それは演技とは思えないほど儚い姿だった。
 その人影に気づいたのは、一人の女官だった。

「東宮、どうされたのですか!」

 秋雅は動かなかった。手に握り締めた月華の残した布をただ呆然と見つめている。

「東宮?」

 人が少しずつ異常を感じて集まってくる。
 秋雅は待った。
 もう少し、もう少し。
 憔悴しきった姿を現し、瞳の傍らに映る周りを見つめる。
 一人が、開け放たれた秋雅の部屋を覗き見て顔をしかめる。

「姫様は?」

 その言葉が口火をきり、辺りがざわめいた。まだ薄暗く微かに月が浮かんでいる早朝とは思えないほど、騒然とした空気が生まれる。

「姫がいない?」
「東宮、姫様はどうされたのです」

 人々は口々に姫はどこかと口にした。
 部屋の中に月華の姿はない。
 天命を受けた少女が見当たらないのである、ただ事ではなかった。
 しかも、目の前にいる東宮の様子も尋常ではない。

「姫は……もういない」
「いない?」

 ざわついた周囲の声に混じり、ひときわ大きな足音が聞こえてくる。
 騒ぎを聞きつけてやってきたのだろう。
 遠目に見える男が右大臣だと分かり、秋雅は内心にやりとする。
 これはいい男が……。秋雅にとって好都合な男が姿を現した。

「めでたい日に何の騒ぎだ」

 今日は、秋雅が帝に即位する日でもあった。
 そのための準備は着々と整っている。
 右大臣もそのために朝早く参内したに違いない。
 少し疲れた表情をしている。
 もともとかつては美男子だったという面影はなく鋭い目と、全体的に厚ぼったい風貌が似合いの腹黒い男である。
 女官や警備についている男たちのざわめいた空気に、いらいらした声を上げている。

「東宮の宮で朝から騒ぐではない」
「しかし……右大臣様……」

 傍に控えていた男が右大臣をとりなそうとするが、官位も役職でも相当上にいる男に強いことを言うことは出来ない。
 状況にまったく気づきもしない右大臣は、男のおどおどした態度にすらいらつき始めた。

「あの……」
「何だというのだ!」

 すぐ傍まで右大臣を引っ張ってくると、黙って視線で訴える。
 その視線を追った右大臣がふと一点に集中した。
 片方の眉が激しくゆがむ。
 瞳の隅に映る醜い右大臣の顔を秋雅は見逃さなかった。

「東宮?」

 やっと秋雅に気づいた右大臣は、驚きの声とともに騒ぎの原因が秋雅だとすぐに気づいたようだ。
 目の前に座り込みぼんやりと手に持っている絹の布を見つめる姿は、いつもの彼とはまったく違う。

「何があったのですか……東宮?」
「姫が……」

 秋雅は視線すら動かさずに、弱々しい声を出す。

「姫?」

 右大臣は、顔をしかめた。
 月華の姿がないのだと傍にいた男が耳打ちしたのだろう、ぎょっとして部屋に目を向ける。
 当たり前のことながらそこに人の気配はない。
 すぐに状況を察する頭の回転の速さは持ち合わせていたらしい、さっと顔色が変わった。

「東宮、月華姫はいったいどこへ……?」
「姫はもうここにはいない」
「何ですって!どういうことです東宮」

 高欄に寄りかかっていた秋雅は、ゆったりと立ち上がる。
 乱れた髪がはらりとこぼれ、単の着物も着乱れたまま肌を露出している。
 空を仰ぎまだうっすらと残っている月を瞳に映した。

「姫はもうここにはいない。帰るべき場所に帰られた」
「何をばかげたことを申されるのです。どこにいるのです、月姫は。悪ふざけはやめてください。まさか逃げたなど……あの娘には京の未来がかかっているのでずぞ!」

 怒りに任せて叫んだ右大臣を、鋭い瞳が捉えた。

「黙れ!私の妻を侮辱するつもりか!」
「っ……!」

 鋭い声に右大臣は、体を振るわせた。

「姫は帰られたのだ。住むべき場所へ」
「どこだというのです。山の屋敷にでも戻られたのですか」
「…………」

 秋雅はすっと手を伸ばし、人差し指を一点に向けた。そこにあるのは丸い月。

「月……?」

 周りの者たちはざわめきだった。
 思い出したのだ月華にあるうわさの数々を。
 天女、かぐや姫、神の使わした天の使い。
 この世の呪いを解くために地上に降り立った月の華。
 あれは噂ではなかったのか、にわかに信じられないといった空気が流れる。
 すんなり信じられる話でもない。
 もし、あの時代がまたやってきたら。呪われた時代に戻ったら、そう思えば呪いをなくすために選ばれた姫を失っては、平和まで失ってしまうかもしれない。そう思っても仕方がない。

「月華は消えたのだ。私の目の前で、この布だけを残し……」
「消えたですって!」
「ふわりと浮いたかと思うと、ゆらゆらとゆれ、溶けるように……その姿はまるで天女のようだった」

 秋雅は、大げさに言葉をつむぐ。

「私は姫に尋ねた。天の使いというのは本当なのかと。姫はただ、笑っていた」

 右大臣の片方の眉がかすかに動く。
 そんな話が信用できるか、という表情だった。

「この結婚は本当に呪いを解くと思うかとも聞いた。月華は嬉しい言葉を言ってくれたよ。私が帝になれば呪いは必ず解けると。平安京は救われると」

 秋雅は、右大臣に視線を滑らせ反応を見る。
 口角がかすかに上がる。
 ほっとしたような色が右大臣から見ることが出来たからだ。

「姫はひとつだけ願いを聞き入れて欲しいと言った。自分を解放して欲しいと」
「解放?」
「月に帰りたいと……ここは自分の住む世界ではないと言ったのだ」
「なんと……!」

 信じられないとはき捨てる右大臣を睨み付けた。
 秋雅の真剣さに周りの人間信じていた。
 それは月華がこの世の人間とは思えない特別な存在だったから。
 主上が作り上げた姫の背景が、よけいに役に立っているようにも思える。
 現実離れした月華という姫がただ、平安京を救うだめだけに地上に舞い降りた。
 そんな風に夢見る思いが芽生える。
 信じていないのは現実主義の右大臣だけだろう。
 彼が信じたくないのはきっと他に理由があるに違いない。
 自分に何か都合が悪いことがあるのだろう。
 月華を利用したかったのは目に見えている。
 性根の悪い。
 内心ははき捨てたくなったが、ぐっとこらえた。

「儀式の間だけの妻だったが、ともに十六年生きてきた。傍にいなくても月華は妻だ。気づかないのか右大臣?」
「何がでしょう」
「月華の存在が平安京を守ってきたということにだ」
「……これからはどうするのです。天命を受けた少女を失って」
「決まっている。私が守っていくのだよ、父に代わってね。月華は解放されるべきなんだ。地上に繋ぎとめておいたのは我々の我侭に過ぎない」

 右大臣はあきらめたように、肩を落とした。
 月華がいなくては平安京が滅びるなどといわれてはならない。
 この地を治めるのは姫ではなく、絶対人である帝なのだから。

「ただ、私は寂しいのだよ」

 秋雅は再び空を見る。
 だんだん薄くなっていく月を見つめた。
 いとしいものを見つめるまなざしに、かすかに涙が光る。硬く閉ざしていた唇がかすかに動く。

「月華を愛していたからね……」

 たまっていた涙が、はらりと零れ落ちた。
 優しく月華の残した絹を握り締め、唇を寄せる。
 月華に優しく口付けをするように。
 静まり返った東宮の宮。
 右大臣さえ口を開くことが出来ず、悲しみを表す秋雅の端正な横顔を見ていた。

「主上に伝えてもらえないか。月華は帰るべき場所に帰り、呪いの時代は終わった。新しい時代が来るのだと……」
「わかりました」

 それだけ言うと重たい腰を持ち上げた。

「お前たちも早く持ち場に戻れ」

 騒ぎ立てていたものたちを追い払うように叫んだ。
 再び月を見上げ、座り込んでいる秋雅を横目で探りながら、右大臣に促されるように立ち去っていった。
 一人残った秋雅は、大きく息を吐くと静か笑った。その声を堪えきれず、大きくなる。

「これでいい。信じたかは分からないが……天命どおりに進めばそれ以上詮索はしないだろう」

 静かにたたずみ空を見上げると、月の代わりに鈍い光を放つ太陽があった。

「秋雅様」
「朝長か」
「本当にあんなんでお信じになられたのですか?」
「見ていたのか」
「途中からです。けれどあんな戯言を信じるなんて……」
「お前も現実主義者か。私も信じないな……他の姫ならな。月華だからみんな信じたのだろう……いや、信じたいのかもしれない」
「今までの噂が噂ですからね」
「別に信じなくてもいい。また、噂として広がったとしても天命は終わった。天命は、私と月華の結婚。そして、私の即位。それ以上の命は受けていないからな」
「確かに……」
「初めからなかったのかもしれない。雅良親王の亡霊に踊らされていただけかもしれないしな」
「呪われた時代は、どう説明されるのです」
「どんな人間でも闇に落ちることがある。雅良親王がこの世に残した無念が形を変えたのだろう」
「簡単に消えるのでしょうか、呪いが」
「消えるさ」
「え?」
「月華を見て思い出したのだろう。かつての自分を。愛しい人を想い自分の思いを捨て、愛する人の幸せを願った、かつての自分の姿を」
「月華様と葵様を重ねられたのですね」
「ただ、可愛かったのだろう……幸成の子供だとしても。月華を可愛いと感じたのだ。これ以上苦しめたくないと思ったのかもしれない。想像に過ぎないが、雅良親王が一番苦しんだのではないだろうか。自分でかけた呪縛を解放出来なかった。望まないまま悲劇が重なっていった、呪いと言われるまでに……」

 悲しい表情の秋雅は、小さく息を吐いた。
 自分の父親への哀れみかもしれない。
 もっと別の生き方も出来たのにと、思わずにはいられない。

「月華と共に彼の気配も消え去った。月華の笑顔に彼も救われたのかもしれない」

 瞳はいるはずのない人を映しているかのように、いつも気配を感じていた場所をさまよった。

「それで、姫は?」
「…………」
「どうした?」

 眉間にし泡を寄せて見上げる朝長に聞き返す。

「あんなに想い会っている二人を、私は始めて見ました」
「そうか、幸せになれそうだったか?」
「……はい。なってもらわないと困ります。秋雅様がここまでされたのですから」

 秋雅は、膨れるように言う朝長を見て噴出した。

「何をそんなに浮かない顔をしている」
「これでよかったのですか?とても大切にしていた姫を手放して」
「朝長、分かっていないな。大切な姫だからこそ行かせたのだ。姫は天命などより大きな幸せを見つけた。この平安京を救った姫という肩書きなどどうでもいいのだ。一度はあきらめた、一番大切な夢をかなえてあげたかった。私が姫を幸せにしてあげる唯一の方法が、姫を解放してあげることだった」
「はあ……秋雅様がそう思っていらっしゃるのでしたらいいですけど」

 朝長が納得できないのは、月華の思っている相手が神楽ということにもあるようだった。
 秋雅はそれが分かっていたからこそ、よけいに面白そうに笑みを浮かべていた。

「それにしても、悲しいものだな。十六年人々の平和のためだけに運命につながれていたのに、天命どおりになったとたん姿を消しても心配すらしてもらえない。月華がいなくなったと知って、みんなの心配は平安京が再び呪いで覆われないかだった。姫はどうしたのかではなかった」

 瞳の奥に怒りの奉納が揺らめいた。
 こんなに薄情な心の者たちばかりだから悲劇が生まれるのだ。

「秋雅様……」
「まあ、仕方がない……それに今回はそのほうがありがたい。姫の身を案じて探しでもされては、嘘がばれてしまう。せっかく姫は月へ帰ったかぐや姫のようだと美しい物語を仕上げたのだからな」
「はあ……」

 この人はどこまで本気なのだと、朝長は思わずに入られなかった。

「朝長、着替えを手伝ってくれ。女官たちも下がってしまったからね」

 ちょうど着替えを終えた後だった。
 激しい足音を立てて東宮の部屋に乱入して来たものがいた。
 普段ならそんな無作法物は追い出してしまうところだが、入ってきた男の蒼白な顔にそんな思いは消えうせた。

「左大臣様」
「どうされたのですか、怖い顔をされて」
「月姫が……月に帰られたと……」

 左大臣の瞳には悲しみというより、深い絶望が見えた。

「おお……」

 ため息に涙が混ざり、力を失ったように座り込む。顔は手で覆われている。

「なんと言うことだ……こんなことになるなんて……幸成に合わせる顔がない……」

 座り込む左大臣を見下ろした。とても小さく見える。
 秋雅は震える肩をたたいた。

「月に帰ったというのは冗談だ。どこに消えたか知りたいか?」
「秋雅様!」

 朝長の声など聞こえないふりをした。
 左大臣は信用できる
 。何より、本気で月華を心配している。
 自分と同じく、幸成の意思を受け継いでいると感じ取った。

「東宮、それはどういう……?」

 左大臣は不思議そうに首をかしげる。

「姫は、愛するものの腕の中に帰ったんだ」

 よけいに驚いた顔になったが、その表情にはやさしさが含まれていた。秋雅は大声で笑った。
 求めたのはたったひとつの愛だった。この世に偶然などない。出会うことが運命だった。
 その運命を天命が揺さぶり、手放さなくてはならなかった。
 それでも求め合った。
 それが罪でもかまわない。
 罪に身を落としても、その身を業火の炎で焼かれても、捨てられないほど深いものがある。
 月華にとって、それが神楽だった。
 神楽にとって、それが月華だった。
 求め合う力は人の心を動かし、天命までも覆した。
 引き離された心はまたひとつになる。
 まるで、もともとひとつだったものが互いにもとめあうように。



 山の中の屋敷は相変わらず静けさの中にあった。
 太陽の光に映し出されるひとつの影。
 じっと動かずにその場にたたずんでいる。
 走り出し、腕の中に飛び込む小さな体。
 まるで奇跡のように一度失ったぬくもりを抱きしめた。

「神楽……」
「月華!」

 もう二度と感じることの出来ないぬくもりの中に帰ってきた。
 月華はこんなに幸せを感じたことがなかった。
 体中に幸せが溢れてくる。
 こみ上げてくるのは喜びの震え。
 この腕が自分のあるべき場所だと感じる。
 神楽と共に生きることが生まれてきた意味。
 抱き合ったまましばらく幸せをかみ締めていた。
 離してしまえば、再び失ってしまうような気がして怖かった。
 それが怖くて腕の力を弱めることが出来なかった。
 大切なものだからこそ失うのが怖い。
 一度失う辛さを知った二人にはよけいにその痛みが分かった。
 神楽の腕の中で、「幸せになれてよかった」と、幸成の声を聞いた気がした。
 優しい声が月華の涙を誘う。
 嬉しくても、涙が出るのだと初めて知った。
 捻じ曲げられた運命と天命を覆す強さは、ひたむきに相手を想う心の強さ。
 それは、呪いさえ打ち破り、野望に満ちた天命を消し去った。
 後に残ったものは優しい心と、深い愛。変わることのない永遠の想いだった。



 少しの時を置き、田舎に身を隠していた月華は、生まれた屋敷へと舞い戻る。
 屋敷での記憶はほとんどないが、どこか懐かしい場所だった。
 幸成と葵が暮らしていたかつての屋敷に、一生幸せに暮らすことになる。
 毎日のように聞こえてくる笛の音は、美しい旋律とともに愛を語り、重なり合う琴の音は愛に答えるように優しく響く。
 ふたつの音はひとつになり、耳にする人すべてが幸せを感じるのだ。
 穏やかに暮らす月華の楽しみは、夫の奏でる笛の音と、ときどき贈られてくる楽しい文。
 そして、あたらに芽生えた小さな命。
 ささやかな喜びが、月華を幸せへと導いていった。

 天命は、真実だったのかもしれない。
 秋雅が帝位についた時代、京の平和は崩れることはなかった。

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