第三章  禁断の恋

 第二話 笛の音

   <小説>   

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 激しい雨音は止まらない。
 くすぶるように空では雷が遊んでいた。
 月華は悲鳴をあげないように必死に体を抱きしめ、震えを止めていた。
 濡れてしまった単を着替えてから寝台に潜りこむ。
 神楽は柱に寄りかかると月華が動き回る音を聞いていた。ばたばたと動き回っている足音が止まり、聞こえるのは雨音だけ。
 懐を手で探ると横笛を取り出した。大きく息を吸い込むと、口に当てて、ゆっくりと吹き始めた。美しい調べが月華の部屋へと流れ出した。それは月華の耳にも届いた。
 その音を聞いた瞬間、勢いよく飛び起きた。

「この音……」

 宴の席で、一番耳に残った音。

「この人が……」

 雨の音も、風の音も、雷の音すら聞こえなくなった。優しい音は月華を包み込む。
 月華は思わず、寝台から抜け出し、御簾の近くまで駆け寄った。
 神楽の姿は見えなかったが、すぐ近くに居るのを笛の音から感じとる。音が切れるまで瞳を閉じて聞き入った。そしてふと音が止まった。息をひとつ吐く音が聞こえた。

「神楽様」

 あまりにも近くで月華の声がするので驚いて、体を引いた。

「あなた様の音色大好きです。宴の席で聞いた、どの音よりも一番心に残っています」

 神楽の影を見つめ、月華は話す。眩いくらいきらきらと輝く瞳は喜びを現していた。
 神楽も月華の影を見つめた。
 驚きに満ちた表情は、愛しい人を見る顔つきに変わり、それは男の顔だった。

「有難うございます……あの、様はいりません。神楽とお呼びください」

 低く落ち着いた声で囁いた。静かな態度とは裏腹に体の中を流れる血液が熱を帯びていた。

「神楽……?」

 呟いた名前に月華は体中が熱くなり、呼ばれた神楽も心地よい響きに自分の名前が高貴な名前のような気がして落ち着かない。

「眠るまで吹いておりますから、お休みになられてください」
「有難う、これできっと眠れます。神楽の音は温かく私を包み込んでくれるような音なのです」

 月華は戻ろうと立ち上がったが、また足を止めて振り返った。

「寒くはないですか?」
「平気です、ご心配なく」
「中に入られてもよろしいですよ」
「とんでもありません!姫、むやみに男を部屋に招き入れてはなりません……姫は大切なお方です。私を信用してくださるのは嬉しい事ですが、私がいつ男になるとは限りませんから」

 神楽は言いながらも顔をしかめていた。大切なお方という言葉に不本意な思いを抱き、口にしたくなかった。
 月華は息を飲み込んだ。神楽の言っている意味が分かったのか、平然としていた顔がみるみると赤くなる。そして少し切なそうに顔を俯かせた。

「あまた様も、私を特別扱いされるのですね」
「姫?」
「皆、私を私として見てはくれない。私を秋雅様のものとして見られる。確かにその通りです。でも、特別扱いはいや……秋雅様の妻になるから私に優しくする。私には価値がないみたいで悲しくなるわ」

 神楽は落ち着いた態度を変えずに月華に言った。

「姫、それは違います。姫のことを皆、愛してらっしゃるのです。それは誰かのものだからではないと思います。確かに、そう思っている方もいるでしょう。そう言うもの達の心はそこにはない、相手にされる事はない。平気で裏切り見捨てるでしょうから。姫の周りにいるものたちは姫を愛していらっしゃる。姫がそう信じてあげなくてはなりません」
「……」
「それに、私も同じ。東宮の妻になるから優しくするわけではありません。姫のために吹いて上げたいと思ったのです」
「……」

 俯いたまま静かに聞いていた。

「私も男でございますから、姫様に何をするか分からない。世では男を部屋に招きいれると男と女の時間です。私は、東宮の為や平安京の為に言っているわけではありません。たとえどんな天命がくだっても、その道を選ぶのは姫自身です。……これは、私は主上の批判をしておりますね。言いすぎでした……と言うより正直、言い訳です。この御簾は歯止めです。この御簾がなくなれば、私は姫を傷つける自信がある」

 神楽は、珍しくたくさん喋っていた。
 自分で自分に言い訳するように、言い聞かせるように、月華にそれを押し付けていた。
 たとえ主上に批判的意見をもっていたとしても、越えてはならない一線がある。
 この世の絶対人を否定するにはあまりにも自分は小さな存在だった。

「分かりました。子供じみたことを言ったようですね。すみません。世間離れしておりますので、お許しください」
「いいえ、私のほうが失礼な事ばかり申し上げました」
「私の行動で、すべての歯車が狂う……もし神楽を部屋に入れたことが惟高にばれでもしたらあなた様の立場にも関わります。大変な事になるところでした」
「さあ、お休みになられて下さい。これ以上雨がひどくならないうちに」

 月華は、大それた、しかも軽薄な事を言ったと反省した。
 神楽の言葉からも改めて、自分の立場を認識した。
 些細な思いつきで取った行動もすべてどこに繋がっている。天命がついて回る以上、罪がのしかかる。
 もっとしっかりしなくては。
 時々子供じみた態度を取る自分を追い出さなくてはと、真剣に考えた。
 大人しく寝台に戻ると、瞳を閉じた。そして、神楽のことを考えた。知っている人が少ない為、例えにはならないが、あまり居ない人に違いない。
 一見冷たそうな雰囲気がする外見は、きっちりとした強い眼差しを秘めた瞳を持っていた。顔はいつも無表情で、怖く見えるが、言葉の節々にたくさんの優しさが込められていた。
 不安や、卑屈に考える心をほっとさせてくれる。月華の欲しい言葉をくれた。
 響いてくる音楽に更なる優しさを感じながら、陶酔していった。
 恐ろしかったすべてを取り除き、眠りの中へと導く。心地よさは心の奥にまで広がって行った。
 不思議な気持ちだった。
 ふわふわとした暖かいものに包まれ、抱きしめられているような感覚。かつて幸成に抱きしめてもらった、いくつもの夜を思い出す。
 しかし、ふと感じる胸の痛みが月華を揺さぶるのだった。
 幸せの中に感じる小さな痛み。それは初めての感覚だった。眠りの入り口で痛みについて考えたが、もう思考能力が失われていた。月華は深い眠りに落ちていった。
 神楽はずっと笛を吹いていた。
 激しい雨が微かに音を小さくし、雷は鳴らなくなった。一曲の終わりまで行くと笛から口を離し、大きく息を吐く。
 曲に集中していたためだろうか、近くにふたつの影があることに神楽は気がつかなかった。
 その影は足音を立てて近づいてくる、神楽は音に反応し振り返った。壁に寄りかかったままの姿で側に立つ影を見上げる。視線の先には一人の男と、一人の女房が立っていた。
 男が惟高だとすぐに分かった。
 神楽の視線も惟高から放れず、しばらくはその表情をうかがっていた。忙しさに疲れ果てたと言うよりは、焦りと怒りが見え隠れし、薄暗い中に青白く浮いて見えた。
 ゆらゆら揺れる蝋燭の火が怖さを際立てる。
 神楽は一瞬ぞくりと体を振るわせた。
 突き刺さる視線が痛い。
 ちらりと横に居る女房の顔を除き見るが、心配そうな表情を浮かべているのが分かった。彼らの心中が大体は予想がついた。

「ここで何をされているのですか」

 冷たく低い声だった。

「修理をしに」
「こんなに時間がかかるのか」
「それは……」

 神楽は動揺も恐怖もない。平然としたいつもの自分だった。
 やましい事は何もしていない、臆する事はないが惟高の様子から見ると、かなり状況は良くないと、感じとった。

 ―― 私が月姫様に手を出したと思っているのか……?

 惟高を見つめながら考えていた。真実を理解してもらう事は難しいかもしれない。
 男との接点を閉ざす為に山中に住まう、いずれ東宮妃になる姫の部屋の前に男がいるのである、当然そんな反応が帰ってくるだろう。
 迂闊だったと思ったが、笛の音を絶やして立ち去る事など考えていなかった。
 もし姫が目覚めたら、また恐怖に震えるのだろうか、寂しげな表情が脳裏に浮かんだからだ。ここを動く事が出来なかった。
 後も先も考えず、月華を眠りに誘う為だけに奏でたことに後悔はない。
 どこからどこまで話そうか、悠長に神楽は考えた。包み隠さずすべてを語る事はやはり出来ない。月華に会ってしまったと言う事実は口外出来ないと思った。
 とがめを恐れてと言うわけではないが、言ってはならないような気がした。

 ―― 月華を見て恋に落ちない男がいるだろうか?

 誰もが心を捕らわれてしまうほど美しい。美しさは姿だけでなく、瞳から感じるあの純粋さ。惹かれないものが居るのなら見てみたい。
 会ったと言えば、その先も疑われる。自分の中に芽生えてしまった想いにも気付かれる。この思いだけは知られてはならない。
 特にこの惟高様だけには。
 神楽には落ち着いて考えるだけの理性が残っていた。

「どうした、無口なのか?それとも言えぬ事が起きたと言う事か!」

 惟高は、神楽の態度からさらに疑い始めた。

「それは姫と私の間に何かあったということでしょうか?」
「何かとは何だ」
「男と女の関係とか」

 神楽に言わせるように、惟高はわざと知らぬふりをした。神楽は平然とした態度で答え、惟高のほうがうろたえた。

「あったというのか!」
「そのような事はありません」
「では、ここで何をしている」
「申し上げた通り、修理に参りました。ただ、その後の事をお話しますと、激しい雷に怖がられた姫様が、ここに居りました私に、怖くて眠らないと申されたので、お眠りになるまで笛を吹いて差上げますと言いました。それでずっとここで笛を」

 握っていた笛を、惟高にかざして見せた。神楽の表情はまったく変わらなかった、真っ直ぐと惟高を見返す瞳は、一点の曇りもない強い眼差しだった。
 神楽の視線に気をされるように、惟高は口を閉ざした。

「女房殿、姫様がお休みか見てきてはいただけないでしょうか」

 若菜は神楽の視線に強さを感じ、驚いた。

「若菜」

 惟高は、若菜に顔で合図をし、言われるままにしろと促す。頷くと慌てて御簾の中に消えていった。
 若菜がでて来るまで惟高は神楽へ冷たい視線を送りつづけた。それでも身じろぎさえせずに、視線をそらす事のない神楽に圧倒されたのは惟高のほうだった。

「お休みになられております」
「そうですか。私の役目は終わりです。ここで失礼致します」

 神楽は立ち上がった。

「神楽どの、私はここへくる事を許可していない、なぜ勝手に入られた」
「惟高様が私の声に気付かなかったので。放って置いたらこのあたり一面水溜りでございました。許可よりも修理を優先させたまででございます」

 立ち去ろうと歩き出していた足がぴたりと止まる、振り返った神楽ははっきりとそう答えた。
 神楽の目は歳若い少年には見えない。どこか蔑むような目で惟高を見ていた。
 その目から嘘は感じない。
 感じたのは敗北感だけだった。
 こんな少年にうろたえた自分が恥かしくなった。
 神楽を信じたわけではない。しかし、信じられるものを自分の目で見たのは確かだった。
 惟高が見たのは月華の部屋から出てくる神楽ではなく、月華の部屋の前で笛を吹く姿だった。過敏になりすぎていたことを反省した。疑われるような行動をした神楽も悪いと責任転換もした。その思いは複雑だった。
 何より、月華の部屋の前で笛を吹く神楽の顔が、目について離れない……愛しい人を想って吹く姿を連想し、恐れた。
 月華が神楽に会い、あの眼差しの中に居たらきっと恋に落ちるだろう。
 あんなにも情熱的で優しい瞳はそう見られるものではない。
 人と言う人に出会う事のない月華は、すぐさま飲み込まれてしまう。
 惟高は、恋に落ちる事は大反対だった。
 間違えさえなければ少しくらいと言う考えはいっさい無い。
 それは天命が絶対だから。
 刃向かう事の出来ない道筋には、よけいな道は要らない。恋に落ち、報われない想いを抱き、秋雅と結婚する。恋が本気なら本気なほどそれは辛い傷跡になる。不幸になる。
 誰もが愛する者の側で暮らす事を望むだろう。
 心までは天命は決められない。
 だから排除してでも秋雅だけを見ていて欲しかった。秋雅しか居なければ、秋雅を愛するようになるだろうと思っての事である。

「疑って悪かった」
「いいえ、疑われて当然ですから……」 

 一瞬悲しい目をして立ち去った。若菜はその表情に目が止まり、難しい顔をした。何かがここであったと感じとった。

「あの男ならひとたまりもない」 
「それはどういうことですか」
「あんな真っ直ぐな目で見られては心揺らがないわけがない。普通の女ならね」
「そうでございますか?」
「……お前は見る目がないな」
「瞳だけで恋をするわけではありません」

 若菜は少し怒りを向けた。

「瞳だけで恋に落ちる事もあるだろう。それも一瞬、御簾が風に揺れ、垣間見えたその瞬間、それだけで忘れられなくなり結ばれる者たちも居る」
「二人の間に何かあったと?」
「あの男が手を出したとは思っては居ない。あの目は嘘をついていなかった。しかし……心の中は分からない」

 若菜は神楽が一瞬見せた表情を思い出し、唇をかんだ。無表情な人ほど、ほんの一瞬の変化に意味のあるものはない。

「会っていなければいいが」
「多分、お会いしていると思います。姫様のおびえる姿を見て、あのように笛を吹かれていたのだと思います。姫様が眠りに落ちるまでずっと。優しい方ですね」
「だろうな……」
「だからと言って、もう会うこともないのですから心配する事はありません」
「天命さえなければ、結ばれていたかもしれない」
「なぜそう思われるのです」
「二人の出会いこそ天の力を感じる。本当に惹かれあうものは導かれるように出会い、恋に落ちる。二人がそういう人物ならば引き離す事は難しい。出会わなければ良かったと思うしかないだろう」
「姫様の運命の先には皇太子様がいらっしゃるのでしょう、だから天命が下された、違うのですか」
「さあ、天も時には間違われるかもしれない。まあ、私の勝手な予測など当てにならない。ただ、皇太子様より、あの者の方が惹き付ける力がある。私だけかもしれないが、何か感じるのだ。それは恐怖だ」
「惟高様?」
「若菜、聞かなかった事にしておくれ。これは主上に対する侮辱だからな。どうやらあの男の視線にやられたらしい」

 惟高は珍しくうろたえて、妙な事を口走った。
 若菜にはそれは珍しい光景だったが、惟高の言っている意味が良く分かった。
 現実味のない秋雅との結婚より、神楽と言う男の方が月華の心に入り込むのではないかと思ったからだ。
 確かに恐怖を感じた。何かが狂い始めたように感じた。
 今まで築き上げてきたものが、この一瞬で崩れたような感覚。
 月華の心がそれにどう反応するか、若菜はそれが一番怖かった。このまま何もなく終わるとは思えない。

「私が部屋を開けなければ……」
「今更言っても仕方がない」

 天命がどうであろうと、心までは従えない。
 選ぶのは月華……天命を受けた者にしか決められない。
 たとえ、それが天命に背く道でも、不幸への道であったとしても、月華自身が歩く道を決めなければならないのだった。

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