第三章  禁断の恋

 第一話 嵐の夜

   <小説>   

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 宴も終わりに差し掛かったころの事だった。
 夕日の代わりに空に現れたのは真っ黒で分厚い、切れ目のない雲だった。
 いつのまにか太陽は覆い隠され、重たさを感じる黒い雲が空中に広がっていた。雲の上ではごろごろと嫌な音がする。
 ぞくぞくと背筋から寒さを感じる不気味な雰囲気は、永遠にやまないのではないかと思うほど雨が続いた呪いの時代の空を思い出し、人の恐怖を誘い出す。不吉な気配を感じる、そんな空だった。
 通り過ぎていく風は大きく木を揺らす。肌に感じる空気は、纏わりつく重たさがあった。
 誰もが感じとった。

「嵐が来る……」

 どこからともなく、呟く声が聞こえてきた。まるでその言葉に反応するように空から激しい雨が落ち始めた。

「なんと言うことでしょう!」

 月華は、立ち上がり叫び声を上げた。

「早く楽士達を屋敷の中に!皆も楽器を入れるのを手伝ってあげて」
「姫は出てはなりませんぞ」

 惟高は釘をさすのを忘れずに、月華の部屋の前を通ってから外へ飛び出していった。
 庭は騒然としていた。
 月華は、ただそれを何も出来ずにただ見守っているしかなかった。
 外に出て自分も手伝いたいとは思ったが、それは惟高と約束したため出来なかった。
 もどかしくて仕方がない。
 落ち着いて頭をめぐらすと、今の自分に出来ることは屋敷の者をうまく使い、ことなく彼らを雨から逃れさせる事だと自覚した。
 真夜中のように真っ暗だった。
 雨に風が加わり、激しく納戸を叩く。あまりの激しさに、屋敷が揺れた。
 激しさは、夜になるにつれてより一層増していった。
 屋敷内は、濡れたものを着替えさせたり、楽器を拭いたり、いつもの何倍もの夕餉の支度をしたりと、人手が足りずにあたふたとしていた。
 月華は、迷惑にならないように部屋で大人しくしていた。
 もう、指示をする事などない。安里と惟高にまかせているほうが自分よりずっと的確な指示を出すだろう。
 あわただしさが気になって仕方がなかったが、自分が身動きを取るとかえって騒ぎになる。決して部屋から出ない、強く自分に言い聞かせた。

「どうされます、姫」

 惟高が部屋に入って来た。
 忙しさに乱れた着物から、走り回った疲れが微かにうかがえる。

「どうするも何も、止むまで滞在していただきます。この中を帰れないでしょう」

 惟高は、やはりと言う表情を浮かべて息を吐く。

「優しいと言うか、姫らしいと言うか」
「どういう意味?この雨の中を追い返すって言うの」
「分かっております。男手も必要になるからちょうどいいでしょう。部屋がそうたくさんありませんので、適当に割り振るしかないですね……」

 面倒な事になったと、あからさまに溜息を吐いたが、それほど嫌だとは思っていないようだった。

「姫様は、くれぐれも部屋から出ないで下さい。よもや楽士と会おうなどとお考えにならないようにして下さい」
「もちろん分かっています。姫たる者はでしょう?」

 よく出来ましたという風な笑顔を浮かべると、部屋から出て行った。

「若菜も手伝ってあげて」
「大丈夫でございますか?」
「大丈夫よ」
「もう大人ですものね。夕餉の膳は後から取りに来ますから、お早めにお休みくださいませ」
「分かったわ」

 差し出された夕餉を見つめる目がうつろだった。
 出された物が嫌いなわけではない。若菜がいなくなった部屋が急に広く感じ、恐怖が生まれたのだ。
 脅えれば脅えるほど幻影が現れ、闇の中に連れ出す。それは嫌、と必死に抵抗する。しかし、昼間の恐怖がまだ体に残っている。そして、嵐がその恐怖をさらにかき立てた。
 月華は立ち上がると、外の様子を伺ってみた。目の前に広がるのは針のように大地に突き刺さる雨だった。
 激しい雨音が耳の奥まで入り込み、他の音は何も聞こえてこない。
 真っ黒な雲に覆われた世界は、夜が来たのかさえ分からない。雨によって遮られ、時間の流れの感覚が狂っていた。
 ひどくゆっくり時が流れているように感じる。
 嵐は夜中になっても収まらなかった。むしろ、よりひどくなっている。
 風は木戸を打ち鳴らし、屋敷中に鳴り響いた。
 あちらこちらの木戸は強い風によって破損し、雨が流れ込んでくる。
 綺麗な屋敷だったが、人手が足りないのか、いくつも立て付けの甘い所があった。それがこんな時に露見し始めた。下働きのものたちは雨の中を走り回ったが、とても手におえなかった。
 惟高は屋敷の中を走り回っては、手伝ってくれる楽士達に指示を与えていた。男手が増えていたことに感謝したくらいだ。とても、いつもの人数では嵐を乗り越える処置はできなかっただろう。

「惟高様。次はどこを!」
「あちらの方は大丈夫か」
「北の方をお願いします」
「分かりました!光永《みつなが》こっちを手伝ってくれ」
「道具はそこに用意してあります」
「分かりました」

 惟高は叫ぶ。
 雨音にかき消される声は、叫ばないと聞こえない。作業は風に押され、雨に打たれ、酷いありさまだった。
 狩衣から水が滴らせた男たちが廊下を駆けずり回っていた。

「惟高様」

 一人の男が話し掛けるが、惟高にその声は届かない。それは一度だけではなく何度も話し掛けたが聞こえなかった。
 他の男と話し込んでいるらしく、男は諦めて西の対へと勝手に赴く事にした。激しい風により木戸が倒れた音が聞こえてきたからだった。

「神楽?」
「私は西の対へ行きます。ここはよろしくお願いします」
「分かった、一人で大丈夫か?」
「はい、慣れておりますから」

 神楽は人々から離れ、一人で西の対へと足を踏み入れた。聞こえてきた音のとおり、木戸は倒れ、水が中に入り込んでいた。

「これは酷い……」

 木戸の枠が折れていた。神楽は折れた部分に添え木をして応急手当をし、元に戻した。
 木を叩く音と雨音とが混じりあい、大きな雑音が響いていた。その音にさらに恐ろしい音が交じり合う。
 空に稲妻が走り、腹のそこに響き渡るような重たい音が響いた。
 神楽はそんな音には気後れもせずに、もくもくと作業を続けていたが、雷の音に混じり聞こえた小さな悲鳴に手を止めて振り返った。
 そこにはひとつの部屋がある。
 美しい装飾の施された趣のある場所で、ここがこの家の主の部屋だと察しがついた。この屋敷の主と言えばひとりしかいない。
 手を止めたまま声をかけようか考えていた。
 たやすく声をかけられる相手ではないと知っていたから、迷った。
 神楽が思い悩んでいる間に再び、目がくらむほど不気味な光が空を駆ける。
 悲鳴が聞こえたと思ったとほぼ同時に、突然見つめていた御簾から人影が飛び出してきた。その影はあたりを見る余裕などないらしく、前にいた神楽に衝突し、座り込む。
 驚いたように目を上げると、その視線と神楽の視線がぶつかり合った。
 薄暗い廊下で、目の前にいる姫の姿に神楽は驚き息を呑む。
 それは、月華も同じだった。
 耳には激しい雨音を縫うように、恐怖の音が襲い掛かる。月華は瞳をきつく閉じると、神楽に飛びついた。座り込む腕の中に月華は納まり、雨に濡れた胸元に顔をうずめた。
 神楽の行き場のない腕が空を舞う。小さく震える月華を見下ろすと、そっと抱きしめた。
 何て美しい姫だろう。
 手に感じる柔らかい髪も、微かにかおる香の匂いも、初めて感じるものだった。透き通るように美しい白い肌、見つめ合った時に感じた瞳の美しさ、そして何よりも腕に抱く温もりが、神楽が今まで感じた事のない甘い感情を呼び起こす。
 それはとても優しい気持ちだった。

「大丈夫ですよ。落ちたりしません」
「……ごめんなさい」

 聞こえてきた声にはっとなり顔を上げる。目に飛び込んできたのは、今まで見た事もない若い男の顔だった。
 二人は互いに見とれていた。
 神楽の顔をまじまじと見つめ、月華は思う。
 整った綺麗な顔立ちの人だと。雨に濡れ、乱れた髪が顔にかかり、水が滴り落ちる。濡れている着物から出ている腕が自分の腕を掴んでいてくれた。指に冷ややかな体温を感じた。見つめたまま離すことの出来ない瞳は、お互いを映し合う。
 時が経つのも忘れ、互いの姿を追い求めていた。

「姫、濡れてしまいます」

 その声に急に体の熱が上昇した。

「きゃ」

 小さな悲鳴をあげ、神楽の腕から逃れた。

「濡れませんでしたか?」
「へ……平気です」

 慌てて答えたが、着ている単がしめっていた。しかし、濡れている事よりも、自分のはしたない姿に驚いた。
 単に小袿を羽織っただけの姿で、飛び出していた事に初めて気付いた。恥かしさと共に、小袿で体をくるみなおす。小さな体はさらに小さくなった。

「すみません、このような姿で」
「い……いえ別に」

 あまり姿に気付いていなかった神楽も、月華の恥かしさが伝染し、顔色を変えた。
 表情はあまり変えない男と言う印象が強かったが、今の神楽を見てそういうものはいないだろう。
 それほど戸惑い、動揺していた。視線は空を泳ぎ、視界から月華を外す。

「誰か呼んで来ましょうか」
「いいえ。忙しいから。私が眠ってしまえばいいだけなのです。それに、大人なのだから一人でおやすみなさいと言われているのです」
「このような夜ですから」
「有難うございます。でも……大丈夫です」

 月華は作り笑いを浮かべたが、それが嘘なのは神楽にはわかった。大丈夫と言うにはあまりにも顔色がすぐれなかったからだ。
 強い光が空を走る。目の中に飛び込んできた光に月華は悲鳴をあげて、その場に身を縮め震えていた。「大丈夫です」という神楽の言葉は、鳴り響く雷の音にかき消されてしまった。
 神楽もどうしていいか分からずに、おろおろとしていた。すぐ側にある木戸が微かに隙間を開けていた。がたがたと風に押され低い音を立てる。隙間なく戸を締めると暗さがさらに増したが、微かに雨音が小さくなる。

「姫、とにかくそのようなかっこでいては風邪をひかれてしまいます。寝台へ戻られてください」

 月華は体を起こすと真っ直ぐ神楽を見た。縋るような瞳に息を飲む。ずきずきと胸に痛みが走る。

「取り乱してすみませんでした」

 美しい黒髪が肩からこぼれ落ちるのを見た神楽は、微かに乱れているその髪に触れたい自分を押し殺した。
 床を掴むように手を握り締める。誰に対しても無関心だった自分が、目の前にいる少女が気になって仕方がないのは、単姿で現れたからではない。
 かたかたと何かが崩れ始め、新しい何かが目覚めだす。今まで感じた事もない熱を帯びた感情だった。

「しばらく私がここにいましょう。お休みになられるといい。誰かが側にいるだけで少しは恐怖も薄れるでしょうから」

 神楽はかすかな笑みを浮かべて優しく言った。

「さあ、中へ」

 促され、立ちあがる。
 神楽は、使い終わった修理道具を箱に詰めていた。
 月華は御簾を持ち上げると、ふと思いとどまったように足を止め、振り返る。

「あの、名前を聞いてもいいですか?」
「え?」
「私は、月華と申します」

 月華に見下ろされた視線にあわせる。

「神楽と申します」

 神楽は視線を落とし、その場に手をついて答えた。

「神楽?雅なお名前ですね。どうもありがとうございました、神楽様」

 深く礼をすると御簾の中に消えていった。
 その姿を神楽はずっと目で追う。
 月華もまた、御簾越しに神楽を振り返る。ふたりとも、しばらくそのまま動くことが出来なかった。
 嵐が導いた、不思議な出逢いだった。

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