第二章  運命の姫君

 第四話 宴

   <小説>   

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 月華への驚くべき、秋雅からの贈り物が届いたのは夏の終わりごろだった。
 何も知らされていない月華は、朝早くから忙しそうに動き回っている女房達を見て顔をしかめた。
 部屋の前を通っていく女房を捕まえては、どうしたのかと問いただすが、上手くごまかされ足早に去って行ってしまう。
 いつも側にいてくれる若菜ですら、朝食を置いたらすぐに姿を消した。忙しいからということもあったが、彼女が急いで立ち去ったのは月華の追求からのがれる術が他になかったからだ。
 誰もかまってはくれず、安里には部屋から出る事を禁じられ、面白くないという顔を浮かべていた。退屈しのぎに琴を弾いてみるが、苛々が募るばかりでちっとも楽しくなかった。

「なんなのよ、私だけ仲間はずれにして……」

 怒りあらわに呟いたが、語調は寂しげだった。

「珍しく大人しくされていらっしゃるではないですか」

 部屋の中に入ってきたのは、惟高だった。月華は驚きのあまり間違った弦をはじいて呆然と惟高を見た。

「どうしたの?こんな時間に!」

 惟高が来る時間にはまだかなり早かった。

「月姫様は琴の腕だけは素晴らしいと思うのですが、いかがでしょう高藤様」

 惟高は後ろを振り返り、尋ねた。惟高の後ろに隠れるようにもうひとつの影があり、月華は御簾越しに目を凝らして見た。
 惟高以外の貴族の男を始めて見た。落ち着いた雰囲気で少し年配の男だった。

「こんなに美しい音色は初めてですよ、惟高殿」
「惟高、誰ですか?」

 知らない顔に、月華も言葉遣いが丁寧になった。

「雅楽寮《ががくりょう》の高藤様です」
「雅楽寮の方が一体何のためにこんな辺境地へ?」

 高藤は、辺境地という言葉に笑みを浮かべた。

「皇太子様からの贈り物でございます」
「贈り物?この方がですか?」

 その言葉に高藤は声をあげて笑い出した。

「これは失礼。月姫様は、面白い方というよりは、よほど外を知らないと見える。もちろん私が贈り物では、とんでもない贈り物です。私がではなく、私の連れて来た者たちが行なう催しが贈り物でございます」

 笑いをこらえながら高藤は言う。

「宴の経験のない姫の為に皇太子様が、少しでも気分が味わえるように高藤様をこちらへ呼んでくださったのです」
「宴の気分?」

 月華の声は驚きも混じっていたが、明るくなった。

「何をしてくださるのですか?」
「私たちの催しは決まっております。歌、笛などの雅楽や舞いを披露させていただこうと思っております。よろしかったら月姫様の琴を私たちにお聞かせくださりはしないでしょうか」
「私の琴で皆様が楽しめるのでしたら喜んで弾かせて頂きます。いいかしら?惟高」
「どうぞ」
「秋雅様がこんなにすてきな贈り物を考えてくだるなんて、嬉しいわ」

 月華は喜びに満ちていた。

「だから皆、朝からばたばたとしていたのですね」
「月姫には内緒にことを進めておりましたので」
「高藤様、今日はどうぞよろしくお願いします。みんな初めての事なので、とても楽しみです」
「楽しんでいただけるようにがんばらせていただきます」

 深々と頭を下げると、高藤は先に部屋を立ち去った。その姿を見送った惟高が厳しい顔になって真っ直ぐと御簾を見つめた。

「姫、ひとつお約束が」
「何?」
「決して御簾から出てはなりません。分かりましたね」

 迫力ある、厳しい口調で言い放つ。
 絶対にそういうだろうと月華は予想していた。彼の心配は分かっている。
 主上がここに自分を隔離している理由と同じ、他の男と間違いを起こさないため。秋雅以外の男と深いかかわりになる事を避けなくてはならない。
 もし、他の男の手に落ちたら天命に背く事になる。その結果はどうなるのか誰も知らない。
 しかし、再びあの呪われた時代が来ると恐れられていた。
 人の心は、天命では縛れない。主上ですら支配しきれない。
 だから主上は恐れ、月華を隔離した。
 他の男と惹かれあってしまったものの情熱は止められない。そうならないように誰ともかかわりを持たせないように人から遠ざけた。
 もし、楽士と何かあったら、と惟高は真剣には考えてはいなかった。
 しかし、念を押さないわけには行かない。月華を見た男が惹かれないわけがないと思っていたからである。
 それほど美しく、人を惹き付ける姫だった。神の落とし子、月かぐや姫の生まれ変わり、噂が真実なのではないかと思うくらいだった。
 月の落とした一輪の花、という表現すらぴったりと当てはまる。月華が誰かを思うというよりは、男が月華に思いを寄せて強行的手段にでる。
 命をかけた恋を止める事は難しい。
 月華がその思いに触れたらひとたまりもないだろう。
 真っ直ぐすぎる心はかけがいのない宝だが、綺麗過ぎる心には隙間が多く、男の甘い言葉は簡単に心に響く。月華が、重たい重圧から逃れる罪を犯しかねない。
 月華を守るのが自らの役目、罪を犯し、傷つく前にその要因から遠ざける。一番大事なのは男との接触をたつ事なのだ。

「分かっているわ。大人しくしています。でも……声はかけてもいい?」
「仕方がないですね、それくらいは許可いたしましょう」
「本当?よかった。こんなに嬉しいことはめったにないわ」

 今までこんなに嬉しい事はあっただろうか。
 思い当たる思い出はない。
 些細な喜びはたくさんあったが、今の喜びと比べると色あせてしまう。それくらい月華を喜びで満たした出来事だった。秋雅に今日ほど感謝した事はなかった。
 広い庭にはたくさんの楽士達が集まっていた。即席の舞台を作ったり、楽器を用意したり、屋敷の女房達も交えながら、着々と準備は整えられていった。
 月華は、庭の見える部屋に大人しく座っていた。御簾こしで人影ははっきりと分からないが、こんなにたくさんの人を見るのは初めてだった。満面の笑みで外の様子を伺う姿はいつもより幼く見えた。

「たくさん人がいるのね」
「もののしが中心ですから、わりと若い方ばかりですよ」

 若菜が隣で囁いた。月華の部屋には若菜と安里しかいなかった。
 他の者達は用意を手伝っているか、少ない観客になり庭を見ている。
 この屋敷にいるものたちは、ここの生活に慣れてしまい、賑わいの中にいるのは久々だった。こんなにも活気付いたのはこの屋敷が出来てから今回が初めてだろう。
 高藤の声により宴が始まった。
 一番初めに月華を楽しませたのは、琵琶の演奏だった。
 月華は初めて聞く琵琶の音に興味津々だった。それを始まりとして次々と色々な演目が繰り広げられていった。
 舞楽が始めると月華は真剣にその舞を目で追っていた。
 演目は「八仙」。四人の男たちが舞を踊っている。鈴をたらした鶴面を付けていて、始めて見る面が不気味だった。変わった服装にも目を疑った。しかし、手をつなぎ輪になって舞う姿が、鶴が空を飛ぶ姿をかたどっている。圧倒される雄大さに月華は溜息を落とした。
 音楽と舞が今、目の前で美しい世界を作り出す。
 きらきらと輝く瞳は、ひとつひとつを見逃さないように必死に追いかけた。
 合奏もあった。笙、笏拍子、和琴、筝、琴、横笛。月華には珍しい楽器ばかりだった。
 月華が得意なのは筝だったが、それ以外の楽器は見た事もなかった。互いに響きあい混ざり合う音の綺麗さに、新しい音楽を感じ、聞き惚れてしまう。雅楽とはこういうものなのかと、月華は強く感じていた。
 月華はいくつもの音の中でひとつの音を聞き分けた。

「あの笛の人、段違いに上手いわ。音色が全然違う」
「そうですか?私にはよく分からないのですが……」
「若菜、何てことを言うのよ」
「そう言われましても」

 若菜には月華の言っている音がどれかさえ、分からなかった。

「深みがあって、心に響きわたるようだわ。そして優しい音色なの。分からない?」
「すみません、全然わかりません」

 耳を済まして聞いても、分からない。美しいとは思ってもそれ以上の言葉はでず、みんな同じに聞こえてきた。
 月華はやはり違うという目で若菜は見たが、月華は飽きれ顔で若菜を見ていた。
 明らかに他の人とは違った音色はどんな中に混じっていても聞き分けられた。それくらい耳の奥に残る音色だった。
 甘い砂糖菓子を食べた時のように、ほのかな喜びが残る。月華はずっと聞いていたいと思うくらいその音に惹かれていた。
 どんなに有名な人が吹いたとしても月華の心をこんなにも強く掴むことはなかっただろう。
 どの人だろう、目がその人物を探す。段々興味が強くなり、乗り出すように探そうとしたが、それ以上好奇心を表に出すことは諦めた。惟高の顔をゆがめるだけだと知っていたからである。
 こんなに楽しい時を打ち消されるのは嫌だった。大切な宝物のように今を閉じ込めてしまいたいと真剣に考えていた。
 月華のために開かれた宴は盛り上がりを見せていた。ちょうど次の用意のために時間が空いていた楽士たちも、月華のはからいで宴を楽しんでいた。酒を飲み、食べ物を食べ、そして演奏をする。
 その姿を嬉しそうに見ていた月華は何を思ったのか、近くにあった筝の琴に手を滑らせた。
 初めの一音で、ざわざわと賑わっていた庭から、一瞬にして声が消えた。まるで空に浮かぶ月に雲が流れ光を奪うかのように、しんと静まり返った。
 庭に響くのは月華の奏でる音。流れるような旋律が広がった。その音は人を酔わす。持っていた杯が手から零れ落ちても気付かない者がいるほど、神経が音色を追う。
 それはまるで天からの調べのようだった。不思議な魅力が眠っている。人を惹き付けるだけではなく、安らぎを感じる。

「見事だ」

 高藤がぽつりと呟いた。

「美しい」

 他に言葉が見つからなかった。
 月華が最後の弦をはじいた。
 余韻が運んできたのは静寂だった。
 誰もが口にする言葉を失っている。人が弾く音ではない。
 選りすぐりの人間を集めたはずのもののし達など足元にも及ばない。
 神が産み落とした子と言われる理由が分かったような気がした。不思議な魅力、その綴られた旋律に心を奪われない者はいない。
 惟高は、月華に琴を弾く許可を出した事を後悔した。これほどまで人を惹き付ける音色だとは知らず驚いたのだ。
 男心に火をつけてしまいそうなほど、心を揺さぶる音に聞こえた。

「すてきな時間を有難うございます。こんなにもすてきな時を過ごすのは初めてでございます。平安京に住む貴族にとってはあたりまえの事なのでしょうが、ここではとても新鮮な事です」

 静に御簾を見つめ、時を止めた人々に自ら声をかける。
 本当は飛び出していって一人一人に御礼を言いたいくらいだったが、惟高との約束を必死に守っていた。
 あくまでも天命を受けた大人しい、一人前の姫として振舞っていた。
 それは月華にとって簡単な事ではあったが、今はとても辛かった。
 この喜びを知ってもらいたいと言う欲求はなかなか収まらない。それほど月華にとってこの秋雅がくれた宴が嬉しかったのだ。月華の中の不安や闇を打ち消すくらいに。
 若菜が、人手が足りないからと言って席を立った時だった。部屋の中に月華は一人になった。ふと部屋を見回しながら、急に興奮していた体が冷め、喜びに満ちた楽しそうな表情が消えた。
 賑わいを見せる庭から切り離されたような場所に一人取り残された月華は、急に不安になった。
 聞き入っていた音楽も、魅入っていた舞いも、別の場所で行われているように遠い。
 音のない世界、色のない世界に迷い込む。
 そこは誰もいない独りぼっちの世界だった。叫んでも、呼んでも誰の返事もない。不安はさらに闇へと変化する。

「いや……」

 小さく呟く声。
 とっさに脇息を倒し後ろに下がる。我に返ったように、微かに乱れた息を整えた。
 どこにいるかを確認すようにあたりを見回し、御簾こしに庭を見つめた。
 そこはさらに楽しそうに見えた。
 しかし、月華は楽しいと言う感覚が消えていた。御簾を境にこちらと、あちらの世界があるような気がして怖くなった。

「一瞬の夢、明日からはまた同じ暮らし」

 寂しい瞳は、孤独だということを訴えていた。
 闇がたまらなく怖く、最近まで側に誰かいないと眠れなかった。
 目が覚めたら誰もいなくなっているのではないか、この屋敷に一人取り残されてしまうのではないか、それがたまらなく怖かった。
 走り回り、名前を呼んでも姿がない。
 どこの扉を開いても、誰の姿が見えない。
 父である幸成が屋敷から消え去ったあの時のように……。
 冬の日だった。まだ夜も明けないうちに月華は目を覚ました。
 いつもとなりに眠っている父の姿が見当たらなかった。
 父の温もりも薄れ、肌寒い空気が突き刺さる。
 月華は眠くて重たい目をこすりながら、父を探すように起き上がると、うろうろと薄暗い部屋を抜け出した。薄着姿に裸足で、寒くないはずがない。
 しかし、父の姿が見当たらない事への不安が勝り、感覚が麻痺する。
 小さく父を呼ぶ、大きな声で父を呼ぶ、泣き出しそうな苦しい声で父を呼んだ。
 それでも父は、姿を現さなかった。
 月華は、涙が溢れた目をこすり、ふと庭に目を留めた。
 薄っすらと降り積もった雪の上に真っ赤な寒椿が咲いている。
 そして、その隣に横たわっている父の姿があった。
 赤い寒椿は花ではなく、血の色。
 駆け寄って触れた父の頬は冷たかった。
 悲鳴を上げたのは覚えている。しかし、その後の記憶はすっぽりと抜け落ちて、何も覚えていなかった。
 幸成の事を思い出すのは辛かった。まるで昨日の事のように感じる現実感、忘れられない記憶だった。孤独を感じると現れるのは、夜の夢の中でも白昼夢でも彷徨歩き、たどり着く父の最期の光景。
 孤独は嫌い、独りもいや。
 騒ぎの中にいると忘れていられると思った。
 しかし、楽しい中にいても、孤独は襲い掛かる。
 自分を苦しめるための呪いのように思えた。

「せっかく楽しい時なのだから、楽しむの。もうこんな機会はないかもしれないのだから……」

 月華は自分に言い聞かせるように呟くと、直した脇息に再び寄りかかった。
 耳に入ってきたのは笛の音。
 あの人の吹く笛だった。
 その音は月華の心に入り込み、不安だった心を優しく癒す。

「この音色好き……」

 月華の不安に欠けた心を埋める。冷たい体を温める。救いの手を差し伸べたら救い出してくれるような気がした。

「もう二度と聞く事がなくても、この音は忘れない。この音を思い出せばきっと、孤独から逃れられる」

 青白くなった顔に、再び優しい微笑が戻った。闇の記憶を打ち消し、宴に浸る。また宴を楽しんだ。

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