第二章  運命の姫君

 第三話 秋雅親王

   <小説>   

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 内裏の一室。
 美しい調度品に囲まれた部屋だった。一際立派な黄丹色の直衣を来た男が脇息に体を預けて文を読んでいた。
 がっちりした体躯、すっきりとした優しさと強さを持ち合わせた美しい顔の男だった。
 少し意地悪そうな口元が笑みを作る。
 優雅で柔らかい空気を漂わせているが、その中に芯の通った威厳を感じた。
 放つ空気が独特で、普通の人間ではないと感じさせる。
 着崩れた着物姿は人を魅了するほど色っぽい。難しそうに眉をひそめて読んでいた文に男は噴出し、声を出して笑い出した。

「どうかされたのですか、秋雅様」

 側に控えていた男が、驚いて声を上げる。

「なに、朝長《ともなが》、月華のような姫は始めて見る……いや、姫とは言えぬか」

 秋雅より少し若い朝長という男は、青年というよりは少年といった甘い顔をしていた。可愛く大きな目を丸くして秋雅を凝視した。

「まさか、月姫様はとても美しい方と聞いております。漆黒の髪、白い肌、優しい瞳、桜色の唇。まるで月から来た天女のようだとお聞きしております……立派な姫様ではございませんか?」
「それは噂だ。惟高以外に見たものはいない。容姿に関しては惟高も何も教えてくれない。私にわかるのは心優しい者と言う事と、頭のよさ、そして姫にしておくにはもったいないくらい、政を感じていると言う事だ。姫ではないと言うのはそういう意味だ」

 笑いながらそう答える。

「はぁ……」
「政の話はつまらないと言って来た」
「女性にそのような話を?」
「月華は何でも興味をいだくからな」

 難しすぎて分からないと書き記した後に、外から見るといい考えには思えないと付け加えてあった。
 分からない者が言う事とは思えないほど、圧倒させられる意見が込められていた。思わず秋雅すら説得されそうな勢いだ。

「それに毎日退屈で暇だそうだ」
「退屈ですか?」
「やる事がないと言っている。宴の話を思い出して自分もその中にいると想像するのが楽しいみたいだな」
「宴?」
「この間の宴の事を文に書いたのだ」
「想像とは変わってらっしゃいますね」
「あそこでの暮らしでは暇だろうな。私もひとりになりたい時もあるが、次から次と飽きない者が現れて、それを観察するのは楽しみだ。人間ほど面白いものはない」
「そのような事を申されては……」
「本当の事だ。色んな話が耳を通り過ぎていく。家で何があったとか、仕事がどうしたとか、あそこの姫は美しい、これはいい話だが、あの男とあの男が大立ち回りを振る舞い、極めつけに取った、取られたと騒ぎ立てる。人の恋路を覗き込むのは無粋だが楽しいものだ」
「秋雅様」

 朝長は困った人だといわんばかりの声をあげた。

「私が言いたいのは、いかに人間が周りにいることが素晴らしいかと言う事だ。月華の周りは人が少なく、寂しすぎる」

 朝長を翻弄するように遊び口調で話していた。
 言う例えがまわりくどく、朝長は目が回りそうになるが、巧みな話術が楽しかった。こういう話し方をする時はくつろいでいる時だけなので、嬉しくもあった。
 文を綺麗にもとの形に戻すと、静に文台の上に置いた。視線が隅にのせてある藤の花に止まる。月華から届いた藤の花を活けてある。砂糖菓子のお礼にと、いつもよりたくさんの藤の花が届いた。月華の心遣いに自然と優しい笑みが漏れる。

「さて、仕事に戻るか」

 秋雅は立ち上げると、乱れた着物を整えた。
 少しの乱れもなくなった秋雅の姿には、優しい空気より、張り詰めた空気のほうが強い。そこにいるのは悪ふざけな言葉を吐く男ではなく、立派な東宮そのものだった。
 ゆっくりと廊下を歩く姿は、誰の目も惹くほど凛々しい。
 ひそひそと噂をする声が聞こえてくる。その声に答える事はなかったが、何を言っているのかこっそりと聞くのは楽しかった。
 平然とした顔の下にはいつも笑みを隠している。

「秋雅様は、月華様が寂しくないように文を送られているのですか?」
「まあ、そうだな。だけど、それだけじゃない」

 秋雅は後ろを付いてくる朝長の歩調に合わせると、周りに聞こえないくらいの声でその先を語った。

「私が楽しいのだ。月華は他の姫とはどこか違っていて、会話も楽しい。気を使ったくどくどしい言い回しの文よりも、周りで起きていることを知りたがる」

 朝長は黙って秋雅の表情を追っていた。
 楽しそうに話すその顔は、仕事中には絶対見せない優しい顔で、普段の生活の中でもほとんど見せる事はないほど貴重な顔だった。月華の事を話す時はいつもそういう表情をする。

「前に一度、恋歌を詠んで送った事があったのだが、見事に添削されてしまったよ」
「まさか、秋雅様がですか。歌の上手さは評判です」
「技巧や表現じゃない。気が多すぎると指摘された。恋人に贈れば怒ってしまうといってきた。裏読みすると本当にそうだから驚いたよ」
「どんな歌だったのですか?」

 秋雅はしばらく考えたが、ふと笑みを浮かべると忘れてしまったと小声で言った。

「月華は誰よりも幸せになってもらいたい」

 真面目な顔だった。朝長は怪訝そうに秋雅を見た。頭に浮かんだ言葉は珍しく反論だった。

「秋雅様、何を言っておられるのですか。幸せになってもらいたいではなく、ご自分で幸せにしたいではないですか。共に生きていくことになるわけですから」

 秋雅は一瞬真顔になり、口を閉ざした。
 しばらく考え込むように唸ると、そのとおりだと呟く。
 朝長を見据えると少し戸惑った風に口を開いた。

「分からないのだよ」
「何がですか?」
「月華はどうしたら幸せなのか」
「秋雅様?」

 朝長は驚いた。
 秋雅ほど女性の扱いになれているものはいない。すでに三人の女性を妻にしているし、恋文だって送った事はあるだろう。その秋雅の言葉とは思えなかった。

「女の幸せはいい相手との結婚に限る。いい夫を得、その出世を手伝う。私はいずれ帝になる身である。私の妻なら皇子を生み、次期の帝の母になる事が一番の幸せに違いない」
「その通りでございます」
「だが、月華は違う。良き夫も、出世も関係ない。帝の母など、もちろん帝の妻なども望んでいないのだ」
「それは、今はまだ」
「いや、ずっと望まない。あの姫が欲しいのは愛情……」

 はっきりと言い切った。

「ではご寵愛申し上げれば幸せなのでは無いですか」
「分かっているのか、朝長。貴族の男なら愛を受けるのも難しくない。月華ほどの姫なら誰もが夢中になるだろう。しかし、私は東宮だ。私の愛にはいらないものまでついて回り、激しいまでの政権の渦に巻き込まれる」
「それは仕方のない事でございます」
「私は時々わからなくなる。天命を受け、満ち足りた生活を得た月華が、いずれ私の手によって不幸になるのではないかと、不安になる」

 天命です。
 仕方のない事と朝長は喉から飛び出しそうになるのを飲み込んだ。秋雅はそれを知った上で言ったのだと感じとっていたからである。なんと言葉を返したらいいのだろうかと考えていた。

「それに、朝長……月華が私に求める愛情は寵愛ではないのだよ」
「え?」
「それに私も答えたい。そして、私も同じ気持ちを抱いている」

 朝長は、言っている意味がよく分からず首をかしげた。

「あの日……」

 懐かしそうに空を見上げ、足を止めた。
 夏の盛りの重たい空気が薄れ、どこか寒さを含んだ風が吹き込んできた。青々とした庭の中に秋雅は立ち、遣り水の流れる音を遠くに聞いた。

「あの儀式の日、私のこの手の中に月華を抱きしめた。まだ自分で身動きも取れないほど小さいのに、私の手を通して温もりが伝わってきた。あの感覚を忘れる事が出来ない。幸せにしたいと、確かにこの胸を揺さぶった」

 愛しそうに空を見上げる秋雅の瞳に写っているのは、幼き日の月華の姿に違いなかった。

「大丈夫でございます。月華様は秋雅の側で幸せになります」
「だといいのだが」
「秋雅様と結婚して幸せを感じない姫などいるはずがありません」
「それは買いかぶりだ。月華は争いの中に入るには心が綺麗すぎる」
「秋雅様、愛してらっしゃるのでしょう。何を弱気になってらっしゃるのです」
「……あれほど大切な姫はいない。天命を抜きにしてもね」

 秋雅は朝長には言わずに心の留めた言葉があった。
 月華ほど大切な姫はいないという思いは事実だったが、月華が求める愛情と自分が月華に与えたい愛情が同じであり、それがどんなものかは言わなかった。
 愛していると言う思いに嘘はない。その愛の形に気付いたのは、月華の求める愛情を知ったと同時だった。
 月華が私から得たい愛情は……幸成の示した愛。
 親が子を思う愛情だった。
 そして、秋雅もまた、月華への愛情は自分の子供に、もしくは妹に対する愛情に似ていた。
 失いたくないくらい大切な宝だった。
 しかし、たくさんいる姫君にいだく欲望より綺麗で純粋な愛情だった。
 何ひとつ汚れのない想いは、月華を汚したくない、汚されたくない……それを守るためにならどんな事でもするだろう。
 それは、恋人に対する愛情ではなかった。

「私の愛は……」
「え?」
「いや、なんでもないよ」

 言わなかったのは、言えなかったから。
 言ったところで変えることが出来ない運命だった。
 妻として愛せるだろうか、大切すぎて壊したくない月華を抱けるだろうか。愛情の示し方はそれしかない。
 思い描くその場面は父親が娘を抱く様に似ていて酷く滑稽だった。想像するたびに溜息が出た。
 あの日、この手に月華を抱かなければよかったと思った。赤子の月華に感じた思いはまるで父親になった自分と重なり合う。それは月華が大人になっても変わらなかった。
 これも愛、それも愛。きっと時が解決してくれるだろう。こんなにも月華を大切に思っている自分がいるのだから。
 秋雅は悲しく微笑を浮かべたのだった。

「あれは……」
「どうかされたのですか?」

 秋雅は、庭を歩いていく二人の人物が目に入った。
 ひとりは歳若い見た事のない若者、もうひとりは立派な雰囲気の男だった。

「高藤《たかとう》ではないか、ちょうどいいところに」
「これは皇太子様」

 話し掛けたのは、高藤という男。秋雅よりいくつか若い男を連れて、少し遠くを歩いていた。
 大きな声で呼び止めると、近づいてきて膝を突いて頭を下げた。後ろについてきた男も慌てて同じく身を屈めた。

「よい、このようなところで堅苦しいのは好きではない。立ってくれないかな」

 高藤は言われるままに立ち上がった。
 秋雅は若い男に視線を移した。とても目の綺麗な男だった。着ている物から見ても下位の貴族ということはすぐに見てとれた。立派な身なりではないのに、持っている雰囲気の為だろうか、知らずと人を惹き付ける魅力があった。
 秋雅も自然と目を奪われた。
 凛とした少し冷たい雰囲気をもちながら、綺麗な顔立ちをしている。真っ直ぐな瞳でじっと見返す瞳の奥には不思議な空気を感じた。

「この者は?」
「神楽《かぐら》と申しまして、もののしの一人です」
「そうか、何の担当だ?」
「横笛を吹かせていただいております」
「まさかが神楽笛を?」
「はい、父がもともと笛吹きでございましたので、私にもその才能が宿るようにと名前に楽器の名をつけたのでございます」
「それは、きっと美しい音を奏でるのだろう」
「神楽は素晴らしい奏者でございます」
「今度ぜひ聞かせてくれ」

 神楽はにこりとも笑わず、無表情に頭を下げた。

「こら、お礼くらい申し上げないか」
「……有難うございます」
「かまわぬ。魅力のある男に建前もお世辞もいらぬ。無愛想なのと礼儀知らずなのは違うからな。それにこういう男の方が時には情熱的になるものだ」
 秋雅は男には厳しかったが不思議と神楽の態度は気にならなかった。
 何を考えているのか分からない、心の見抜けない相手に出会ったのは久々だった。
「それよりもお願いがあるのだ、高藤」
「何でございますか、皇太子様。私でできる事でしたらなんでも致します」

 秋雅は声にだして笑った。

「悪い事をたくらんでいるわけではないぞ。お前にしか頼めないことだ。一日、ある場所で宴を開いてはもらえぬか」
「宴でございますか?」
「一度も、歌も舞いも、演奏さえ見た事も聞いた事もない者がいて、退屈しているのだ。その人の屋敷でお前達の出し物を披露して欲しいのだ」

 何を言い出すのかわからなかった高藤も後ろに控えていた朝長も、一瞬何だろうと思ったがすぐさま思い当たる事にぶつかったようだった。
 神楽だけは興味がないのか顔色ひとつ変えずにそこにいた。

「もしかしますと、月姫様の屋敷でございますか?」
「その通りだ」

 秋雅は嬉しそうに笑みを見せた。

「忙しい時期だとは思うが、無理を承知で頼めないだろうか」
「もちろん、お引き受けいたします。光栄な申し出有難うございます」
「それはよかった」

 優しく言うと、安心したように息を吐いた。

「詳しい事は寮の方へ使いを出すのでそのときに。あ、くれぐれも主上の耳には入らぬようにしてくれ。知れば中止されるだろうからな。主上はかなり神経質になられているようなのだ」
「承知しております。月姫がお喜びになられるのでしたら、すてきな催しを考えておきますので、お任せください」
「喜ぶ月華の顔が見られないのは残念だが、きっと喜びの文を送ってくるのが今から目に浮かぶ」
「秋雅様、そろそろ急がれないと」
「分かっている朝長。では、高藤失礼するよ」

 高藤と神楽は深々と頭を下げると秋雅を見送った。

「高藤様、月姫様とはあの天命を受けた姫と言う方ですか」
「そうだ」
「宴も見た事がないとはどういうことでございますか」
「それは……主上が人目につかない場所にある屋敷に住まわせておられるからだ。宴はもとより、屋敷にいるもの以外との交流が一切ない。秋雅様ですらお会いした事がないくらいだからな」
「かわいそうな方ですね」
「かわいそう?」

 意外な事を申すという表情を浮かべて、高藤は神楽を見た。

「そうではないですか、生まれながらに人生を決められ。屋敷に閉じ込められ、何も知らぬまま、東宮と結婚。自由に生きる時がありません」
「何を言っている、入内こそ女の幸せななのだ神楽」

 大人ぶっていてもまだ子供だなと神楽を見た。
 神楽は理解できないという風に顔をしかめただけで、それ以上は何も言わなかった。
 颯爽と歩く秋雅に向かって朝長は嬉しそうに呟いた。

「やはり、他の姫よりも月姫様が大切なのですね」
「あれだけ暇を持て余していると言われれば何かしてあげなくてはと思うだろう。実にいい考えだ」
「はい、きっと喜ばれると思いますが、主上がお知りになったら……」
「何、大丈夫だろう。姫を部屋の外へ出さなければ問題はないだろう。それは惟高に言っておけば大丈夫だろう。あいつほど目を光らせると怖い人間はいないからな」

 月華を説教する惟高が目に浮かんだのか噴出した。

「主上も少し心配のしすぎではないでしょうか?もう少し月姫様のお心を知ってくださってもいいと思います」
「無駄だ、天命に背くかも知れない可能性が少しでもあれば認めないだろう。私たちは荒れ果てた平安京を知らない。主上がどれほどお心を痛めたか分からない。今の平穏な平安京を守るためならどんな事でもする。姫の人生を捨てさせてでも」
「やはり男関係を心配されているのですよね」
「そうだろうな。私だけのものと強調する為と、特別な存在と人々に印象付ける為。そしてもうひとつ、簡単に男が通えないようにする策を考えたのだろう」

 秋雅は苦々しい表情を浮かべ、ため息を漏らした。
 翌日の文で秋雅は、近日中にすてきな贈り物をすると書いて送り、事の詳細は秘密にしていた。
 安里達には用意するようにと、惟高にこっそりと言いつけて、静かな屋敷の中が微かに活気に溢れていた。
 月華に感づかれないように最大の注意をしながら動くのは大変だった。
 月華はいつになく落ち着かない、皆の足音を不思議に思っていた。しかし、それに興味が回らないほど秋雅からの贈り物を心待ちにしていた。
 どんなすてきな物か、想像しながら心を躍らせているのだった。

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