第一章 呪われた時代

 第四話 月華

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 やっと体を起こせるようになった葵は、ゆっくりと起き上がると安里に見つからないように高欄に寄りかかった。
 抱きかかえた月華にいつもより多く着物をかけると、優しい瞳で見つめた。

「美しい月が見えるでしょ、月華」

 冷ややかな風が通り過ぎて行った。
 少し冷たい指先で月華の頬をなで、かわいらしい顔に頬を寄せる。

「風邪をひいてしまうよ」
「幸成様」
「惟高と安里に見つかったら怒られてしまう」

 幸成は、笑いながら言った。

「あまりにも月が綺麗でしたので、月華にも見せてあげようと思ったのです」
「月も祝福して下さるだろう。今日も月が美しい……でも……何か心にざわめきを感じる」

 うっとりと眺めていた幸成の表情が、急に曇った。

「私もでもございます。とても不安で、寝付けなかったのです」

 二人は顔を見合わせた。幸成は、葵の肩を抱き寄せると、もう片方の手で月華に触れる。

「大丈夫だ、ただの思い過ごしだよ」
「だといいのですが……」

 互いの温もりを感じながらも、ぞくぞくと寒さを感じた。
 不安が二人を覆い、逃してはくれない。捕らわれたままの二人は、感じる温もりで心を落ち着けようとしていた。
 ただの思い過ごしと思えば思うほど、不安は広がる。
 空に浮かぶ月は、不安に曇る心を見るように儚い光を大地に注いでいた。

「幸成様――!」

 遠くで叫ぶ声がする。慌てた様子の男の声に、二人は振り返った。

「こんな夜中にどうしたのだろう。部屋を抜け出した事がばれてしまったかな」

 ばつが悪そうに笑みを浮かべたが、そこに光は無かった。不安がさらに大きくなる。
 ここにいるのに気がついたのは惟高だった。
 抜け出した事を怒ると思っていた幸成は、珍しく動揺の色が伺える惟高の姿を見て気を引き締めた。
 冗談や嫌味を言っている状況ではないと、すぐさま悟ったからである。
 いつもとはまるで顔色が違っていた、血色のいい肌の色が青白く見えるのは、月の光しかない闇の中にいるためではない。

「葵、早く中にお入り。風邪をひいてしまう」

 微かに息を上げ、目の前に立ち言葉を失っている惟高を見て、葵を促した。
 不安に満ちた瞳を向けると、幸成は優しく「心配ない」と微笑んだ。
 葵はちらりと惟高を見てから言われるままに部屋の中に戻っていった。中で聞き耳を立てているのは幸成にも分かっていただろう。

「どうしたのだ?」
「主上から使いの者が来ております」
「主上から?」

 まさか、疑いの目を向けた。

「私に何の用があると言うのだ」

 冗談としか思えなかった。
 職に着いていた時でさえ、主上からの使いの者など来た事がない。
 その主上が、ただの貴族になった自分にいったい何の用があるというのか。
 驚きしか感じない。
 先ほどまでの不安など打ち消され、今心を覆うのは戸惑いだけだった。

「それも、いらっしゃったのは左大臣様です」
「なんだと……!左大臣様が?」

 驚きの声と共に足早に歩き出した。自分の目で左大臣を見ないと惟高の言葉だけでは信じられなかった。
 こんな事態は生まれて初めてだった。
 しかし、確かに母屋に左大臣は座っていた。思わず廂の前で呆然と立ち尽くしてしまった。
 驚きと共に眩暈がして、一瞬世界が揺らいだ。

「何をしておる、そんな所に立っておらずに入って参れ」

 左大臣の声に我に返った。すぐさま側に近づくとそこに座った。

「お久しぶりでございます、左大臣様」
「久しぶりだな、幸成よ。体の具合はいかがなものか?また痩せたのではないか」
「幸い、身動きは取れますので」
「しっかりと養生して元気になれ」
「有難うございます」

 緊張した間があった。左大臣も視線をあたりに泳がせて、幸成から目をそらす。

「左大臣様、このような夜中に一体どのような御用でいらしたのでしょうか。惟高の話によると主上の使いでいらっしゃったとのことですが、すでに私は職を辞しております、政にも関わっておりません。左大臣様のような方が私のところへ赴くなど、尋常な事ではないとお察しいたします」

 緊迫した空気を切り裂くように、幸成は思い切って切り出した。

「悪い話できた訳ではない」

 重たい口を開いた。

「幸成、姫が生まれたらしいな」
「はい、先日。月華と申します」
「その姫に天命が下されたのだ」

 幸成は、眉をひそめた。

「天命……月華に天命でございますか?」

 頭が真っ白になった。
 言葉を濁しながら言う左大臣の心が、まったく分からなかった。
 生まれたばかりの月華にどんな天命が下ると言うのか。

「先ほど、主上が御こもりから出て参られた。ずっと天命を待っていらっしゃった。呪いの時代がきてずっとこの時を待っておられたのだ。我々の前に現れた主上は申された。天命は下されたと……」 

 幸成は、左大臣の言葉をじっと聞いていた。月華にどうその天命が関わってくるのか、まったく想像が出来ない。

「秋雅親王と満月の夜に生まれた姫の縁談を天は望まれた」
「天命が、縁談?」
「満月の夜に生まれた姫と言うのが、そなたの娘なのだ幸成」

 視線を左大臣の瞳に移した。じっと彼の目を見て、言葉の意味を考えた。
 左大臣はなんと申された?
 縁談?秋雅親王と……。

「月華を東宮妃にということでございましょうか」
「正確にいうと入内と言っていい。姫との結婚と同時に主上はすべてを秋雅親王に渡されると申されている」
「入内……なぜ、月華が……」
「それは我々にも分からない、主上にですらその真意は分からないだろう。すべては天が決めた事」

 喜びを感じなかった。
 この世の頂点にたつ者の妻になる事を、姫が生まれれば誰もが思うだろう。
 入内ほど名誉な事はない。
 それは、自分の昇進にも大きく関わる重大な事である。
 それが目の前に降り注いだのである、それも天の命によって、喜ぶのがあたりまえだった。
 しかし、幸成に喜びはなかった。
 むしろ悲壮に似た感情が心を支配した。左大臣はそんな幸成の表情を見逃さなかった。

「幸成……分かっていると思うが」
「もちろんでございます。これは天命、そして主上自らの命令、私には刃向かうことは出来ません。お受けするのが当然の義務でございます」
「嬉しくはないのか?入内は、女にとってもっとも名誉な事だ」
「…………」

 左大臣から視線をそらして俯いた。
 その口は何も語ろうとはしない。
 左大臣はしばらく幸成を眺めてから、悲しく笑みを浮かべた。

「誰にも言わない、本心が聞きたい」
「左大臣様」
「ここには、私とそなたしかおらぬ、言いたい事があるのなら言うといい」
「……私の娘でございます、入内したとしても女御《にょうご》止まりでございます。しかも、後ろ盾も何もありません。ひとり内裏に放り込まれ、月華は幸せになれるでしょうか」

 左大臣は、重たい口を開いた幸成をただ見つめていた。

「もし、皇太子様が月華をご寵愛下さる事があったとします。それは、望まぬところで政権争いに巻き込まれてしまいます。私は、私の我侭かもしれませんが月華にはささやかでも心から幸せだと思う暮らしをしてもらいたいと願っております」
「幸成……」

 心を訴える幸成の瞳は、かすかな明かりに光を見せる。
 子を思う父親の悲痛な叫びのように思えた。
 左大臣の心にもその思いは響いてきた。幸成の気持ちが良く分かる。政権を争うものがいる以上、入内すれば少なからず心穏やかに暮らすということは保証できない。
 天命を受けた姫となると、よけいにそれは避けられない。
 たとえ本人が望まなくとも、周りが放っては置かないだろう。
 幸成が望む月華の幸せはささやかなもの。
 ひとりの男に愛され、愛す、ただそれだけでよかった。安らかな生活の中に幸せを感じてもらいたい。

「私はそう長くは生きられません」
「幸成!」

 鮮明に浮かび上がる青白い顔、たまらず咳き込む姿、そのすべてからその言葉が嘘に聞こえない、それは悲しい言葉だった。

「どれくらい生きられるかは分かりません。願いは月華の記憶に残るくらいまではと思っております。私が死ねば月華を支えるものはいなくなる。葵の実家も頼れるものはおりません。月華は暮らす事すらままならないでしょう……そんな私の娘は、内裏で暮らしていけるでしょうか」
「幸成、その時は私が何とかしよう。私ではなくとも、天命を受けた娘をないがしろにはしない。暮らしは保証される、それは私がここで約束しよう」
「有難うございます」
「望みはそれだけか?」
「私の望は月華の幸せ、それだけでございます。そして、私が生きている間は、私たちの元で育てたいと思っております」
「姫が十六歳になるまでは秋雅親王とお会いする事はない。幸成のもとで立派な姫に育てて欲しいと主上は申された。ただ一度、儀式を行なう為に、私はそなたと姫を連れに来たのである」
「十六歳でございますか」
「十六歳の年、満月の夜にすべてが終わると、そして始まるのだと」
「なぜでございますか?」
「それが呪いを解くための天命。多分……私が思うに秋雅様のお年が二十一歳ということにかかわりがあるのではないかと」
「雅良親王のお亡くなりになられたお年でございますね」
「本当に雅良親王の呪いならだが、雅良親王がお亡くなりになった日と、秋雅親王がお生まれになった日は同じ。不幸な最後を遂げた東宮と、新たに生まれた東宮。これも因縁かもしれない」

 左大臣の脳裏には皇后が死に、秋雅親王が生まれた日の事が映し出されていた。
 そして、その日に雅良親王とその母が命を落とした。
 それを聞いた主上のお姿を忘れはしない。喜びと悲しみが入り混じる、感情が表に出なかった。
 喜ぶ事も拒み、悲しむ事も出来ず。威厳あるお姿を保っておられた。苦々しい想い出。

「秋雅親王は、雅良親王と深くかかわりがあるのですね」
「雅良親王の生まれ変わりと言う噂さえあった。幸成も知っておるだろう」
「はい。月華が選ばれた理由はあるのでしょうか」
「もしあるとすれば……満月だろうか」
「あの日も満月でしたね……」
「忘れる事もできぬ、不吉な赤い月が出ておった」
「呪いは消えるのでしょうか」
「そう信じるしかないだろう」
「私は、月華のために平和な時代をと願っておりました。でも、まさかその平和の為に、月華に運命が乗りかかってくるとは思ってもおりませんでした。重要な役目でございます」
「何かをするわけではない、お前の子らしく育ててくれれば良い。私は、幸成の子が選ばれた事を嬉しく思う。お前にして見ると、心配で辛い思いをするのではないかと思っているだろう。こんな事を言っては不謹慎だ。しかし、お前の姫ならきっとよき姫になると、心の優しい、温もりのある姫に育つと思っている。それは何よりも喜ばしい事だと思うのだ」
「左大臣様……」

 乗り出すように幸成に近づくと、力強い言葉をかけた。
 幸成の子ならきっと平安京をも救う神のような姫になる。大きな期待と願いがそこにあった。だから天も月華と言う姫を選んだのだと信じていた。
 野心のない幸成、心の綺麗な葵の子……この世を救う希望の光。

「きっと、平和は訪れる……必ず」
「私は、娘の幸せしか考えられぬ駄目な人間です。お許しください」
「何を申す、子は誰よりも大切なものだ。私も人の親、幸成と同じ立場にたてば同じく思うだろう」
「有難うございます」

 深々と頭を下げた。
 抑えていた咳がまた彼を襲った。苦しそうに息をする。

「清涼殿に行かなければならないが、外へ出ても大丈夫か」
「ご心配なく。今すぐでしょうか」
「月が沈む前に」
「では、すぐに用意をしてまいります。しばしお待ちください」

 幸成は席を外し、北の対へと向かった。
 左大臣はその後ろ姿を眼で追った。儚い背中がより一層弱々しく思えた。

「昔は今より元気に見えたが……もし幸成の言っていた事が本当なら、もったいない男を我々は失う事になるな。あのような心の綺麗な者は、そうはいないだろう」

 呟くと、そこからも覗ける月を見上げて溜息を吐いた。
 幸成は惟高に牛車の用意を言いつけ、安里に北の対に自分の正装を持ってくるように言いつけた。それから、葵の部屋に入っていった。
 着替えをしながら泣き止まない月華をあやす葵に、左大臣が伝えに来た事の真相を話した。
 葵は泣くわけでもなく、喜ぶ事もしなかった。怒りもしなかったが、複雑そうな表情を浮かべながら月華に綺麗な着物を着せていた。

「月華に天命がくだるなんて……」

 幸成はぽつりとこぼした言葉に、葵は何も言わなかった。
 用意の整った幸成に、月華を手渡す時始めてしっかりとした口調で言った。その言葉は、幸成の心に響いた。

「月華は幸せになります。そして、たくさんの人を幸せにするでしょう」

 だからそんな顔をしないでと、言う声まで聞こえてきそうだった。
 真っ直ぐと見つめ合った視線の先には強い光がある。絶対にそうなって欲しいと言う願いだった。
 不安に揺らいでいた幸成の心を、葵は打ち消した。

「その通りだ。月華は人々の希望の光になる。人を幸せに出来るものが不幸になるはずがない」

 強張った表情は消え、小さく息を吐くと、いつもの幸成に戻った。
 優しい微笑を葵に向けると、そのまま部屋を出て行った。
 月は月華を選んだ。左大臣の考えたとおりの理由か、他に理由があるのか、誰にも分からない。ただ、生まれたばかりの姫に平安京の運命がかけられたという事だけは真実だった。
 天命のまま月華は、生きる。
 その道に反することなく真っ直ぐと歩き続ける。
 生まれたその瞬間、覆すことの出来ないこの世の支配者の手によって、月華の人生は決められてしまった。
 天命によって呪いは解けるのか。
 人々の疑問は、すぐに誰の目でも分かるようになった。
 その夜行なわれた儀式の後、平安京に立ち込めていた不穏な空気は消えた。
 疫病も広がらなくなり、季節と共に飢饉も回復した。
 呪いが消えたのだ。
 事の真相は公になった。
 東宮と月華の婚約も広まった。
 平安京を救った二人と神のように崇め称えられた。
 生まれたばかりの月華には、色々な噂が広がる。
 神の落とし子だと噂され、月に帰ったかぐや姫が平安京を救う為に使わしたとさえ囁かれた。この姫がいる限り、美しい平安京はなくなることはない。二人が結婚し、秋雅親王が主上になればもっと美しい時代がやって来る。
 神の祝福を受けたもの達だと人々は言った。そして、そうなると信じていた。
 噂は噂を呼び、それは偉大な人となっていく。
 まだ話す事も、歩くことも、寝返りをうつことも出来ないのに、月華は人々の希望の光になってしまった。
 特別な人……神の子だと信じられるほどに、大切な存在として記憶に刻まれた。
 時は、止まらない。
 月が地上に咲かせた一輪の花。
 月華はそう称えられるほど、美しい姫へと日々成長していった。

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