第一章 呪われた時代

 第三話 天命

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 男たちは誰一人、口を開かなくなった。
 部屋は薄暗く、蝋燭の光と空から降り注ぐ月の淡い光だけがほんのりと明かりを灯していた。急に降り注ぐ光が失われ、流れる雲に月が隠れた事を知らせてくれる。
 闇に覆われる気配は不気味でぞっとする。
 今の状況と同じ事態を目の当たりにしているように恐怖をあおる。
 失われていく光の中で、微かに足音が聞こえた。
 突然、闇にひとりの男が現れ、蝋燭の前にその姿を浮かび上がらせた。
 男たちは、はっとなりその影を見上げて、息を飲んだ。
 憔悴しきっていても威厳のある強さを持った男。
 五日ぶりに姿を現した主上は、集まった男たちを見下ろすと重たい口を開いた。

「天命は下された……」

 力強い声が響いた。男たちは声すら出ずに、喉を鳴らす。言葉を失い、姿を現した主上の次の言葉を待っていた。

「すぐに探してもらいたい者がいる」
「どのような人物でございましょうか」
「満月の夜、天高く月が昇りし時。この世に生を受けた姫君」
「と、申されますと……つい先日の出来事でございますか?」
「そうなるだろう。誰かおらぬか」

 状況が飲み込めず皆うろたえていたが、記憶をたどってみる。

「何人かお生まれになったと聞きましたが…姫となると……」

 最近子が生まれた家はどこだ?
 満月の夜…夜中に…そして姫君。
 頭の中には色んな男たちの顔が浮かび上がったが、思いつかなかった。しばらくの沈黙の後、主典が呟くように言葉を漏らした。

「源幸成のところに確か名月の夜、姫が生まれたと……」
「それはまことか、主典」
「はい」
「どのような男だ」
「幸成とは知り合いでございます。今は病が元で職を廃しておりますが、四位以上の貴族でございます。身分も悪くはありませんし、官職も高く仕事の出来る男でございました。年は確か……二八歳。物静かで人の良い文官でございました」
「他には?」
「幸成でしたら私も覚えております。こまめな男で、しっかりと仕事をこなす男でございました。しばらくの間、私の下で働いていたこともございます。ただ、体が弱く病は悪くなる一方でございまして、職を廃して休養しております。体も思うように動かないようで今は屋敷に篭り、あまり外にでる事はないようです」
「その者の妻はどのような女だ」
「藤原家の才媛でございます。幸成とは幼い時からの付き合いでございまして、仲睦まじい夫婦でございます」
「幸成はひとりしか妻を得ておりませんので、とても妻を大事にしております。病のせいか子もなかなか恵まれず、やっと出来た一粒種がその姫君でございます」

 幸成を知る主典と左大臣が二人で帝に話していた。
 他のものたちも異論を唱えるものはいなかった。
 幸成と親しく付き合いはなくとも、彼がどのような男かは知っていた。目立たないが、しっかりと仕事をする優しい男という印象が強かった。不思議な魅力のある男で、取り巻く空気が穏やかで、側にいると落ち着いた気持ちになると噂されていた。

「悪くない、その姫をすぐにここへ」
「どうされるのでございますか」

 右大臣の質問には答えずに、主上は外に控えていた少将のひとりを呼びつけた。

「秋雅親王をここに連れて参れ」
「承知いたしました」

 深々と頭を下げると足早に去っていった。
 何事かと思った男たちは顔を見合わせてひそひそと呟く、事の真相がわからない。天命とは一体どのようなものだったのか、疑問は膨らむ一方だった。

「主上、一体何をなさるおつもりですか?秋雅親王までおよびになって、一体どんな天命が下されたと申されるのですか」
「簡単なことよ」

 少し間を開けると、疲れ果てた顔色を微かに緩めた。

「二人を結婚させるのだ」
「な……なんと申されたのです」
「結婚させるのだ」
「お待ち下さい。秋雅親王様はまだ幼子……幸成の娘は先日生まれたばかりでございます」
「分かっておる」

 主上は長い間篭っていた為、ご乱心ではないかと侍臣たちはあっけに取られた。

「今すぐとは言ってはおらぬ。本当の婚儀は秋雅様が二十一歳の中秋の名月の夜にと、天は申された。今はその婚約の儀をするだけだ」
「では、その姫と秋雅親王にこの平安京がかかっていると申されるのですか」
「姫は天の使者でございますか?」
「私には分からぬ。すべては天がお決めになられたこと。美しい月の夜である。きっと、月の力が我々をお救いになるのだろう」

 主上は御簾から外に出ると、天高く上った月を見た。名月を過ぎ、微かに欠けた月を見つめて細く笑みを浮かべる。

「きっと、我々は救われる……呪いは解き放たれるだろう」

 そう言った主上の表情は自信に満ちていた。
 確かに天の声が聞こえたという確信だろうか、疑っていた男たちも主上を信じた。
 きっとこの世は救われると、信じるしかなかった。
 天命は下された、思いもよらぬ天命だった。
 この世は、生まれたばかりの姫君と、まだ政も知らない東宮の上に乗りかかった。
 それはなにを意味し、どこへたどり着くのか、分かるものは誰もいない。天命を受けた主上でさえ知ることは出来ない。
 今、感じるのはただひとつ、二人の未来を誓う事で呪いが解き放たれるということだけだった。
 天命が真実ならばきっと、立ち込めた不穏な空気が消え去るだろう。

「私は守って見せよう、約束の日がくるまでこの平安京を……そして二十一歳になった秋雅に、平和になったこの世を譲り渡す。十六年、私は守り通してみせる」
「それも天命でございますか?」
「その通りだ。選ばれし姫と結婚したら秋雅を帝位に就ける。少し長すぎるかも知れないな。だが、それまで耐え忍ぶしかないのだ。天命は絶対、反してはならない」

 主上の瞳は、炎に燃えていた。

「左大臣よ、使いに行ってもらえるか?」
「かしこまりました」
「月があるうちに連れて参れ」
「では、早速」

 左大臣は、頭を床につけるように下げると、すぐさま部屋を出て行った。
 天は、何を見たのだろう。
 まるで意味の感じない天命は、深く呪いに関わっているのかもしれない。
 呪いをおさめる天命、呪いが消えるのは呪うべく物がなくなるから……雅良親王な何を望んでこの世を去ったのか。その心がわかれば、もしかするともっと早くこの事態を抜け出ていたのかもしれない。
 自害した側にあった文には、何も記されていなかった。
 ただ、主上には潔白を信じてもらいたいと記されていた。何も語らぬまま世を去ってしまったためか、主上の心にはいつも雅良親王が住み続けていた。
 後悔もあった。しかし、あの方法しかなかったと思い込ませた。
 主上は絶対人、しかし自分の為に動く事は許されない。
 誰のために存在し、誰のために政を行なうのか。
 正さなくてはならないのなら非道な事でも行なわなくてはならない。
 許してくれ、雅良親王。
 主上はずっと謝り続けていた。天命が下されたその後も。多分、死の床につくその時まで謝り続けるだろう。
 それが弟を流刑に追いやり、死へと導いた自らの罪だから。
 そして、心の奥底では自分の身を守る為に望んだ事だったという罪悪感に悩まされるのだった。
 仕方がなかったのだと言い聞かせながらも、弟の存在が怖かったのも真実だった。
 あの時、どちらの思いが自分を支配していたのかと問えば、答えることは出来ないだろう。

「呪いは解かせてもらうよ、雅良親王。平安京は滅ぼさせない、必ず守ってみせる。恨むのなら私だけにしてくれ……」

 月に向かって主上は小さく呟いた。
 空高く昇ろうと、月は静かに時を刻むのを待っていた。
 雲は晴れ、散りばめられた星の中にひときわは美しい月が輝いていた。

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