第一章 呪われた時代

 第二話 呪い

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 美しい京が荒れ果てたのは、いつからだろうか。霧が立ち込め、目に見えない不穏な空気が平安京を取り巻いていた。
 呪われた時代の始まりは、帝が即位したあの時からすでに始まっていた。
 人間の醜い争いは、天の声が聞こえる主上の周りにも必ず起こる。それは帝位を欲する者がいる限り何度も繰り返された。
 主上は二五歳で帝位についた。
 当時、主上には女の御子しかいなかったため、東宮には弟である雅良親王《まさらしんのう》がたつと言う有力な声があがっていた。
 雅良親王は二十一歳の若者で、主上とも仲の良い弟でもあった。
 それほど帝位を欲してはいなかった雅良親王は、別な形で主上の役に立つことを望んでいた。 
 しかし、雅良親王の母は自分の子を帝位に就けたいと考えていた。同じ中宮の地位にありながら、自分の子が帝位に就けないことを誰よりも憎んでいた。その思いは、主上へ向けられていった。
 周りに気づかれないように策をたてるのには時間がかかる。少しのんびりしすぎたのだろう。密談が終結する前に、主上の妻が懐妊したと言う噂が入ったのだった。
 もし、それが事実で、生まれてくる子が男だったら、そう思った雅良親王の母は黙っていられなかった。
 彼女は、主上に呪いをかけた。
 その身を死へと導くように、主上をその地位から引きずり降ろすようにと。
 今、主上がいなくなれば雅良親王が帝位に付く、そう考えだのだ。
 事は内密に行なわれていた。しかし、帝の重臣たちも老いぼれてはおらず、内密に行われていた陰謀が公になってしまった。完璧だと思い込んでいたのが災いしたのかもしれない。
 言い逃れは出来ないほど確実な証拠が主上の目にとまってしまった。
 帝は絶対人、地上の神を殺そうとした企みは許されるわけはない。
 地位的に処刑は間逃れたものの、淡路に流される事が決定された。
 その企みに雅良親王も荷担していたのではないかと論争は大きな騒ぎになった。
 主上は弟の処分に心を悩ませたが、すでにとり繕う事も出来ないほど、疑いの目が向けられていた。
 たとえ弟でも裁かなくてはならない状況になっていた。
 「私は主上を呪い殺すなど考えておりません」その言葉を信じながらも、主上は雅良親王の流刑を決行したのだった。
 淡路へ着く前だったと言う。雅良親王は身の潔白と母の罪を償う為に、母を自らの手で殺すと、自分も命を絶った。質素な牛車の中は血に溢れ、重なるように倒れたふたつの屍があった。
 平安京に不穏な空気が流れ始めたのは、その後からだった。
 雅良親王の死と同じくして、皇子が誕生した。大きな満月は赤みを帯び、不吉を呼び寄せる。呪いの時代の幕開けだった。
 皇子を出産した直後、皇后が死んだ。
 産声と共に淀んだ空気が立ち込め、急に苦しみの声を上げた皇后は、そのまま命を落としたという。
 異変に気付いた主上も、祈祷師に払うように言いつけたが、すでに時は遅かった。
 動かなくなった皇后の首には、絞め殺したかのような手の痕がはっきりとついていたという。
 それを見た、その場にいたものたちは震え上がった。息耐えた皇后の姿を目の前に誰一人、身動きが取れなかった。
 何も知らない皇子の産声だけが静まり返った部屋に響いていた。

「呪いだ……雅良親王の呪いだ……」

 誰もがそう呟いたと言う。
 皇后の死を境に、次々と異様な現象が起き始めた。
 日照りが続き、畑が枯れた。作物は全滅。雨が降るようにと祈祷すれば、今度は雨ばかり続き水で溢れた。ひどい飢饉に見舞われ、えたいの知れない病魔が京を襲った。病気は伝染し、年老いたものと赤子から命を落とした。そこには身分など関係なく、貴族も平民も次々と倒れていった。
 美しさも、賑わいも失われ、平安京は荒れ果てた。魑魅魍魎が住むのではないかと思うほど、幸福が食い荒らされていった。
 再び平和で、美しい京に戻る事を誰もが願った。願いは主上へと向けられる。
 天の声が聞ける主上ならきっと救う術を知ってらっしゃるだろう。
 たったひとつの希望の光、主上が天の声を聞き、救ってくれる事を願い続けた。
 きっと道は見つかる、そう信じるしかなかった。

「どうしたものか……」
「分からない。このようなひどい状況は初めてだ」
「陰陽師の祈祷も役には立たない」
「食物も、もう底をつくという……病気は治まらずたくさんの者が命を落としている」
「どうしたものか……」

 清涼殿の一角、南廂に当直している男たちは額を寄せ合うように青い顔を近づけて、口々に言う。当番の当直を追い出し、四武官と四人の太政官がその部屋に篭っていた。
 薄暗い部屋にはゆらゆらと蝋燭の火が揺れていて、静まり返った部屋に男たちの溜息だけが響いている。男たちは視線を奥の寝室に向け、微かに頭を横に振る。その表情は重たく暗かった。

「もう、五日も姿を現してはくれない」
「主上も考えあっての事でしょう……」
「天命を待っていらっしゃる」
「天は助けてはくれないのか」

 御簾を押し上げ、月を見上げて右大臣が呟いた。その言葉に回りの男たちも御簾から覗き見える月の光を目で追った。

「天命は下らない……主上は自分を責めてらっしゃるのでしょう」

 左大臣が口篭もりながら言うと、その場は冷たい空気が流れた。
 皆その言葉の意味が何を意味しているか分かっていた。この事態を招いた事の発端は、主上自身にあると少なからず侍臣でなくとも知っていたからだ。
 だから天は助けてはくれないのだろうか。
 救いの手を差し伸べてくれない天を恨めしく思った。
 天命が聞こえない帝など人々から見放される、そういった思いもあったが、この呪いを解かなくてはすべてが終わってしまうような気がした。

「呪いとは本当だろうか」
「皇后のあの死に方は……」
「そのようなことを口にされるな」
「やはり雅良親王の呪いだろう、そうでなくてはこのような乱れを説明できない。美しかった時はいつのことか。まるで地界のように荒れ果てているではないか」
「呪いなら、陰陽師の祈祷が効いてもいいはずだ」
「役に立たないという事は……」
「それだけ呪いの念が強いという事だろう」
「主上はどうされる気か」
「長岡京からここへ移ってきた時のように京を移転させるのが一番良いのではないか」
「確かにあの時も早良親王《さわらしんのう》の呪いと言われていた」
「それは良策かも知れないが……今の状態ではそんな資金は無い」

 お手上げだと言うふうに力なく溜息を吐く。
 いくら話し合っても何の解決にもならない。
 祈祷しても解けない呪いをどう解けというのか。自分たちの力では、何も出来ないということはここ数年で痛いほど感じていた。
 主上ですら天に問い掛け続けても、何の声も聞こえない。救われる術を知ることが出来ない。
 皇族だろうと、貴族だろうと何も出来なくてあたりまえだった。
 極限に来た主上は、自室に篭り天命が下るのを待ち続けていた。
 もう五日も篭ったまま姿を現さない。
 苛々しても仕方がないのかもしれないが、どうしたらいいのか分からない今の状況に戸惑っていた。
 どこに怒りの矛先を向けたら良いのかも分からず、暗い顔を見合わせては溜息を漏らす。
 これ以上この状態が続けば平安京は滅びる。平安京の滅びは大和の危機、このままではすべて闇に飲み込まれてしまう。それは避けなければならなかった。
 誰もが愛する平安京を、守らなくてはならない。

「主上は大丈夫だろうか?このままでは、主上すら失ってしまう」
「止めさせましょう」
「止めさせて、どうされる」
「そうだ、平安京を滅ぼされるか」
「しかし、希望の光である主上がお倒れになればもっと状況は悪い方へ行くではないか」
「天の声が聞けるのは主上だけ。我々はひたすら主上のご無事を願う事しか出来ない」
「その通りだ……我々は願うしかないのだ、天命が下る事を」

 長官の声に口を閉ざした。
 静まり返った部屋は物音ひとつしない。ゆらゆらと揺れる蝋燭の火だけが虚ろに光る。
 先の見えない闇の中をずっと歩き続けていた。五年……皇太子が生まれて五年。
 時の流れは速いものだった。事態は悪くなる一方。人々は疲れきっていた。体も、心も。救われるという希望もなく安らぎもない。考えるのはいつ死ぬか、どうして死ぬか。
 次は何が起こる?
 京中が火事で燃え尽きるか?
 京が滅びる前に、人の心が滅びてしまう。
 これ以上被害を広めてはならない。
 もう耐え忍んだ、これ以上何をそんなに恨むのか。消えない呪いに脅え苦しむ。

「どうか、私たちをお救いください」

 誰からともなく声が漏れた。
 丸さを微かに失った月が空に輝いていた。闇を癒す月の光が、暗い顔の男たちを少し暖めてくれた。
 天はきっと私達をお見捨てになりはしない。ただ、信じ続けた。

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