第五話 願い
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何もない砂地は、太陽が隠れると明かりになるものは月と星だけ。空の細い三日月は、心もとない光を地に降り注いでいた。 道とは言えない、砂ばかりの場所をひたすら馬を走らせる。思っていたより城から離れた場所にいると、河を見ながら多少あせりを感じていた。 城は高台にある。 片側は崖のようになっていて、城まで来るには回り込むように登ってこなくてはいけない。敵がその進路をとらないとアルキーネに入れないことはわかっていた。アルキーネの土地柄が、少しの時間的猶予を与えてくれる。 ただ、それもほんのひと時でしかないだろう。 早急に帰らなくてはいけない。しかし、アリオルトが今いるのは崖とは反対側で、広大な砂地の先に大きな河がある場所だった。 崖の方角にあるのがバーゼル国。河の方角にあるのがスイアーブ国。アルキーネが隣接しているのはこのふたつの国だ。他のふたつの国はバーゼルかスイアーブのどちらかを通らなくてはたどり着けない。 スイアーブは、保身的で絶対的な王政政治の続く国。今は戦いをする気配はない。国内で王位継承争いが起きていると伝え聞く。 下手に他国にかまっている時ではないのだろう。弱りきり、たたけばすぐに落ちるアルキーネに仕掛けてこようとはしなかった。 逆にバーゼルは、一番の強国で軍事国といわれている。国に生まれた男のほとんどが、兵となり戦うための力を教え込まれると言う。王も王位継承ではなく、実力で勝ち取る弱肉強食の国だ。アルキーネが崩壊の危機と聞きつけると真っ先に戦いを挑む決意を固めたようだ。 今のアルキーネに、彼らから身を守るだけの力はない。少なくとも、アルファルドの時代以降バーゼルに勝てる術などないに等しい。 アルキーネは、軍事にはあまり長けていない。どちらかと言うと頭を使って回避してきた国だ。 頭を使っても、迎え撃つ兵がいなければ持ちこたえることはできない。バーゼルの攻めを受けたらひとたまりもない。たとえ女子供を逃がしても、王城以外で生きることは難しい。逃げることも望まないだろう。 ならばどうやってバーゼルから国を守るのか。 急ぐ帰り道、頭の中をめぐるのはバーゼルに対抗する手段だけだった。 ―― 精霊の力は、どんな力なのだろう。 エルの口ぶりから言って、どんな力でも貸してくれそうな感じではあったが、実際何をしてくれるのかアリオルトにはわからない。 相手を打つ力があったとしても、ひとりでは何も出来ないうちに終わってしまう。もっと別の力を借りられないか。剣は飾りでもいい、王として他に出来ることを考えなくては。 カルトスの、話し合うための言葉という声を思い出した。通じない言葉は国と国とを妨げる大きな河や崖と同じだ。 話し合うということが出来たら戦いはなくなるだろうか。 簡単なことではないと思うが、武器の変わりになるものが言葉しかないような気がした。 ―― 互いの国を理解しあうことは難しい……でも、こんな状況がいつまでも続いていいはずがない。 人の命は限りあるもの。戦いのためだけに生きるなんてばかげたことだ。平和にさえなれば、生きる喜びも、生きる意味合いも、戦いとは切り離されたものになるに違いない。 言葉と言うキーワードを元にまた考えをめぐらせた。 あせっていた心が少しずつ落ち着いてくる。定まらなかった目標が見えてくる。 エルが求めたのは信頼。エルの力を信頼すればきっと叶うはず。 精霊は人間とは違ったことが出来る。空に浮かぶことも突然姿を表すことも出来る。精霊たちの言葉があるのに、自分と同じ言葉を話していた。ならば、きっと他の国の言葉も話せるに違いない 。希望は確信となり、アリオルトに自信を与えた。バーゼルと戦うための糸口がひとつ見つかった。あとはどうやって自分のペースに持っていくかだ。そこが一番重要なところだろう。 アリオルトは、砂地を広く見下ろせる場所までやってきた。そこで急いでいる馬の足を止めた。 目に映るのはいくつも光。闇で他は何も見えないのに、小さな光が点々と続いている。それは異様な光景であり、怖いほど美しい光景でもあった。 「もうこんなところまで……夜明け前には城につく」 うごめく光の粒が目に焼きついた。 あれは、たいまつの明かりだ。 国全体が石造りのバーゼルにとってこの地は動きにくい場所だろう。明かりをともさなくては前に進むのも苦労する。戦いを挑むのは夜が明けてからかもしれない。 相変わらず嫌な風が吹いていたが、アリオルトはもう恐怖を感じていなかった。 「早く城に戻ろう」 再びレックスを走らせた。 城にはそれから一時間くらいでたどり着いた。予定よりは早く帰ってこられたが、日暮れまでには帰るというミラとの約束は大きく過ぎてしまったようだ。 門番が生真面目に警備をしている。 アリオルトが近づくと警戒の色を見せたが、近づいてくる人間が若き王と気づくと警戒を解いた。 あれだけ派手に場外に出たのだ、王が外出中ということは、日が暮れてからの警備の彼らも知らないはずがない。 「お帰りなさいませ」 認められない若き王でも、礼儀は示す。 アリオルトは王子としては誰からも愛される存在だ、それが王という立場になったからと言って変わるわけではない。ただ王としての勤めができるかと言う民の質問に関しては皆同じ思いだ。 この時代では誰が王になっても平和は訪れない。そう思っているからこそ認められない王なのだ。もしかすると、「こんな時代の王になって」と言う同情も含まれているのかもしれない。 「ただいま。城の中の様子はどう?」 「特に変わったことは」 「王がいなくなったあと、しばらくヘリオス様の機嫌が優れなかったくらいしか……」 「だろうね……それは悪いことをした」 「ミラ様がなだめておられました」 「そうか」 ふたりの門番と会話をしているうちに、中にいる門番が門を開け始めた。重たい音が響く。 「お前たちも中に」 「え?しかし……」 「見張りは、見張り台にいるだろう。それともまだ誰か帰ってくる者が?」 「いいえ。でも、どうしてでございますか?」 「バーゼルがそこまできている。ここにいたらすぐに命を狙われるだろう。中が安全と言うわけではないが、中にいた方がいい」 ふたりの門番を連れ立って、門の中に入った。門はすぐに閉められる。アリオルトは頑丈に施錠するように指示を出した。 門番のひとりにレックスを預ける。門番の若い男は、不思議そうにアリオルトを見つめていた。 「どうかしたのか?」 「い……いえ」 「何だ?言いたいことがあるのなら言ってくれ」 「あ……あの。雰囲気が……」 「雰囲気?」 「王らしくなったなと」 すみませんと、すぐに誤る門番に笑った。 「そう言ってもらえると嬉しいよ。ありがとう」 「いえ」 「レックスを頼む。無理をさせたと馬番に伝えてくれ。餌と水も与えてくれるように頼んでおいて欲しい」 「わかりました」 若い門番は、すぐにレックスを連れて姿を消していった。もうひとり少し年をとった門番が、施錠の程度の確認を取ってきた。 「バーゼルの攻撃を少しでも抑えられるように出来るだけ頑丈にしてくれ」 「わかりました……戦いが始まるのですか?」 「戦いを始めたいとは思わない。でも、敵はやってくる。少しでも王城の中への進入を拒まなくてはすぐさまアルキーネの人間は殺されてしまう。門は我々にとって大事な砦といってもいい」 「王は戦うつもりなのですか?」 「どういうことだ?」 騒がしさを聞き取ったのか、人が少しずつ集まってくる。どの人間の瞳にも不安と恐怖の色が浮かんでいる。 ヘリオスもあわてたように姿を現した。 「残念ながら、わが国には戦力がありません。残っている兵はほんの一握り。あとは年寄りと女子供ばかり。今の状態でどうやって戦うのでしょうか?」 「なんていうことを」 ヘリオスが口を挟んできたが、アリオルトはそれを制した。 「その通りだ」 「それに加え私たちは幸せになれない罪を背負っています」 「そうだな。ならば戦わずしてどうしよと?」 「それは……」 「戦いたくないと言っても、敵はやってくる。指をくわえて、死ぬのを待っているというのか?」 「いえ……」 「私はそんなことをしたくない」 「王」 「相手が、私の首を欲して戦いを望んできているのなら、喜んでこの首をささげよう。門の前につきたてておいてくれてもいい。でも、彼らの目的は違う。戦うことに誇りを感じ、戦いを経て得るものを望む。そして、国をひとつ滅ぼす、と言うことにすべてをかけている。門を閉じ、何もしなければ、すぐさま命を失うだろう」 「王の言われるとおりだ。どの道死ぬのなら、戦って死んだ方がいい」 「ヘリオスは黙っていてくれ」 「王!」 「王は……どうして戦いに挑もうとされるのです」 まだ少年のような従者が意を決したように訊ねてきた。アリオルトは優しく笑みを浮かべた。周りが驚くほど穏やかな表情だった。 「どうして?理由はひとつしかない。守りたいものがあるからだ」 「守りたいもの」 「そして、愛するものを死なせたくないからだろう」 ざわめきはひとつもなくなった。ミラが、姿を現し事の動きを見守っている。 「皆も守りたいものがあるだろう?愛するものを死なせたくないだろう?戦う理由、私にはそれしかない」 「もちろん、その通りです。でも……」 「祖父が犯した罪は消えない?」 「……はい」 「罪が消えなければ、アルキーネに未来はない?」 「そう思っています」 ため息が誰の口からも漏れた。ここにいる半分以上はアルレイを知っている。 アルレイを知っていると言うことは、その時代に生きていたと言うことだ。悲惨な過去が脳裏に浮かぶのか、きつく唇をかみ締めている。 「皆に話そうと思っていたことがある。あまり詳しく話している時間がないから、掻い摘んで言う」 「?」 「私は、幻の地へ行くことが出来た」 「何ですって」 「精霊たちの住む森に行って来た。聖樹も見てきたし、精霊の王子にも会った」 「まさか……」 「本当だ、これがその証拠」 驚きに満ちた空気の中、アリオルトは背につるした剣を抜いて掲げてみせる。ヘリオスがたいまつで光を注いだ。剣には精霊の紋章と、エルの命の珠が誰の目にも焼きついた。 「契約をしてきた」 「契約?」 「過去を変えることは出来ない。失った命も元には戻らない。でも、未来はまだ決まっていない」 「そうですとも。でも、王……契約とはいったい」 「アルファルド王はかつて契約をした。それを祖父は破った。それによって精霊王は命を落とした。精霊は、我々を恨み憎んだ。でも、アルキーネと精霊は切っても切る離すことの出来ない運命共同体なんだ。だから、アルキーネが滅びるのは得策ではないと思ったのだろう。私を信じると言ってくれた精霊の王族の最後の一人である王子が、契約を申し出てくれた」 「どういったものなのです」 「聖なる地を血で汚すことなく守り、再び美しい場所へと変える。ただそれだけのこと。それへの見返りが、私たちに力を貸してくれると言うことだ。その証がこの剣」 状況がつかめないのだろう、ざわざわと声がする。戸惑いはさらに色濃く姿を現す。 「私は、この契約を受けた。この剣がどれだけ力を貸してくれるかわからない。でも、精霊を信じて迎え撃とうと思う。協力して欲しい」 周りの様子を伺うようにゆっくりと人の顔を観察した。 「戦わなくてもいい国を作りたい。今回、それを実行に移そうと思っている。実現するかはわからない。ただ、何が起きても私についてきて欲しい」 「何を考えていらっしゃるのです」 「私にもどうなるのかわからない。この国を守りたいから、前に進もうとしているだけだ」 「王……」 「皆に伝えて欲しい。自ら攻撃しなくてもいい。攻撃されたらまず自分の身を守る。そして、私は相手の王と対峙しようと思う。だから、皆は門を突破されないように守備を固めることだけを考えて欲しい。もし突破されてしまったら、私の作戦は失敗。私は生きてはいないだろう。その時は自分たちの思うままに動いてかまわない。私が生きている間は、私を信頼してついてきてもらえないだろうか。この通りだ」 周りが驚きに目を見開いた。アリオルトが頭を下げている。王が民に頭を下げるなんて今まであっただろうか。 若き王が、信じられないことを考え実行しようとしていることは戸惑いの中でも理解できた。 頭を下げて願う彼の姿に、その場にいた者たちは誰もが思った。 ―― なんてことを考える王なのだろう。 今の状況はぎりぎりのところまで来ている。希望すらない闇の中。王の提案を拒む理由は、彼らにはない。 ―― 自分たちは、なんて弱い人間なのだろう。 死ぬことばかり考えていた自分たちを恥じた。 若き王と馬鹿にしていた相手は、未来を見、先に進もうと覚悟を決め動き始めている。 何もしないでただ見守り死ぬ時を考えるのは簡単だ。戦うことの方が難しい。 バーゼルの王と対峙して何をしようとしているかまではアリオルトは語らなかった。でも、それで十分だった。目の前の大人たちは、若き王についていこうと決断するのに時間は掛からなかった。そして、年若い者は彼に尊敬の眼差しを向けた。 ―― この王を支えよう。 はっきりとした答えが生まれた瞬間だった。 先の見えない闇に輝く小さな星のような存在かもしれない。諦めて命を落とすより、向かって命を落とす方がはるかに生きた意味がある。 ―― 諦めてはいけない。まだ、私たちの人生は終わってはいないのだから。 強くはっきりと、民の心に決意が生まれた。 「わかりました、どうか頭を上げて下さい」 「そうです、王が民に頭を下げてはなりません」 「私たちは、貴方を信じましょう」 「本当か?」 「当たり前です。貴方がこの国の王なのですから」 「ありがとう」 決意が決まれば早かった。 戦いになれたものが率先して、それぞれの配置につき敵を迎え入れる準備を始めた。 戦いの指揮などとったことのないアリオルトには、到底口出しできない。ここは任せた方がいいとヘリオスに伝えた。細かい指揮はヘリオスがとり、準備はすぐに整っていくだろう。 人も武器も少ない、やることはそんなにないはずだ。 夜明け前にはたどりつき、多分明るくなったと同時に現れるに違いないとヘリオスに言うと、とりあえずアリオルトは城の中に戻った。 指揮を任されたヘリオスはいつもの口調でてきぱきと仕事をこなし始めた。彼ほど政を進めるのに似合いな人間はいないだろう。改めて彼の素質を高く評価した。 こんな時に評価しても意味はないかもしれないが、これからは彼から逃げるのを半分くらいに減らしてもいいと思った。そう思うほど心に余裕がある自分に笑みを漏らした。 アリオルトは自分の部屋に向かった。着替えをした方がいいと思ったからだ。もう少しきちんとした身なりをしないと、王に思えないだろうと思ったのと、砂嵐を歩いたせいで体中砂っぽかった。最後の戦いになるかもしれない、王として初めての出陣だ、手を抜いた格好では相手になめられてしまう。 衣装の並んだ部屋の一角をなんとなく目を走らせていた。その表情は、難しく曇る。 「アリオルト様」 「ミラか、ちょうどいい着替えを手伝ってくれないか。どうにもなれないことを一人でするものじゃない」 「そうではないかと思って来たのです」 「ミラには敵わないな」 ミラは、呆れたように笑いながら、衣装の中から正装といえるものを選び出し、並べていった。 服の選択は任せたまま着ているものを脱ぐ。部屋の床に砂がばらばらと散らばった。軽くぬれた布で体を拭いていく。 「何か言いたいことがあるのではないか?」 「どうしてです」 「黙り込んでいるからよけいにな」 「あったのですが、なくなりました」 「なんだそれ」 「……日が落ちても帰ってこなかった時は文句を考えていたのです。でも、王様の顔をして帰ってきたので許しであげます」 苦々しい表情だった、アリオルトはミラの言葉に笑みを深くする。ミラも、優しく笑顔を作る。 「いよいよバーゼルが来るのですね」 「ああ……」 「いつかはこんな日が来るとは思っていましたが、本当にそうなると覚悟は揺らぐものです」 「ミラ、君に頼みがある」 「何です?」 「女子供は城の地下の奥深いところにかくまうつもりだ。気休めにしかならないが。ミラはその指揮を執って欲しい」 「ええ、もちろん」 「それと、ミラは絶対に死んではいけない。何があっても生き残ってくれ」 「どうしたのです?」 「頼みがあるんだ」 「ですから……」 「それとは違う頼みだ」 ミラは不思議そうにアリオルトの瞳を見返す。服を脱ぐ時にはずした剣をミラに差し出した。 「もし、私に何かあったらこれを精霊の元に返しに行って欲しい」 「どういうことです?」 「この珠は精霊の王子の命の珠。失っては眠りから覚めることはない。これは精霊の元に返さなくてはならない大切なものなのだ。私が死んだら、ミラがこれを精霊の元へ」 「たどり着けない幻の場所です」 「きっとたどり着ける。森に着いたら道をまっすぐ行けばいい。湖に出たら、カルトスとオルトスという双子が姿を現すだろう。彼らに珠を預ければいい」 「……ええ」 「頼む、ミラ。この約束だけは絶対に守ってくれ」 「わかりました。必ず。でも、アリオルト様が死ぬと言うことに関しては認めませんので、そんな弱気なことは言わないで下さい」 「ああ、言わない……もしもの時のためだ」 「さあ、風邪を引かれます。服を着てください」 ミラの進めるままに服をつけていく。手の届かないところは彼女が止めてくれるので、まかせっきりだ。 普段ラフな服装をしているアリオルトには、今までにないくらい動きにくそうに思える服装だった。しかし、これがアルキーネの正装だと言うことは知っている。かつて父もこういった服を着て堂々と王座に座っていた。 自分は、長い時を王として生きたとしてもあんなに堂々としていられないと思う。 王の貫禄と言うのだろうか、自分には一生得られないもののように思えた。 今は特に貫禄なんて微塵もない。威厳の欠片すらない。ならばせめて服装だけは立派に見えるようにしなくてはと、自分に発破をかける。 ひとりなら着られなかっただろう衣装は、ミラによって綺麗に着付けられた。あとは剣を下げ、マントを羽織るだけと言う状態だ。 少し休んで、食事をと言われたので言われるまま用意された食事に口をつけた。 食事は質素なもので、柔らかいパンと、温かい豆のスープ、蒸された鶏肉に、ボイルされた色野菜。どれも、おいしかった。 食料もそれほど多く手に入らないアルキーネでは、かなり豪華な王の食事である。デザートにと赤い色の果物を差し出されたが、ミラに食べるように進めた。 食事も終わり、少し仮眠を取ると、少し外が騒がしくなってきた。人の声に目を覚ます。 傍についていてくれたミラが、何事かと廊下の外をうかがっていた。 「そろそろ夜明けだな」 「来たようですね」 「ああ」 穏やかに流れていた時間がぷつりと途切れた。 「剣を取ってくれ」 ミラは、剣をもって傍に近づいた。 アリオルトは、下げるための皮布を腰につけている。それが終えるのを見ると剣を差し出した。マントを肩にかけてくれる。 ヒモを縛っている白い指が微かに震えている。 その手を握った。はっとなったミラは視線を合わせてくる。 「もうひとつ言い忘れたことがあった」 「何です?」 「もし、私が戻ってきたら……正式に結婚しよう」 「アリオルト様」 「私の妻は、ミラしかいない。この世で一番愛しているよ」 「こんな時に……」 「こんな時だからだろう。返事は?」 「私の返事など決まっております。貴方様の妻になれるような女はこの国には私しかおりません」 「では了解と言うことか」 「はい」 気が強く振舞う彼女の手の震えは止まっていなかった。 「ではこれを。本来なら結婚の儀で渡すものなのだが……王家代々妻に渡す指輪だ、もっていてくれ」 左手の薬指、妻のための指だ。大きな宝石がはめられた指輪を、そっと指に差し入れた。きらりと目覚めた太陽が、指輪に降り注ぎまぶしい光を生む。 夜明けが来たことを告げていた。 ミラの瞳から涙が零れ落ち、握ったままの手にしずくが落ちる。強く握ると引き寄せ、涙をこぼす目元に、震えたままの唇に優しく触れた。 「大丈夫、必ず戻ってくるよ。愛する人に寂しい思いをさせはしない」 「お待ちしております。必ず戻ってきて下さい。愛する貴方に、神の祝福を……」 もう涙はなかった。ミラは言葉と共に、アリオルトの唇に自ら唇を寄せた。強く抱きしめ、放す。背筋をピンと伸ばしたアリオルトは振り返ることなく部屋から出て行った。 その姿は、本人は気づかなくとも王の風格を持った一人の青年だった。 「神よ、どうかアリオルト様をお守り下さい」 ミラは祈りを口にすると、左手に光る指輪を優しく包むように、握り締めた。 そして、彼女もまた愛しい人を見送った女の顔を捨て、王の妻として部屋を出て行った。軽快な足音に強さがある。自分に与えられた使命を実行するためにいつまでも泣いている暇などない。 ―― 王が国を守るなら、私は人を守ろう。 朝陽が王城に降り注いだ。 美しい光が幸福への扉であることをすべての人が願っていた。 +----------------------------------------------------------------+
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