第四話  儀式

   <小説>   


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 太陽が地上に向けて急激に落ち始めた。
 エルたちが姿を消してからそんなに時間はたっていないのに、どんどん太陽は色を変えていく。
 ミラとの約束を破りそうだと考えていた時、エルが姿を現した。先ほどよりきっちりとした衣装を身にまとっている。
 精霊たちの正装がどのようなものか知らないが、気品ある雰囲気から儀式の時に着る特別なものなのだろう。
 それほど手の込んだつくりではなく、肩の剥き出しになった、上と下が繋がっている女性の着る服のようだ。それを腰布でゆるく結んでいる。真っ白な衣装に細かい模様をあしらった、緑色の布がよくはえて見えた。
 膝上まで延びている衣装でほとんど見えないが、両脇が切れていてそこから中に穿いているものが見え隠れする。
 足と手に装飾品がはめられていて、歩くたびにシャラシャらと小さな音を立てていた。幅の広い首元に何の飾りもないのが逆に寂しく見える。

「待たせた?」
「いや、そんなに待ってないよ」
「時間を気にしているようだったから」
「ああ、ミラに……幼馴染に日が落ちるまでに帰ると言って出てきていたから、約束を破ったなと思っていたんだ」
「幼馴染?」
「幼馴染で……」
「婚約者?」

 言いよどむ、アリオルトにエルは察したように言葉を挟む。言い当てられて、困った顔をした。改めて言われると照れを感じる。

「……ああ」
「ふーん、ミラを愛しているの?」
「えっ……もちろん」
「顔が赤いよ」
「からかわないでくれ……」
「だって、面白いから」

 エルは、小さく笑いを落とした。
 人形のようと思っていた彼の顔に生きている者らしい動きが加わる。決心をしたからだろうか、少し前よりずっと落ち着いていて好意的だ。

「アリオルトは可愛いところがあるね」
「エル……」
「子供にからかわれたくないって?」

 心を見透かすように答えを返してくる。

「そうだよ」
「忘れているようだけど、生きている年月なら僕のほうが長いよ。アルキーネ王には会ったことないけれど、アルファルド王の父親の時代くらいからは記憶にあるからね」
「……精霊って見た目の成長が遅いのか?」
「さあ」

 どう見ても、年下にしか見えない。
 整いすぎた外見で大人びて見えるが、それでも十四、十五歳というところだろう。
 どれくらい生きているのかと頭で数えたが、混乱したので考えないことにした。
 ちょうどいい具合で双子が姿を現した。着ているものは変わらなかったが、それぞれ手に輝かしいばかりの宝を持っている。
 カルトスは聖杯を。オルトスは剣を持っていた。どちらも宝石があしらわれた美しいものだ。赤く輝く太陽に反射して光を放つ。

「用意は出来たか?」
「はい、定例どおりに……急なことですので略式ですが、問題ないでしょう」
「カルトス、いいかげんに機嫌を直せ。失敗しても知らないぞ」
「私がそんなへまをすると思っているのか、オルトス」
「俺が変わってやってもいいぞ」
「お前の方が失敗しそうだ。私のほうが適任と言うもの」
「兄弟げんかはあとでして。どっちでもいいよ、顔も同じだし」
「エル様、顔は関係ない」
「性格が違うだけで能力は一緒だろ」
「それはそうですが、オルトスと一緒にされるのは心外です」
「儀式が遂行されるならどちらでもいい」
「これは失礼を、エル様。ここは当然私が引き受けさせて頂きます」

 姿かたちは同じなのに、性格は正反対、言葉遣いもぜんぜん違うのだなとのんびりとしたことをアリオルトは考えていた。
 そんなのんきなことを考えている場合ではないが、興味を引かれる兄弟なので仕方がない。

「貴方はそこに膝をついて座って下さい」
「わかった」

 アリオルトは言われるまま祭壇の中央に膝をついて頭を下げた。急に緊張し、どきどきと心臓が早打つ音が聞こえてくる。
 そこにカルトスの声が混ざった。

「儀式を始めます」

 カルトスは、聖杯に聖樹の根元から水を注ぎいれる。それをもってアリオルトの前まで来ると、淵をなぞりながら呪文を唱えた。
 アリオルトには理解できない精霊たちの言葉。
 ぶくぶくと音が立つと浮き上がるように錫杖が現れる。それを手に取ると、傍に近寄ってきたオルトスが受け取ってまた下がった。

「手を清めて下さい」

 聖杯が下に置かれる。アリオルトは言われるまま手を水につけた。カルトスが布を差し出し、それで濡れた手を拭く。

「エル様も」

 エルもアリオルトの隣に膝をつく。カルトスは聖杯をエルの前に移動させた。同じように手を水で清め、差し出された布で手をぬぐう。

「契約の内容はここに記されています。確認して下さい」

 羊皮紙が差し出され、そこには精霊文字らしきものが記されていた。

「読めない貴方のために、口頭でも確認させて頂きます」

 カルトスは、互いの契約を口にする。
 この地を血で汚さないこと、この地を敵の侵略から守ること、この地を元の姿に変えること、それを契約が切れるまで続けることをここに誓う。それへの見返りは、国を守る力を得ることとする。
 そこにまったく違ったことが書かれてあっても、アリオルトには判断できないが、そんなことをしても意味はないはずだ。

「期限は、剣を返しに来るまでとなっている。それは契約期間のことをさしている。古くからのしきたりにのっとると約束としては未来栄光と言うことになる。ご理解頂けますか」
「承知した」
「私も承知する」
「では、契約成立です」

 羊皮紙は丁寧に丸められ、紐で縛ると聖杯の中に沈めた。そのまま、聖樹の下にある一角にカルトスは静かに置き、オルトスから錫杖を受け取った。
 カルトスの身長より少し丈の短いそれは、持っている部分は木で出来ており、先に装飾がされている。主に金、そしていくつかの宝石がはめ込まれ、シャラシャラと音を立てる輪がたれていた。

「アリオルト、これから何が起きても儀式を進行して欲しい」
「何が起きてもって……?」

 エルは真剣な顔のまま話しかけてくる。緊迫した雰囲気は不吉な匂いを運んでくる。
 儀式の内容が知らされていないだけに、これで終わらないのかと不安がよぎる。

「貴方は優しい人だから、きっと取り乱すのではないかと思う。でも、それがこの儀式で一番大切で、アリオルトが国を守るためにも必要なことなんだ。カルトスの言う通りに最後まで、いいね」
「……わかった。でも、いったい……」
「大丈夫」
「何が大丈夫なんだ。さっぱりわからないのだが」
「僕は君を信じている。だから大丈夫……この契約に一番必要なのは精霊と人の信頼なんだ」
「信頼……」
「そう、忘れないで。アリオルトが契約の内容を守れば、すべて元に戻る。アルキーネは救われ、この地は美しい地に変わる。精霊たちも平和に暮らせるんだ」
「もちろん、契約を破ったりしない。この命に代えても必ず守る」

 エルが、初めて笑った。
 微かな笑みはあった。それすら綺麗だと思ったが、そんなものではなかった。敵対していたと言う事実も、憎しみも、悲しみもない、今まで見たこともない微笑みだった。
 この世の邪念を知っているものはきっとこんな風には笑えないだろう。あまりに美しい表情に、アリオルトは息を飲み込んだ。瞳の裏に焼きつくほど印象的な瞬間だった。
 この表情のエルを一生忘れないだろうと、思うほど強烈な輝きを放つ。

「貴方を信じている」

 シャラン……。
 カルトスが錫杖を振る。
 エルは立ち上がると、カルトスの前へ進み出た。オルトスが膝をついたままエルに剣を差し出す。両手で受け取ると、胸の辺りで持った。
 カルトスが錫杖を打ち鳴らす。左腕を上下させ、地に打ちつける。シャランという音と、カツンと石を打つ音とが、不安を駆り立てるように鳴り響く。
 右手はエルの広く開いた服の肩口に触れ、額に触れ、剣に触れる。それを何度か繰り返した。
 ただ見守るしか出来ない、アリオルトは尋常ではない何かを感じ始めたのだろう、背中がじわりと汗で濡れた。

 ―― いったい何を……?

 カルトスの低く美しい声が、再び言葉をつむぐ。錫杖が打ち立てる音と混ざり合って、ひどく頭に響く不協和音だ。

「え?」

 流れるように、エルは剣を両手で握った。普通なら刃を前に向けて構えるだろう。しかし、彼は自分に向けて握っていた。すっと、静かに刃が持ち上がって止まる。その切っ先がどこにあるか見て取ったアリオルトは、目を見開いた。

「エル!」

 張り上げた声にエルは振り返ったが、笑みを返すと同時に一点をめがけて突き刺した。
 アリオルトは立ち上がろうとしたが、一瞬のことで止めるのも間に合わなかった。
 エルの体は、剣をさらに奥へ進めるように前のめりになっていく。カルトスもオルトスも真顔のままだった。変わらず打ち続ける音が耳に響く。
 直立不動のカルトスもまっすぐとエルに視線を注ぐだけで、動く気配もない。
 アリオルトだけが、目の前の光景が信じられなく青ざめた。

「エル!」
「動かないで、アリオルト王」

 引き止めるように腕をつかんだのは、オルトスだった。
 見た目とは裏腹に信じられない力で、前へ進むことを静止する。オルトスの瞳を見返したが、小さく首を振った。

「エル様の言葉を思い出せ。何があっても儀式を進行してと、彼は言った」
「でも!」
「これは儀式です。儀式には剣が、あの剣には命の珠が必要です。それを取り出す方法は聖なる剣で心臓を突き刺すしかありません」
「あれではエルは死んでしまう」
「いいえ、今はまだ死にません」
「なんで……」
「貴方が契約を守っている間は、エル様は死なない。この湖で眠るのです」
「じゃあ、アルレイが……」
「そうです。アルレイが契約を破った時、エルの父である精霊王はこの湖で死んだ。命の珠が壊れれば生きていられるわけがない」
「そんな……」
「貴方が、珠を返しに来たらエルは目覚める。貴方がすべきことは、この場で儀式を止めることでも、青い顔で放心することでも、泣き崩れることでもない。国を守り、この地を守り、ここへあの珠を返しに来ることだけだ」
「…………」
「わかったなら、そこに座っていろ。そして目をそらさずに見るんだ。この光景を忘れるな。精霊も命がけなんだ」

 がくんと力が抜けたように、再び膝をついた。
 体から血の気がひいていくような気がする。
 それでも、瞳はエルを捕らえたままそらすことはない。
 剣は根元まで刺さっている。血が滴ることがないのが不思議な気がした。場所から見ても、心臓を貫いているのは確かだ。突き抜けた剣がきらりと光っている。その生々しい光景に体が震える。
 カルトスは錫杖の音を止めないまま、右手で剣の柄に触れた。彼の唱える声に反応するように、光が溢れる。剣はさらに奥に進み、宝石で飾られた柄の部分がエルの体に埋まっていく。
 エルの表情はよく見えないが、白い肌がさらに青白くなっているような気がする。
 剣がついに体を突き抜けた。
 空に浮かぶ剣を、後ろに回ったカルトスが右手で受け取る。
 ぐらりとエルの体が揺れた。
 倒れる前に、オルトスがそっと抱き上げる。実際には体は浮いていた、そこに重さは感じない。ふわふわとした体を水際まで運ぶと、手を離す。エルの体は無重力状態で、そこに浮いていた。苦悩の表情はなく、安らかに眠っている。
 死んでいる姿に似ているが、一種の仮死状態になるのだろう。息はしていないが、血は通っているように見える。
 カルトスは、受け取った剣を聖杯の中に入れた。ぶくぶくと言う音が錫杖の奏でる音に混ざる。
 すべて剣が見えなくなった時、錫杖の音がぴたりとやんだ。
 はっとして、顔を上げたアリオルトはカルトスの後姿に視線を向けた。錫杖をオルトスに渡したカルトスが、聖杯の中に手を入れる。そして、剣を引き抜いた。その柄には何の色も持たない珠がはめ込まれていた。
 カルトスがそれを鞘に収めた時、エルの体は静かに水に沈んでいった。
 静寂が訪れ、目の前に剣が差し出される。それを、アリオルトは震える手で受け取った。再び錫杖を手にしたカルトスが、呪文を唱えながらアリオルトの頭の上に錫杖の先を触れさせる。それは一瞬、シャランという音で地を打つと張り詰めていた彼の表情が少し和らいだ。

「契約は今ここに成立し、剣は契約の証として、そなたにささげる。再びここに来る時まで、大切に扱って下さい。貴方とエル様は運命共同体なのですから。もう一度聞きます。契約を誓いますか」
「この剣と、聖樹に誓います。アルキーネの王として」

 カルトスは、錫杖を聖杯へ戻した。しばらく振り返らなかった彼が振り返る。その顔には疲労と寂しさが映っていた。

「エル様を必ず返して下さい。彼は精霊にとってかけがえのない方なのです」
「わかっている。こんなことになって申し訳ない」
「これが精霊と人間の運命なのでしょう。アルレイはどうしょうもない人間だったというだけのこと。降り注いだ罪を私たちにだって止めることは出来ない。新たな契約で塗り替えるしか道はありません。貴方を信じたエル様は正しい道を選んだのです」
「早く返せるように努力しよう」
「そう願いたいですね」
「君たちは何者なんだ?」
「我々は、聖樹の精霊。この木を守るために存在している」
「なるほど、だからどこか不思議な人たちなのだな」
「立場的には王であるエル様がえらい。でも、精霊としての力はこの木の力を持つ私たちの力が勝る。エル様とて、ひとりで物事を進められない。王も王子もいない今、私たちが精霊を守る存在と言うわけです」
「そうか、お互いにがんばろう」
「ええ……」

 差し出した手に、カルトスは少し考えたが、手を伸ばした。そこにオルトスも手を置く。
 誓うのは光ある未来だけだった。
 三人の男たちは、語らずとも視線で会話する。隔たりが出来た人間と精霊が再び手を結んだ瞬間だった。
 勢いよく太陽が地上に消えていく。紅く染まった空がだんだん闇へと変わり始めた。生暖かい風が通り過ぎていく。その風の様子がアリオルトに嫌なものを思い出させた。
 声がする。悲鳴のようなうめきのような。幻聴に違いない。しかし、それは戦乱の時代に生まれ育ったアリオルトの研ぎ澄まされた感覚と、一種の勘に違いなかった。

「戻らなくては……嫌な予感がする」
「勝てる見込みはあるのか?」
「戦うつもりはないよ……」
「戦うつもりはない?」
「出来ればだけど……血を流さずして国を守れたらと思っている」

 呆れたようにカルトスは頭を振った。

「そんな甘い考えで国が守れると思っているのか?」

 問いかけてきたのはオルトスだった。

「策があるわけでも、守れると思っているわけでもない。ただ、人の血の流れる戦いはしたくないんだ。それではいつまでも変わらない。ベガールは人間がいなくなるまで殺しあうだろう。それを止めたいと思っている。エルの力を借りたら、何かを出来るかもしれない」
「なるほどね」
「間違っているだろうか」
「間違ってないと思う」
「オルトス!勝手なことを」
「ベガールは変わらなくてはいけない。このままでは、いずれは大陸そのものが滅びる。誰かが食い止めなくては。その偉大な人物になろうって言うんだから、エル様も見る目がある」
「偉大になんてならなくていい。ただ、私は守りたいだけ」

 あきれ返っていたカルトスため息を吐いたあと、しぶしぶと言ったように呟いた。

「確かに、変化の時は必要だ。アリオルト王よ、必要なのはきっと理解しあうこと」
「そうだね」
「言葉だな」
「言葉?」
「理解しあうのに必要なのは言葉を理解し、話し合いをすることだと言っている。まあ、思い通りに進めることだ。貴方が王なのだから」
「がんばれよ」
「ありがとう」

 アリオルトは深々と頭を下げると、受け取った剣を体に取り付ける。剣を守るようにマントが体を覆う。
 暗くなってきて視界の悪い足場となった、飛び石を再び蹴った。
 すべてを渡り終えた時、再び後ろを振り返り、頭を下げる。それにオルトスが手を上げることで答えた。
 あとはもう、振り返ることはしなかった。一心にまっすぐな道を駆けて行く、足元で草を踏みつける音がやたらと大きく聞こえた。
 来る時の何倍もの早さで、アリオルトはレックスの下にたどり着いた。レックスは主人を待ちわびていたのか、彼を見ると声を上げ、前足が大地を刈る。

「待たせて悪かった。十分休んだか?少し急いで帰ってもらう事になる」

 大丈夫だと言わんばかりにレックスはアリオルトに頭を摺り寄せた。
 木に留めていた手綱をはずすと、乗り上がる。そして、軽く手綱を引いた。レックスは待っていたというように、勢いよく森を走った。
 アリオルトを向かいいれたかつての門は、すぐ背になった。
 ぼんやりと明かりを感じる幻の土地は、振り返るアリオルトの目にもだんだんぼやけた存在へと変わって行った。

 ―― 必ずもう一度この地へ来る。

 平和な未来を願うアリオルトのもうひとつの願いだった。
 この地に舞い戻り、眠りについたエルを目覚めさせること。それは、戦いのないベガール大陸にすると言う願いと同じくらい大切なものだった。

 ―― いつか、必ず。

 心で小さく誓いを立てると、エルを目覚めさせると言う願いを頭の片隅へと追いやった。
 今はまだ、目先に迫り来る敵に対峙する瞬間のことを考えなくてはならない。
 戦いの時はすぐそこまで来ている。それは、回避することの出来ない。アリオルトにとっては王になるための第一歩だった。


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