第三話 契約
+----------------------------------------------------------------+
「待って!」 引き止める声に驚いたのは、アリオルトよりエルの方だった。 どうして引き止めたのかわからない。ただ、アリオルトの後姿を見ているうちに勝手に言葉が紡がれた。 アリオルトは自分に向けられた言葉だとは思わなかったのか、ぴたりと足を止めたあとしばらくは振り返らなかった。一拍遅れ、ゆっくりとエルに視線を向ける。 エルは同じ場所に立ったまま、アリオルトを見ていた。 ―― 僕たちは、この一族を恨んでいるはずだ。 自分に問いかける。 アルキーネの王族も、人間と言う種族も嫌いなはずだ。 それなのにどうして、この男を憎いとも殺したいとも思わないのだろう。 アリオルトに会うまでは募っていたものが、ぷつりと途切れた。 認めたくない思いと、アリオルトの純粋な笑顔とがエルを戸惑わせた。感情が上手く付いていかない。 「この剣を返してもらっても嬉しくない」 戸惑いを悟られないように、冷たい声で言う。前に歩み出ると自ら水面からおり、アリオルトの傍まで歩いて行った。裸足のまま草を踏みつける。 地を歩いていても浮き上がっているくらい軽く見えた。 「失った珠を返しに来るならまだしも、剣だけ返されても意味がない」 差し出された剣に、アリオルトの顔が曇る。 「それでも、君たちが持っているものだと思う。今返さないと二度と返せないだろうから受け取ってくれ」 「なぜ?」 「……アルキーネは滅びるだろう。 バーゼルはすぐそこまで来ている。戦いはすぐに始まる。それに打ち勝つだけの戦力も、兵力もアルキーネにはない。せめて父が生きていればと思わずにはいられない」 「王なのに諦めるんだ」 「私も助けたい!守りたい!でも、どうしていいのかわからない。アルキーネは日増しに生きる気力を失っている。死んだ方が楽だと思っているんだ。戦える人間もほとんどいない。導く指導者も王になりたての私だけ。今の私に何が出来ると?何も出来ないんだ……」 珍しく感情的に叫ぶ。アリオルトは悲痛な思いをかみ締めた。瞳に悲しみと苦しみが影を落としていた。 「貴方は、アルファルド王が精霊王と契約を交わしたことは知っているのか?」 「契約?」 「かつて、ベガール大陸に五つの国ができた時、精霊王とアルキーネの初代王であるアルキーネ王は約束をした。アルキーネ王は国の平和を、精霊王はこの地を血で汚さないことを約束をした。長い年月それは守られていた。大陸が滅びに向かったのがちょうど、アルファルド王の時代だった」 「それで?」 「このままでは滅びると思ったアルファルドは、契約を結んだ。契約は口約束とは違う。ちゃんとした正式な規約。アルファルドが望んだのは絶対的な王という力。それで他国おも戦わない時代を作り上げた。その見返りもやはりこの地を血で汚さず守り抜くこと。それをアルレイ王が破った」 「この地を利用して、敵をおびき寄せ戦場に変えた」 「そう、アルレイ王は精霊なんて信じていなかった。約束の時代ならそれは大きな意味にはならなかった。しかし、契約を交わしたアルキーネは罪を背負うことになる。受け継がれる血筋が滅びるまで、永遠に消えない罪」 「今の状況が、祖父が犯した罪の報いなのだろう」 「すべてが滅びに向かうように出来ているのだ。もともと捻じ曲げた未来が、反動で逆に向いたと思ってもらってもいい」 「父が死んだのもそうなのだね」 「精霊たちが何かをしているわけではない。人は呪いと言うが、僕にもわからない力が加わっている。とめようとも思わないけどね」 「そうだろうね。私が精霊の立場でも許さないと思う」 「助けてくれと言わないの?そのために来たんじゃないの?」 アリオルトは、やはりエルの質問に笑みを浮かべた。 「そんなこと言えないよ」 「どうして?」 「初めてこの地を見て私は思った、祖父がどうしてこの地を汚すことが出来たのかわからないと。美しいこの地は守られるべき場所だ。その地を守らなかった祖父を私は憎んでいる。もちろん、あんなことさえしなければこんなに苦しい立場に立たなかったとも思う。でも、受け継いだ罪は消えることはない。祖父の罪は、今は私の罪だ。君たちに助けを求めようとは考えなかった。初めからね。滅びたらいいと言われるのが怖かったからかもしれないけど。それに、君はたくさんの精霊を死に貶めた一族を助ける?私なら助けたりしないだろう。それがわかっているから、そんなこと考えなかった」 君からそんな質問を受けるとは思わなかったと、アリオルトは言った。エルは、納得できないように顔をゆがめる。 「断られようと、縋り付いてでも、助けてって願えばいい」 「……なぜ?」 「見ているといらいらする」 「エルは変わっているね。そして優しい」 「ふざけているのか?」 「そうじゃない。憎んでいる相手にでも優しさを見せるから」 「貴方があまりにも情けない王だからね」 「わかっている。でも、自分の力で策を考えるよ。情けない王でも、私が王位を継いだ。何も出来ないまま終わりたくはない。小さな可能性でも立ち向かうつもりだ……本当は戦いのない国を作りたかったのだけど……私には到底叶わない夢だ」 ありがとうとアリオルトは言った。握手を求めるように手を伸ばす。エルはその手を見たまま考えた。浮かんでくる言葉はやはりひとつだけ。 ―― 自分は彼らを恨んでいるはずだ、憎んでいるはずだ……。 どうしてアリオルトを憎めないのだろう。 力を貸したいと思うのだろう。 彼の瞳だ。 憎しみに満ちた相手に思い描いていたイメージと一番違ったのが瞳だった。純粋で曲がったことの嫌いな優しい瞳。 今の状況は苦しいはず、アルレイを憎んでいるはず、精霊にどうしていつまでも罪を貸せるのかと怒りたいはず。しかし、アリオルトの瞳にはどの色も映っていなかった。まるですべてを許すように優しく笑う。 これから死の戦いを演じる人間の瞳には見えない。人の上に立つ王の瞳ではない。 王らしくないからこれほど心を揺さぶられるのか、それとも想像していたアルキーネの王族と違うから戸惑うのか、エルは混乱する。 アルキーネを失うことは、精霊たちにとっても大きなこと。精霊を信じてくれる人がいなくなると言うことだ。 守ってくれる人を失ったこの地は無防備だ。しかし、アルキーネを救うことは命を失った人に申し訳が立たない。 ―― どうしたら? 握手を拒んだのだと判断したアリオルトは、切なそうな笑みを浮かべて、もう行くよと背を向けた。 アリオルトの背中を見ると、思い出す姿がある。 ああ、そうか。あの瞳は、あの人に似ているんだ。エルは納得したように顔を緩めた。 エルが見た人間は一人。この地に契約を結びに来たアルファルド王。 アルファルド王も同じ金色の目をしていた。破壊の神といわれ戦いに恵まれた体躯をしているわりに、美しい男だった。美しさも記憶に残るが、伝わる人物像からは想像も出来ない優しい目をしていた。 アリオルトは戦う男には見えない。戦わない国を望むほど、人を自分の手で葬り去ることを嫌悪している。 ―― 彼に賭けてみようか……もう一度、アルキーネを信じてみようか……。 「僕と契約を結ばないか?」 思ったが早かった。頭で答えを出す前に、口から言葉を紡いだ。再び、アリオルトは足を止めて振り向く。 「契約?」 「アルファルドが父と交わした契約と同じ契約だ」 「父?」 「契約を結んだのはというより、精霊王と言われているのは僕の父だ。僕はその息子、王位は継いでいないから王子の地位にある」 「継いでいない?」 「成人にたる年月を生きていないから。いずれは王となるだろう。精霊で契約を交わせるのは王族だけ。今なら僕しかいない。貴方が、これから先の未来もこの地を守り、この地を元の姿に戻してくれると誓うのなら、貴方の夢を叶えるための力を貸そう。戦わない国を作り、アルキーネも滅びない」 アリオルトは引き返してくると、エルのすぐ傍に立ちまっすぐと視線を合わせる。小さく首を振る。 「どうして?わからない……どうしてそう言ってくれるのか、私にはわからない」 「僕だってわからない。ひとつだけ言えるのは、アリオルトになら賭けてみてもいいと思ったから。直感だ。破ると今以上に罪がのしかかると思うけど、どうする?」 「どうするって……私がそれを断る理由はない」 「貴方の子孫がアルレイと同じになるかもしれないよ」 「そうならないように努力をするつもりだ」 「もちろん契約は永遠じゃないから、ずっと未来もということはない」 「そうなのか?」 「宝剣を返しに着たらそこで契約成立なのだ。アルファルド王は少し欲を出した。生きているうちに返しに来たらここまで悲劇は生んでいなかった。僕も、父を失うこともなかった。でも、それに関してはアルファルド王をせめられない。父がそのことを教えなかったのだから」 「どうして言わなかった?」 「父は、信じて疑わない人だった。永遠に続くものがあると信じていたから。それまでの約束が守られていたからね」 「純粋な人だったんだね」 「違うよ。王としては失格だった」 「そんな風に思っていないだろうに」 「…………僕の話はいい、時間もないから話を進める」 エルが気恥ずかしそうに顔をそむけたのを見て、アリオルトは声を立てて笑った。こんなに楽しそうに笑うのは久しぶりだった。 「笑うな」 「大好きだったのだろ?」 「好きだったよ、子供ながらに美しい心の持ち主だと思っていた。まさに精霊の王だった。生き抜くことの出来ない王だったけれども」 「祖父のせいだね」 「さっきも言ったはず。父が信じすぎたこともひとつの理由だ」 「それでも、祖父のせいだよ」 「アリオルトも気をつけたほうがいい……」 「え?」 「貴方は似ている……私の父に。瞳はアルファルド王に似ていると思うけど。考えや夢は父に似ている。優しさは身を滅ぼすこともある……」 エルはそれだけ言うと、水辺まで足早に歩いていった。アリオルトもあわててあとに続く。 「カルトス!オルトス!」 綺麗な声で、大声を張り上げる。それは風の音のように一面に広がった。エルの声が途切れると静寂が訪れる。 アリオルトは、視線を一点でとめた。ちょうど聖樹の前だった。ゆらりと空気が動いたと同時に二人の精霊が姿を現す。 二人の精霊はふっと消えたかと思うと、突然目の前に姿を現した。 エルと同じく、とても綺麗な顔立ちをしていたことも驚きではあるが、一番驚いたのは二人がまったく同じ顔をしていたからだ。違う場所が見つからない。 精霊特有なのかすらりとした美しい体躯、作り物のような綺麗な顔立ち。白い肌に綺麗に配置されたパーツ。聖樹の葉の色を思わせる深い緑の瞳が印象的だ。切りそろえられた長い銀色の髪を後ろでゆるく結んでいる。 思わずまじまじと二人の顔を見比べてしまった。どこからどこまでも似ている。色違いの同じ衣装を着ているのがさらに似せているのかもしれない。 初めて見た時のエルと同じく冷たく、嫌悪に満ちた瞳が、アリオルトに注がれる。4つの目に見つめられ、居心地が悪かったが、彼らの瞳から視線だけはそらさなかった。彼らに見られているとわかったからだ。人となりを見透かすような強いまなざしだった。 「儀式の用意を」 エルの足元に膝をついた二人に、前置きも説明もなく告げる。二人の男はまったく同時に顔を上げた。 「何ですって?」 声もふたつに重なる。男たちは顔を見合わせて視線で確認を取っているようだ。 「いったいどういうことですか?儀式を行うなど、気は確かなのですか」 左側にいた男の方が答えた。多分こちらがカルトスだ。落ち着いた口調とひときわ冷たいまなざし。ぎろっとにらむようにアリオルトを見た。 「気が狂ったわけではない」 「ならどうしてでございますか」 「もう一度、アルキーネに力を貸そうと思う」 「何ですって。貴方までそんなことを!」 「どんな手を使ったんだよ、王様」 少しおどけたような口調で、にやりと不適な笑みを浮かべ、黙っていたオルトスが口を挟む。 「私は……」 突然ふられた質問に答えられるわけがない。 自分でもどうしてエルが儀式をと、言い出したのかわからなかったからだ。どんな手も使っていないのは確かだと思ったが、双子の視線は口を開くことすら拒みたくなるほど強いものだった。 「理由はいくつかある。ひとつめの理由は、アルキーネに滅びてもらっては我々も困ると言うこと」 「それは……」 「過去に裏切りはあったとしても、精霊を信じ守ってくれるのは彼らしかいない。我々だけで守れることもあるが、無理なこともある。アルキーネの存在なくては聖樹が守られる保証もない」 「また裏切られると言うこともある」 「ふたつ目の理由は、アリオルトを信じてみようと思ったからだ」 「今、会ったばかりの人間を信じるというのですか」 「時間など関係ない。長く付き合っていても裏切る時は裏切る」 「私たちは、彼を信じることは出来ない」 「アルキーネのせいで、聖樹は危険な状態に陥り、精霊の多くは命を失った。その引き金を引いた人物の血を受け継いでいる。信じられるわけがない」 「アルファルドを信じたのに?彼はアルファルドの血も引いているのだぞ」 「それは……」 「僕は血筋では判断しない。最後の理由は、アリオルトの瞳がアルファルドに似ているからだ。心の優しさは父を思わせる。僕は自分の直感を信じたい」 「エル様……」 たたみかけるような双子に、エルは負けずに言い放つ。そこに迷いはない。まっすぐと伸ばした背筋と同じで一度決めた決断も潔いものだった。 柔らかく儚い顔立ちには似つかわしくない王の風格を感じる。 「わかっているのですか?もし、貴方の身に何かあれば精霊たちに未来はありません。精霊の王族は貴方しか残っていないのです」 「わかっているつもりだ、カルトス。心配してくれているのもわかる。だが、考えてみてくれ。アルキーネが滅びたら、いずれはこの地にも敵はやってくる。進入をすべてふさぐ事は、今の精霊たちには無理だろう。もう一度この地が汚されればこの地が滅びてしまう。そうなればお前たちだって聖樹を守りきれない。だから、僕たちにとってもアルキーネとの契約は大事なんだ。彼らがこの地を守り、再び美しい場所に戻すという確かな契約が必要だ」 双子は、言葉を失った。 エルの言うことはまさに正論だった。それは、アリオルトにもわかる。 あとは気持ちが付いていくかどうかなのだ。これは迷う決断だろう。 「エル様の言うとおりだ、カルトス」 「オルトス、お前まで」 「信じるしかないんだ……この王を」 「運命共同体……」 「もともと、この地はアルキーネの一部。滅びる時は一緒」 滅びる時は一緒、エルの言葉が耳に響く。 アリオルトは改めて気づくように、下げていた視線を上げた。三人の精霊たちを見回す。 自分は、この地の命も握っているのか……背負う命の数が増えた。それは自分が揺らいだ時に失う命の数が増えたということだ。 しっかりしなくては、と自分に言い聞かせる。 今まで背負ったことのない重圧は、そう簡単に震えを止めてはくれなかった。気持ちから負けていたら、本当に負けてしまう。強く願わなければ……。 「わかりました……用意にそんなに時間は掛かりません。すぐに用意をしてまいります」 「この剣を?」 アリオルトが渡した剣を差し出すが、カルトスは首を振った。 「エル様の剣があります。古いものより、剣としても効力を増すはずです」 「これは、父の元に返してあげてくれ」 「わかりました」 受け取ったのはオルトスだった。恭しく、触れるのも慎重に受け取るとそのまま姿を消した。 「アリオルト王は飛び石を通って、祭壇までお越し下さい」 「祭壇?」 「聖樹の下にある広場のことです」 「わかった」 「私たちはしばしいなくなりますが、大人しく待っていて下さい」 ふっと目の前から消えた。 最後まで好意的な対応ではないのは感じ取れた。仕方なく認めたと言うことだろう。それ以上を望んでも無理なのはアリオルトにもわかっていたが、敵意と言うのは悲しいものだとため息をひとつこぼした。 「ゆっくり来てかまわない。落ちると深いから気をつけるといい」 エルも、軽い足取りで水の上を渡っていった。 彼が向かったのは聖樹の向こうにある宮殿のようだ。 ひとり取り残されたアリオルトは、言われたとおりに飛び石まで歩いていった。湖の上に丸く小さな石が浮かんでいる。間隔もほぼ同じで、聖樹の下まで続いていた。 ここを使うのは人間しかいないのだろう。何か起きるのではないかと最初の一歩には勇気がいた。 泳げないわけではないが、聖なる水に自分の身を浸すのが恐れ多かった。 「人間しか使わないわりに、一歩が大きいな……」 石は人が一人立つのがやっとの大きさ、勢いをつけるわけにも行かない。アリオルトは飛び移るように、次の石を目指して石を蹴った。 いくつか行くうちに勢いもつき、軽快な足取りで石から石へと飛び移ることができた。 ゆっくりでいいと言われたが、聖樹の下へはすぐにたどり着いた。 ぞくりと背筋が震えるほど不思議な力を感じる。だだ、そこに立っているだけなのに、力強い生命力と意思を感じる。幾重にも木が重なり合ったような不思議な木だ。呼吸するように風が葉を揺らす。 「曽祖父もここに立ったのだろうか?私とあの方を比べないで下さい。足元にも及ばない」 独り言を呟いているのに、この木は聞いているような気がした。 「でも……私は良き王になりたい。偉大な王になどならなくていい。ただ、人々のために国を支えられる王になりたい。たくさんの命を守れる王になりたい。そして、命を失わない国を作りたい。私一人では無理だろう。いつかそんな大陸になるように、アルキーネの王として自分にできることをしたいのです。どうか、力を貸してください」 風が頬をなでていった。散る姿のなかった葉がひらりと落ち、アリオルトの上で小さな光を撒き散らし消えていった。 +----------------------------------------------------------------+
|