第二話  聖なる地

   <小説>   


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 微かに音がする……。
 水音のような、風音のような、響きが風に混じって耳に届く。
 激しい風に煽られて、息苦しさに幻聴を聞いているのかもしれない。
 アリオルトは、気が遠くなりそうな意識の中で耳を澄ませた。耳から入り込むと言うより直接頭に響く神秘的な音に聞こえた。
 ポタン……と一滴の水滴が波紋を作る様が脳裏に浮かんだ瞬間、体が力を失い大きな音を立てて膝が打ち付けられる。
 するりと長さを伸ばした手綱にすがり、倒れそうな上体を支えた。レックスが苦しそうにもがいたのに気づき、地に両手をついた。
 荒い息が肩を揺らす。汗が首筋を伝うのがわかった。
 手を離したせいで顔を覆っていた布がだらりとたれ、覆うものをなくした肌から汗がぽたりと落ちる。
 何も映っていなかった視界に、緑色の大地に汗が吸い込まれる様が飛び込んできた。
 その時初めて、風が収まっていることに気づいた。
 あわてて顔を上げると辺りを見回した。驚きに息を飲むと、しばらく座り込んだまま見たこともない世界を見回していた。
 そこは、驚くべき場所だった。
 あたり一面、緑の海。美しく立派な木々が一面に広がっている。アリオルトがいるのは入り口なのかもしれない。
 崩れ落ちた二本の石の柱が空に伸びていた。
 そこに刻まれた紋章にアリオルトは目を見開いた。ふらつく足で立ち上がると傍まで近づいて確認する。水と木を現す複雑な文様、それは聖樹を守る精霊王の紋章だ。

「どうして……」

 アリオルトは、目指していた場所に自分がいることに驚きを感じた。たどり着けるとは思っていなかった幻の地だ。

「導かれた?……まさか」

 信じられす、夢でも見ているのかと思ったが、現実だと確信するのに時間は掛からなかった。
 石の柱から見えるのは、先ほどまでいた死の世界だったからだ。
 一面に砂地が続いている。激しい風が砂を巻き上げ、煙たった黄色い風がこの地を隠しているのかもしれない。見えなかったはずの幻の地を踏みしめ、自分の身に起こったことを考え、身を引き締めた。
 漠然と生まれた考えは、試されているのかもしれないと思ったからだ。
 隠された砂漠のオアシスは、決して人間の目に触れないようになっている。
 それなのに、自分はここにいる。
 その事実を考えると、導かれ試されているとしか考えられない。アリオルトは、腰につるした一本の剣に触れた。もう一本釣り下がっている飾り気のない剣より装飾の飾りがたくさん付いた美しいものだ。鞘から抜くことはせず、はめ込まれた宝石がとれ穴の開いた部分をじっと見つめた。
 これはアルファルドが王位を継いだものに与えていた剣だ。
 アルファルドがこの剣を使い、他国との戦かっていたころ、このぽっかりと開いた穴には美しい宝石がはまっていたと言う。
 アルレイが罪を犯し、聖なる地を血で汚した瞬間、その宝石はひび割れ粉々に砕かれたと言う。
 それからは、宝石のない宝剣となりアルビレオの手に渡り、アリオルトに受け継がれた。
 この剣は精霊王がアルキーネの王に与えたものだと言う。
 もし、幻の地につくことが出来たら、宝剣を返したい。その思いから城を飛び出した。
 降り注ぐ太陽の光に剣が光る。
 まるで、帰りたかった地に戻って来られたことを喜んでいるようにさえ思えた。色あせたように思っていた剣が美しく見える。それはただの気のせいだったかもしれない。アリオルトの思考がそう見せていた。

「レックス、もう少し進んでみよう」

 のんびりとここにいても何にもならない。アリオルトは不安を抱きつつも、しっかりと歩き始めた。
 進む方向はひとつしかない。
 曲がり道などないほど、まっすぐと道が付いている。直線を測って引いたように木々の間に道が伸びていた。レックスの手綱を握る手に微かに力が篭る。
 かなり歩いた気がするが風景はあまり変わっては来なかった。
 小さな水辺があり、レックスをその場所に繋いだ。帰りもう一度城まで戻らなくてはいけないことを考え、休ませたかったからだ。

「水でも飲んでゆっくりしていてくれ、この先は一人で行く」

 レックスは心配そうにアリオルトを見つめたが、頷くようなしぐさをして綺麗な水に口をつけておいしそうに飲み始めた。
 その姿に笑みを浮かべると、すぐに引き締まった顔に戻し、道へと戻っていった。
 巨木の世界に変化が現れたのは、それからすぐのことだった。無残に折れ曲がった木があり、折れて倒れた木もある。一角はほとんど木の根以外失っている。そこは、緑すらまばらで美しさを失っている。

 ―― 滅びた地。

 その言葉が頭に浮かび、背筋が震える。
 美しい緑が失われる、それだけではなかった。すぐに目に飛び込んできたのは石造りの建物の廃墟だった。精霊たちの家だったのだろうか。いくつもの建物が崩れ落ち、もともとの姿を想像するのも難しい。焼け焦げたのか黒く染まった建物も石の塊となって転がっている。
 建物を直す手はなくても自然の強さを物語っているように、崩れ落ちた建物を苗床に草が育っていた。花を咲かせている場所もある。
 数年前まではもっと滅びを強く感じる場所だったのだろう。物悲しい建物の崩壊がそれを物語っている。
 その地を新しい命が覆い、自然の生命力の強さを主張していた。決して美しいとは言えない、悲しさがこみ上げてくる光景だ。
 アルレイが罪を犯さなければ美しい街があり、精霊たちが笑いに満ちてこの地に生きていたのだろう。
 今は、生命の存在をまったく感じなかった。

「…………罪がひとつここに」

 後ろ髪惹かれる思いでまた足を進めた。
 土の道が失われつつある。足元の草が先ほどより長くなってきて、足にまとわり付いてくる。とても歩きにくかった。
 道を彩るように続いていた木がなくなった。
 長い草で覆われていてわかりにくいが、ここは広場か何かだったのだろう。広い空間が開けて見える。

「ここが宮殿?」

 開けた空間に石造りの壁がある。
 かつては円を綺麗に描き、門が人の出入りに使われていたのだろう。今は微かにその姿を残すだけで、崩れ落ちた廃墟と化していた。
 崩れた壁が切れている場所に近づいてみた。中をうかがうように覗き見る。

「………………」

 アリオルトは言葉を失った。
 廃墟にいると一瞬で忘れてしまう光景が広がっていた。
 きらきらと光る湖面が視界一面に広がった。数歩進んだだけで水面に触れることが出来る。
 湖の中心には空に突き刺さるほど大きな木がある。水面に近づいてみるが、湖の中一面に根を張っているようだ。今まで見たこともない木は美しいと言う言葉では言い表せないほど見事な大木だった。神々しさを感じる。
 その場に膝をついて敬意を表しても誰も驚かないだろう。
 心が震え上がる。
 これが植物だろうか?
 聖樹と精霊が……人々が称え守る存在。疑ってはいなかったが、目の当たりにした衝撃は予想をはるかに超えていた。

「聖樹というより、これこそ神の化身だ……」

 聖樹に阻まれて所々しか見えないが、木の向こう側に宮殿があるのだろう。聖樹の下にも一角だけ広い石畳の場所があり、神事に使われていた面影がある。

「なんて綺麗な世界なんだ……」

 美しい水の元でしか生きられないという精霊。この世界でしか生きられなかったのだろう。
 空を映すほど透明な水は、精霊を生かす源であり、聖樹が生きる糧。
 聖樹は美しさを失うことも、枯れることもなく聳え立っていると言うことは、ここだけは血で穢れることなく生き残ったのかもしれない。
 祖父が手をかけずに残しておいたわけではなく、きっと精霊たちがここだけは守り抜いたのだろう。
 どうして祖父は、この地を残酷に利用できたのだろう。アリオルトにはまったく理解できなかった。
 この地を汚すなど考えただけでも恐ろしい。
 人の手が触れてはいけない禁忌の地としか思えない。浅はかな行動としか思えなかった。
 悪魔の化身と呼ばれた祖父は、人の心を持っていなかったのかもしれない。
 アリオルトは、膝を折ると跪き水に触れた。その手は壊れ物に触るほど慎重だった。
 優しい手つきで水を救う。
 冷たいとまでは思わないが、ひんやりと水の存在を感じる。手から零れ落ちた水滴に水面は波紋を作る。静かな世界に聞こえる音は木々を通り抜ける風の音だけだった。
 そこに、零れ落ちた水音が小さく混じった。

 ―― ピチャーン……ピチャーン……。

 突然耳に飛び込んできた音に、アリオルトは顔を上げた。
 聞こえてきたのは水音だ。
 規則正しく同じ間隔で、同じ響き。音源は捜さずともすぐにわかった。
 今日は驚くことばかりだと思った。
 アリオルトが見たのは水の上に浮かぶ一人の少年だ。たぶん少年だろう。この位置からでは顔がはっきり見えない。白い衣装を身にまとい、風にたらしている布が揺れ動く。陽の光に反射してさらさらの髪が美しく光る。月桂樹の葉を思わせる、緑がかった茶色の髪をしている。
 だんだん近づいてくる少年の顔が、はっきりと見えてくる。透けるほど透明で白い肌。綺麗に整った作り物のような顔は、まったく表情がない。瞳の色だけはいまだにわからなかった。
 美しい少年の出現にも驚いたが、もっと驚いたのは彼が水面に浮いていると言うことだ。水に消えることのない足先が、軽やかに水を蹴る。ふわりと浮いた体は緩やかにアリオルトめざし近づいてきた。
 思わず立ち上がった。体を取り巻くようにマントが下りる。
 少年はすぐに目の前までやってきた。水面に両足が下りても、彼は沈まない。普通の人間ではないことは明らかだった。

 「精霊……」

 見下ろす少年の湖面に映る空の色のような瞳をじっと見つめ、アリオルトは呟いた。
 少年はじっとアリオルトを見つめたまま黙っていた。
 冷たい空気を持った彼は、表情をまったく変えない。怖いとは思わなかったが、自分より幼いだろう彼に感じる雰囲気は、自分よりはるかに威厳と品位を持っていた。ひとつの波紋もない湖のように物静かで、聖樹と同じ、いるだけで人を威圧する空気を感じる。

「人間が入り込んだと聞いて来てみたが、まさか王族の人間とは思わなかった」

 飾りもののような口が言葉をつむぎ、かすかに笑みを浮かべる。

「ようこそ精霊の国へ、新王よ。滅びた精霊の森にどういった用事で来られたのか?」

 笑っていない笑みのほうが、怒りをあらわにすると言うことに始めて気づいた気がする。
 アリオルトは、少年の見せる冷たい態度に、ぞくっと背筋を奮わせた。

「ただ、迷っただけだよ」

 半分は嘘、半分は本当の言葉だった。
 新王と知っている以上情けない姿を示すわけには行かない。落ち着き払ったように言葉を返す。

「迷ったって?」
「砂嵐にあい、気づいたらここに着いていた」
「ふーん……砂嵐に撒かれても良かったものを……貴方は運がいい」
「運がいい?私に運なんてないよ」

 悲しく笑った表情に少年は首を傾げたが、答えを告げなかった。
 運があれば、こんな時代に王になどならなかっただろう。
 人が不運な王子と言っていたのも知っている。生まれた時から運に見放されていた。
 少年の言葉は、悲しい笑いでしかなかった。

「私は、アリオルトという。君が知っての通り、アルキーネの新しい王……。君は精霊?」
「人間に見える?」

 ただ、首を振った。

「人間にしては美しすぎるし……水の上を歩かれてはね」
「人間は口の上手い生き物だと聞いていたけれど、本当みたいだね」
「美しいと言うこと?本当のことだと思うけど。君は人間にはない美しさを持っている」
「ここに人間は住めない。精霊だけの世界だ。貴方もすぐに出て行ってくれ、この地をこんなにした王族に長くいてもらいたくない」

 感情の篭らない冷たい言葉にも、アリオルトは笑顔を浮かべた。
 それに驚いたのは少年のほうだった。微かに眉が動く。

「そうだろうね。すぐに帰るよ」

 アリオルトは腰に挿している宝剣を勢いよくはずした。
 その行動に殺気はなかったものの、少年は後ろにあとずさる。表情がゆがみ、ぎらりと瞳が光った。警戒しているのはすぐにわかり、いきなり剣を抜いたのは悪かったかと思った。
 鞘から剣は抜けていないものの、アルキーネの王族と言うだけで疑われても仕方がない。

「これを返したらすぐに帰るよ。これは精霊王の持ち物だったのだろう?」

 一瞬訝しい表情をした少年も、アリオルトが切るために剣を出したわけではないと感じ取ったのか下がっただけ前に戻る。
  まじまじと見るまでもなく、それが精霊王のものだと確認したらしい。紋章も刻まれている、すぐにわかるだろう。

「これを返しにきたのか?」
「そう……あとは見たかったからかな」
「見たかった?」
「この聖樹と……祖父が犯した罪のあとを」

 少年の顔から少し警戒が消えた。
 受け取ってくれと差し出された剣に手を伸ばす。アリオルトは大切なものを扱うように、少年の手に宝剣をのせた。

「これを返せてよかった。ここにたどり着けた偶然に感謝している」

 アリオルトは、自分がどんな表情をしているのかわからなかった。ただ、少年の顔が今までで一番驚いたように目を見開いた。

「君以外にも精霊はいる?」
「ええ、少なくなってしまったけど……貴方を見て隠れているだけで生きている」
「そう……よかった。君たちが生きていて」
「…………」
「こんなことを言っても何にもならないけど……祖父のしたことは私からも謝罪する。申し訳なかった。自分の祖父ながら恥ずかしく……悲しいよ。こんな綺麗な地を汚したのだから」

 アリオルトは、深く頭を下げた。

「出来るだけ、この地に他国を近づけないようにはしたい。でも、私にはその力がない。何もしてあげられなくて申し訳ない」

 少年は、黙ったままアリオルトを見ていた。その表情を読むのは難しい。

「私の謝罪はそのふたつ。精霊に会って、このふたつの謝罪が出来てよかったと思っている。こんなことを言う立場ではないが、君たちは幸せになって欲しい。この地が見つからないことを祈っている」
「…………」
「君の名前を聞いてもいい?」
「……エル」

 少し考えてから小さく答えた。

「ありがとう」

 じゃあ、そういうとエルに背を向けた。来た道を戻るために歩き始める。
 アルキーネと違い、この地には小さな希望が満ちている。
 いくら他国が精霊を信じなくても、この地さえ見つけられなければわざわざ侵略しに出向いたりはしないだろう。
 敵の手が伸びなければ精霊たちは幸せに暮らせる。
 壊れた建物は再び建てればいい。失われた自然は時が解決してくれるだろう。
 聖樹さえその生命力を変えなければ精霊たちは幸せに生きることが出来るはずだ。
 エルへの謝罪は、祖父の犯した罪が許されることはなくても、心が少しだけ軽くなった。
 自己満足から来るものではなく、滅びたと言われていた精霊が今も生き続けていると言うことがアリオルトには嬉しくてならなかった。
 一生アルキーネを恨んでいたとしてもかまわない。
 ただ、彼らに幸せな未来があることがアリオルトに希望の光を与えていた。
 結局、何も出来なかったかもしれない。
 それでも、満たされた想いがアリオルトに溢れた。来た時より少しだけ晴れやかになった表情が物語っている。
 それは、失われなかった生命への喜びだった。


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