第一話 若き王
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その日は、天気がよく、青い空が一面に広がっていた。 強い日差しは大地を照らし、さらさらに乾いた砂がかすかに吹き抜ける風に舞い上がる。ゆらゆらと熱気を含んだ空気があたりに張り巡らされていた。 もう少しで一番暑い季節がやってくる。風は新しい季節の到来を告げていた。 太陽が頂上を目指し昇り始めた頃、馬屋に一人の青年が姿を現した。 何の迷いもなく一頭の馬に近づくと優しくなでる。 美しい栗毛色の馬は小さな鳴き声を上げ、青年に擦り寄った。手早く鞍を取り付け、馬に乗れるように準備する。 まるで人の目を気にするようにちらちらと視線を漂わせていた。近くを通り過ぎるものがいたら馬泥棒と思ってもおかしくない不審な行動だ。しかし、美しい布に覆われ、手馴れた手つきで手綱を握る腕、その腕を彩る装飾品を見ても馬を盗むほど金に困っているようには見えない。 どこから見ても、馬など自ら用意しなくてもいい身分のものだった。 「レックス……静かに。馬番に気づかれるではないか」 青年は、外に出ることを喜ぶように声を上げた馬をなだめた。辺りを見回すと、ふわりと宙にうくように馬上へと乗り上げた。シャラリと装飾品が小さな音を立て、体を覆っていたマントが翻る。 青年は迷うことなく馬を走らせ、厩から飛び出した。 琥珀色の髪に太陽が降りそそぎ、いつもより薄い色を見せる。少し癖のある髪は背中にゆるく編まれてたれていた。 「アリオルト様!」 厩を出たレックスと青年は、門を目指す。いたるところにいる警備の男たちが驚きの声を上げたが、突然のことで体が動かず、一瞬止めるのに遅れをとった。 馬上の青年アリオルトは、男たちに視線を向けるが馬を止めようとはしなかった。 「どこへ行かれるのです、アリオルト様」 突然、目の前で女の声がする。 驚きに見開いた瞳は、太陽の光で金色に輝いた。一瞬の輝きはすぐに消え、薄茶色の瞳は微かに眇められた。 アリオルトは無意識に手綱を引くと、レックスは上体を大きく持ち上げてから静かに止まる。 「ミラ……」 ミラと呼ばれる少女は、城門の前に立ちはだかっていた。馬の上から下を見下ろすアリオルトの瞳をまっすぐと見つめ返す。 穏やかで優しさを持った可愛い少女だが、瞳には強い意志を持ち一歩もここを動かないと口で言わずとも伝わってきた。緩やかなとび色の髪が風になびく。 「アリオルト様、こんな時にどこへ行かれるのです」 「放っておいてくれ、ミラ」 「貴方は王なのですよ」 「……誰も認めてないがな」 「それでも貴方が王です。こんな時に城を空けるのですか」 「こんな時だからひとりになりたい……」 アリオルトは追い詰められたような瞳をしていた。 太陽の強い場所に住んでいるわりに白い肌は病床の人間のように青ざめていた。 王というにはあまりにも覇気のない男は、王と名乗らなければ誰も王だとは思わないだろう。 当然かもしれない、王になったのは数時間前。 夜明けがくるまでは王子と言う地位にいた。突然父が病に倒れ、回復せずに命の火が燃え尽きさえしなければ、彼はまだ父を支える従者でいられたのだ。 英雄とまでは言えないが、信頼される王だった父が突然姿を消し、ただひとりの子供であるアリオルトが王になることは必然だった。気持ちは付いていかなくても、地位だけがのりかかってくる。 変わっていく周りの環境にアリオルト自身がついていけないことを一番知っているのはミラだった。 幼い時から一緒に育ち、幼馴染と言う地位から婚約者と言う地位に変わった。アリオルトが心の中を見せる相手は昔から彼女しかいない。 彼をよく知っているからこそ、独りになりたい気持ちを理解していた。でも、それを許すわけには行かない状況だと言うことも、理知的なミラにはわかっていた。 「敵はすぐにやってきます。王がいなければ民はどうなるのです。逃げていても何も変わりません。どうか、ここに留まって下さい」 「わかっている。逃げるわけではない。すぐに戻ってくる。今のままでは前に進めない。気持ちの整理をしたい」 「どこに行かれるのです」 「……どこにも……ただ、アルキーネを走ってくる。日が落ちるまでには戻ってくる。お願いだ、行かせてくれ」 「戻ってくる時には王になっておられますか?」 「……そうあればと」 ミラは小さく息を吐くと、数歩後ろに下がった。 「すまない」 アリオルトの声に、ミラは首を振るだけで答えた。 「早く……ヘリオスが騒ぎを聞きつけるでしょうから」 ミラの予感は的中し、ヘリオスが走ってくるのが目に入った。 彼は執権の地位にあり、王の次に偉い男だ。アリオルトの遠縁にあたる。 誰よりも信頼できるが、誰よりも頭が固く、アリオルトの迷いなど気づいてくれない男だ。馬から引きずり下ろしてでも城に閉じ込めておこうとするだろう。 アリオルトは、迷う暇なく馬を走らせた。 「アリオルト様!」 ヘリオスの声など無視した。 ミラに小さく謝罪する。 ヘリオスの小言を受けるのは彼女に他ならない。そんな面倒を買って出てでも、ミラはアリオルトに自由を与えた。たとえ、それが一瞬の出来事でも、彼に必要な時間だと思ったからだ。 ―― 迷いを吹っ切って戻ってきてください。貴方の変わりはいないのですから……。 もう届かない言葉は口にはしない。離れていくアリオルトの姿を目で追いながら祈った。 「ミラ!なぜ行かせた。どうして留めておかなかったのだ」 まくし立てるように騒いでいるヘリオスに、ミラは冷静に答えた。 「行かせてあげて下さい」 「今の状況がわかっているだろう」 「もちろんです」 「婚約者だからと言って、アリオルト様を甘やかしてどうする」 「違います。これは試練です。アリオルト様にとってこの状況は過酷過ぎます」 「……それは」 「このままでは、アルキーネに未来はありません」 「ミラ!」 「アリオルト様は国を救いたいのです。だから行かれた」 「どういうことだ?」 「多分……あの場所に行かれたのではないかと」 「……!?」 「あの場所がどこにあるのか私たちにはわかりません。たどり着けないかもしれません。たどり着いたからと言ってどうなるわけでもないでしょう。でも、きっと運命を変えられなくても、行かなくてはいけないと思ったのだと思います」 「こんな時に……」 「こんな時だからでしょう」 二人とも押し黙ったまま、もうアリオルトの気配すらない門から覗ける世界を見つめた。 彼がどんなに苦しい状況に立たされていても、王である事実は変えられない。 数々の厳しい教えを解くことはできても、王でなくては国を支えられない。アリオルトを見送る二人に出来ることは、彼を信じて待つことだけだった。 「きっと、王として戻って来られます。私は、あの方は信じています」 ミラは思う。 どんなに若き王と不安がられても、アリオルトはきっと立派な王になると。 愛しているからだと人は嘲笑うだろう。 でも、ミラはアリオルトのような人間に王になってもらいたいと思っていた。古から続く王家の血筋、異質なほど優しい彼こそ王にふさわしい。こんな悲しい時代だからこそ、彼の優しさが必要なのだ。優しさでこの国を守ってもらいたかった。 ―― 自分に負けないで……。 ミラはヘリオスが城に引き返したあとも、その場を動かなかった。アリオルトが向かうだろう方角をじっと見つめて祈り続けた。 今から数十年前のアルキーネ、アルファルドが王に立っていた時代は、五つの国をまとめあげるほどの力を持っていた。 アルファルドは、戦いによって多くの人の命が奪われることを避けるために、戦いのない時代を作った。 どの国も男たちが激減し、このままでは国が滅びると言われるほど苦しい状況にあったため、アルファルドの王政に便乗した。 しばらく国同士の大きな争いはなく、平和な時代やってくる。 国は栄え、新たな命が生まれ、穏やかな日々が続いていた。やっと望むべき世界が訪れたのではないかと思うほど平穏な日々だった。 しかし、その平和は細い糸の上に出来た世界でしかなかった。 壊れるのは一瞬。 アルファルドが偉大だったため、消え去るのは簡単だった。 アルファルドがこの世を去ったのだ。享年七十八歳。五十歳まで生きたら長生きと言われる時代には、長い年月地上で生きた王だった。彼が神の化身と言われた意味合いすら感じる。眠るように息を引き取り、穏やかな最期だったという。 たった一人の人間が死ぬ。 それだけのことが五つの国の運命を再び変えてしまった。 国を望むべき姿に変えた王の死。 アルファルドはこの世に思い残すことがないから去ったのだ、と人々は噂した。 しかし、彼はひとつだけ心残りがあった。 ただの思い過ごしならいいと思っていたが、見事に裏切られてしまった。 彼は偉大な王だった。 しかし、立派な父にはなれなかった。 彼の唯一の息子であるアルレイは、王としても、人間としても、たくさんのものに欠落して生まれ育ってしまった。 娘たちは美しく立派に育ったのだから、彼だけが特別だったのだろう。 アルファルドが悪かったわけではない。アルレイが異常なまでに捻じ曲がった性格と考えを持ってしまったのだ。 長い歴史を見ても、彼ほど王になってはいけない人間はいなかっただろう。 人は『神の化身』だったアルファルドにかけ、『悪魔の化身』と称した。アルレイはまさに、悪魔そのものだった。 アルキーネは緑の美しい森の中にある国だった。 いくつもの湖を持ち、宝石が取れる谷があり、財源にもなっていた。少量だが金や鉄の鉱物も取れる。農作物も豊富で豊かな暮らしが約束されていた。 アルキーネの人間は戦う強さもかなりのものだったが、どちらかと言うとのんびりとした性格の人間が多かった。人を信じる優しい心も持っている。 そして、精霊を信じた人種だった。 五つの国でアルキーネだけが精霊の存在を信じ、そして共に生きていたのだ。 アルキーネの一角、人の世界とは思えない聖なる森がある。 空を映す神秘なる湖、見たこともない花が咲き、古くも立派な宮殿があった。 隠れ住むように姿を見せない美しい人たちがそこ住んでいる。 人間とは明らかに違う特性を持つ彼らを精霊と呼んではいたが、実際はどういった人種なのかはわからない。 ただ、彼らは聖樹とよばれる湖に聳え立つ木を守るためにそこにいた。 古くからの言い伝えでは、ベガール大陸を守る聖なる木で、その木を失って人はこの地で生きることが出来ないと言われている。 アルキーネではその言い伝えが信じられており、その聖樹は犯してはならない聖なる場所。その地を、その木を守る精霊たちは守るべき存在だった。 ―― 聖地を血で汚してはならない。もし、破ったら恐ろしいことが起きる。 その言葉を聞いたことのない者はアルキーネの人間ではないというほど、教え込まれたものだった。 誰もが信じて疑わない掟は、破られることはなかった。 特に、アルファルドの時代は徹底され、言い伝えと言うよりも決まりだった。 アルファルドはアルレイに王位を譲る瞬間、「聖地は汚してはならない、永遠に守ることを王家の決まりとする。王家が滅びるその代まで永遠なる決まりごとだ」と誓わせたのだ。 それは、アルファルド以前にはない風習だった。 現実感のない言い伝えが王家の規約となる。 それは、破られてはならないほど大切なものだった。 アルレイも守る約束をした。しかし、アルレイはアルファルドの言いつけを自分にとって、最も効果的なやり方で簡単に破ってしまった。 アルファルドは知っていたのだろう、掟を破ったらどうなるかを。だから硬く約束させたのだ。 アルレイはまったく考えなかったのだろう、その掟の重要さを。アルファルド以外だれも、そこまで重要な掟だと思わなかった。 アルキーネが平和だったのは、アルファルドと精霊王の契約が守られていたからだった。その契約が破られた時、アルキーネは破滅へと歩き始めたのだ。 美しかった緑の大地は、砂地へと変わった。 かろうじて緑があるのは王城の中だけ。食べ物は減り、財源も底を付いた。湖も干上がり、雨が降らなくては飲み水の確保にも困る。 生きていくのがやっとだった。 頼りにならない、横暴な王は戦うことによって足りなくなったものを得ようとする。戦力も少ない無謀な戦いを強いられいくつもの命が失われた。 攻め込まれ街は滅びていく 。地獄とはこういう世界を言うのではないかと目の当たりにした人々は思った。 アルファルドの子に悪魔が成り代わっている。信じられない急激な衰えに状況を飲み込めない人々は戸惑い、何も出来ないうちに滅びの道を進み始めた。 アルレイが戦いのうち、一本の矢に打ち抜かれ死んだと聞いた時、喜びに沸いた。 この時代は終わるに違いないと信じて疑わなかった。 罪を背負ったのはアルレイ。彼がいなくなれば元に戻るに違いない。 民の願いはむなしく、アルレイが背負った罪は簡単に消えるものではなかった。 アルレイの子、アルビレオは人々の信頼を裏切らず悪魔の化身の子とは思えぬ良い王だった。 失われた街を捨て、王城の中に街を築いた。砂に消えた国。残されたのは王城しかない。民すらそこに納まるほどしかいなかった。限りある民をアルビレオは守ることを誓い、迎え来る戦いに守備を備えた。 打ち勝つ力はなくても、耐え忍んだ。 悪魔のあとではアルビレオはどんなに英雄に映っただろう。 しかし、アルビレオが急な病に倒れ、そのまま帰らぬ人となった。 王位をついで一年もたっていなかった。 王家が滅びるまでと言った言葉の意味を感じるほど、アルレイの血が残る限りこの悪夢が続くのだと語っているようだった。 残されたのは彼のただ一人の子供である、アリオルト。十七歳になったばかりの若者だ。 新王に祭り上げられたが、民はもう何も期待していなかった。 苦しむくらいなら、楽に死にたい。自ら命を絶つものまで増え、国は戦わずとも滅び間近だった。 若き王の上に重たい運命がのしかかる。 このままではひとつの国が失われる。何も出来ないまま滅びる。 契約を破られた精霊は、アルキーネの破滅を願ったのだろう。憎しみと怒りを感じた。 ―― 自分は王なのに……何も出来ない。 生きる気力を失った民の顔をまともに見ることは出来ない。 戦うことなど求めない、生きることも求めない、死を待つ人ばかり。 いきり立つのは執権のヘリオスだけだ。 アリオルトは、暗い闇の中を彷徨っていた。何の光もない、まさに無の世界で、あがくことすら出来ず埋まっていく。 ―― このままではいけないと思っていても、抜け道が見つからない。 彼は、小さな光でも見つけたいと願い、王城を飛び出した。何かをつかみたい。命を救いたい。これ以上人が死ぬのを見るのは嫌だ。 罪を償うことはできないのだろうか。出来なくても、何かをしなくては。このまま終わるわけには行かない。 ―― 自分は王なのだ。王として砂一粒の可能性があるうちは、諦めることは出来ない。 アリオルトは馬を走らせた。 見渡す限り砂しかない廃墟の国をただ走り続ける。行き着く場所もわからぬまま、行きたいひとつの場所を心に願った。 目にするすべての景色が砂丘。アリオルトにとっては当たり前の風景。彼の記憶するアルキーネはこんな国だった。 美しかった緑の国など知らない。 聖なる地は、救いを求めた人たちの幻想に過ぎないのではないかとさえ思えてくる。 伝え聞く聖樹のある場所を目指して馬を走らせているのに、何も見えて来ないことが不安を煽る。 「やはり見つからないか」 幻の地というのは嘘ではないようだ。 アルレイが精霊を裏切ってから、聖樹は人々の前から姿を消したらしい。精霊たちの力か、誰もその地へたどり着いたものがいない。 探したものがいるかはわからないが、簡単にたどり着けるようにはなっていないようだ。それでなくとも、国全体いつも砂嵐がおき、視界がはっきりしない。太陽すらぼんやりと黄色くかすんで見える。 希望のない破滅の国に似合う埃っぽい土地だ。 「今から城に戻っても日が暮れるな……諦めたくはないが」 どうしたものかと、日が落ちるまでに帰ると言ったミラとの約束を思い出していた。 ここで諦めてはただ馬を走らせただけだ。 気持ちの整理は付かず、王として城に戻れもしない。 しかし、闇雲に国中走り回っても、人間を拒んだ地にたどり着ける確信はない。 アリオルトは迷っていた。 聖なる地に行ったところで、何をどうするかなんて考えていない。ただ、その地に行かなくてはいけないと誰かが囁く。簡単に引き返すわけにはいかない。 突然、風が強く吹き始めた。砂を巻き上げるように揺れ動く。 レックスが悲鳴に似た声を上げ、危うく馬上から振り落とされそうになった。 アリオルトはしっかりと手綱をつかみなおしてから、レックスを落ち着かせるように首筋をなでた。 異様なまでに気味の悪い風だった。 生暖かい空気が体をなでていく。視界は悪く、ぼやけていただけだった世界が何も見えないほど飲み込まれていく。身動きが取れない。体を取り囲むマントも、頭に巻いた布も風に激しくなびいた。 埃っぽい空気の進入を阻むための重要なアイテムだが、だんだん強くなる風に無意味なものになっていく。あわてて手で布を押さえた。 「アルキーネの王、砂漠で迷って死ぬなんて言われては洒落にならない……」 移動しなくてはと思ったが、すぐさまどこへと疑問が頭に浮かぶ。むやみに歩いては遭難する。かと言ってここに立ち尽くしていたら砂柱になるだろう。 風のないところはあるだろうか。 アリオルトは馬から下り、手綱を短く握った。 レックスをなだめるように進む方へと引っ張る。向かってくる風に背を向け、前へ進んだ。とりあえず風の抵抗がないほうに進んだほうがいいと思った。風に押し出されるように歩く。ほとんど開けられない目は役に立たず、ただ感覚だけで前に進んだ。 かすかに笑いを漏らす。 「今の私たちの状況と同じだな、レックス。闇の中を彷徨アルキーネの姿と、砂嵐の中を迷う私たち……我々はとことん神に見放されているようだ」 ―― 情けない王で申し訳ない……。 笑みが消えると、悲しみが姿を現す。 瞳に浮かぶ涙に、砂が目に入ったと言い訳を呟きたかった。 誰も見ていないのに何度も謝罪の言葉を思い浮かべた。 こんな自分が王であることがすでに神に見捨てられているのだろう。悲しさより、悔しさにまた涙が生まれた。 逆らうことの出来ない、アリオルトとレックスは風に押され、何者かの力に導かれていった。 +----------------------------------------------------------------+
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