第4話  運命
 

   <月の図書館>   


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 病院を退院したのは目覚めてから一ヶ月以上たってからだった。思ったより事故の怪我がひどく、しばらくは動けなかった。両親は命が助かったのだからこんな怪我くらいと言っていたけれど、思ったように体が動かせないのはかなり辛いことだった。後遺症は残らないと聞いた。体に傷は残ったが、あまり気にならない。折れてしまった足の骨の完治には時間がかかるようで、未だに松葉杖は離せなかった。

 あの時のことは、鮮明に覚えている。

夢の番人と名乗った月人は、まぎれもなく夢の中で出会った少年だったのだろう。でも、私には現実の出来事だった。あの出会いがなければきっと、今ここにいなかった。死んでいたかもしれない、眠り続けたままだったもしれない、月人と出会ったのは奇跡だった。

 夢の番人の存在を誰かに話したら信じるだろうか?

 きっと信じはしないだろう。夢でも見たのだろうと笑われて終わるに決まっている。笑われようとあれは夢の中の出来事で、その人達を否定はできない。
 でも、私には現実だった、それが、真実。私の心の中だけに彼は生き、時々笑いかけてくれるのだから。残念ながら、あの後夢の中で月人に会ったことはない。

 季節は春になっていた。
事故での入院で受かっていた大学の入学式には行けず、昨日まで休学中ということになっている。

「あら、もう行くの?」
「うん、ちょっと早いけどね。ゆっくり行きたいし」

 松葉杖ではあまり早く歩けなかった。父が大学まで車で送ってくれると言ったが、断った。久しぶりに外を歩きたかったからだ。
 私は少し緊張していた。一ヶ月近く休んでしまったので、他の人に追いつくのも大変だろうし、何より友達ができるか心配だった。高校からの友達も何人か同じ大学に行っていたが、科が違うので結局は一人だと分かっていた。
 大学は家から近い場所にある。この辺りでは唯一の音楽科のある大学だ。私はピアノの先生になるのが、小さい頃からの夢だった。その夢をかなえるために、エスカレーター式で上がれる大学へは行かず、学外受験をした。
 それがこの大学。広い敷地は一種の公園のようだった。暖かくなったせいかのんびりベンチで本を読む人もいた。一進に教室を目指す人もいた。運動部は朝練をしているのか、活気ある声が響いている。そのざわめきの中を通り抜けて、私は旧校舎にある第三音楽室を目指した。
 一講目は管弦楽の講義。教室の前まで行くと、中から美しい音色が響いてきた。暖かく、深く、そして繊細なメロディー。ヴァイオリンの音は私の緊張を和ませ、心が安らいだ。そっと、ドアを開け、中を覗き見た。
 教室の中にはこちらに背を向けたスーツ姿の男の人が立っていた。せっかく気分よく弾いているのを止めてはいけないと思い静かにドアを閉めようとしたが、思わず大きな音を立ててしまった。びくっ、体が一瞬にして冷たくなるのを感じだ。
 時はすでに遅く、美しく響いていたヴァイオリンの音はプッツンと途切れた。背を向けていた男の人はヴァイオリンを下すと、ゆっくりと振り返った。

「早いですね、まだ三十分も前ですよ」
「すみません」
「謝る事はないですよ。悪いことではないのですから」

 彼ははそう言って笑った。

「あまりに素敵な音色だったので……」
「……ありがとう」

 優しく、暖かく微笑んだ。

「あの、先生ですか?」
「ええ、君初めて?」
「はい……あ、さぼっていたわけではありません。休学してたので」

 先生は私の足に目をやった。

「ああ、確か入院している学生がいると聞いていました。あなたが?」
「倉沢美咲と言います。これからよろしくお願いします」
「遅れを取り戻すのは大変でしょうけど、がんばってください。まだ、そんなに進んでいませんから」
「はい」
「それと、倉沢さん。私はこれでも二十八歳ですから」
「はぁ……二十八歳ですか?」
「いいえ、若く見られるのを気にしているわけではないですけど……念のためです」

 ちょっと苦笑いを浮かべていた。失礼に思えたが、思わず声を立てて笑ってしまった。年より五歳は若く見える生徒のような顔立ちのの先生だった。背も高く、薄い茶色っぽい髪はサラサラしていて、色も白かった。瞳の色も薄茶色で、どうやら純粋の日本人ではない容貌をしている。後に先生はおばあ様がドイツ人だと知ることとなる。
丁寧な物腰で話す紳士といった雰囲気ではあったが、凛と芯の通った低めの声が印象的だった。そして、私に見せた笑顔が目に焼きついて離れなかった。
 私にも新しい出会いがやってきた。新しい友人、先輩、そして……先生。

 運命の相手は信じていれば出会えるだろうか?私の運命は今、動き出したばかりのようだ。
 月人が私の夢に現れたのは、その日の夜のことだった。
ツンと澄ましたあの顔で、私の好きなあの笑顔を浮かべ、月の見える海辺に立っていた。
 月人は誰の夢の番人なのか?信じているの。彼の主人が私の運命の相手だって。そして探してるの月人の主人を……。

 私の運命の人……。

 

―― 完 ――


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