第1話  出会い
 

   <月の図書館>   


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 ―― 三月  ――

 私は、数日後に高校の卒業式を控えていた。大学はすでに合格していたので、少し早い春休みを過ごしている。まだ寒い日が続いているその日、私は暗い夜の海岸をフラフラと歩いていた。雪が白く残っていて、時々足元でさくさくと音を鳴らしている。辺りにはまったく人影がなく静まり返っていて、 まるでこの世にたった一人取り残されてしまったのではないかと思うほど、孤独に包まれていた。寄せては帰る寂しい波の音だけが、私の耳に響いてきた。
 暗い海は、孤独で、寂しく、怖い。今にも波に連れ去られ、のみ込まれてしまうのではないかという不安に私の心は脅えていた。月だけが、そんな不安をやわらげてくれる唯一の光。 美しい円を描いた大きな月が、孤独な海へと優しさを投げかけていた。そして……孤独な私にも……。
 辛いことがあると必ずこの海を見に来る。親や友達と喧嘩した時、ピアノが上手く弾けない時、先生に叱られた時。ほんの些細なことでも、現実から逃げるようにこの海を見に来た。海は辛い気持ちを飲み込んでくれるから……。ただ見てるだけで良かった。ただ歩いてるだけで良かった。波の音は私を励まし、海からの風は私を元気付けてくれた。

 今日も辛いことがあった。
私が十八年間生きてきた中で最も辛い出来事だった。そして、また現実から抜け出すようにここへ来た。現実と向き合うのが怖くて、逃げ出したのだ。いつもそう。臆病な私は逃げることしか頭になかった。ここに来れば現実にあった出来事を、夢の中での出来事に変えてしまうことができるから。それでいいと思った。辛いことと向き合って傷つくよりも、なかったことにして忘れてしまう。そのほうが何倍も楽だった。

 逃げてしまうのは簡単だった。

 冷たい風が私の長い髪をすり抜けていった。凍りつくほど冷たい風なのに不思議と寒いとは思わなかった。マイナスの世界に立っているのに、暖かくさえ思えた。感覚が麻痺しているのかもしれない。

 それともこれは夢なのか?

 一瞬そう思ったのには理由があった。冬の終わりとはいえ、こんな寒い日の海に自分以外の人間がいることが信じられなかったからだ。誰もいなかったはずの私の視界に人影が飛び込んできた。月の光を一身に浴びた少年。
 この寒さの中に、白いタンクトップと膝までのジーパンしか身にまとっていない。青白い月の光の中で見る少年は、色白で肌は透き通ってさえ見えた。髪は金髪、歳は十五、六歳くらい。私に背を向けるように立っていたので顔までは見えなかった。
 しばらく、驚きを隠せず彼を見ていた。この寒い日にそんなかっこでいることに驚いたという理由ではない。突然現れた彼自身に驚いたのだ。人間ではないものを見たそんな感じだった。幽霊と言うよりは、天使……そう、その例えが一番ピッタリとはまる。

 その少年から目が離せず、息を呑みこんだ。あまりにも非現実的な彼、幻を見ているのかとさえ思った。

 私の視線に気づいたのか、彼は振り返り、二人の視線がぶつかった。一瞬、時が止ったように思えた。

 彼は月のような金色の瞳をしていた。その瞳に吸い込まれてしまいそうで、頭がふらっとなった。石膏で作ったかのような美しい顔、人間というよりは作り物の人形。こんなに綺麗な男の子を見たのは初めてだった。つんと澄ましたような気の強そうな顔をしていたが、目が優しかった。私をじっと見つめる大きな目はどこか懐かしく、どこかで会ったことのあるようなそんな気にさえなった。二人は時が止ったように見詰め合っていた。その、沈黙を破ったのは彼の方だった。

「僕は月人、月の住人なんだ」

 容姿とは裏腹な少し低い声で、彼はそう言って満月の月を指差した。そして、やわらかく微笑んだ。


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