第9話 亨

   <小説>   


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 佐和子は数日後、成功確立20%に満たない手術を受ける為大きな病院へと移た。

「必ず戻ってくるから」

 彼女はこういい残し、優しい微笑を残して去って行った。

 亨はあの学校を飛び出したの日の夜から闇の夢を見る事はなかった。しかし、自分に中に大きな不安と恐怖があった。


 ―― 佐和子は助かるのか?

 それでも必ず戻ってくると信じていた。美咲が言った、「誰にでも必ず運命の相手がいるんですって」という言葉を亨は何よりも信じていた。そして、佐和子がその相手に違いないと信じていた。ただ、信じることしか出来なかったから。彼女は必ず戻ってくる、それが奇跡に近い願いだったとしても捨て去ることは出来なかった。捨ててしまっては、もう二度と佐和子に会えないような気がしたからだ。この思いがある以上叶わないはずがない、強く願った。


 ―― 1年後 ――

 暑苦しい熱風が体にまとわりつく。おもぐるしい空気。ぎらぎらと照りつける太陽の熱。コンクリート方ゆらゆらと熱気が立ち上っていた。学校の中もその熱さは変わることがない。カーテンを揺らす風は熱さだけを運んでくる。
 体がだるくなるほど熱い日だった。夏休み中の校内は人が少なかったが、夏期講習などで少数の学生は登校し、勉強をしていた。太陽の下では元気な声が響き、運動部が部活に励んでいる。何ら変わりの無いいつもの学校。
 チャイムと共に学生達は教室を飛び出した。チャイムは講習の終わりを告げている。暑さに耐えられず学生たちは早々に教室を立ち去っていく。ざわざわと楽しげな会話が響くその声にはハリが無かった。当然何で夏休みまで勉強なんだといった雰囲気が立ち込めている。進学校に通う学生といえども遊びたい盛りなのだ当然だった。その勉強からやっと開放されたと言った喜びの表情を浮かべているのだが、暑さがそれを消し去ってしまっているようだった。

「亨!!講習終わったのか?」

 廊下から一人の少年が叫ぶ。ざわついて帰宅する学生から少し離れた所に一人たたずむ少年は窓から外を眺めていた。呼ぶ声に振り返る。

「直人」
「よう」
「部活?」
「そう!」
「熱いのにご苦労様」
「本当だぜ」

 直人はミネラルウオーターを飲みながら本当に嫌気のさした顔をした。もううんざりと言った表情から、外での部活はかなり体力を消耗するらしい。

「まあ、期待されているからな」
「あはははは」
「おい、失礼だぞ」

 吹き出すように笑った亨に言い張った。

「ごめん、ごめん。陸上部のエースだったよね。まだ終わんないの?」
「そうなんだ、やんなちゃうぜ。今は、休憩中だから亨に会いにきてやったんだ」
「サボってんじゃないんだ?」

 おい!!と言う顔をして亨を見た。相変わらず楽しそうに笑っていた。

「相変わらず真面目だな。お前くらいできるやつがわざわざ講習会になんか出なくっても」
「うーん。家にいても退屈だし」
「おいおい、遊びにいけよ」
「まあね、弟も最近遊びまわっているからね……でも、特に行くところがあるわけじゃないし、委員会の仕事とかもあるし。午前中だけだから、有意義だと思って。それに……」

 少し窓の方へ目を向けて、表情を少し変えた。優しい笑顔を浮かべて目を細めた。

「もう帰るの?」
「うーん、まあね」
「じゃあ、俺もそろそろ戻るかな」
「探してるんじゃないの?」
「本当に休憩中だって!!せっかく亨に会いに来たのに」
「分かってるよ」

 亨は冗談めいて言い、面白そうに笑った。直人が、本当に部活の休憩中なのも、本当は部活を口で言うよりも生き甲斐にしているのも知っていた。ちょっとからかってみたいという悪戯心からの言葉だった。何か嬉しそうにいつもより浮かれているように思える。それが余りにも微妙すぎて直人にはわからない。
 二人は連れ立って廊下を歩いていた。もうほとんどのものが教室にも廊下にもいなかった。階段に差し掛かった時だった。一人の少女が、小走りに駆け寄ってきた。静まり返って廊下にその足音が響く。亨は、気にも止めずに歩いていたが、直人は人の気配に振り返った。

「あの!松宮先輩」

 その少女は軽く息を切らし、赤い顔をしていた。まだあどけなさを残しているが可愛い少女。肩より少し短い髪がくるっとはねている。健康そうな少し焼けた肌。キリッとした目。はっきりとした顔立ちだった。直人は亨を肘で突っついた。何?と思い振り返った時初めてその少女の視線に気が付いた。

「松宮先輩。好きです、付き合ってください」

 はっきりと、大段にもその場で告白してきた。亨は驚いて階段を踏み外しそうになって、思わず手すりにつかまった。直人はこれは面白いと言った風にまじまじと二人を交互に見た。そして嬉しそうに口元を上げた。いくつか階段を下りていた亨はしばらくその少女を見上げていた。
 そしてふわっと微笑んで。少女の側まで階段を上っていった。瞳をじっと覗き込んではっきりとこういったのだ。

「ごめんね、悪いけど付き合っている人いるんだ。だから君とは付き合えない」
「え!?」

 少女も驚いたが、飲んでいたミネラルウオーターを噴出すほど驚いたのは直人のほうだった。思わず口を抑えた。そして軽く咳き込んでいる。

「先輩彼女いないって聞きましたけど」

少女は疑った瞳を向けた。まったく引き下がらず少し辛そうな顔をした。

「ごめん」

 あくまでも優しい声だったが、その瞳にはまったく感情を出していなかった。そして、どちらかと言うと冷ややかな光を放っている。

「……分かりました。失礼します」

 軽く頭を下げて立ち去っていった。涙を浮かべると言うよりは、何処かくやしそうといったほうが少女の性格を表現しやすいだろう。かなりの美少女で、きっともてていたのだろう。まさか断わられるとは思っていなかった。そんな感じが伝わってきた。
 亨は、何の変化もなくその少女の後姿を見送ると、再び歩き出した。

「お…おい亨!!断るのにしても嘘つくなんてお前らしくないぞ。あの子疑ってたぞ」
「嘘?」

 しれっとして聞き返す亨にどうしたことかと戸惑いが隠せなかった。

「嘘なんてついてないよ」
「お前、彼女なんていたのか?冗談だろ?」
「付き合っているって言うか……」
「どういうことだよ!!」

 直人は訳がわからないと言った風にあたふたしていた。まさか俺にまで彼女の事を隠していたのか?そんなに俺は信用できないか?亨に少し裏切られたような印象を受けた。それに少し傷ついて叫んでいた。
 しかし、それにもまったく動じずに優しく微笑んだ。

「1年会ってないからな」
「はあ?」
「でも、やっと戻って来るんだ。まあ、1年生からやり直しなんだけどね」

 下駄箱から靴を出しながら言った。

「おい!!それって!?」
「夏休み明けから来るんだ」

 直人は片足の靴を引っ掛けたまま亨を追いかけて玄関から飛び出した。亨は外へ出ると真っ直ぐ門の方を見た。そこには一人の少女が立っている。ほっそりとした体に長い二つのおさげがたれていた。じりじりとした太陽の下は似つかわしくない白い肌。制服が風に揺らぐ。

「中に入っていれば良いのに。倒れるよ。今日は暑いんだから」
「ううん、もう来る気がしてたから」
「藤沢さん!?」

 直人は叫んだ。思わず指をさして。佐和子はにっこりと微笑んだ。

「こんにちわ。久しぶり」
「久しぶり……ってお前らいつからこんな事になってるんだよ」

 亨と佐和子は顔を見合わせて微笑みあった。

「いつからって?」

 亨は微かに噴出した。

「僕が教室を飛び出したあの日から」
「あの日……」

 直人は唖然として押し黙ってしまった。確かにあの後担任に呼び出されたり、家に連絡されるはで亨は苦労した。今までが真面目だっただけに、先生達も驚きを隠せなかったし、信じがたいといったふうを拭えなかった。どういうことかと理由を聞いても亨は誰にも何も言わなかった。口が裂けても佐和子を助けにとは言えなかったからだ。無言で押し黙った。それでは先生も方どうしたものか、と戸惑った。何か処罰をという意見も出されたが、一度教室を飛び出したくらいではそれも酷ということでそれは見合わされた。普段の優等生振りが評価されての事もあったのだろう。結果、反省文を提出するだけとなった。
 親友である直人でさえ何があったのか教えてもらえなかった。力になりたかったのに、どんなに尋ねてもそれだけは亨は言わなかった。力なく謝るだけで、その姿が余りにも辛そうでそれ以上は聞けなかったのだ。
 あの時亨は佐和子の元へ行ったのだとは察しがついたが、どんな事が起こったのかは思いもよらなかった。

 ―― あの日何があったのか?二人が?

 困惑を隠せなかったが、目の前にいる二人を見て、お似合いの二人と言わない者がいるだろうか?視線が合うと微かに微笑みあう。日差しの強いほうに、佐和子をかばうように亨は立っていた。二人の間に漂う雰囲気は暖かかった。お互いにいたわり合い想い合う、それが流れている空気から伝わってくる。

「1年ぶりって本当?」

 久々に会ったとは思えないような雰囲気ではないと直人は思いそう尋ねた。

「そう、昨日着いたらしいんだ、こっちに。それで、電話もらったから講習のあと会おうかってことに」
「今までは?」
「手紙」
「文通?今時??」
「まあ、そうだな。たまに電話もしたけど」

 亨は佐和子を見下ろした。ぶつかった視線からは確認をとるように尋ねているようだった。直人は呆れたように首を横に振った。

「これからデートってわけだ」
「勉強教えてもらうの。休み明けからついていけるか心配だから」

 直人は理解しがたいと顔をゆがめた。

「お前ら久々にあって何が勉強だ。健全すぎて、不健全だ」

 亨は思いっきり噴出すように笑った。佐和子は微かに微笑んで俯いた。何を言っても無駄だということを直人は理解した。

「もういいよ。分かった。亨らしい。せいぜい勉強を楽しんでくれ」

 二人は軽く手を振って笑顔のまま歩いて行った。歩いて行く姿をみても、ものさし一本分くらいの距離がある。
 手ぐらい繋げよと直人は呟いたが、かえってその距離が心地よく見えた。どんなに長く付き合っているカップルより心がひとつになっている。落ち着いた雰囲気が直人にも見えた。

「本当にお似合いだぜ。しかも今まで隠しやがって!!」

 悔しそうに言うわりには嬉しそうに笑った。


 そっと触れ合う手と手。亨は佐和子の手をとった。少し俯きながら佐和子は微笑み、半歩後ろからついていく。照れた風に佐和子を見下ろす亨の頬は微かに赤く染まっていた。優しく微笑む亨。それに答える佐和子。
 二人にとってのあの日の出来事は想い出。二人だけの秘密の想い出。これから二人で幸せを掴む為に今歩き出したのだ。その想い出を胸に。
 つなぎあった手と手から伝わり合う愛情。夏の熱さとは違った温もり、すべてはこれから始まる。
 蛍火のような淡い恋心。蛍のように一瞬の光ではなく、人の心刻まれる蛍火のように永遠に続く恋、そして愛。運命とは自らが切り開くもの。亨は自分の手で道を作った。そして、軌跡を手に入れたのだ。佐和子が再びこの腕の中に戻ってくる日を信じ、強く願った。それは奇跡に近い。正に運命を手に入れたのだ。
 誰にでもいる運命の相手。そして誰もが出会う、その相手に。それが軌跡。それが、幸せ。

亨が再び蛍に会ったのは佐和子の手術成功の知らせを聞く前の日の夜だった。蛍はふわふわと現れ、にっこりと笑ていた。あの蛍火のように光の粒が溢れた光放つ草むらの中で。


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