第4話 クラスメイト

   <小説>   


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 亨の世界はありきたりで、狭いものだった。
 ごく普通の生活と言ったらそれまでだが、たいていの高校生は同じような生活をしているのではないかと思う。
 朝起きて、学校へ行き勉強をする。部活や委員会に参加して、帰宅。
 変化と言えば、他愛無い友人との会話の内容くらいだろうか。それも似たり寄ったりの話ばかり。それはそれで楽しい毎日だ。
 彼女でもいれば帰りにデートでもするのだろうが、彼女のいない亨には関係ない話だった。
 友達と遊ぶ事もあったが、委員会のない時は早く家に帰る。
 下の弟がまだ小学生で、ひとりで置いておくのはかわいそうと言う事もあったが、父子家庭なため家事をこなすために帰宅するというのが本当の理由だった。
 父親は仕事の忙しい人だったが、それ以上に家事能力が全くなく、何でもそつなくこなす亨が必然的に受け持つことになった。
 もうひとりの弟も中学生で、部活動に燃えているため亨より多忙なようだ。毎日遅くまで練習で帰ってこない。
 高校男子が、毎日スーパーに通い、夕食の支度から、洗濯、掃除までこなしているのだから自由な時間がなさそうだが、下の弟がクラブ活動のある日はのんびりと図書館に寄ったり、教室で本を読んだりとひとりの時間を過ごしていた。
 すべてのことに要領よくこなせる亨は、時間の使い方もうまかった。
 友人に誘われることもないわけではないが、みんな部活動をしているためそう遊んだり出来ない。
 月城高校は進学校としても有名だったが、特待生制度があって部活動にも力を入れている。
 要するに、頭がいいかスポーツができるか、もしは文科系で有能な人が多く集まっている。
 だからほとんどの者は放課後、部活をするか塾などに行くかどちらかだ。
 亨は、頭でここに入ったので熱心に部活動をすることもない。
 家の事情もあったし、運動は嫌いではなかったが、ここでは楽しくスポーツと言うような部活ではなかったし、もちろん文科系もそうだった。
 みんな将来を強く望んでいるようなもの達ばかりの集まりだったので、その中には入ろうとはあえて思わなかった。
 亨の人当たりのよさも、面倒見のよさも、すべて生活の上で培っている。
 別に真面目で優等生でいたいわけではなかったが、いつのまにかそんなレッテルが貼られてしまっていた。
 そう言われるのも嫌でもないが、嬉しく思ったこともなかった。
 ありきたりに生活しているだけで、そう言われる理由もいまいちわからない。
 あえて生き方を変えようとも思わなかったし、反発するような事も無かった。
 そんな生活やイメージに慣れてしまったためか、今ではその生活からはみ出すのは少し怖かった。
 「あの松宮君が?」と言うような目で見られるのはどこか決まりが悪かった。
 だから頼まれると笑顔で答えるし、争わずにすむような方法を考えた。 大人と言うわけではない、作り上げたその世界を守りたかったのだ。 自分と言うひとりの人格を守る為と、父子家庭というハンデを周りにいろいろ言われないために。

 闇の夢が続く、そんな毎日。
 流石に疲れがたまってきた。
 ただ夢を見ているだけならそれほど疲れたりはしなかったと思う。
 しかし、闇は体の中にも入り込み、濃さを増していく。冷たい臭気を放ち、体に不安と恐怖を植え付けていく。
 自分の体が、毎日重くなっていくように感じた。
 『助けて欲しい』という蛍の主人なんて想像もつかなかったし、どうやって救うかなんてそれ以上にわからなかった。
 あれは夢であって、実際には存在しないかもしれない。
 しかし、あの夢の記憶は夢とは思えない。
 混乱と困惑が入り混じり、動く事もできなかった。
 羽をつかまれて飛ぶことが出来ない生き物のように、亨はもがくだけで何もできないでいる。
 そんな亨を、蛍は責めた。
 彼女もまた、救いたいと思う気持ちで焦っていたのだろう。
 ひとつひとつの言葉が胸に突き刺さり、苦しかった。
 それでも、亨は蛍を非難するような事はなかった。
 彼女の必死さに、そうすることを許さなかった。むしろそれに答える事の出来ない自分を責めていた。
 夢を現実として受けいえるか、夢を夢として受け入れるか、それすら亨にはわからなくなっていた。

 その日、真っ直ぐ家に帰るはずだったのに、寄り道しなくてはならなくなった。
 まだ夏真っ盛りという気温の日々が続いていたが、比較的涼しく過ごしやすい日だった。
 空には雲が立ち込めていて、太陽を隠している。雨は降りそうには無かったが、重たい雲はゆっくりと風に流れていた。
 亨と直人が連れだって歩くのはよくあることだが、それに副委員長の深町香織が加わるのは珍しい。
 
「おい、深町。こういうのって女子で行くもんじゃないのか?」
「何言っているのよ、頼まれたの私じゃないわよ」
「それはそうだけど。な、亨」
「そうだね、確かに女の子の方が適任だとは思うけど……。頼まれたのは僕だしね。深町さんには感謝だよ。いくらクラスメイトと言えども、男2人でいきなり行ったら向こうが嫌がるかもしれないし」
「松宮君人が良すぎるのよ。まあ、そこがいいところであるんだろうけど。そんなんじゃ、疲れちゃうよ。もっとてきとーでいいのに」

 香織の言葉に微笑んだ。
 けれど、亨はこのたのまれ事を、人の良さだけで引き受けたわけではなかった。

 担任に呼ばれ、ざわついた職員室に亨は直人と共に訪れた。
 担任は学年主任もしているので、1学年の責任者もしている亨をたいてい最初に呼び出し、他のクラスの委員長への連絡をする。
 委員長や副委員長は、ほとんどが帰宅部のものがなる。
 部活をしているものは、放課後すぐさま部活に行かなければならないので必然的にそうなる。
 亨は、学年トップの成績と言う事もあり、先生方の信頼は厚かった。
 ちょうど担任を見つけた時、ひとりの女性が先生と話こんでいるのが目に入った。
 少し痩せた、四〇代くらいの女性。
 なにやら真剣な面持ち話しているようだった。
 その女性の瞳は微かに赤く涙に潤んでいる。
 健康そうというよりは、青白い顔が印象的だった。
 肩より少し下まで伸びた髪を後ろでひとつに縛っていて、それが数本肩に落ちていた。
 やつれた感じはしたが、とても綺麗な人だった。
 
 ―― 誰かの母親だろうか?

 少し近寄りがたく遠くに立っていると、話が終わったのか、その人は深々とお辞儀をすると去っていった。
 帰り際に亨の側を通った。

「こんにちは」

 目が合い、亨はとっさに頭を下げた。

「こんにちは」

 かすかに微笑み挨拶をしたが、その声が震えていた。
 その女性は頭を下げて職員室から出て行った。
 亨はなんだか上手く説明できないが、不思議な感じがした。
 視線が自然と、その後姿を追う。

「誰ですか?先生、今の」
「おお、来たか松宮。藤沢の母親だよ」
「え?藤沢さんの?」
「ああ……」
「藤沢?」
「ほらずっと休んでる」
「え?あ、ああ……あの」

 直人は思い出したかのように頷いたが、まったく顔が浮かんでは来なかったようだ。
 藤沢佐和子は、ほとんど学校へ来た事がない。
 入学式の時も姿を現さなかった。
 学校へ始めて来たのはもうクラスが落ち着いた5月の連休が明けたころだった。
 しかし、1ヵ月も経たない内にまた、登校しなくなった。
 結局、夏休みがあけて新学期になって半月が過ぎた今でも、彼女は姿を現さなかった。
 ほとんどのクラスメイトは、彼女の事など忘れていた。
 教室に机と椅子はあるため、居ると言う事は知っていても、どんな少女だったか明確に言えるものは自分しかいないと自信を持って言える。
 亨は、佐和子の事を良く覚えていた。

「藤沢さん、どうして学校へ来ないんですか?」
「ああ……ずっと入院しているんだ。学校も退学も考えるほどなんだが……今は休学中なんだ。口止めされていたから言わなかったんだが」
「入院ですか……だからあんな事を……」
「再来週に手術があるらしい。その報告に来てくださったんだ」
「手術!?」
「ああ、おおそうだ。お前達、クラスを代表して見舞ってやってくれないか?私は何度か行っているんだが、やはりクラスメイトが行った方が藤沢も嬉しいだろうし。学校も休みがちだったから友達も少ないらしいからな。ん、どうだ」

 亨が何か言おうとする前だった、今までじっと会話を聞いていた直人が口を挟んだ。

「先生、何で俺らが。女子の方がいいんじゃないですか?」

 直人は、めんどくさそうな声を出した。
 亨もそう思った。
 めんどくさかったからではない。女の子なのだから、女の子が見舞ったほうが嬉だろうと思ったからだ。
 知らない男2人を目の前にして、藤沢さんがどうしていいかわからないだろう。

「まあ、そうなんだが……何人か誘って行ってみてくれないか?」

「わかりました。早いほうがいいですよね、誘ってみます」
「おい、亨!?」

 直人は叫んだが、亨は爽やかに笑っただけだった。直人はため息を吐いた。

「ったく頼まれると断れないんだから」と呆れた声を出した。

 亨は、決してクラス委員の責任から引き受けたわけではない。
 頼まれたのが断れないからでもない。
 佐和子のお見舞いだから引き受けたのだ。
 亨は佐和子と一度だけ、ゆっくりと会話をしたことがあった。
 その日のことが記憶に鮮明に残っていた。
 とても、大人っぽく、しっかりとした考えをもった優しい少女だった。
 手術だと聞いて、心から心配した。今どうしているだろうかと、最後に見た彼女の姿を思い出す。

 教室の戻るとすぐにクラス全員にこのことを話し、行ける者を募った。
 しかし、部活のものがほとんどだったし、放課後は忙しいものが多い。
 良い反応はなく、戸惑いが広がる。
 あんまりたくさんで行っても逆に迷惑になるかもしれないと思い、クラス委員の亨と、たまたま部活が休みな直人と、副委員長の香織で行く事になった。
 クラス全員で何かお見舞いをと言う事で100円ずつ集めて、お見舞いを買うことにした。
 誰一人として文句をいうものがいないのは、亨の人徳だろう。
 行く事が出来ないからと手紙を書いて持っていって欲しいと言う者、頑張ってって伝えて欲しいと言う者、暖かい声が集まった。
 誰の中にもかすかな戸惑いがあった。
 あまり会うことも無かったクラスメイト、どう接していいか分からない。そして、手術を控えるほどの重病な人に対する態度も分からなかった。
 それは、行く事に決まった3人も同じ気持ちだった。
 亨だって内心どうしていいか分からなかった。
 だから、香織が一緒に行くということはありがたかった。
 流石に話は女の子の方が上手だからだ。人当たりのいい香織は、まさに適任と言える。

「松宮君らしいと言えばらしい」
「そう?」
「それに、藤沢さんも松宮君の事は覚えているだろうし。初めて学校へ来た時、彼女かなり教室の前ではいるのためらっていたのよ。私も正直誰だろって思って、話し掛けられなかったの。なのに松宮君、まるで普通に『藤沢さん?席分かる』よ。さすが委員長だと思ったわ。普通話しかけられないわよ。名前だってあやふやだし」
「そんなこと……」
「あの時の彼女の顔、忘れないわ」
「?」
「本当に嬉しそうだったもの」

 あたりまえの事をしただけだった。
 すごい事とも思わなかったし、そんな些細な事で彼女が喜ぶとも思えなった。
 しかし、香織の言葉は亨の心を喜ばせた。

 病院は学校からそれほど遠くは無い。
 病室は、個室だった。
 がらりとした病室の中には、ひとりの少女と職員室で見かけた女性がいた。
 亨はノックをするのを一瞬ためらい、手に抱えていた花を握り締めた。
 3人とも病室の前で立ち尽くしてしまった。
 薬の匂いが微かにする。
 廊下には看護士が行き交い、お見舞いの人がちらほらと姿を現していた。
 クーラーが効いているのか涼しかった。
 少女は背に枕を当て、起き上がっている。
 肩に薄手のカーデガンを羽織り、その上にふたつのおさげがのっている。
 とっても小さく見えた。
 ほっそりとした体に、白い肌、遠くから見ても青白かった。
 そして、少女はかなりの美少女だ。
 同じ教室にいても、独特な雰囲気が漂っていて近寄りがたかったのを思い出す。
 今にも折れてしまいそうな儚さに満ちていた。
 空中に浮いた点滴が彼女に繋がっていて、透明な液体を落としていた。
 少女はうつむき、本を読んでいる。
 気配を感じたのだろう、ふっと顔を上げた佐和子と亨の目が合った。
 佐和子は驚いた顔をして、持っていた本を落としてしまった。
 大きな目がぱちくりとして、ドアの向こうに立っているもの達を確かめる。

「こんにちは」

 佐和子は、小さくドアの方に話し掛けた。

「あら、いらっしゃい。お友達?佐和子」
「たぶん……同じクラスの人たち」
「そんなところにいないで、中へどうぞ」

 3人は呆然と立ちすくしてしまった。

「あ……はい」

 香織が、まず足を踏み入れた。
 まるで、神聖な地へと赴くかのように勇気を振り絞らなくてはいけなかった。
 足に、体に、緊張が走る。
 一番平然さを保っていた亨は、実は誰よりも緊張していた。
 病室に足を踏み入れた時、亨の体に衝撃的な何かが駆け抜けた。

 ―― うっ……。

 胸の奥が苦しくなった。胸元を思わず掴んだ。

 ―― この感覚……どこかで?

 そんな亨を佐和子は覗き込んだ。
 真っ直ぐな瞳と、違和感にゆがんだ亨の瞳が重なる。
 短い時間そらされることはなかった。
 先に微笑んだのは、亨だった。
 いつものように優しい笑顔。体に広がる痛みを振り払うように、話しかける。

「久しぶりだね、覚えてる?クラスで委員をしています、松宮亨と言います」

 苦しみもすぐに消え去った。
 佐和子は一瞬躊躇したように視線を外したが、また真っ直ぐ亨を見た。

「覚えています……来てくれて、ありがとうございます」

 綺麗な、大人っぽい声が響いた。
 まるで音楽のように心地良い音……。

 ―― あの声に似ている。

 その時初めて、亨は気づいた。


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