第3話 蛍
+----------------------------------------------------------------+
亨は、自分が眠りに落ちていくのだと感じていた。 まだ完全に眠りに落ちていないのか、意識がどこかで叫んでいる。 ―― 今日はいつもと違う……と。 そこは同じような闇の中だ。 しかし、胸をしめつける不安も、震えるほどの恐怖も感じなかった。 いつものように白い光が遠くで輝き、少女が突然現れることも無かった。 辺りを見回す自分の姿がそこにあった。 まるで映画でも見ているかのように、自分を外から見ているような感覚。 容易に歩くことが出来るのもいつもと違う。 じっととていられず、辺りを見回しながら歩いた。 暗闇を彷徨うように、何を求めるわけではなかったが、ただ前に進んだ。 しばらくは何も見えなてこないが、やはり恐怖は感じない。 歩くにつれて、次第に目前が明るくなるのを感じた。 目をこらしてよく見ると、そこには大きな扉が聳え立っている。 鉄でも石でもなく、木の扉でもなかった。しいて言うならば、光の扉。 まばゆいほどの光で扉は作られている。もちろん、ただそう見えるだけかもしれないが。 初めて見る美しい扉をあぜんと見上げ、立ち止まった。 真っ暗な闇に浮き立つ扉、それ以外に何もない。 何かに誘われるように、意志とは別に扉にそっと触れた。 体が勝手に動く。 開けてはいけないと一瞬思ったが、それを止める事は出来なかった。 ―― 音も無く扉は開かれた。 その時、中からは蛍火のような光の粒が無数に飛び出してきた。 ものすごくたくさんの光は、まぶしく、目を開く事も出来ない。 顔をそむけ、腕で顔を覆った。 音はしなかった。風も感じない。ただ、光を感じるだけ。 光は次第におさまり、また闇へと変わっていく。開けるようになった目で背後を振り替えると、そこにはあったはずの扉は煙のようにゆらゆらとゆれ、だんだん薄れ、跡形も無く姿を消した。 夢の中なのだと感じていても、戻る場所を失った状況に、落ち着いている自分が不思議なくらいだった。 入ったはずの扉の中は、光の草むらだった。 無数の光の粒が失われた後、地面が薄っすらとした光で埋められていた。 道は無い。 たったひとつの光の粒が、目の前をふわふわと浮いている。 前に勢いよく進んだかと思うと、ぴたっと止まり動かなかった。 まるで生きているかのように、そしてどこかへ導くかのように、光はそこにいた。 光の草むらを掻き分けて、亨は誘われるままに光を追って行った。 同じ景色がしばらく続いていたが、急にすべてが失われた。 この夢は、そんなことばかりだった。 突然現れたり、突然消えうせたり、そろそろ驚きが薄まっていく。 ただ、この瞬間だけは驚きというより一瞬の変化に体がぞっとした。 背中に氷を入れられたような、ひんやりとした寒さを感じたからだ。 ぞくぞくと悪寒が走る。 無意識に、体を抱きこんだ。 ―― 不安……? 狂おしいほどの、不安。耐えられないほどの、恐怖。 光を失うと共に、またいつもの闇の夢に自分が落ちていることに気が付いた。 結局は、ここにたどり着く。 すべてが暖かい幻だった、ここは地獄への入り口だろうか? ひとつだけ違うところを言うと、いつもは遠くから現れる光がすでに目の前に浮かんでいたことだろう。 亨を見下ろすように、すぐ傍に少女が浮かんでいた。 自然と、少女を見上げた。 亨を見下ろす瞳は、優しかった。 視線が合うと、にっこりと微笑えむ。 「こんばんは、ようこそ我が夢の世界へ」 「夢の世界……」 静に呟いたその言葉に、少女はまた微笑んだ。 子供なのに、少し大人っぽい綺麗な声。 耳の奥を微かに震わせた。 記憶を震わすような声だった。 まるで、どこかで聞いたことのあるような、懐かしい響き。 「ここは、どこ?」 「もちろん夢の中よ」 少女は、まったくためらうことなく言い切った。 亨は、その瞬間驚きに襲われる。。 つぶやいた言葉にさえ、答えが返ってくる。 普通に会話できる事が、大きな驚きだった。 「君は、誰?」 「私?私は、蛍。あなたは?」 「僕は……」 「松宮亨。月城高校1年4組。クラスの委員長さん」 「え!?」 「当たりでしょ。私は、あなたを知っている」 ―― どうして? 夢での出来事なのだから、現実にある得ない出来事を目の当たりにしても驚くことではないと、どこかで思った。 けれど、この世界が現実と切り離せない世界に思えてならない。 夢で片付けるには、あまりにも生々しい。 すでに、夢だと強く感じている自分とは裏腹に、ここが現実なのではないかと言う思いのほうが強くなっていた。 「君、何者?」 「蛍」 「そうじゃなくって!」 亨は、いつに無く語調が強くなった。 すぐさま息を飲んで、「落ち着け」と言い聞かせ逸る気持ちを押さえつけた。 子供相手に、声を荒げてはいけない。 まったく気を悪くした風もなく、蛍はまた微笑んだ。 「夢の番人よ」 「夢の番人?」 「そう、誰でも夢を見る。そして夢の世界への扉を持っているの。その扉を守るのが私たち、夢の番人」 ―― これは夢だ。 目を大きく見開いたまま、強く心に願った。そんな、非現実的なことは。夢であって欲しい ―― これは夢だ。夢に違いない。 口に出して言ってもいないのに、蛍には戸惑いが筒抜けのようだ。 「夢だけど、現実よ。私を信じて。お願い、亨……私を見つけて、そして助けて!!」 「君を見つける?」 「正確に言うと、私ではないの。私の主人を見つけて欲しいの」 「蛍は……僕の番人じゃないの?」 「違うわ。番人は主人に会う事を禁じられているから。これは掟、詳しく自分が誰なのか正体を話すことも出来ない。人間と深く関わる事も禁止されている。私はこうやって亨に会って、呼びかけることしか出来ない。でも、これしか方法が無いの。誰も気付かない、あなただけが頼りなの。お願い助けて!!」 蛍は、真剣な瞳で訴えかけてきた。 悲痛な叫びなのだと、伝わる緊迫感から感じ取った。 しかし……。 「そう言われても……」 いくら助けを求められても、何をどうしていいかわからなかった。 助けたいと思っていても、どうやれば助けられるのかわからなかった。 そんな状態で、わかったと簡単に引き受けることなどできない。 戸惑いと言うよりは困惑。信じたいと思う気持ちと、否定する気持ち。 自分に何が起きているかさえわからないのに、蛍にどう答えていいかわかるはずがない。 「これは不安?恐怖?」 「どっちもよ」 「助けるって、この不安と恐怖の原因から?」 「…………」 蛍は、俯いた。難しい顔をして口をつぐんだ。 「言えないんだね」 「話すわけには行かないわ、掟を破ると消滅しちゃうの」 「そう」 「言えるのは、主人を見つけて欲しいって言う事だけ」 「主人?」 「亨も会った事ある人よ」 「僕が知っている人?」 蛍は、頷いた。 「だから気付いて、その心の闇に……救ってあげて、その不安から。亨にしか出来ないの。お願い!あんまり時間がないの!」 亨の体に飛びついて、子供とは思えない力で腕をつかまれた。 視線が同じ高さになる。 真っ直ぐ見つめてくる瞳から、真剣な思いが伝わってきた。 「お願い!!」 任せてと、言ってしまいそうなほど強い想いだ。 しかし、簡単に約束できる問題ではない。 ―― これは夢だ……。 蛍が次第に薄れていく。 光があたりに広がって、悲しみに満ちた表情のまま姿を消してゆく。 つかまれた腕に感触を残したまま、蛍の姿は消え去った。 ―― 朝が着た。 微かな記憶の中で、亨は思う。 光に飲み込まれた眩しさに目を閉じる。 急に体が重くなる。 開かれた瞳には、いつもの自分の部屋の天井が映っている。 夢虚ろなまま、それを眺めた。 ゆっくり天井に向けて右手を上げて、空気を掴む。 そして、力なく重力に任せた。 体を起こし、部屋を見回す。 カーテンの隙間から、光が差し込んでいた。 不思議に胸がドキドキと早打ち、微かに体が震えていた。 蛍に掴まれていた、腕が痛む。 ―― 確かに夢なのに……。自分は眠っていたはずなのに……。 体に残る記憶は、夢でないことを物語っていた。 「私を見つけて……」 亨は、小さく呟いた。 そして、体に入り込んだ闇の空気を吐き出すように、大きく息を吐く。 それは、亨の中で決断が下された瞬間だった。 +----------------------------------------------------------------+
|