第1話 闇

   <小説>   


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 真っ黒な闇に、ゆらっと白い陰が舞い降りる。
 ふわふわと浮いて見え、あっちに行き、こっちに行きと飛び交っていた。それが何かは分からない、まるで蛍火のような小さな光。

 ―― 何?

 よく目を凝らして見ても、漆黒の闇の中では目など役には立たなかった。
 背筋が震え、わけの分からない恐怖感が芽生える。
 いや……これは不安?
 他人の心に触れているような奇妙な感覚。
 自分の心とは切り離させているような、闇の世界。

 ―― ここはどこ?

 闇に飲み込まれてからずっと感じている、胸の痛み。押しつぶされそうなほど痛みが増し、胸元を強く抑えた。
 流れ込んでくる不安と恐怖。
 体に流れ込み、心を握りつぶす。
 足元さえ見ることのできない闇は、さらに痛みを増長させる。
 せめて、立っている場所が分かるくらいの灯りが欲しいと願う。
 もちろん、それは叶わない。
 遠くに揺れ動く光の粒だけが求めるべきものに見えた。
 ひとつのところに留まることなく揺れ動く小さな光は、灯りの代わりにはなりそうにない。
 けれど、その小さな光すら今は求めてやまない。
 まるで何かに誘われるように、光を求めた。

 体が重たくって、思うように動けない。額には冷たい汗が流れ出る。知らぬ間に、息が上がっていた。
 不意に自分の体を見下ろした。
 白いシャツは闇に解け、君が悪いほど浮き立って見える。
 黒いパンツは、闇に飲み込まれて存在を感じることもできない。
 海の中に体を浸しているように、下半身が闇に取り込まれていた。
 手足の感覚はある。
 見えないだけで、足がないわけではないらしい。
 これほど近くにあるはずのものが確認できない感覚は初めてだ。
 恐る恐る足の指を曲げて見る。緊張に固まった指がピクリと動く。
 表現しにくい安堵と、喜びが生まれた。

 ―― あの光は捕まえられだろうか?

 足を前に踏み出そうとするが、全く動けない。
 闇が物体のように固まり、動きを封じているよう、体験した子世のないような感覚。
 すぐそこに、揺れ動く光があるのに手を伸ばしてもつかめない。
 伸ばした手からすり抜けるように、また揺れ動く。
 自分の白いシャツだけが空しく浮かび上がる。

 ―― あの光が欲しい……どうしても、あの光が……。

 自分から逃れるように、遠くに飛んでいく光の粒を目で追いながら、渇望と戦う。
 強く願い、足に力を入れる。
 何度も、何度も前に進もうと体を動かすが、全く動かなかった。
 あきらめて、目だけで光を追い求める。
 光は変わらずに、ゆらゆらと軽やかに飛び回っていた……その瞬間。
 ゆらりと動いたあと、一瞬にして闇に飲み込まれた。
 ひと粒のひかりすら失われ、闇はさらに闇となった。

 ―― あっ!!

 声にならない声をある。
 希望の光を失ったような、失望感が体を駆け抜けた。
 その一瞬あと、 突然目の前に何かが現れた。

 ―― 光?

「わっ!」

 かすかな叫びは闇に溶けた。
 目に飛び込んだのは闇に浮かんだ強い光。
 眩しさに目を覆った。
 光を回避する為に、手で顔を隠した。どれくらいそのまま動けなかったのだろう?
 閉じたまぶたが光を感じなくなった頃、うっすらと目を開けた。
 はっきりしない視界の片隅にとらえたのは、ひとりの小さな少女だった。
 驚きに目が見開く。
 真っ白なぶかぶかの服を着ている。
 白いスカートをなびかせ、長い髪はレースのリボンで結わえていた。
 白い肌に大きな目。
 その目がじっと自分を見下ろしていた。
 あどけない顔をした、幼い少女。
 背も小さかった。
 それなのに見上げなければ彼女と視線が合わない。
 理由はすぐに分かった。
 少女は、闇に浮かんでいた。
 まるで、重力など受けていないように、ふわふわ、ゆらゆらと浮かび上がっている。
 かすかな光を連れた少女は、風を味方につけているのか、当然のように空気に浮いていた。
 目を疑った。
 人が浮くなんてあるはずがない。
 何度も視線が、少女の全身を行き来して、見誤りがないか確認していた。 その光景が面白かったのか、少女はにっこりと笑った。
 そして、音も無く地に降りた。
 見下ろしていた少女のほうが、今度は見上げた。
 何か言おうとしたが、声にならなかった。
 驚きと、突然の出来事に何を言っていいか分からなかった。
 言葉が喉でつまり、出てこない。
 少女は優しく微笑んだが、少し悲しげな表情になって大きな瞳を静かに伏せた。
 再び瞳を開き、前を見据え少女は口を動かした。
 小さな言葉が流れた。
 幼い少女からは想像も出来ないような、大人っぽい声だった。
 美しい音楽のように、耳に響く。

「私を見つけて…そして助けて……」

 悲しいささやき。
 今にも泣き出しそうなほど悲しそうで、儚い表情、心の痛みが伝わってくる。
 何かを言わなくてはと思っているうちに、少女の背後が薄っすらと光を帯びてきた。
 淡い光は、闇を飲み込み始める。
 少女は、振り返り呟いた。

「朝……」

 そう言ったかと思うともう一度視線を合わすと、そのまま光に消えていった。
 もうそこに少女の姿は無く、闇も姿を消していた。

 光はだんだん強くなり、眩しさに目をつぶった。
 少女が現れた時の優しい光とは違った、激しい光だった。
 光が収まったのを感じ、目を開けたとき視界に入ってきた物は、見慣れた風景だった。
 少し茶色ががった天井。

「俺の部屋……?」

 勢いよく起き上がり、その勢いにまかせて辺りを見渡した。
 いつもと何の変わりも無い、自分の部屋が目に入る。

「夢……?」

 大きく息を吐いた。
 心臓が微かに早打ち、胸がズキズキする。
 言葉ではいい現せないほどの、不安が体に残っていた。
 吸い込んだ空気と共に体に入り込んでいたのか、闇の気配を体の中に感じる。
 額には汗がにじみ、無意識に握っていた手には爪あとがついていた。
 自分の部屋と分かっても、不安は消えない。
 無意識に、胸元のシャツを掴む。
 夢と現実の狭間を行き来し、『目覚め』はなかなか訪れなかった。


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