第四章

 第三話 決断

   <月の図書館>   


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 門を背にして立ち、ユリアは考える。
 どうやったら、鳥族と竜族が共に生きられるのかと。
 答えは見つからない。ずっと、幾人もの鳥族の王が同じ答えを探しても、見つからなかった。それが今、見つかるはずはない。
 
 ―― 私も、王としては未熟だったということか。

 その答えを見つけられた王こそ、王の中の王なのではないかと思う。そんな王になりたかったが、なれなかったようだ。
 たとえ、理想の王になれなかったとしても、ユリアは決断しなくてはいけならない。このあと、どうするべきなのか、決められるのは自分だけだ。
 塔を壊し、地上とのつながりを切る。
 それは、どの種族ともかかわらず、空に生きることを意味する。
 誰もたどり着けない空の楽園で、地上に降りることも許されず、雲の上だけで生きていくこと。
 遥か昔の鳥族がそうであったように。
 共に地上の大地で生きていきたいと願い続けた鳥族の願いは、一生叶わない夢と消える。
 アストラートに生きることを望み、楽園を捨て時から鳥族が願い続けてきた願いを、自分が消し去ってしまう。
 未来に希望すら残らない。
 それを決断するのは、難しいことだ。
 今まで何のために耐えてきたのか。拒まれようと、迫害されようと、望みを捨てずに守り続けていたものを、そう簡単に捨てられない。
 希望はまだある。
 ジークは、愛する人というだけではない。分かり合える竜族がいる。それは、小さな希望だ。
 永遠の命を持っていようと、背中に翼を持っていようと、他の人族と変わらない。ユリアは、ジークに会ってより強く感じるようになった。
 王になったばかりの頃は、竜族を恨んだりもした。迫害され続けなくてはいけない理由も理解できなかった。ジークに会っていなかったら、変わっていなかったかもしれない。彼に会ったから、竜族に対する見方も変わったし、より強く共に生きる未来を願った。
 その願いを、このまま持ち続けるか、生きるために捨て去るか。 
 レオナルドの言うように、人族をきっぱり捨てれば、生きる道もある。
 今ならまだ、間に合うかもしれない。鳥族を守るにはそれしかないのかもしれない。

 ―― 今、この塔を壊してしまえば……。

 生ぬるい風が、髪を揺らす。
 無数の人間がいるのに、静まり返っている不気味さ。張り詰めた空気は今にも切れそうなほど緊迫し、誰もが二人の王を見つめている。
 いくら、竜族であったとしても、王と名のつくものを殺すのは許されない。
 そして、竜族は、絶対的な王の命令がないと勝手に動くことは出来ない。竜王がどうするのか、その瞬間を待ちわびるように、男たちの目はぎらぎらと光る。獲物が目の前にいる、獣の目だ。
 ただ一人、ジークだけが不安に揺れる瞳でユリアを見ていた。
 毅然と立ち、まっすぐと竜王を見つめるユリアは、ひときわ美しく見える。陽の光に輝く銀色の髪、宝石のエメラルドを思わせる瞳。肌は透き通るほど白く、微笑まずとも優しげな口元に笑みを浮かべる。
 人族にはありえない美しさは、鳥族をより特別な存在としている。
 そのあまりの美しさに、ひるみそうになる竜族の王は、舌打ちしてごまかした。鳥族の美しさに惑わされてはいけない。あの神々しさで、鳥族は敵をも虜にして生き抜くのだ。憎たらしいほど、いやな種族だと心のうちで罵る。

「わが息子、ジークが言うのだよ。鳥族の女王を愛していると。竜族と鳥族との長年の確執を修復し、共に生きる道を模索してはどうかと、王である私を口説き落とそうとする。どう思うかね?」

 どこか人を小ばかにしたように、余裕の笑みを浮かべたまま、ユリアにたずねる。
 視線が一度ジークに移り、再び竜王を見たユリアは、ひときわ美しく笑顔を作ると、穏やかに言う。

「私も同じことを望みます。同じ大地に生きるもの、すべての者たちが共に生きることは天が望まれることと考えます」
「ジークと想いあっていることは否定しないと?」

 あえて、愛し合っているという言葉を避けるように、竜王は言葉を選ぶ。表情には憎しみがこもっている。息子を惑わした魔女とでも思っているのだろう。

「……はい」
「竜族と鳥族だというにもかかわらず?」
「種族の違いなど関係ありません」

 忌々しげに鼻を鳴らすと、ユリアから視線をはずす。どこか、わざとらしさも感じる、作られた動きのように見えた。

「どうしたものか」

 表情は、不機嫌を隠そうとはしないのに、ゆったりと好意的に話す竜王の心のうちを探ろうとユリアは必死だった。ぎらついた野心は感じるが、他に何かあるのかはうまく探れない。

「私は息子が可愛い。初めて言ったわがままだ。叶えてあげたいのだが……」
「…………」
「どうだろう、互いに少し歩み寄るというのは。我々は楽園が欲しい。もちろん鳥族を追い出したりしないさ。けれど、神の大地をひとりじめをして、自由に入ることも許さないというのはひどいと思わないかね?」

 塔を見上げながらいう竜王の友好的な態度に、不信感を覚える。感覚が危険を知らせるように、信用してはいけないという声が聞こえる気がした。
 けれど、歩みよろうという言葉は甘いささやきにも聞こえる。

 ―― もし、それが出来たら……。

 ジークをちらりと見る。
 戸惑いの色を浮かべたジークが見返してきた。ユリア以上に戸惑っているのが分かる。

「はじめに言っておきますが、フォーリアは竜族にとって住みやすい場所ではありません。翼を持たぬものは移動するのも困難な、小さな大地です。欲しがる理由が私たちにはわからないのです」
「住みやすいか住みやすくないかは関係ないのだよ。手に入れられないものを手に入れることが、われわれにとってもっとも価値のあること。まあ、それに関しては種族の違いで、考え方も違うので同意を求めはしません」
「では、フォーリアに自由に出入りできることが、望みなのですか?」
「まさか、その地を支配することに意味がある。征服欲だよ、王女よ。神に愛された種族を、征服する。それ以上の快感があるものか」
「征服……」
「鳥族の望みはなんだ?」
「……私たちは戦いや殺し合いを望みません。竜族が他種族に危害を加えないというのなら歩み寄る道はございます」
「ほう、命の安全を願うか」
「私たちのもっとも大切なものは、生きること。命です」
「征服されても、なお生きたいと?」
「征服などされません。心は、誰でも自由なのですから」
「少々、その考えにも食い違いがあるようだが……まあ、われわれも、鳥族を殺すのは忍びないと思っているのだよ。この世で最も美しい種族は、愛でるだけでも価値がありますからな。とりわけ、王女のように、異種族の王子すら虜にする美しさを持っていたらなおのこと。その望みならば、契約してもわれわれに損はないかもしれない」

 契約という言葉にユリアはすぐに反応する。
 頭に浮かんだのは、王の契約という言葉。
 王同士の契約は神との契約。王の名の元に、互いの石盤に名を刻めばそれを破ることは出来ない。
 王の契約は、絶対的存在だ。
 まずは口頭での約束と握手。その後、契約を書かれた石盤に刻印を刻む。お互いに交換し王宮の祭壇へと置かれることになる。
 祭壇に収められた契約が破られたのは過去に一度。破られれば神との契約に反することになり、それ相当の制裁が待つと言われている。
 しかし、制裁の意味を知るものがいない。
 それは、その制裁を受けた王が歴史からも記憶からも、消え去ったから。その国もろとも姿を消したと聞く。
 王同士の契約はめったに交わされることはない。誰もが、その恐ろしさと強力さに躊躇するからだ。
 いま、その王の契約を結ぶことが出来たら、鳥族は救われるだろうか。長い年月の夢も叶い、地上で生きていくことが出来るだろうか。
 竜族の王とて、王の契約を反故にするほど、大それたことはしないだろう。何よりも、アストラートに君臨する自分を思い描く男だ。神の力によって滅ぼされるような危ない橋は渡らないはず。
 いい話じゃないかと、言う声がする。

「どうだろう、鳥族の王よ。王同士だけが持つ契約を交わすというのは。悪い話ではあるまい?」

 命が守られるのならと、言葉なき声が聞こえてくるようだった。
 揺らぐユリアの耳に、また違う声がする。
 竜王は、契約を最後まで結ぶ気などない。すべての上に立ちたい竜王が、破れば破滅する強力な契約を簡単に結ぶとは思えない。
 そんな話にのってはだめだと、言う声がする。

 ―― 何か、罠があるのか?
 
 じっと竜王の目を見て、ユリアは選択肢を頭に思い浮かべた。
 滅びるか、それとも生き残るか。
 生き残るという言葉に明るい未来を感じる。けれど、それを選ぶのは危険と王の感が言う。

「信じてはいけない。竜族は悪魔だ。契約なんて結ぶ気がない!」

 突如現れた、傷だらけの男が目に入った。
 巨大な体躯は、見慣れた鎧を身につけ、大地と見まごうマントで体を覆う。大地と同体化して身を隠しながら移動するのは、地族独特の手法だ。特殊な染料で染められたマントは、森で生きる彼らにとって必需品だ。狩の時も利用するし、身を隠すことによって無駄な争いを回避することも出来る。
 そして、竜族の目をかいくぐって移動することも。
 緊迫した状態ということもあり、ここまで彼らが近づいてきても誰も気づかなかった。
 ぼろぼろのマントの隙間から見える鎧は、地族の中でも限られた者だけがまとうことが許される王家の鎧だ。精悍な顔だちはユリアもよく知るもので、第二王子のアーガストだと分かる。双子の妹の、アリーシャに支えられるように立っていた。
 アリーシャは、兄に身を隠すようにしている。
 竜族が怖いのだ。
 地族は戦闘部族。時には女性も戦闘に加わる。アリーシャも相当な槍の使い手で、王が前線に向かう時は、残された地族を守るために力を振るっていたと聞く。
 前線で戦いたいという言葉を聞いたことがあるユリアは、身を潜めるアリーシャを見て、嫌な予感がしてならなかった。
 アーガストとアリーシャの傷ついた姿を見たユリアの眉間には、不安の皺がよる。

 ―― あの、気丈なアリーシャが竜族を怖がっている?

 アーガストの目は、アリーシャよりもはっきりと竜族への憎悪を物語っていた。強い怒りが見える。

「はははは……力のないものは滅びていく。必要のないものは消えていく。お前たちのようにな!」

 高々に笑い、はき捨てるようにいう。残忍な竜王そのものの、嬉々とした表情はぞっとするほど不気味だ。

「なんだと!」
「なんてことを!」

 アーガストと、ユリアの声が重なった。
 腰の剣に手を伸ばし、飛び掛っていきそうな体をアリーシャが抑えつけた。震える手には、かなりの力が込められている。
 双子とはいえ、体格差はある二人だが、腕に感じた妹の力に踏み出そうとした足を下げる。ぎりぎりと音がしそうなほど歯を食いしばり、竜王をにらみつけた。
 必死に落ち着こうと、息を吐く姿が痛々しい。

「ユリア殿、竜族を信じてはなりません。父は、殺された。王を殺したのです!」

 震える体は、恐怖ではなく怒りから来るものだ。硬く握り締めた手のひらに血管が浮かび上がる。
 悲痛な表情で、下を向いたアリーシャは、そんな顔を見せまいと兄の背中に顔を隠した。

「アシュリー……」

 ユリアの呟きに、アーガストは瞳を閉じる。まぶたの裏側に見る情景を思うと心が痛む。
 二人は、鳥族のため、王たちによって逃がされたのだろう。王子と姫という立場で、最後まで戦えなかったことの無念さと、大切な家族と地族という一族すべてを失った苦しみが、支えあっている二人から強く感じた。

「まさか、王子と姫が生きているとは、全滅させたはずなのに、確認を怠ったか」
「全滅……なぜ、そのような」
「話を聞いておられたのかな、王女。地族など、もとより滅びる運命だったのですよ」

 ユリアは、言葉を失った。

「それに、勘違いをしてもらっては困る。竜族の手をとらなくては、鳥族に未来はない。生き残りたいなら手をとるしかないのだ。滅びた地族が何をしてくれる?」
「お前が王などと名乗ることすら虫唾が走る。お前は人じゃない。悪魔だ!」
「王には敬意を払うものではないのかね、地族の王子よ」
「私も同じ王だ……お前たちが父と兄を殺した瞬間から。同じ王なら、お前に敬意を評する必要がどこにある」
「滅びた民族の王?滅んだ民族に王などいない!」
「地族の血がこの世から消えない限り、地族は滅んだりしない」

 くだらない、というように竜王は鼻を鳴らす。すでに消え去った地族の王子になどかまっていられないと思ったのか、ユリアのほうを向き直った。
 父の様子を伺っていたジークは、地族の王子をのぞき見る。
 一瞬、目が合った。
 アーガストは鋭く睨み返す。その視線に、ジークは苦しそうに唇をかみ、逃げるように視線を父に戻した。

「さあ、女王よどうした?人から離れすぎていて、契約の方法すら忘れたのか?」

 差し出される手を見つめる。この手を握れば、契約への道が開かれる。この手を握らなければ、鳥族の未来はないだろう。

 ―― これは罠だ。

 ユリアにも分かっている。けれど、差し出される手を振り払うことは何を意味するかも分かっていた。
 どちらを選んでも道は同じかもしれない。ならば、どちらを選べば、明るい未来につながるのか。
 竜王の手を見つめたまま、じっと動かない。肩の上のセレナはじっと、ユリアの瞳を見つめていた。
 静かに一度、瞳が閉じられる。
 再び開いたユリアの瞳からは、決意が見えた。
 一歩、前に進む。
 アーガストのとめる声がする。
 また一歩、前に進む。
 息を呑むジークの姿が見える。
 もう一歩、前に進むと、ゆっくりと手を伸ばした。
 白く細い指がかすかに震える。
 瞳は、まっすぐと竜王を見つめていた。
 ユリアの肩でセレナが一度鳴き声を立てる。それは、非難しユリアを止める言葉だった。
 けれど、ユリアは口元に笑みを浮かべ、竜王の手に触れた。
 自分の決断は間違っていない。竜王が仕掛けた罠だとしても、この手をとらないよりは時間が出来る。今は、時間が必要だった。
 ごつごつした竜王の手が、ユリアの手のひらを軽く握った。
 背筋から寒さを感じ、とっさに手を振り払おうとするのを何とか我慢した。
 たくさんの命を奪った、血にぬれたその手。触れられた場所から侵されていくような気味の悪さがある。体中の毛が逆立っているような感覚。
 アーガストの方を見ることは出来なかった。
 ほっとしたジークの姿が目に入る。
 そして、目の前でにたりと嫌な笑みを浮かべた竜王が見えた。

「真実を語ると思っていたか、王女よ。わが一族にとって君たちは忌み嫌う存在だといったのに!どこまでめでたい一族なんだ!」

 殺気を感じ、とっさ引こうとした手は竜王に強くつかまれた。てのひらに食い込む竜王の手、骨が折られるのではないかと思うほど強い力だった。ぞっとする空気に焦りを感じる。
 甲高いセリアの声が耳に響いた。その声に混じって名前を呼ばれたような気がした。
 体が、翼が、反射的に動き、身軽に背後へと飛んだ。
 その瞬間、空気が切れる音と、体に焼けるような痛みが走る。
 右下から左上にめがけて赤い線が走った。

「ユリア!」

 大きな翼が開くが、後ろに飛びのくのが精一杯だった。胸元から腹部にかけて、すっぱりと服が切れ、赤く血に染まる。
 ユリアは、竜王に飛び掛ろうとしたセリアを押しのけた。
 一度で切り裂けなかったユリアのとどめ刺すために、すぐさま竜王は体制を整えて剣を構えた。さすが戦闘民族の王だ、すでに若さを失っていたとしても身動きの速さは体にしみこんだ能力の高さを表していた。
 戦いを知らないユリアが、竜族の向ける剣から逃れるのは難しい話だった。
 空に飛んで逃げたいのに、うまく翼が動かない。

「父上!」

 目の前が真っ赤になった。
 傷口から流れる血に混じり、鮮血が目の前に飛び散った。
 突然現れた影が、竜王の姿を隠した瞬間、体に重みとぬくもりを感じる。
 大きな体が、自分を抱きしめている。

「ジーク……」

 見開かれたユリアの瞳は、呆然と立ち尽くしたままの竜王を見ていた。手に握られた剣から血が滴っている。敵意むき出しで、襲い掛かってきた王の顔も、ひどく青ざめて見える。

 ―― あの血は誰のものだろう……?

 抱きしめてくれているぬくもりだけで、ジークだと分かる。
 
 ―― どうして、ジークに抱きしめられているんだろう……?

「ユリア……逃げろ……塔の中へ……」
「ジーク!」

 強く抱き返すジークの背中がぬれている。ユリアの手が、ジークの血で赤く染まった。生暖かい感触が、自分の身代わりに切られたのだと訴えていた。

「ジーク、どうして……」
「ユリアを守るのが、私の使命なんだよ……早く行け。私の息があるうちに。ファルトが、まだ生きているうちに……」
「あなたを置いていけないわ!」
「置いていくんだ!」

 耳元でささやくジークを抱きしめて、ユリアはそこを離れようとしない。
 竜王は、じっと見下ろしたまま動かない。いや、動けなかった。自らの剣で、自らの息子を切り裂いたことが受け入れられないようだ。
 残酷に人を殺す竜族。王位争いでは家族をも手にかける鬼のような存在。そんな彼でも、跡継ぎは別だったようだ。
 竜王は、すべてに長けていたが、子供にだけは恵まれなかった。やっと生まれたのが、ジークだったのだ。可愛くて仕方がない息子を、切り裂いた。しかも、鳥族の王を守るために。その現実を受け止めきれず、目の前の光景を拒否続ける。

「地族の王よ……ユリアを頼みます。塔の中へ!」

 竜族の王子が、鳥族の王をかばった光景が信じられないのはアーガストにとっても同じだった。何が起きているのか、うまく理解できない。
 けれど、ジークの瞳の真剣さに、すぐにうなづいた。
 
「ユリア殿!」

 ジークからユリアを引き離す。

「ジーク!」
「君と共に生きたかった……いつの日か必ず、共に生きる日がくる。君が、そんな世界を創ってくれ」
「ジーク……」
「ユリア殿、急いで下さい」

 アーガストとアリーシャは、ユリアを引きずるように走る。
 その姿に気づいた、竜族の指揮官が、自らの竜を差し向ける。
 地族二人がいては、飛んで門の中に入ることは出来ない。門から中に入らなければ塔の中に戻れない。
 巨大な竜と、無数の竜族を振り切って、門の中に入り込むのは至難の業だ。

「しっかりしてください!」
「彼の死を無駄にするのですか!」
「いいえ……まだ死んでいないわ」
「そんなこと言っている……」
「違うのです。だから……急がなくては。この体ではうまく飛べないのです。このまま、まっすぐ門に向かって走ってください」

 ユリアは、ジークの心を無駄にしないために、動かない体を動かした。
 セリアが前を飛んでいる。門に向って先にとび、人が通れる隙間を作る。鳥族特有の言葉で扉は簡単に開く。
 ただ、今なら竜族も簡単に門の中に入り込めてしまう。その瞬間を見逃すほど、おろかな種族ではなかった。

「あいつらを追え!」

 動かず立ち尽くす王を見かねて、指揮官が声を張り上げる。先に動くのは指揮官所有の竜。
 ユリアたちの前に巨大な竜が立ちふさがる。足が止まった瞬間、白い影が目の前に現れ、火竜に体当たりした。激しい音と共に、竜の体は遠くまで飛ばされる。

「ファルト……ありがとう」

 ユリアの言葉に、ファルトは小さくうなづくと、門の前に立ちはだかった。だれも、ここは通さないというように。
 ファルトの足元を潜り抜け、門に滑り込む。すぐに門は閉められた。
 外では、激しい音が聞こえてくるが、高い壁に阻まれ、ユリアには何が起きているか見ることは出来なかった。
 涙で目がかすんでいるのか、傷のせいでかすんでいるのか分からないが、ぼやけた視界に映るのは、門の向こうであがる砂煙だけだった。

「あの竜は……」
「ジーク……王子の竜です。ジークの死が先か、戦闘で死をとげるか……」
「……こうなることが分かっていて、命があるうちに行くように言ったのですか?」
「ええ……」
「ユリア様……ジーク王子とは」

 アリーシャの声に非難めいたものは感じなかったが、戸惑いは混ざっていた。
 ユリアは、口を閉ざす。
 愛し合う存在だったと、簡単に言うことは出来なかった。
 竜族は、地族を滅ぼした。
 けれど、アーガストもアリーシャもジークを恨む事はどうしても出来なかった。
 憎い竜族の王子でも、ユリアをかばい、ユリアを逃がした彼を目の当たりにしてしまえば、竜族だからと憎むことは難しい。
 複雑な思いは、それ以上の答えが出せないことを知っていた。だから、そのことはそれ以上言葉にしなかった。
 ユリアの後悔は、ジークの最後のときを一緒に迎えられないこと。傍にいたかった。でも、それ以上にジークとの約束を守らなくてはいけない。この自分の手で、望んだ未来を作ることは出来ないことはわかっていた。
 それでも、まだすることがある。
 鳥族の王として、このまま死ぬわけには行かない。
 セレナの後を追うように塔の中へ駆け込む。アーガストとアリーシャだけでは、迷子になるだろう道も、セレナの導きがあれば最短距離で最上階までいける。だが、そのあとが問題だった。途中から永遠に続く階段を上らなくてはいけない。
 戦いに傷ついた地族と、深い傷を負った鳥族では、上れないかもしれない。
 セレナは、不安げに振り返る。
 のんびり階段を上るわけにも行かない。先に行って助けを呼びに行きたいところだが、セレナもユリアの負った傷のせいで体力が消耗して、うまく飛べなかった。
 ユリアの足取りは、だんだん遅くなる。ふらふらとして自力で歩くことすら困難になってきた。

「ユリア殿、お許しを」

 アーガストは、ユリアを抱き上げると、塔の中を進んだ。
 
「こんなことになるなんて……新しい王もいないのに。私は……王失格ね」

 傷は浅くない。それほど長く持たないかもしれない。
 永遠の命を持つといわれる鳥族も、寿命がないだけで死なないわけではない。病気で命を落とすこともあるが、何より怪我に弱い。流れ出る血と共に命が削られていく。

「でも、まだ死ぬわけには行かない。まだやらなくてはいけないことがあるのです。迷惑を……かけます」
「何を言っているんです。私たちは、鳥族の力になるために逃がされたのです。力にならなければ、父上に顔向けが出来ない」
「ぼろぼろの体で、あまり役に立たないかもしれませんが……」
「いいえ、お二人がいるから救われることもあります。アシュリーはそのことを知っているから、お二人をここへよこしてくれたのでしょう」
「ユリア殿」
「私は鳥族の王……王として最後の仕事をしなくては」

 塔の三階ほどの高さにある広間に出ると、司祭の元にいる鳥族の青年たちが、ユリアを迎えに来ていた。
 まるで、見ていたようなタイミングだ。
 水鏡で見ていたのだと、察しがついた。
 レバールが、王の許可もなく水鏡を見るとは思えなかった。
 ユリアの脳裏に浮かんだのは、レオナルドの顔だ。レオナルドが望めば、レバールは断りきれないだろう。水鏡を見るなんて処罰の対象だが、この状況では感謝するしかなかった。
 時間がない上に、セレアも含め、三人とも塔を上る体力はない。
 青年たちは、緊張した面持ちで、ユリアを抱き上げて先に飛び上がる。ユリアの腕にはセレアが抱きかかえられている。ぐったりとした姿は痛々しいほどだった。そして、残りの二人も地族の両腕を持ち上げるように飛ぶ。
 向うのは、フォーリア。
 門はいずれ壊されるだろう。
 塔にはうまく登れないはずだ。
 まだ、時間はある。
 ユリアは、気が遠くなりそうなのを必死にこらえていた。汗が、零れ落ちる。止血だといいアリーシャが即席で巻いてくれた布で、ある程度は出血が押さえられているが、白い布は血の色が侵食してきていた。

 にわかに、フォーリアが騒がしくなっていた。
 レオナルドによって、ユリアの状態が伝えられたからだ。
 傷を負った王、それは死に近いことを意味する。
 このまま王が死ねば、竜族の滅ぼされる前に鳥族の歴史は歩みを止める。王なき種族は、滅亡を意味する。
 生まれ持った王である、鳥族にとって王が生まれていない今、ユリアが死んだら最後だった。
 もう、塔を切り離したところで、どうにもならない。残された道はひとつ。
 誰もが思っていた、最後の願いにかけるしかないと。
 鳥族が生き残る唯一の手段。
 ある意味、滅びるというのかもしれないが、鳥族の王はこう表現する。

 ―― 眠りの時。

 すべての時を止め、眠りにつく。復活の時を願い、ただひたすらにその時を待つ。その日が来るのかも分からないまま。
 そのまま眠りはさめることがないかもしれない。滅びたと同じかもしれない。
 しかし、その奇跡にも近い瞬間を夢見るしか、すべはなかった。

「鳥族すべてに、レバールのところに集まるようにと伝えなさい。子供たちもすべてです。時間がない、急げ」

 最長老がいつになく、あわてた様子で指示を出す。長老院の人間はちりじりに飛んでいった。その顔は、青白く、悲しみが浮かび上がっていた。

 鳥族は、たったひとつの希望にすべてを託した。
 それは、悲しい決断だった。
 鳥族であることを捨てる、鳥族として生きることを放棄する、もっとも辛い決断。
 古から伝わる、鳥族を守るための最終手段を、長い年月の中では始めて使うことになった。
 すべては、未来への希望のために。


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