第四章

 第四話 命の鎖

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 すべての鳥族が、祭殿に集められた。
 長い年月の間に、鳥族の数はどんどん減った。
 生まれてくる鳥族の数が減ったことが理由だろう。
 生まれてくる数が減れば、新たに生まれてくる数も減る。年長者は減ることはなかったが、幼い子供たちを含め、年若い鳥族の数はささやかなものだった。
 三百を超えない鳥族が、五つの集落に分かれて住んでいた。まだ成人していない鳥族は、レオナルドを含めても三十二人。
 鳥族は少数民族だ、この世から消え去ったとしても、誰も困らない。それでも、存在している以上消えてなくなるなんて考えられない。
 少ないからこそ、生き延びなくてはいけない。
 ユリアは、長いマントに身を隠し、怪我など負っていないように毅然と立っていた。
 医術師により、アリーシャの応急手当よりはきっちりと処置をされていたが、傷口がふさがることはないだろう。
 時間がなかった。
 ユリアが命を保つ時間もなければ、竜族が塔の守りを突破するのも時間の問題だ。王の力が弱まっている以上、レバールが掛けなおした結界がどこまで効いているのかすら未知数だ。今まで、王の力が弱まったことなどない。新たな王が生まれていないということが、大きく影響しだしていた。

 ―― 今、死ぬわけには行かない。

 その思いだけで、ユリアは必死に意識を保ち続けていた。少しでも、王としての態度が崩れれば、不安は伝染するものだ。これ以上不安をあおってはいけない。鳥族を守るための手段は、毅然とした態度で行わなくては。その道を選んだことが間違いだったと、後に思わせないためにも。
 ユリアは、我知らず、マントに隠れた両腕を握り締める。一番不安なのは彼女自身かもしれない。
 レオナルドは、一人はなれたところからみんなを見ていた。
 沈みきった表情。誰の顔からも血の気が失われ、恐怖すら映し出されていた。普段は無邪気に遊びまわる子供たちですら、親の緊迫した空気を感じ取り、互いに身を寄せながら口をつぐんでいる。
 
 ―― これから、何が起きるんだろう。

 レオナルドと同じ疑問が、誰の頭にも浮かんでいるに違いない。
 静まり返った宮殿の広間は、異様な空気が流れていた。

「悲しいお知らせがあります」

 ユリアは、いつになく低い声で言った。
 広間に緊張が走る。

「鳥族は……滅びます」

 微かなざわめきすらかき消した、衝撃が襲い掛かる。竜族にアストラートから追われた瞬間から、ずっとその日が来るかもしれないと思っていた。覚悟は決めていた。
 それでも、王の口から聞く「滅び」の言葉は体から魂を抜かれるような喪失感が襲う。
 嘆くわけでも、喚くわけでもなく、ただ小さく頭をたれる。

「滅びの時は、すぐ傍まで迫っています。けれど、私はまだ希望を持っています。鳥族は、永遠に続く種族だと」

 うつむいていた、大人たちが顔上げた。
 
「希望?そんなものがあるものか!」

 滅びると言う言葉を、辛そうに聞いていたレオナルドは、変わらず希望を言葉にするユリアに反発した。
 みんなが後ろを振り返る。
 最長老ですら王であるユリアに意見することはほとんどない。そんな王の言葉に反対するのはレオナルドくらいだ。そして、それを咎められるものもいない。
 何の地位もなく、何の印を持たなくても、レオナルドはどこか特別な存在として、一目置かれていた。彼が、王の跡継ぎなのではと、思うものも多い。それが、ただの思い込みであるのはみんな知っている。レオナルドには、王の印はないことは誰もが知っているからだ。新しい王が生まれていたらという思いが、そうしているのかもしれない。
 全鳥族の視線が自分に集まろうと、レオナルドはひるむことなく王を見据える。

「いいえ、レオナルド。希望はあるのです。これは最後の望みです」

 鋭い瞳が、大きく見開く。
 瞳をあわせるのを避けていたユリアが、久々に王の立場で自分を見ているのが分かった。小さな違和感に、眉間に皺が生まれる。

「王、やはり……」
「他の方法は……」

 長老たちが、レオナルドとユリアの戦いに割り込んでくる。

「他に、方法はありません。そうでしょう?」
「…………それは」
「新しい王は、生まれてこなかった。鳥族に未来はない。けれど、遠い未来は分からない。神が愛した種族を見捨てなければ、必ず鳥族はこの地に戻ってくるでしょう」
「王……」
「言いたいことは分かります。皆さんにとっては……」
「いいえ!私どもは自分たちの命がどうなろうとかまわないのです。けれど……『命の鎖』は最終手段。今だかつて実行に移されたことはありません。もしも上手く行かなければ、子供たちは何のために……」
「私たちがすることはふたつあります。ひとつは、鳥族と呼ばれる種族を守ること。もうひとつは、フォーリアを守ること。この地を、汚すわけには行きません。私たちにとって、大切な故郷です。ここを、守っていくのが我々の務めならば、守らなければ。竜族の手に渡すわけには行かないのです」

 ―― 初めて、竜族を否定した。

 レオナルドは、小さな衝撃を受ける。
 広間にいるひとりひとりを見るように、ユリアはゆっくりと視線を動かした。見返される瞳に、相手の意思を感じる。

「王、やりましょう」
「この地を、鳥族を守らなければ」
「命をかけたとしても、やらなくてはいけません」
「今やらなければ、ただ消えるだけ。私たちは、消え去るために生まれてきたわけではありません。たとえ、今命の火が消えたとしても、未来がある」
「未来を諦めないためにも、王の決断に従います」

 口々に発言するのは、集落の長だ。

 ―― なんだ?

 レオナルドは、不思議に思う。
 成人した鳥族だけが知る、何かがあるのだろうか。そこにいる鳥族たちは、誰もが同じ反応をした。戸惑っているのは、小さな翼を持つ子供達だけだ。
 瞳に強い決意を映し、ユリアを見る。レオナルドを含め、子供たちはきょろきょろと親の顔を伺い見ては、状況を把握しようとしているのが分かる。

「どういうことです。何をしようとしているのです!」
「鳥族は他の種族と、生と死の断りが違います。生まれ方も異なれば、死に方も違うということです。命を生み出すのも難しく、王が生まれるかどうかも私たちに決めることさえ出来ない。子供たちも知っているでしょう。王が存在しなければ、鳥族は成り立たないことは」

 子供たちはいっせいにうなづく。ユリアは、優しい笑顔を見せた。

「古くから言われているのです。王が生まれず、鳥族が滅びの時を迎えようとしたなら、『命の鎖』を手繰り寄せろと。滅びずに命を未来につなげるたった一つの方法のことです。命の鎖を未来につなげる方法……なんだか分かりますか?」

 ユリアはレオナルドを見る。その目にぞっとした。

 ―― まさか……?

「レバール、準備は出来ていますか」
「はい、いつでも大丈夫です」

 レバールは、最長老からペンダントを受け取った。それは、ユリアが最長老に渡したペンダントだ。
 
 ―― もしもの時は、分かっていますね。

 地上に行く前に、ユリアが残した言葉だ。
 広間に設えられた祭壇に、ユリアは立っている。その傍までレバールが近づいた。
 握られたペンダントを、強く握りこむ。光と共に、錫杖が現れた。
 レオナルドの瞳が、見開いた。
 姿を現した錫杖が、何に使われるものかよく知っている。鳥族でも限られたものだけが持つことを許される特別なものだ。そして、今その錫杖がここに出てくる理由がまったく分からない。
 頭がぐるぐるしてきた。上手く息が吸えない。そんなことありえないと、無意識に小さく首を振った。

「何をするつもりです!その錫杖は、死の証……」

 美しい装飾が施された錫杖は、不思議な形の刃先がついている。円を描くような金属は、内側の部分が刃物になっている。片側だけわずかに隙間が開いており、その隙間に切るべきものをはさみいれ、錫杖を引っ張ることにより切り落とす。
 先についている鈴が、不気味な音を立てる。
 その錫杖は、鳥族の翼を切り落とすためだけに作られたものだ。
 生きた鳥族が翼を切り落とされるのは、処刑の時と決まっている。
 あとは、死んだ鳥族を送り出す時にも使われる。
 どちらも『死』に関係するため、鳥族にとってあまり言い意味を持たない。
 今、どうしてその禁忌の錫杖がこの場に登場するのか。
 処刑など行われるはずもなく、死者もいない。

「錫杖にはもうひとつの使い道があります。ある意味、『死』を意味するかもしれません。けれど、死者を送るはなむけと同じ、新しい人生への明るい死です」
「……意味が分からない」
「鳥族であることへの『死』です」
「え?」

 頭に浮かんだのは、ひとつの言葉。

 ―― 成人した鳥族は生きているうちに両羽を切られると、命を落とす。死を迎えた鳥族が両羽を切られると空に還る。

「成人した……」

 ならば、成人していない鳥族が両羽を切られたらどうなるんだ。
 脳裏に浮かんだ言葉に、体が震えた。レオナルドは、体を抱きしめるように、自分の腕をつかむ。震えているのを隠すためだ。体がどんどん冷たくなっていくような気がする。
 そんなことありえないと、否定する自分がいるのに、目の前の光景が否定してくれない。

「その通りです。成人していない子供たちの翼を切り落とします。そして、人族として生きるのです」

 ユリアの声が、冷たいささやきに聞こえた。打ちのめされたような、痛みが体に走る。

 ―― 人族として生きる?鳥族を捨てて……?

「何を言って……」

 小さな呟きは、飛び込んできた聖鳥の声にかき消された。最長老の聖鳥だ。

「大変でございます!門が破られました!」
「そうですか……それで、広間には抜けそうですか」
「いいえ、今のところは……でも、時間の問題かもしれません」

 広間まで抜け出たら、後は体力さえあれば上までたどり着く。飛ぶことの出来ない彼らが、フォーリアに入る込むことは出来ないが、彼らは竜を使う。塔の上まで来たら、フォーリアの道が分かる。すぐに進入してくるだろう。
 塔の力が弱まっているのであれば、塔に試されても上手く抜け出すことも出来るかもしれない。広間はすぐに彼らを導くだろう。

「思ったより早かったですね。もう少し、門にてこずってくれればと思ったのですが。結界の力が弱まっているのでしょう。広間で食い止めなくては」
「結界を張り替えますか?」
「いいえ……私にはもう無理でしょう」
「王よ、我々が食い止めます。その間に、子供たちを」
「それは……」
「フォーリアを守るためには、竜族を塔に上らせてはいけません。戦って勝てる相手ではありません。けれど、少しの間ならば食い止めることが出来るでしょう」
「フォーリアは眠りにつく。そこに私たちは要らない。私たちが今するべきことは、生き残ることではありません。フォーリアを守ること。いつか、この地に鳥族が戻る日を信じて」

 集落長を筆頭に、年嵩の鳥族が、視線だけで語り合うと、小さくうなづいた。

「申し訳ありません……私がもっと、立派な王ならば」
「それは違いますぞ、王よ。誰のせいでもありません。ずっと来るはずだった日が、今来ただけです。遅かれ早かれ、こうなる日が来たはずです」
「我々も行きましょう」
「長老!」
「私たちは長く生きた。生きた年月が長い我々こそ、最下層がふさわしい」
「待ってください、それなら若い我々が」
「まだ若いお前たちはここに残りなさい。眠りについたフォーリアを守る人間もいるのです」
「ですが!」
「若いお前たちはこの地を守らなければ。奇跡が起きたら、命尽きる前に眠りから覚めるかもしれない」

 やることがあると言われれば、聞き入れないわけには行かない。長い年月を生きているものの方が、鳥族について詳しい。逆らうことは無理だった。
 まだ幼さの残る、若い鳥族たちはそれ以上は言わなかった。

「王よ、我々が先に行きましょう。青年たちはフォーリアの守りを固め、子供がいるものたちはまだやることがある。すでに、意味のない長老院が先陣を切ります」
「……お願いいたします」
「広間の指揮は私が取りましょう」
 
 最長老にうなづいてみせる。
 彼はそれに、微笑で返した。
 長老院が先導し、鳥族を長く支えてきたものたちが広間を出て行く。長老院の人間と、同じくらい長い年月を生きている数人の鳥族を引きつれ、一度も後ろを振り返らなかった。
 ユリアは深々と頭を下げた。瞳の涙を隠して。見送る鳥族たちもその背中を見つめ続けた。
 もう、会えないことを知っている。
 悠然と歩く後姿は、悲しいほど美しかった。光り輝く銀髪が風に揺れる。光の反射は眩しい。未来に差し込む光が、これほどまぶしければいいのにと誰もが思った。

「時間がありません。誰からはじめますか?」

 ユリアの一言で、その場は水が引いたように静まり返った。
 幼い子を持つ親は、子供を抱きしめる。ほほにキスを送り頭をなでた。
 親にすがりつく子供の目には、涙が見える。震える体を親のぬくもりで癒す。このぬくもりは、すぐに失われる。子供たちは、それを理解していた。けれど、先に何が起こるのかは誰にも分からない。抱きしめている父親も、母親にしても同じだった。
 それでも、誰も王の決定に反論しようとはしなかった。
 別れを受け入れる。
 鳥族でなくなることを受け入れる。
 いつになるか分からない、来るかも分からないその日のために、今を捨てることを誰も厭わない。

 ―― なぜ?

 目の前の光景に、レオナルドは一人異様なものを見るような目つきで立ち尽くす。

 ―― なぜ、誰もが疑問すら持たずに受け入れる?

「鳥族を捨てる?そんなこと……ありえない」

 耳鳴りがする。
 今にもしゃがみこみそうなほど青い顔をしたレオナルドは、上手く体を動かすことが出来ない。
 耳のすぐ傍で大きな音が鳴り響いている。
 指先から、体温が消えていく。
 体中の血が抜け出たのではないかと思うほど、ふらふらする。
 目の前の色がどんどん失われていく。色にあふれた世界が白黒になり、見慣れた人たちが知らない人のように遠く感じる。
 成人していない鳥族の翼を切り落としても、死なないと言う。だからと言って、切られた者がいるかは別である。歴史をたどっても、成人していない鳥族が翼を失った例はない。
 いくら、鳥族が生き残るためであったとしても、鳥族としての誇りを捨てるなど考えたこともない。

 ―― 最長老は、「鳥族としての誇りを捨てるな」と言ったのに……。

 少なくとも、レオナルドにはその現実を受け入れるほどの心の隙間はなかった。
 鳥族にとって、翼は命と同じほど大切なものだ。それを失って、生きるなんて考えるだけで恐ろしい。
 レオナルドより幼い子供が、戸惑いながらも覚悟を決めている。震えながらも、両親と離れたくないと涙を流しても、新たに突きつけられた未来を受け入れようとしていた。
 すでに心は決まっている。
 親の腕から抜け出した時の瞳が強い意思を表し、自分に与えられた使命と強く生きることを誓った。王に、両親に、そして自分自身に。
 小さくうなづくと、親の腕を逃れ、しっかりと立つ。王を見つめる目は、幼い姿とは裏腹に、与えられた使命への期待で燃えていた。
 自分たちにしか出来ない、自分たちだけが出来る、未来への架け橋を作るという使命は、今まで何も出来ず匿われていた自分にはじめて与えられた仕事だった。
 鳥族のために、王のために、自分のために、今出来ることをする。それは、レオナルドだけでなくすべての子供たちが願っていたことだった。
 今、その使命を実行に移す時。
 辛くても、悲しくても、どんな感情を押し殺したとしても、名誉のことだと受け入れた。
 それが、鳥族の誇りだと心に刻み込んだ。

「アーガスト殿、地上に降りた鳥族の子供たちを、どうかよろしくお願いいたします」

 地族の王は、うなづいた。驚きもせず、当然のように。それは、古くからの決まりごとであることを物語っている。
 アシュリー王は、その約束を守るために、地族がすべて滅びる前に、アーガストとアリーシャを逃した。
 人族として生きていくには、人族の手助けが必要不可欠だ。鳥族は、人として生きたことがない。人として生きるためには人を知らなくてはいけない。地族なら、生き抜くすべを教えてくれる。
 そして何より、鳥族の子供と知りつつも、迫害することなく守ってくれることが何よりも重要だった。
 この世に、鳥族を守ってくれるのは、地族しかいない。大切な命を預けられるのは彼らしかいなかった。

 ユリアは、子供たちが怖がらないように、やさしく微笑んだ。

「子供たちよ、生きなさい。生きて鳥族の誇りと、その血を未来につないでください。王である私からのお願いです」

 真剣なまなざしを向ける子供たちに、優しい声で続ける。

「分かりますね。翼を失い、鳥族でなくなる事を恐れてはなりません。限りある命になっても、嘆くこともありません。いつか、再びその命は鳥族となり、この地に戻ってくるでしょう。その時まで、鳥族の血をつないでください。命の鎖を途切れさせてはなりません。それは、私たちにはできないのです。あなた達にかせられた使命です」

 もう、涙を流している子供たちはいなかった。
 子供と離れることを嘆く親もいなかった。
 先の未来に不安を感じる若者もいなかった。
 王に託された使命は、鳥族の誇り。失う翼の変わりに、新しく得る誇りだ。気高い種族の鳥族は、決してその誇りを捨てたりしない。成人していない子供であったとして、誰一人として王の意思を告がないものはいない。

「僕から、お願いします」

 進み出たのは、二代前の王の血を引く少年だった。
 レオナルドの次くらいに由緒正しい家柄の少年だ。
 ユリアは、深くうなづくと、微笑を濃くした。

「痛みはありません。失った翼の変わりに幸せをつかみなさい。人族として、幸せになるのです」

 進み出る少年を、ユリアが抱きしめた。そして、レバールの元へと導く。
 聖なる儀式を行う、聖なる場所で、錫杖を使うのは初めてだろう。
 幼子の翼を切り落とすことは、聖なる儀式だ。
 罪人を処刑する時は、最下層の処刑場で。死人の翼を切り落とすのは、風がよく通る楽園の端で行われる。
 祭殿の祭壇の上、背を上にして寝かされる少年。手にした錫杖を、片方の翼に絡めた。
 翼が生えている一番根元で、きらりと刃物が光る。
 レバールは何のためらいもなく、錫杖を引いた。
 シャリンという鈴の音と、ザクリと翼が切り落とされる音が響いた。
 誰も、それから目をそらさない。
 大事な儀式を目に焼き付けるように、目の前で起きている光景を見つめている。
 レオナルドだけは別だった。
 恐怖が体を襲い、悲鳴を上げそうになった。両手で口を押さえ、必死にこらえる。こみ上げてくる嗚咽は、恐怖からか、怒りからか、自分でもわからない。
 目の前がゆれている。
 周りの音が聞こえなくなり、ザクリという嫌な音と、美しい鈴の音だけがすぐそばで音を立てているように大きく聞こえる。
 白黒の世界は、さらに闇の中に消えていき、はっきりとした形を奪っていく。
 両方の翼を失った少年は、しばらく眠りに落ちているようだ。
 横たわる祭壇から、親の手によって抱き上げられ、フォーリアから去っていった。
 竜族の目を盗み、塔を抜け、地下にある秘密の入り口から人知れず地族の王宮へと連れ出される。
 破滅に導いた地族の王宮に、竜族が再び興味を示すとは思えない。一時的に移り、時期を見て違う場所に移れば、安全といえる。今まで以上に見つかりにくい場所と変わるように、新しい結界が張られるのは時間の問題だ。
 次は、最長老の血縁の少女、長老院の子息の子供、部族長の息子、次から次へと翼を失い、運ばれていく。
 定めを受け入れる彼らのほうが大人なのか。
 この場から逃げ出したいレオナルドが子供なのか。
 目の前の光景は処刑台に送られる罪人のように恐ろしく見えた。
 
 ―― 人族になる?フォーリアをでて、アストラートで生きる?

 見たことのないアストラートで生きる自分の姿を思い浮かべようとして、レオナルドは身震いした。
 
 ―― 二度とこの地に戻ってくることができない?

 レオナルドには、それが最も恐ろしく感じた。
 清らかな水、美しい植物、幻想的な風景をこの目に移すこともできなくなる。
 空を飛ぶことも、風とともに生きることもできない。
 それに何の意味がある?
 美しいといわれるアストラートなど、フォーリアに比べれば魅力のない地上の大地としか思えなかった。

 ―― ここで生きられないのなら、生きる意味なんてない。未来のために、今を捨てるなんて……。

 いろいろな思いが交錯して、ふらふらと壁に寄りかかってしまったレオナルドを、ユリアが見ていた。
 その視線にはっとなり、それ以上後ろに下がれないのに、自然と背後に下がろうと体が動く。冷たくなった指先が、硬い石の柱にあたり、ぞっとするほどの冷たさに震え上がった。

「あなたの番よ、レオ。あなたが、最後です」

 レバールも無表情のまま見てくる。
 レオナルドは、動けなかった。
 竜族に剣を突きつけられるよりもずっと、恐怖を感じた。

「レオ」
「……嫌だ……鳥族を放棄するなんて、絶対に嫌だ!」

 無心に、首を振る。

「レオ!」
「レオナルド、お前には使命がある」
「レバール……」
「あの子達を導くのは、お前の仕事だ。お前にしかできない。王も、私も、地上に行くことはできない。わかるだろう?アーガスト殿と一緒にレオナルドが、生き残った子供たちを守らなくてはならない。それが、王の弟であるレオナルドの使命だ」

 レバールの声は、落ち着いていて、レオナルドを諭そうとしている。

「違う!そんな使命、絶対に違う。鳥族を守るのが使命。鳥族としてだ!信じられない……こんな……翼を切るなんて……僕は信じない!」

 背後にある柱が邪魔して、後ろに下がれないことに気づき、向きを変える。柱をよけるように、後ろに下がる。一歩、一歩、祭壇から遠ざかり光のない暗い方へと向かう。

「落ち着きなさい、レオ」

 ユリアも、レオナルドが正気に戻るようにやさしく話しかける。けれど、それは何の役にも立たない。
 レオナルドの目には、目の前にあるものさえ映っていない。映っているのは、悪魔のようにいうことを聞かせようとささやく、別の生き物。
 すっかりと幻影に取り付かれていた。
 いつも優しい姉も、兄のように慕うレバールも、今は味方には思えない。真っ黒な影のように、レオナルドを不幸に落とそうと襲い掛かろうとする。
 様子のおかしいレオナルドを、ユリアは心配したが、レバールは甘くなかった。
 小さなため息を落とすと、周りにいた男たちに目で合図する。無言でうなづいた彼らは、ふわりと飛び上がると、レオナルドに向かっていく。
 レオナルドは、くるりと向きを変えると、逃げ出した。子供の足で逃げたところで当然逃げ切れるわけもない。
 翼を二、三度羽ばたかすだけで、レオナルドの上にたどり着き、勢いよく上から取り押さえられた。乱暴にならないようにやさしくつかむが、激しく暴れるので力を入れて石の上に押さえつける。

「放せ!僕に触るな!」

 二人の男がレオナルドの両腕をつかむ。どんなに暴れようと無理やり祭壇まで連れて行くと、再び押し付けた。背後で両腕をつかまれ、足まで押さえられる。その力は子供があがなえるものではなかった。
 少しだけ自由な頭を、両方に振り続け、乱れた銀髪が顔にかかる。
 必死な形相で、レバールをにらみつけた。

「放せ!翼を切り落とすくらいなら、竜族の王と刺し違えたほうがいい。僕は嫌だ!こんなこと、絶対に嫌だ!」

 どんなに暴れても、抑えている力は弱まらない。
 レバールの瞳は、じっと見下ろしていたが、そこに感情を移さないようにしていた。それは、司祭として生きてきた彼の長い年月が垣間見える。目の前にいる男は、自分の知っているレバールではない。鳥族の司祭だ。泣き言も、必死の訴えも、通り過ぎて彼の心には響かない。
 レオナルドの小さな翼に、刃先が引っ掛けられた。
 悲痛なレオナルドの叫びに混ざり、羽を切り落とす音と鈴の音が響いた。
 ボトリと、翼が石の上に落ちた音を聞いたような気がした。
 銀髪の隙間から、吹き込んでくる風に、ゆらゆらと揺れて消えていく光の砂が見える。
 それが、切り落とされた自分の翼の成れの果てだと気づく。涙にかすんでぼやけた世界に、はっきりと消えていく翼を感じた。

「うわああああああああ〜!」

 レオナルドの叫びに誰も耳を貸さない。
 冷酷なまでに、もう一方の翼を切り落とそうとしたそのとき、レバールの目が見開かれた。
 レオナルドの体が、がたがたと震えたかと思うと、急に翼が大きくなったのだ。
 小さなレオナルドの背中にあった小さな翼が、背中を突き破るように伸びて広がった。
 突然の出来事に驚き、二人の男はレオナルドから手を離し、レバールは持っていた錫杖を取り落とした。
 カツンという金属音と、シャリンという鈴の音が響いたと同時に、ユリアの悲鳴が上がる。
 押さえつけられた体が自由になった、レオナルドは祭壇から飛び降りた。
 怒りに満ちた目で、ユリアを見た。

「なんてこと……」

 大きく肩を揺らして息をするレオナルドの肩に、悲鳴のような声を上げて、巨大な鳥が止まった。

「ヘレス……」

 翼を失った右肩に止まったヘレス。レオナルドと目で会話をすると、翼をはためかせた。

「レオ!」
「僕……俺は、違った道で鳥族を守ってみせる。たとえ、この醜い身をさらそうとも!」

 その言葉だけを残して、姿を消した。

「レオナルド!」

 ユリアの声にすら、振り返ることなく、空に消えていった。
 ユリアも、その場にいた鳥族の誰もが、そこから動けなかった。三枚の翼で空に消える、後姿をぼんやりと眺めている。

「こんな時に……どうして……」

 ユリアの、絶望に似た声は言葉にならない。
 成長してしまっては翼を切り落とすことはできない。
 半分だけ鳥族のまま生きるしかないのだ。半分の翼で、鳥族と呼ぶかはわからないが……。
 醜い姿、レオナルドの言葉がユリアに突き刺さる。
 そんな姿にしてしまったのは、自分自身だ。大切な弟に、最もひどいことをした。死よりも辛い罪を背負わせた。聖鳥の力を借りなくては飛べない鳥族など、今までいない。片翼の鳥族など、今までいない。
 レバールもあとを追うことはできない。捕まえたとして、何ができる。切り落としてしまった翼が元に戻ることはない。鳥族を捨てることすら恐れていたレオナルドを無理やり人族にしようとした結果が、これか。人族になることもできず、鳥族でいることもできない、中途半端で醜い姿。そんな彼になんと言うのか。
 誰にも、想像つかなかった。レオナルドにいう言葉は見つからない。
 レオナルドが消え去った空を見上げて、誰もが思う。
 竜族によって打たれるのが先か、それとも失った翼と同じように少しずつ命をすり減らしていくのか。

 ―― かわいそう……。

 そんな言葉では言い表せない、鳥族としての絶望を見た気がした。
 命を全うするのが幸せだと思っていた鳥族にとって、レオナルドの姿はまさしく彼らが選んだ選択を「罪」と言い表しているように思える。

 ―― 選んだ道は間違っていたのか?

 この道しかないと、ゆるぎない信念を持って選んだユリアすら、自分に問いかけるほど恐ろしい出来事だった。悔いても悔い足りない。謝っても、許されることではない。
 もし、自分の翼をレオナルドに与えることができるのなら、錫杖で切り落としてでも与えただろう。
 でも、そんなことができるはずがない。後悔しても、どうにもならない。それが、ユリアには辛くてならなかった。心に刻み込まれた深い罪の意識が、ユリアから立っている力すら奪い、傷によって失われていた体力も限界に来てしまった。
 力なくその場に座り込むと、人目を気にする余裕もなく、泣き崩れた。
 そんな、王にかける言葉を誰も持ち合わせておらず、ただ、レオナルドの消えた空と、ユリアを交互に見つめた。
 そのとき目に焼きついたレオナルドの姿が、彼の最後の姿となった。
 その後、すぐにフォーリアは時を止めた。
 ほとんどの鳥族は竜族の手に落ちた。塔を守るために、自らの身を持って、竜族を食い止めた。
 竜族の剣に切り裂かれた鳥族は、空に帰ることもできない。翼を持ったまま、その体が朽ちるのを長いとき待つことになる。
 それでも、鳥族は、広間から上に竜族を通さないように体を張った。
 その中に、王と司祭の姿はなかった。

 最後の鳥族がこときれたあと、広間を抜けようと竜族は扉を開こうとしたが、上の部屋に上る扉は開くことはなかった。
 どんなに硬いものを投げつけても、皹一つ入らない石の扉が、竜族の侵入を拒んだ。
 うるさいくらい道を阻んだ鳥族が姿を消しても、扉は開かれない。すでに鳥族は滅んだはずなのに、塔は自分たちのものにならない。
 息子を失ってでも手に入れることを望んだ塔は、いつまでたっても竜族を拒み続ける。
 思い通りいかない状況に、苛立ちと焦りが生まれた。
 新しい対策を立ててからまたくればいいと思ったのも間違いだった。
 一度塔を離れた竜族は二度と塔に登ることはできず。それ以上に、塔にたどり着くことすらできなかった。
 いつも同じ場所にあるはずなのに、違う場所にあるようだ。
 まっすぐ一直線に向かっても、その場所にはない。
 目の前にあったと思ったら、背後にあり。右にあったと思ったら左にある。塔の幻影に見せられ、近づくことすら叶わない。
 頂が伺い見ることができた塔の上は、厚い雲に覆われ、フォーリアの姿を覆い隠す。
 手に入れられたと思ったら、手をすり抜けていった。
 今までよりもさらに幻の地となり、その地に一度でもたどり着いたことが夢なのではないかと思うほど、遠い存在になった。
 上ることも、たどり着くことも出来ない塔は、記憶から押し出されていく。
 時と共に、呪いの塔と呼ばれるようになり、北の地に近づくものはいなくなった。
 相変わらず、楽園を手に入れたいと願う竜族の王はいたが、呪いに慄いて実行に移すものは少ない。
 滅びた鳥族も呪われた種族と言われ、時折生まれてくる翼を持った子供を葬り去るほど忌み嫌う。
 けれど、確かに鳥族が希望を託した、命の鎖は地上につながれた。
 翼を持った子供は、どこかで鳥族の血を受け継いだのだろう。
 悲しいことだが、時がたっても、鳥族が生きる場所は地上にない。生まれても、すぐに消し去られる。
 願い続けた希望が叶う日が来るのが先か、命の鎖が砕け散るのが先か、誰にもわからない。
 それでも塔は、鳥族が滅びてもなお、竜族からフォーリアを守り続ける。
 レオナルドが翼を失い、ユリアがすべてをささげたあの日より、フォーリアは時を刻むのをやめ、静かに眠りについた。
 塔の眠りを覚ます鍵が姿を現すその時まで、目覚めることはない。
 ひたすら、その日が来ることを待ち続けている。


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