第四章

 第二話 水鏡

   <月の図書館>   


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「レオナルドの心配したように、竜族は鳥族を滅ぼそうと侵略し始めた」

 ヘレスが重々しく呟いた。
 塔の上のキャメロットの部屋は、静まり返っている。冷たい指先を暖めてくれていたミルクの入ったカップから、温もりが失われていく。今にも取り落としそうなカップを窓際に置いた。カツンとひときわ大きな音が耳障りに響く。
 クリスはキャメロットの置いたカップに飛び移り、ヘレスのほうへ顔を向けた。

「それで、戦いが始まったのですか?」

 蒼白のキャメロットに変わりに、クリスがたずねた。

「あれは戦いというようなものじゃない……竜族にとって鳥族は、軽くひねりつぶせるほどたやすい相手だった。そして、鳥族を守る地族すら通り道の石にすぎない。邪魔をすれば踏みつける。今と違い竜がはびこっていたあの時代、地族が竜族に勝つのは至難の技だった。勝てるはずなどなかったんだ……地族を失えば、鳥族は鎧を失った戦士と同じ。何の守りも持たない」

 ヘレスの瞳は、怒りより悲しみを帯びていた。



 地上とフォーリアを結ぶ唯一の塔。その地にたどり着くまでに竜族は地族と争った。
 北の森は不思議な力に守られており、やすやすと抜けられる場所ではない。竜族はその力を破る策を持っていなかった。
 だから、強行突破することにした。それが彼らのやり方だ。
 使える竜すべてを使って、森をつぶし始めた。火竜を多く要する王族の竜が先頭に立ち、森を焼き払う。
 鳥族の恩恵を受けた場所は、燃えないとふんだ竜族の判断は正しかった。
 守られた場所は、焼かれることなく美しいまま残る。それは正しい道を導き出すとともに、地族が隠れ住んでいる場所さえ浮き彫りにしていた。
 姿を現した地族の住処は、竜族に取り囲まれる。逃げ場所はない。戦いを挑んで死ぬか、焼き払われて死ぬか。「死」以外に彼らの未来は見当たらない。
 果敢な、地族は逃げることなく、竜族に立ち向かった。
 王城を守るべく、戦士と化した地族は、城を取り囲み、竜族の攻撃に備える。
 巨大な体と、強靭な肉体、重く強い武器を手に突き進む。
 どれほど戦うための強い体を持っていたとしても、武器を巧みに操ったとしても、地族は人族にすぎない。竜族との戦いに差がなくとも、竜に勝つのは難しかった。
 多くの竜は、戦うための竜だ。
 人など軽がると踏みつけることが出来る巨大な体、鉄のように硬い肉は武器など役に立たない。鋭い牙も、爪も、地族の体などたやすく引き裂く。
 そして、最大の強敵は、火竜の放つ炎だ。炎から身を守るすべは見つからなかった。人の生み出す炎より、竜の作り出す炎は、はるかに強い熱を持つ。鉄のたてを歪め、溶かすほどに。
 ひとたまりもなかった。
 塔への唯一の道を守り続けてきた地族は、一瞬で滅ぼされた。
 森は血に染まり、燃えることのない木々に無数のむくろが横たわる。
 森の中にひっそりとたたずむ王城には、地族を守り続けてきたアシュリー王の無残な姿があった。
 王の死は、地族の死を意味し、鳥族を守り続けた一族は、この世から消え去った。
 最期の時まで鳥族を守り、フォーリアを守ることをあきらめず、道をふさいだ。彼らの躯がすべてを物語る。
 彼らにとって、鳥族を守るという行為こそが、生きる誇りだった。

「ユリア……殿……申し訳ない…………」

 血にぬれた無念の嘆きは、誰のものだったのか。悔しさに満ちた最期の言葉は儚く消えた。

 北の森を竜族が通り過ぎ、嵐が去ったように静けさが訪れた。
 血と、無残な屍をその地に残し、二度と元には戻らない命の火が消え去った。
 力に守られた美しいままの森は、悲しい静寂に包まれる。
 その時より、歴史からも地族の存在は消え去った。
 鳥族を守り続けた一族がいたと、かすかな記憶だけを残して。



 北の森を抜けた竜族は、塔に張り巡らされた高い石塀の中に入り込もうと、躍起になっていた。
 石塀の入り口は、東西南北の四カ所にある巨大な門だ。その門が開かれているのを見たことはない。押しても、引いても、びくともしない頑丈な門は、どんなにがんばっても力では開かない。
 当然、塔を取り囲む石塀には結界が張られ、門も開けようと思ってあけられるものではない。
 竜の力で壊そうとしても、羽竜の背に乗って乗り越えようとしても、中に入ることは出来ない。
 焼き払うことで、森を抜けた作戦はここでは使えない。鉄を溶かす竜の火も、守りの結界を溶かすことはかなわない。
 鳥族の司祭がかけた結界は、そんなに簡単に壊すことは出来ない。
 先王ハロルドが、先の世を見通して作り上げた結界は、強い力を持ったラバール司祭によって掛けられた。
 司祭によって作り上げられた結界は、司祭によって受け継がれ、守られている。
 今、この結界を守っているのはラバールの弟で、鳥族最高の司祭と謳われるレバール・ド・ラフィール。最年少で司祭を継いだ美しい男だ。
 戦う力を持たない鳥族が、フォーリアを守るために出来る唯一の守りが、司祭の家系だけが持つ不思議な力だ。
 王は、血のつながりではなく、王として生まれるが、司祭は血を受け継ぐ。その血が絶えることも、鳥族の滅亡を意味していた。その身を守るために、結界を張る力を持っているのだと考えられている。
 竜族がこの門を突破する一番簡単な方法は、レバールを殺すことだが、もちろん彼はフォーリアの神殿から外に出ることはなかった。
 
 取り囲む門を突破しようと、巨大な竜が激しい音を立ててぶつかる。門はびくともしないが、衝撃は塔まで伝わった。
 細長く空に伸びる塔は、激しく揺れる。地鳴りは衝撃とともに、空に伝わる。
 最初に異変に気づいたのは、レオナルドだった。
 地上から遠く離れたフォーリアで、代わり映えのない日常のちょっとした変化に気づいた。
 鳥たちがざわめき、落ち着かない。
 森の木々は異様なざわめきに幹を揺らし、通り過ぎていく風はいやな匂いを運んでくる。
 いつもと何かが違う、小さな変化がレオナルドには怖かった。生きている年月、感じたことのない不安がよぎる。
 レオナルドは、フォーリアを走り回っていた。空を飛べたらこんなにも必死に走り回ることはなかっただろう。その悔しさに苛まれながら、必死に走った。
 いくら探しても、ユリアが見つからない。
 これだけ探しても見つからないとなると、フォーリアには、いないのだろう。その考えに、一度は足を止めたが、またすぐに走り出す。無意味だと分かっていながら探すのをやめられなかった。やめたらそこで認めることになるのが我慢ならなかったからだ。
 ユリアはきっと塔にいると、頭の中では分かっている。けれど、それを気持ちすべてで否定していた。

「姉さん……」

 レオナルドの予想通り、ユリアは塔の上にいた。最初の衝撃で目を覚まし、恋人であるジークの腕の中から飛び起きた。長い髪が、素肌のままの体を覆い隠す。
 突然、腕の中から消えた温もりを探すように、ベッドがきしみ、隣に寝ていたジークも起き上がる。乱れた髪をかきあげた隙間から、眉間に刻まれた深い皺が覗き見える。一瞬で、状況を察し、まどろんでいた雰囲気ががらりと変化した。

「ユリア……」
「塔が揺れている……」

 衝撃に、塔が揺れていた。
 何が起きているのか見ることは出来なくても、すぐに想像できた。
 ユリアの細い指は、真っ白なシーツに皺を作る。その手にそっと、日に焼けたジークの手が重なった。
 空気によって伝わってくる、異様な殺気を敏感に感じ取る。

「ユリア、すぐに戻って」

 窓から、飛び込んできた美しい鳥は、冷ややかに言う。窓際に止まると、大きな羽をはためかせながらせかす。

「父が、竜王が来ているんだね」
「そのようですわね」
「セレア!」

 ジークには、もちろん鳥の言葉はわからない。甲高い声と、冷たいまなざしに竜族の王子ですらひるむ迫力があった。ユリアは、そんなセレアの態度を戒めるが、セレアは気にしない。ユリアに確認するまでもなく、いらだったセレアの態度から、尋ねた答えが肯定なのは察することが出来た。

「レオがあなたを探しているわ。感のいい子ね、フォーリアにいて異変に気づくなんて」
「あの子は、普通の子とは違うのよ……すぐに戻るわ」

 ユリアと、セレアは無言の会話を交わす。
 あきれたようにセレアは、再び窓から飛び立っていった。先に行ってという口にしなかった言葉を察したからだ。
 ユリアと違いセレアは、ジークを快く思っていない。
 ともに生きる運命共同体とはいえ、別々の意識を持っている以上、聖鳥と意見が食い違うことはある。竜族と愛し合うなどセレアにしてみると信じられないことだが、反対しつつも目をつぶっていた。自分の気持ちはともかく、ジークとの時間がユリアを救っていることも察していたからだ。
 王と言う身は、心をすり減らすほど大変なものなのは傍にいるセレアが一番わかっている。恋人に癒しを求めても悪いとは言えない。その相手が鳥族ならばと思うが、鳥族でもっとも高い位置に立つユリアが、心許せる相手を鳥族から選ぶのは難しいのも真実だ。
 ユリアの心を理解していても、鳥族の血は竜族に恐怖を感じるもの。血に汚れた手でユリアに触ってもらいたくないという思いは強く、嫌悪感も大きい。冷ややかな態度は、どうしても変えることは出来なかった。

「戻らなくては」
「ああ、そうだね。わたしも、父の元に戻らなくては。何とか説得してみるよ」
「私も、鳥族の未来きめに行かなくては」
「今出来ることをしよう。わたしたちの未来のためにも」

 見つめあう瞳には、恋人たちの強い想いが揺らめく。触れ合う唇は甘い時を思い出させる。抱きしめあう腕には互いを必要とする強い想いがあふれ出る。優しく、髪に頬に触れてくれる手が、愛しい。このまま、時が止まってしまえばいいのにと、幸せな時が名残惜しくなる。
 けれど、それも一瞬。
 互いの腕の中から逃れた二人の瞳は、すでに王女と王子になっていた。
 甘さも、幸せも、心の奥に押し込め、強い責任と重たい無数の命を背負う。
 ふたつの種族の未来は、自分たちの手の中にある。
 恋人同士の甘い時間は終わりを告げ、迫り来る戦いに身を投じる瞬間がそこまで来ていた。
 正反対の道に歩き出した二人は、一度振り返り見つめあう。瞳だけで、硬い誓いを交わし、微笑みあった。
 再び歩き出した二人は、すでに前だけを見つめていた。
 地上に向うため、ひときわ大きな窓からジークは飛び降りる。外にはタイミングを見計らったように、真っ白な竜が現れ、ジークを受け止めた。巨大な白い翼をもった美しい竜の背に乗ったジークは、空を雄大に飛び一進に門の外を目指した。
 フォーリアに戻るために塔を抜け出したユリアは、小さく見える無数の竜族を見下ろし、綺麗な眉をしかめる。知らず、唇を噛んだ。零れ落ちるため息を抑えるために。
 
「姉さん!」

 ユリアの姿を見つけたレオナルドは、烈火のごとく怒り、誰もとがめることが出来ない王を怒鳴りつけた。弟の強い光を放つ瞳は、ユリアをひるませたが、今は弟をなだめている時ではなかった。
 すでに王殿には、長老院と呼ばれる鳥族の長老たちが集まっていた。レオナルドが呼びつけたのだろう。状況を把握しきれない長老たちは、レオナルドの怒りの意味がいまだに捉えきれないようだ。どこか戸惑った雰囲気でたたずんでいた。

「竜族が下まで来ています」
「そうですか……レオナルドの言うことは正しかったということですね」

 重苦しい空気が立ち込める。
 子供の戯言と思いたかった長老たちの思惑は外れた。竜族が門までたどり着いたということがどういうことか、分からない長老たちではない。忍び寄る滅びの時を一番感じているのだろう、表情が暗かった。
 漂う、諦めの空気に、レオナルドは絶望した。
 ただ一人、諦めていないユリアの表情には強さを感じたが、その王の描いている希望にレオナルドが賛成するわけもなかった。
 王と長老たちは、鳥族の今後について話し合っていたが、その内容からは未来を感じない。
 様子をじっと見詰めていたレオナルドは、我慢できなくなった。

「戦いましょう!」

 そこにいたことすら忘れられていたレオナルドの突然の声に、一同は振り返る。

「彼らの目的は楽園という場所だけじゃない。一番欲しいのは永遠の命です。迷信に過ぎない鳥族の粉を手に入れるためならどんなことでもするでしょう」
「レオ……」
「そんな迷信のために、鳥族は殺されるんだ……どうして殺されなくてはいけない!」

 鳥族は、死を迎えると空に還る。金色の粉になって風にのる。
 いつのころからか、その金色の粉を飲めば永遠の命が手に入ると言われるようになった。理由などない。伝説とは恐ろしいものだ。現実を目にしなくても噂だけが一人歩きし、永遠に生きるとされる鳥族の粉なら本当にそうなるかもしれないと思い込む。手に入らなければよけいに、本当のことかもしれないと疑わなくなった。
 永遠に生きたい。
 力あるものほどその思いが強く、叶わない願いほど欲望に拍車がかかる。欲しても手に入らない楽園と同じく、手に入れたくても手に入れられない永遠の命を求める者は多い。
 そして、その想いは時に暴走し、鳥族を殺せば永遠の命が手に入るに違いないと恐ろしい結末を招いた。粉が手に入るまで鳥族が殺され続けた悲しい過去がある。
 何人の鳥族を殺しても、そんな粉は手に入らない。鳥族の死は特別なもので、独特な儀式によって空に還される。空に還るためだけに、鳥族は命を金色の粒へと変えるのだ。それは、暗殺者の手によって出来るものではない。
 鳥族が空に還る瞬間を見るものがあったとしても、手に触れることなど出来ない。手に出来ないものを飲むことなど出来ないし、たとえ出来たとしても永遠の命が手に入ることはない。
 命は、すべてを作り上げた神の領域。人族である地上に生きるものが、どうにかできる問題ではないことを鳥族は知っている。すべての種族が知っている。知っていても信じたくないのは、神に愛されていると呼ばれる鳥族の存在が、あまりにも人族に反しているからだろう。
 鳥族がそうなのだ、自分たちもそうなれるのではないか。その甘い誘惑は、人の心を惑わせる。
 そんな存在だから滅ぼされるのだろうか。
 理不尽な迫害は、自分たちの存在がそうさせているのかもしれないと、ずっと思っていた。
 だからといって、滅びる定めにあるなどと考えたくない。自分たちも生きていいはずだ。
 レオナルドには、すべてを諦める大人たちが分からなかった。

「こんなの間違ってる。滅びていい種族なんていない。特別な存在だから、そんな存在の種族などいなくなったほうがいいって簡単に割り切ることなんて出来ない。じゃあ、何のために鳥族は存在しているの。何のために僕は生まれたんだ!」
「もちろんよ、レオナルド。滅びていい種族なんていません。鳥族もこの大地に生きる大切な存在です。確かに、私たちは特別なものを多く持って生まれてきた。それが人族の間で諍いの火種になっています。鳥族がいなければ、人の欲望を掻き立てることもなく、もっと平和な世界になったかもしれません。火種を生む特別な存在は消え去ったほうが平和は訪れるし、竜族ももっと戦いを拒む種族だったかもしれません。だからといって、私たちが消えれば元に戻るわけではないでしょう。鳥族の存在を消しても、もう元には戻らない」
「だったら……」
「新たな形をつくるしかないのです。ともに生きること、それ以外に鳥族が生き残る道はありません。私たちを受け入れてくれる世界でなくては生きられないのです」
「ともになど生きる時代なんてもう来ない」
「それを諦めてはなりません。諦めるということは、鳥族が生きていくことを諦めることです」

 ユリアは、ひるまない。ゆるぎない強い決意を感じる瞳に、ひるんだのはレオナルドのほうだった。生きるためには、共存するしかないのだという王の言葉は重たかった。
 長い歴史を振り返る。
 ともに生きることができなくなった時から、鳥族は逃れることで身を守ってきた。逃げ場がなく、追い詰められた今、生きぬく道をあげるとしたら、共に生きるしかない。
 その場だけの感情で動いては王は務まらない。子供の浅はかな反発など、何の役にも立たないのだと言われている気がした。
 けれど、どうしても言葉の裏にあるものを想像してしまう。
 竜族の王子と姉の関係を知るレオナルドは、ユリアの言葉をそのまま受け入れることは出来なかった。
 姉をジークに取られた嫉妬心もある。自分が一番の存在だったのに、よりにもよってもっとも嫌いな一族の人間に姉を取られることは、どうしても受け入れられない。
 竜族への嫌悪と、ジークへの嫉妬が混ざり合い、より強い不信感へと変わっていく。

「じゃあ、姉さんは共存するために、ジーク王子との仲を深めたと?」
「ジーク王子?」

 長老たちが、いぶかしげな声を上げる。レオナルドの冷たい視線をたどり、ユリアの様子を伺った。ジーク王子と聞いて浮かぶのは一人しかいない。
 竜族の王子。
 長老たちの頭にもすぐに一人の男の顔が浮かんだのだろう。戸惑いが顔に表れている。

「王、まさか竜族の王子と……」
「そのことはいいのです」
「なにが、どういいんです?利用されるとは思わないのですか」
「レオ!」
「たとえ、二人の間に本物の愛があったとしても、その想いを他の人間が利用しないとは言えないでしょう!」
「それは……」
「ジーク王子は塔に登れる。竜族が塔に登れることの重要性を考えろよ!」
「塔に登れる……本当なのですか」
「まさか、竜族の王子が塔に入り込めるなんて」
「私たち二人は、望むべき未来が同じです。争いのない世界を求めている。竜族と鳥族の間の溝も埋めたい。彼は竜族を、私は鳥族を、二人は別々の場所で同じものを目指している」

 ユリアは穏やかに言う。

「彼は、塔に登れる。だからこそ、私は彼を信じた。あの塔の結界は、私が王になる時にかけかえました」
「え?」
「父は、完全に竜族の侵入を拒んだ。私は、それに条件を提示したのです。塔に入れるものは、野心のない心の綺麗な人です。彼を愛した自分を、私は恥じたことはありません。たとえ、種族の違いが罪になったとしても」
「王……」
「責められるのは覚悟の上です。でも、彼は信用できる人です。レオ、あなたにまで信じろとは言いません。けれど、忘れないで。信用するということは勇気です。どんなに敵対する種族であったとしても、それぞれは別の人族です。必ずいるはずです。信用できる者が。そうでなくては悲しいではないですか。必ず信じられる人がいることを諦めてはいけません。こちらから信じなければ、相手も信じてはくれないのですから。信じることを恐れはいけません。自分の心に、従いなさい。形式にとらわれず、目の前にあるものを見て、自分の心に従うのです。いいですね、レオ。曇った目で見るだけでは、何も変わらないのです」
「姉さん……?」

 訴えかけるようなユリアの言葉は、まるで言い聞かせるように力強かった。言葉が頭に刻まれる。今まで見たこともないような姉の瞳は、王というよりもっと、高貴な色を感じた。

「話し合いの席を持たなくては」
「話し合いなど出来るでしょうか?」
「王である私が申し出れば可能でしょう。竜王も、フォーリアが欲しいのなら、みすみすこちらの申し出を断ったりしないはずです」
「話し合いで何が変わると?」
「鳥族が滅びるのを食い止めたい。フォーリアを諦めてもらうように説得しなくては。ここは竜族にとって楽園ではありません。鳥族にとってしか楽園とは呼ばないことを分かってもらわなくては。フォーリアを手にしたとしても彼らにいいことなどないのですから」
「そんなことが分かる者たちならとっくに諦めているでしょう」
「永遠の命だって与えることは出来ません。すべては、思い込みにとらわれた、無駄な争いだと訴えます」
「諦めてくれるのを願うしかないでしょうな」
「そうなるように説得するのは私の務めです」

 その説得はきっと、意味なく終わるだろう。
 誰の頭にもそんな言葉が浮かんだに違いない。説得が通じる相手なら、大陸全土から恐れられる悪魔のように語られることはない。彼らは、力しか信用しない。戦って勝ち残ったものが勝者だ。話し合いで同意がなされるとは思えない。
 王の意思が固いことは疑いようもない。どんな言葉を並べても、気持ちを覆すことは出来ない。そこにいるのは確かに王だ。自分の命を懸けてでも鳥族を守ろうとする王の姿。
 長老たちは、ユリアが心の中で決めた覚悟に気づいていた。王に伝わる、王だけの力。その力を使う時が来るかもしれない。長老たちですら一度も見たことのない、鳥族にとって最大の力といってもいい。語り継がれる古からの言い伝えを知る長老たちは、王の決断が最終手段であると分かった。
 古などまだ知らぬレオナルドだけが、複雑な状況が訪れていることに気づかなかった。

「私に何かあったら……分かっていますね」

 最長老にユリアは言う。
 静かにうなづいた最長老は、ユリアが差し出したペンダントを受け取った。
 ペンダントと共に託されたユリアの思いは、白い手のひらにしっかりと収められた。
 ユリアは一度だけレオナルドを振り返った。大きな決意を瞳に宿しているのは、レオナルドにも分かる。去っていく後姿を見つめて、急に不安になった。

「どうしてです、最長老!」
「レオナルド、その手を血で汚せばどうなるのか、分からないお前ではないだろう」

 諭すようにいう最長老の言葉に、息を呑む。鳥族にとって、血に穢れるということは、鳥族であることを放棄すること。最大の罪といってもいい。

「鳥族である誇りを忘れてはいけない。道はきっとある……」

 道はきっとある……それは小さな願いだった。
 小さな希望を信じられたらどんなにいいだろう。レオナルドに鳴り響く不安のシグナルは、最長老の言葉で消えることはない。
 不安に押し出されるように、走った。向った先は、神の庭のすぐ傍にある浮島。鳥族で王の次に地位のある司祭が住んでいる祭殿だ。

「あそこならすべてが見渡せる」

 下界へいけないレオナルドが、唯一地上を覗ける場所。黙って待つことなど出来ない。どうしても、知りたい。どうしても、見なくてはいけない。
 焦るレオナルドには、浮島は遠い。走っても、たどり着けない目前に浮かぶ浮島を見上げて、その距離が自分と大人の鳥族の距離だと感じる。
 飛び交う、尾長鳥の足につかまると、祭殿まで連れて行ってとお願いする。尾長鳥は、快くとは行かずとも、まっすぐと祭殿を目指してくれた。
 尾長鳥ですら、レオナルドよりずっと大きな翼を持つ。

「そんなに急いでレバールに用でもあるのかい」
「うん……」
「そうか、いやな空気が流れているものな」
「あなたも感じるのですか?」
「野生の感ってやつだよ。お子様の癖に、敏感だね」
「子ども扱いするな」
「子ども扱いも、自分で飛べないやつは子供だ」
「……みんな子ども扱いして」
「でも、お前の目は子供じゃないよ。早く大きくなれるといいな」
「……ありがとう」
「さて、着いたぞ」

 尾長鳥は、祭殿の入り口にレオナルドを下ろすと、軽快に飛び立っていった。

「レバール、いる?」

 人気のない祭殿は、小さな声も大きく聞こえる。反響する声に、足音が混ざる。

「レオナルド様、どうしたのです」
「水鏡を見せて」
「水鏡?」
「塔の中の様子が見たいんだ」
「どうしてです?」
「知らないとは言わせないよ。今、何が起ころうとしているか、レバールが知らないはずがない!」
「レオナルド様、あなたも知っておられるはずです。水鏡は司祭しか見ることが出来ない特別なものだと。いくらあなたでもお見せするわけには行きません」
「僕は見ないわけには行かないんだ!塔で何が起きているのか、知らないわけにはいけないんだ!」
「レオナルド……」

 レバールにすがりつくレオナルドの瞳は、今にも涙をこぼしそうなほど切なさを漂わす。必死さに、レバールは目を見張る。

 ―― 何かを感じ取っているのか……。幼いころから、子供らしさのない子供だと思っていたが……彼は?

「僕は行きたくっても塔に行けない。何が起きているのか知るにはこれしかないんだ!お願い、レバール」

 子供とは思えない迫力に、レバールは押される。
 幼いころからレオナルドと付き合いのあるレバールは、常に彼から不思議な力を感じていた。鳥族の誰よりも強い光を持っている。司祭だから感じ取れるその光の色は、ユリアよりも強い。その意味を彼自身読みきれなかった。
 何の肩書きも持たない、小さな翼のままのレオナルドの光の強さ。それが何を意味しているのか、一番知りたいのはレバールだ。
 はっきり分かるのは、彼は鳥族にとって特別な存在であるということ。 水鏡を掟に反して見せるに値するほどの……。
 折れるのは、いつもレバールだった。

「あなたには敵いませんね」

 ため息を吐くと、広間を抜け、奥にある小さな部屋へと導く。部屋の中央には水のたまった巨大な水槽がある。石造りの水槽は、美しい装飾が施され、レオナルドの腰の高さほどある。装飾の一部のような階段を上り、一番上にひざをつくと、水の中を覗き込んだ。
 この部屋には天井がなく、空が移りこんでいる。まるで鏡のように鮮明だ。そよぐ風に波紋を描くこともなく、揺らめきひとつない。
 その水面に、音を立てて水が落ちる。レバールが、水差しで水を注いでいた。波打っていた水面が静まり返った時、かがみこんで白い指が水面をはじく。綺麗な波紋が、ひとつ流れていったあと、レオナルドはぼんやりと映し出された映像を感じた。
 水の中に落ちそうになって、必死に縁をつかんだ。
 頭がぐらぐらと揺れていた。止まったはずの波紋が無数に目の前に現れ、体から何かが抜け出していく浮遊感を感じた。

「意識を集中させなさい」

 レバールの声に、レオナルドは失いそうな意識を水鏡に移る世界に集中させた。ふわふわした浮遊感は薄れ、はっきりと地上が見えた。一度も見たことのない、死んだ土の色が見える。そして、その大地を踏み荒らす無数の竜族の姿も見えた。塔を取り囲むよう集まっている。

「竜族が、塔にたどり着いたのですか……」
「簡単には塔に近づけないはずだよね」

 意識の調整をうまくこなせるようになったレオナルドは、水鏡から目をそらしてレバールに聞いた。

「ええ、巧妙に塔は隠されている。見えていても見えていないのです。彼らがここにたどり着いたということは……北の森を抜けてきたということ」
「北の森……もしかして、地族が……」
「何らかの形によって、地族の居場所をあぶり出し……」
「滅びた……?」
「……まだそうと決まったわけでは」
「それでも、地族が守ってきた結界は破られた」

 水鏡を通せば地族の住む北の森を見ることが出来る。けれど、レオナルドは水に映る世界を、北の森に変えてくれと言葉に出来なかった。
 鳥族なら誰もが、結界がどれほど強いものか知っている。
 塔を目隠しする結界もレバールの兄が張ったもの。
 それを通り抜けて塔にたどり着いたということは、唯一の道を通ったとしか考えられない。道を守る地族が何事もなかったはずはない。その事実は、認めなくともレオナルドの心を苦しめた。
 アシュリー王には何度か会ったことがある。彼は、鳥族以外で唯一フォーリアに足を踏み入れた人物だ。大きな体で、筋肉隆々な姿に驚いてユリアの背に隠れたことを覚えている。そんなレオナルドを見て、やさしく微笑んだ顔も覚えている。
 豪快で愉快な性格の優しい王に好感を持った。怖がらせないように気をつけながら、抱き上げてくれた太い腕。痛いほど抱きしめられた強い力。息をするのにも苦労するほど強く抱きしめられ、顔をしかめたが、温かかった。最後にはひょいと、肩に担ぎ上げられ、軽い荷物のような扱いに自尊心を傷つけられたが、父を知らぬレオナルドにとって、初めて感じる温かさだった。
 もう、あの豪快な笑顔に出会うことがないかもしれない、そう思うとたまらなく切なく、そして竜族への憎悪が増すのだった。
 同時に、地族の守りを失った鳥族は守りの砦も、戦うすべも持たない弱い存在となった。
 フォーリアを地上から切り離し、天空のみで生きる道を選んだとしたら、もしかすると存続の道はあったかもしれない。けれど、すでにもう遅かった。
 塔の封印は、ジークによって解かれたといってもいい。

「もちろん、塔にたどり着いたからといって、塔に登れるわけではありません。安心して下さい」
「本当にそう思ってるの、レバール」
「どういうことですか?」
「塔も破られる。だって、すでに塔に登っている竜族がいるんだから」
「何ですって!?」
「ありえないことだと思う?」
「いいえ……邪心がなければ……けれど、竜族にそんな人物が……」
「邪心って、楽園を望まないってことだよね」
「ええ、そういうことです。ユリア王は、希望を持った結界にしたいと、塔の結界をその条件で張り替えたのです」
「あの男の想いには邪心にならないってことか……」
「あの男?」

 レバールは、レオナルドの言葉に聞き返した。不機嫌さを隠さない、怒りに満ちた表情のレオナルドは小さく鼻で笑った。

「竜族の王子だよ」

 水鏡に映るたくさんの竜族の中にいる一人の男を指差した。
 門の破壊を支持する男に、すがりつくようにしている男がいる。
 趣味の悪い鎧に身を包み、作りは美男子でも、醜くゆがんだ恐ろしい顔をした男は、かたくなにすがりつく息子を制している。まったく聞く耳も持たず、竜に門を壊すように指示を与えていた。
 美しい顔に必死さを浮かべ、父の腕にすがりつく王子の様を、レオナルドは冷ややかに見つめた。
 再び火竜が火を噴出そうとした時、白い羽竜が攻撃を試みる。地獄の使いのような火竜と、天上の使いのような羽竜は、にらみ合い互いにけん制しあっていた。
 王と王子の竜だ。
 王に歯向かう息子の竜に怒りをあらわにし、他の竜にも突撃命令をだしたようだ。白い竜を取り囲むように、火竜が集まってくる。強さなら、火竜のほうが上だろう。けれど、取り囲まれてもなお悠々としている王子の竜は、格上のように見えた。

「ジーク王子?」
「邪心を楽園限定したのは間違いだったね。だから見逃したんだ、きっと。フォーリアより、永遠の命より……ユリアを欲しているあの男を」
「何ですって?」

 思いもよらなかったレオナルドの言葉に驚いたレバールは、手に持っていた水差しが水場の縁にあたって大きな音を立てた。レオナルドの視線は、水鏡に向けられたまま動かなかった。怒りと不機嫌さの中に、切なさと悲しさが映りこむ。
 ジークばかり映っていた瞳に、ユリアの姿が加わった。

「ユリア様はジーク王子と……」
「みんな気づいてないんだね。あの二人は、塔で密会しているんだ」
「まさか!」
「姉さんはあの男を……愛している。あの男が姉さんのことをどう思っているのかは知らない。でも、塔をみつけ、さらに塔に登れるってことは塔を欲する邪心はないってことでしょ?」
「ええ、その通りです。しかも、門の中で幻影を見ることもないはずです。ユリア様への愛は、邪心にはならないでしょうから」
「そう……あの男の想いも本物ってわけだ」
「まずいことに、もし彼が塔の中に導けば、塔は簡単に竜族の手に落ちる。塔の天辺までたどり着くでしょう。そうなれば、フォーリアは、竜族の手に落ちることになる。ユリア様の思いが裏目に出る形で、竜族にフォーリアへの道を与えてしまうでしょう」
「それが目的ってことはないの?」
「……無意識だとは思います」
「故意かもしれないじゃないか」
「そうなら、塔に拒否される……はずです」

 レバールにも確信はなかった。邪心を隠しながらユリアに会いに来ることは出来ない。塔は、司祭が張った結界は簡単にだませない。本当にユリアだけを想っていなければ、結界に阻まれ塔には上れない。
 運良く門の中に入り込めたとしても、門の中に入れば試される。そのものが血に満ちたその手を捨てられるかどうか。現れる幻影の兵士を一人でも剣で切り裂いたら最後、先に進むことも、戻ることも出来なくなる。永遠に塔の地下をさまようことになる。フォーリアへの邪心が綺麗に消えるまで。

「何も起きなければいいけれど」

 呟くようなレオナルドのささやきは、珍しく子供らしさを含んでいた。

「それは、多分無理でしょう」

 レバールは、小さく息を吐いた。

「共に生きることを放棄してから、ふたつの種族の間に、優しい会話など成り立つはずがありません。鳥族の王と、竜族の王が会うのすらかなりの時が立っています。何もなく、この状況が終わるとは思えません」

 それは、不吉な予言のようだった。司祭なだけによけいに恐ろしい。
 レオナルドには何も出来ない。ただ、ここから何が起きるのかを見ていることしか出来ない。
 あとはただ、鳥族の未来を祈るだけ。
 レオナルドの意識は、再び地上へと向けられた。

 ユリアは、門の上から優雅に地上に飛び降りた。
 ふたつの種族の王は、門を背に向き合っている。
 巨大な竜も、脇によけ控えるほど、その場は王の力に満ちていた。
 ユリアの肩にとまる美しい鳥セリアは、けん制するように竜たちに視線を送る。
 ジークは、ユリアを確認すると、するりと王の後ろに回り、その腕をそっとつかんだ。殺気だつ緊迫した空気を感じ、竜王がいつユリアに飛びかかるか分からないと思ったからだ。
 竜王は、相当な剣の使い手だ。不意打ちに切り込まれては助けるすべを持たない。何が起きるか分からない、ジークの体は緊張に震えていた。いやな予感がしてならない。
 余裕に微笑みさえ浮かべているユリアの心中も、同じように震えていた。それを表にまったく出さないのは、王として培われてきた強さだ。
 
「未来が見えればいいのに……」

 レオナルドの小さな呟きは、傍にいるレバールにさえ聞き取れないほどの弱々しさだった。
 もしも、未来が見えたなら、こんなに不安に胸を押しつぶされるような感覚を味わうこともない。
 司祭という神秘の力を持つレバールにすら見えない未来が見えるはずがない。
 王の力をもってしても、未来は分からない。
 小さな身動きですらも、張り詰めた糸がぷつりと切れてしまいそうな、緊迫した状況。感じる恐怖は破滅に近い。
 未来など、見えないほうがいいのかもしれない。
 闇に隠れ、光がまったく見えない未来を感じ取ってしまったとしたら、レオナルドは立ち上がることすら出来ないと思う。絶望を見てしまうくらいなら、不安に押しつぶされそうなほうがいい。まだ、希望の光くらいは残っているのだから。
 息を詰めて、レオナルドは自分が望んだ『今』を見つめていた。一瞬たりとも、目を離さず。その場面を目に焼き付けるように。それが、自分の役目だと言い聞かせながら。


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