第四章

 第一話 不協和音

   <月の図書館>   


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 遥か昔。
 地上に命が誕生した頃、天空に浮かぶフォーリアという大地は、鳥族の住処だった。
 すべてが空にあるフォーリアは、彼らのために作られた楽園で、彼らのために存在した。
 けれど、鳥族はその地を捨てた。
 他の種族と共に、地上で生きたいと願ったからだ。
 神に愛された種族は、神に与えられた楽園を捨て、地上に降りた。

 それが、悲劇の始まりだった。

 神の怒りを買ったのか、地上で彼らの住処は見つかることはなく、地上を手中に収める竜族に追われることになる。
 長い間、迫害され続けた鳥族が最後にたどり着いたのは、北の果て。
 何もない、この世の地獄のような場所だった。
 極寒の寒さの中、死を覚悟する。その時、彼らは天空の大地を見つけた。
 住むべきものに捨てられ、天空を彷徨っていたフォーリアだ。
 地上で暮らすことを夢見て捨て去った地に、地上を追われた末にたどり着くなんて、皮肉なものだ。長い年月が過去の時代の記憶を奪い去り、その地が自分たちの祖先が住み、捨て去った場所だとは誰も知らなかった。
 救われたと心から喜んだ鳥族は、神に感謝した。
 まだ、生きることを認められたのだと喜びに満ち溢れ、断ち切ることのできない絆が存在するせいだとは考えなかった。
 それを知るのは、フォーリアに移り住んだ後になる。その現実を目の当たりするまでは、神が、与えてくれた、チャンスなのだと素直に喜んだ。
 楽園と呼ばれるフォーリアを手に入れれば、竜族との溝がより深くなることはわかっていた。
 これ以上、竜族から迫害されないためには、楽園に住むべきではないとも思った。
 けれど、どうしてもできない。この地で生きていかなければと、肌で感じた。
 頭に記憶されていなくても、血に刻まれるフォーリアの記憶は、彼らの心を離さなかった。
 フォーリアは、鳥族の大地。鳥族のためだけに存在している。
 目に見えない絆と、耳には聞こえない叫びが、互いを呼び合う。
 鳥族が、その地を捨てるなど最初から出来なかったのだ。
 だから、竜族がその地を求め、鳥族を迫害し続けても、楽園を守り続けた。
 一度捨てた罪を償うように、ひたむきに守ろうとした。
 神に歯向かったことを謝罪するように、その地を愛し続けた。
 けれど、一度狂った歯車は、簡単には元に戻らない。
 楽園を守ることで鳥族は窮地に追われ、後に滅びを迎えることになる。
 滅ぼされる瞬間まで、誰一人として竜族の憎しみがそこまで深いものだとは思っていなかった。
 日々、状況は悪化する。
 竜族との関係は、修復できないほど窮地まで追い詰められていった。
 そんな、激動の時代に一人の王女が誕生した。
 鳥族最後の王。
 その名を、ユリア・ラ・ジェラルディスという。



 暖かい光が降り注ぎ、優しい風が緩やかに大地をなでていく。
 濃い緑の香りは一年中変わることなく、きらきらと光を浴びる湖面は、水の奥底までさえぎることなく映し出す。元気に泳ぐ小さな青い魚が、空を飛び水に戻っていった。
 変わることのない当たり前の日常。平和だと呟き、空を見上げるようなのどかな午後。いらだつ事など見つからない穏やかな空気。
 それなのに一人の少年は、今にも声をあらげて怒鳴り散らしそうなほどいらいらしていた。
 大木ばかりの森の中、小ぶりな木の下に身を隠している。
 木漏れ日を浴びる透き通るほど白い肌の少年は、美しい銀色の髪を持っていた。背中ほどまで無造作に伸ばし、ときおり吹く風が絹糸のように緩やかに髪をすいていく。
 怒りは、強い意志を表す青い瞳からもよくわかる。可愛い顔立ちには似つかわしくなく眉間には濃いしわを寄せ、少年にしておくのはもったいない赤い唇は弓なりにゆがみ、白い歯が何かをかみ締めるように唇を噛む。
 鼻筋も通っている完璧な顔のつくりの少年は、笑えば美少年に見えるだろうが、今はそんな雰囲気を感じさせないほど怒りを表していた。
 身長よりだいぶ長い衣装は、鳥族特有のものだ。
 足が見えないほど長く引きずって歩く。
 白と青を基調とした立派服装はとても質のいいもので、凛々しい顔立ちと共に育ちのよさを表していた。
 大人になりきれない幼い顔立ちをしているが、瞳は聡明さを現し、背中にちらりと見え隠れする小さな翼が、体を覆うほどの大きさなら立派な成人男性に見えるだろう。
 子供らしからぬ表情をしていたとしても、この種族で小さな翼は子供と言われる。
 それが、少年をいらいらさせるひとつの理由でもあるが、それだけがこの陽気に、不機嫌な顔をさせているわけではなかった。
 あまりに体に力が入りすぎていて、自分の世界に閉じこもっていた少年は、急に肩に感じた小さな重さに体が硬直した。
 白い小さな鳥の重さは、慣れ親しんだものだ。
 チッチッと鳴いた鳥をしばし見つけめ、ため息をつく。
 少しだけ余裕が出来た少年の目は、遠くを見つめた。
 やはりそこには見慣れたいつもの風景が、のどかに広がっていた。
 のんびりと穏やかさを楽しんでいるような時ではないのに、のどかさが当たり前で、何も考えられなくなる。まるで何事もなく時だけが過ぎていくように、同じ日常が繰り返される。それが幻に過ぎないことを知っている少年ですら、そう感じてしまう。

「レオ?」
「ヘレス……どうしてこんなにのどかなんだろう。こんなに、緊迫した状況だって言うのに」

 少年……レオナルドは力なく呟くと、またため息を吐いた。ため息と共に、どんどん体から力が抜けていく。
 遠くに見えるのは、『神の庭』と呼ばれる場所だ。
 フォーリアのどこにいても見ることが出来るほど、一番高いところに浮いている。
 地上から切り抜かれたように見える場所は、とがった岩肌だが、その頂は緑と水に溢れている。
 中央にある巨大な大木が大地を持ち上げ、大木は一面に広がる水の中に根付いている。湧き上がる水は地上に降り注ぎ、受け止めた大地からまた下の大地へと落ちて行く。
 水も緑も、『神の庭』で生まれる恵みによって存在している。
 そして『神の庭』は、水や緑を生み出すだけでなく、鳥族の命すら生み出す。
 鳥族の王ですらめったに足を踏み入れることの出来ない、神聖な場所だ。
 中がどうなっているか知っているものは少ない。楽園を手に入れた鳥族にとっても、唯一手に出来ない神秘の場所と言ってもいい。
 地上から浮いているのは、『神の庭』だけではない。ほとんどの物が地上から浮いている。レオナルドが立っているその場所も、地上に住む種族たちにとっては浮いている場所になるのだろう。
 フォーリアは、天上の楽園であるが、小さな翼しか持たないレオナルドにはそれが信じられなかった。行動できる範囲が決められているレオナルドにとって、見える場所がすべてであり、ここが地上から切り離された天上の大地と言われてもぴんとこない。
 それでも、アストラートに住む種族との確執は知っている。
 楽園と呼ばれるこの地に住む鳥族が、いかに疎まれた存在であるかも知っていた。
 子供とは思えない知識と、博学といってもいい頭を持った彼は、成人していない少年だとしても、鳥族がおかれている状況をすべて理解していた。
 透き通るようなガラスの瞳に映る意志の強さは、何も知らない子供だからこそ持ち合わせる純粋な鳥族への愛情から来る。
 すべては、鳥族が生きるために必要な強い力だ。
 何も出来ないと諦めている大人とは違い、何かしなくてはいけないと訴えかける強い意志。
 子供とばかにされ、話しさえ聞いてくれない成人した鳥族には見えない現状が、彼には見えていた。
 だから、よけいにもどかしい。
 自分が子供であることに、力のないちっぽけな存在であることに、レオナルドは心を痛めていた。

「この翼が大きくなったら、みんな話を聞いてくれるだろうか?」
「どうだろう、それでも耳を貸さないのではないか」

 レオナルドの肩に止まるヘレスが、レオナルドの問いに答える。

「ならこのまま滅びるのを待つのか?」
「滅びるとは決まっていないだろう。王は、信じて疑っていない」
「疑っていないだって?竜族と共に生きられると?」
「そうだろう。共存できると望み、信じている」
「ばかばかしい。あのようなものたちと共存なんて」
「俺たちが知らないだけで、いいやつかもしれないだろ」
「…………そんなはずはぜったいにない!」

 実際に竜族を見たことのないレオナルドは言葉を濁したが、共に生きることが出来ない一族だとは疑っていなかった。
 過去に何があったということは知識でしか知らないが、彼らが何を欲し、何をしようとしているかは、その目で確かめなくとも感じ取ることが出来る。
 子供は何も知らなくていいという王の願いとは裏腹に、レオナルドは見たことのない地上の出来事を見てきたように知っていた。
 子供だから知らなくていいなんてことはない、と言う彼の努力の賜物だ。しかし、その努力は彼から子供らしさを奪い、正義感の強さが彼の生き方すら変えていることに誰も気づかなかった。

「僕は信じない。竜族と共存なんて出来ない、王も目を覚ますべきだ。そして鳥族も考えるべきだ。どうやったら生き残れるか。ただ滅びの時を待っているなんて、僕はそんな未来を見たくない」
「レオ」
「今だ。今、何かをしなくては、何もしないまま滅びてしまう。なのにどうして、王も重臣たちもなにもしないんだ」
「なにもできないんだろう」
「だからって、滅びの時を指をくわえて待っていろって?確かに、僕たちは戦う力も術も持ち合わせていない。でも、このまま滅び散っていくなんて、悲しすぎる。僕たちだってこの世に存在していいはずだ。ただ、消えてなくなるなんて僕は嫌だ」

 ギラギラと光る瞳。その強さは鳥族ではまれな強さだ。

「僕にしか出来ないのなら僕がやる。重臣たちが王に何も言わないのなら僕が言う。これは、王の弟として生まれた僕の務めだ。そうだろう、ヘレス……」
「……そうだな」

 レオナルドは感じ取っている、この背中の翼が大きくなるまで待っていることは出来ない。子供だろうとなんだろうと、今言わなくてはいけない。
 生まれてすぐに両親を亡くしたレオナルドにとって、姉であるユリアは王であり、父であり、母である。自分を育ててくれた、可愛がってくれた恩もあるが、王としての姉も支えたい。その強い願いは、物心ついた時から変わらない。
 けれど、時に強い意志はレオナルドを苦しめる。強い意志のせいで王の変化に気づいてしまった。誰も知らない王の秘密を知ってしまった。この世を大きく揺るがす重大な秘密。子供が知るには、あまりにも重たすぎた。もう、無垢な子供のように無邪気に遊びまわっていることなど出来ない。姉はそういう弟を望んでいたとしても、姉の思いを裏切ったとしても、秘密を暴く必要があった。
 苦しい選択にレオナルドはあえいでいた。。
 姉も、鳥族すら裏切るような、口にもしたくない言葉を言わなくてはいけない。
 姉の変化に、何度気づかなければ良かったと思ったことか。忘れられたらいいのにとすら思った。何も知らなければ、こんなにも戸惑うことも、怒りを感じることも、不信感を感じることもなかったと思う。でも、知らない振りは出来なかった。知ってしまったことは、記憶から消すことは出来ない。姉に感じてしまった不信感を拭い去ることは出来なかった。

「今だって信じたくない!でも、事実なんだ……」

 レオナルドの悲痛な呟きに、小さな葉音が混ざった。

「どこへ行かれるのですか?」

 レオナルドは、草を踏む小さな音に反応すると、音がした方に厳しい視線を向けた。子供にしては低く冷たい声が響く。
 その声に、ぴたりと足音が止んだ。

「レオ……」

 驚いたように呟いた声に、レオナルドは薄い笑みを浮かべた。まったく気配を感じていなかったユリアは一瞬戸惑いの表情を浮かべるが、すぐに優しい笑顔を浮かべた。

「もちろん、地上へ参ります」
「嘘は言わないで下さい、王」
「嘘などついていないわ。私は竜族との共存を諦めていないのよ。あなたも知っているでしょう?そのためには色々働きかけなくてはいけないことがあるのです。今日もアシュリー王に会いに……」
「地族に会いに?本当ですか?アシュリー王にいったいどんな話をしにいかれるのです。我々のために死んでくれと?」
「レオ!」

 レオナルドは、ユリアの言葉をさえぎった。
 とんでもない問いに、ユリアは顔をしかめた。子供をしかりつける親のような表情だ。
 地族は、鳥族を敬愛する種族のことだ。
 竜族のように戦闘一族であり、古くから鳥族を守ることを生きる糧にしている。
 竜族に言わせれば腰ぎんちゃく、言い方を改めても護衛部隊というところだろう。
 地を這うような類まれない運動能力と、岩さえ砕く強靭な体を持つ。竜族よりはるかに巨大さを感じる大柄な一族で、ごつごつと盛り上がった筋肉は見るからに怖そうだ。女の人ですら幼い時から武器を持って戦いを仕込まれる。怖そうに見える容貌とは裏腹に心優しい一族でもあり、敵と判断しない限り武器を取り出すことはない。
 戦わない一族である鳥族が生き延びてこれたのも、地族の存在あってこそだろう。
 竜族に北の地へと追われた時も、彼らの助けがあったから生き延びることが出来た。鳥族を助けたのち、自らの住処を北の森へとかえ、鳥族を侵略しようとする竜族から守り続けている。北の森を通らなければ、フォーリアにたどり着くことは出来ない。守護神を守るために地族は体を張り、鳥族のために血を流す。
 レオナルドにとってその事実は、とても受け入れられないことだった。どうして鳥族は自分の命を守るために戦わず、地族だけに戦わせるのか。守られるだけ守られて、彼らに何を返しているというのか。
 医学の心得の少ない地族に癒しを与えているのは鳥族だが、それと命を交換できるはずもない。どう見ても、地族が鳥族のためにかけているものの方が大きすぎる。
 レオナルドは、ずっと地族は鳥族のために命を散らし、鳥族は傲慢にもそれを容認している現状に疑問を持っていた。それを言葉にしてはいけないと思いながらも、レオナルドの中に膨らみつつある怒りはそれを抑えてくれなかった。

「レオ、そのように言ってはなりません」
「地族の犠牲はどうでもいいというのですか」
「そうではありません……彼らの命も大切なもの。軽くなど見ていません。だからこそ、現状の確認と、今後の話し合いをしに行くのではないですか」
「この間も同じようなことをおっしゃっていたと思いますが」
「何をそんなに怒っているのです」
「……僕は知っているんです。王がどこで、何をしているか……そこで、誰に会っているかも」
「!」

 ユリアの顔が強張り、息を飲む音がする。けれど、それは一瞬だった。すぐさま誰にでも見せる王の顔、微笑をたたえた優しい顔になる。その変化の速さすら今のレオナルドには、苛立ちを増すだけの原因になった。

「何を言っているのです。ですから、アシュリー王に……」
「違う!もう一度言います。僕は知っているんです。姉さんが……竜族と会っていることを」
「ばかなことを」
「ばかなこと?それは、そっくりお返しします。竜族と会うことは、ばかなことではないのですか」

 ユリアは、笑っていられない状況に陥っていた。
 冷静に、と自分を言い聞かせるようにいつになくのんびりと優しい声で話す。けれど、可愛いはずの弟が怖く感じ、声が今にもかすれてしまいそうなほど弱々しいことに自分でも気づいていた。
 揺れ動くユリアの視線とは裏腹に、レオナルドの瞳は揺らぐことはない。

「どういうつもりなのかわかっているのですか。鳥族を裏切りたいのですか!」
「いい加減にしなさい!会っているのは竜族ではなく地族です」

 重たい空気から先に逃げ出したのはユリアだった。レオナルドが知るはずがない、と口に出さずに何度も自分に言い聞かせる。成人していないものは、下へは行けない。自分が何をしているかなど知るはずがない。ここでうろたえるわけには行かない。姿勢を正すように、余裕ある表情を貼り付ける。

「もう行きますよ。約束の時間に遅れてしまいます。お前もばかなことを考えず、皆と遊んでいらっしゃい」

 レオナルドが一番子ども扱いされるのが嫌いなのを知っているユリアは、わざとその言葉を持ち出した。レオナルドの発言を一蹴するように軽く笑い声を立て、軽やかに歩き出す。

「姉さん!利用されているとは思わないのですか!」

 去り行く後姿に言葉を投げかける。ユリアは、勢いよく振り返った。振り返ってから、しまったと思った。

「何を……」

 姉の腕にすがりつき、必死で訴えかける。ひるむどころか、強い光を失わない瞳がユリアを射抜く。腕に感じる手のひらは子供としか感じないのに、向けられる瞳は誰よりも強い。

「鳥族と竜族の溝は埋まらない。それを一番感じているのは姉さんではないですか」
「そんなことはないわ、いつかは埋まる溝です」
「僕たちの目を欺いて会っている相手に対してそう思うからですか」
「誰のことを言っているのです」
「ご自分の胸に聞いてみてください……竜族が欲するのはこのフォーリアと永遠の命。彼らはそれを手に入れるためなら何でもするはずだ。王を利用すること……」

 最後まで言葉をつむぐ前に、レオナルドの口は閉ざされた。
 その変わりに、バシリと乾いた音があたりに響く。
 レオナルドの頬が微かに赤みを帯びた。
 一瞬、自分の身に何が起こったのかわからない顔をしたが、すぐに向き直った。叩かれたことなど何も感じないように、視線をはずさない。
 レオナルドは、ユリアが見せた一瞬の表情を見逃さなかった。王という表情を脱ぎ捨てた、もうひとつの顔。叩かれたことより、目にしたユリアの表情の方が衝撃を受けた。

「子供なら、子供らしくしていなさい。心配しなくても大丈夫です。フォーリアは……鳥族は私が守ります」

 ユリアは、言葉を無理やり押し出した。唇を硬くかみ締め、逃げるように弟に背中を向けると、一度も振り返ることなく森に消えていった。
 レオナルドには、あとを追うことは出来ない。子供扱いされた悔しさから唇を強くかみ締めたまま立っていた。
 ユリアが向かった先は、塔へ繋がる唯一の道。天空にあるフォーリアと地上を結ぶ場所。ふたつの境は空であり、飛ぶことの出来ない子供が近づくと落ちて命を落とすことになる。
 成人していないものには立ち入り禁止の場所だ。
 踏み入っても通ることの出来ない壁がある。目に見えるものではないが、大きな翼がないと森に入れない。ユリアと自分との差が、その見えない壁の向こう側とこちら側で現される。

「どうして……なぜ、竜族の王子など……」

 レオナルドの顔から、強い光が消え去った。一人取り残された彼の顔に浮かぶのは、捨てられた子供のような切なさと寂しさだった。
 しかし、レオナルドより顔色を失った人がいた。歩く足取りが重々しい。頭から弟の顔が離れない。

―― 本当に知っている?

 まさか、知るはずがないとすぐさま頭に浮かぶ。けれど。それもまた、すぐに打ち消されてしまう。嘘をついている目には見えなかった。あの目は、真実を知っている。
 そんなはずはない。飛べないレオナルドが、塔で起きている出来事を知っているはずがない。それなのに、消えない不安。自然と、体が震えだす。弟のまっすぐな瞳に攻め立てられても、裏切るのかと問われても、ユリアは進むのをやめなかった。向かうのは、地上と天上を繋ぐ唯一の塔。

―― 裏切り者。

 レオナルドではなく、自分の声を罵る言葉がいつも耳から離れない。それでも、塔には幸せが待っていた。王としてではなく、一人の女としての。

「なぜ、レオが知っているの……」

 ユリアの心を支配するのは不安。鳥族すべてをだまし、弟にすら秘密を持っている。
 悪いことをしているとは思わない。
 王という立場であったとしても、自分のために生きてもいいはずだ。鳥族と竜族の溝を修復するためにも役立つとも信じている。
 けれど――。

「レオの、あの目を見てしまうと心が揺らぐわ」

 ―― 彼を深く愛してしまうとわかっていた。

 出会ってはいけなかったのかもしれない。
 運命とは残酷で、思い通りには進んではくれない。出会ってはいけない人と出会い、愛してはいけない人を愛す。簡単に捨て去ることが出来る想いならば良かった。けれど、この思いはすでに自分の心の一部になっていて、捨て去ることが出来ない。裏切り者と呼ばれるのすら覚悟をするほどに、強い思いだった。
 登れるはずのない塔に登ってきた唯一の竜族。いずれ、竜族の頂点に立つ王子。最も信じてはならない血筋。ジーク・デ・ジェラルド……。
 愛は、消せない呪縛。ジークが塔に登り、目の前に立った時から恋は始まり、すぐさま愛へと形を変えた。心の痛みは罪の意識に揺れる。ジークに会うたび、その腕に抱かれるたびに罪は大きくなり苦しめる。でも、その罪から救い出してくれるのもまた、ジークであり、抱きしめてくれるぬくもりだった。
 塔の狭い部屋、愛し合う恋人たちの空間は、種族の違いなど存在しない。王でも王子でもなく、ただの男と女。

「私は、王失格ね……でも、新たな王が生まれない」

 自分の呟いた言葉にぞっと背筋が凍る。
 鳥族は、血筋で王を継ぐわけではない。王は印を持って生まれてくる。王は、新しい王と契約を交わし、王の座を譲る。王失格の自分の存在。新たな王が生まれてきてもおかしくはない。鳥族の成長はそれほど早くない。成人するまでは王となることが出来ないことを考えると、王候補はそれほど遠くない未来に生まれてこなくてはならない。けれど、そんな予兆すら感じない。
 鳥族に王は要らないということか?
 その事実に直面した時、ユリアは恐怖に震えた。
 自分の罪を罰せられるならいい。しかし、生まれ来る不安はそんな小さな物ではなかった。
 鳥族が滅びの時を待っている、そんな気がしてならなかった。
 自分が、最後の王になるかもしれない。頭に浮かぶのはそんな言葉ばかりだ。
 心が揺らぐ。
 ジークに出逢ったことで、諦めかけていた竜族との共存を夢見た。この人となら新しい竜族と鳥族の関係が築けるかもしれない。とてもばかげた望かもしれない。愛した人と共に新しい種族の関係を築きたいと願った思いは女としてではなく、王としてのもの。その希望だけが今のユリアを王として支えていた。この望を形に出来るのは自分しかいない。同じ希望を持ってくれているジークとなら世界を変えられる。
 崩壊の音が聞こえる。
 王であるユリアの耳には届かない。
 ひたひたと近づいてくる死神の声を、安穏と王を信じる鳥族の重臣たちも聞き逃す。
 ただ日々の平和を願い、穏やかな時を生きることを願う鳥族も気づかない。
 追われた時代を知らぬ、成人さえしていないレオナルドだけが崩壊の時を感じていた。それ、とは気づかずに。
 死神は形のない幻想ではない。鳥族を疎ましく思っている竜族こそが、崩壊の時を運んでくる。ユリアが愛した竜族の男が心の綺麗な人物であったとしても、竜族すべてが変わるはずがない。ユリアへの愛も偽者かもしれない。いつか、ユリアの思いを利用されるかもしれない。
 レオナルドは、毎日空に祈った。
 見上げた空には、『神の庭』が静かに浮かんでいる。王すらめったに入ることの出来ない神聖な場所。すべての命が生まれる場所。その地に向かって、レオナルドはひたすら願う。「この背中の翼を早く大きくしてください」と。子供のままでは何も出来ないから。早く大人になりたい。守りたいものを守れる大人になりたい。
 しかし、その願いはむなしくも叶えられることはなかった。

「レオ……」

 ユリアとのいざこざに、木の上に避難していたヘレスが再び肩に止まった。鳥族でレオナルドのことを『レオ』とよぶのは三人しかいない。姉のユリア、その聖鳥であるセレナ。そして、ヘレスだ。
 鳥族の生まれは少し変わっている。
 結ばれた夫婦の元に聖霊鳥とよばれる神の庭に住む唯一の鳥が、卵を運んでくる。その卵を温めるのが互いの聖鳥である。そして、時期が来ると卵がわれ、中から子供とその子供の聖鳥となる鳥が現れる。生まれながらひとつの存在である彼らは、切り離しても離れることの出来ない絶対的な存在だ。共に成長して、生きる。
 もしも、誰にも育ててもらえない状況で卵が孵ってしまったら、子供の命を守るために聖鳥は急速に大人になると言う。数少ない鳥族を守る特殊な力だと言い伝えられているが、それを目の当たりにした者は今生きている鳥族には存在しない。一人と一羽で、一鳥族。
 竜族の、竜と人間の関係より深い信頼関係がある。彼らはあくまでも支配者と支配される者。
 しかし、鳥族は上下の関係はない。生きるために欠かせない存在だ。

「ヘレス……」
「何をそんなに思いつめた顔をしているんだ?」
「姉さんのこと、どう思う?」
「その問いには上手く答えられないな」
「なら竜族のことは?」
「レオ、私だって地上で何が起きているかわからないんだぞ。ただ、戦いはいつ起こってもおかしくないと聞いている。地族の動きが怪しくなっているとも聞いた」
「塔での出来事は関係ないんだろうか?」
「竜族の王子が王をどう思っているかまではわからないけれど……レオが王を怪しんだのと、地上での怪しい動きの時期が似ている。それを考えると……」
「竜族の王も気づき始めたってことか」
「そう考えるのが妥当だろうな。それに、王子が加担しているかどうかはわからないけれど」
「塔に頻繁に通うなんて、わりと目立つ行動だ。隠していてもわかる者にはわかる……?」
「フォーリアを欲する竜族の王が、利用できるものを見つけたと言うことだろう。時が動き出すのは今しかない」

 沈黙が続く。レオナルドは、ユリアの消えた森の奥を見つめる。決意に満ちた瞳を微かに伏せる。

「諦めたりしない……フォーリアは絶対に守ってみせる」

 小さなため息を落とすと、振り切るように身にまとった長い布を翻し、その場所から立ち去っていった。
 心地よい風が通り過ぎていく。
 美しい銀色の髪を揺らし、まとっている服を膨らます。優しいフォーリアの風。いつまでもこの風を感じ、この空を見つめ、この緑の中で生きたい。
 この美しい世界を失いたくない。
 レオナルドは、そう強く願った。


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