第三章
第三話 嵐の前に +----------------------------------------------------------------+
キャメロットは、辺りをきょろきょろと見回した。静まり返った嫌な雰囲気が落ち着かない。キャメロットの戸惑いが伝わったのか、肩に止まっているクリスが囁いた。 「この雰囲気どうにかならないかな?」 小さく首を振って答える。楽しい雰囲気にならないことは、キャメロットにもわかった。 レオナルドは部屋の片隅に腰掛け、反対側にはカークが座っている。巨大な竜は、カークの傍で床にへばりつくように大人しくしていた。 じっと見つめていたのに気づいたのか、閉じていた目をぱちりと開ける。ぐるりと部屋を見回す視線が、キャメロットで止まった。ファルサとは違う鋭い視線に体がこわばる。棒立ちのまま動けなくなった。 今にも飛び掛ってきそうな荒々しさが空気を通して伝わってくる。怖い、という表現以外見つからなかった。 「そうやって、ずっと立っている気か?夜明けまではここに居る。その辺に座ってろ」 レオナルドの声が響く。怒っている風でもないが声は単調で、さっき少しだけ見えた優しさは消えていた。 どれが本当のレオナルドなのか、ちょっとした態度の変化に戸惑った。 「キャメロット。ドレイスの傍へ、こいつに寄りかかっているといい」 「え!!」 カークの言葉に、一歩下がる。 「怖いか?」 「…………」 「平気だよ。俺が命令しない限り襲ったりしない」 キャメロットは、ちらりとレオナルドの方を見るが、どこを見るふうでもない無関心な表情に眉をひそめた。恐る恐る目の前の竜に近づき、体に触れてみる。今まで知ることのなかった感触を指先に感じた。ゴムのように弾力があり、肌は硬く押しても押し返されてしまう。ざらざらして、不思議な手触りになんともいえない表情を浮かべた。 キャメロットがいくら触っても何の反応も見せなかったドレイスだが、目がキャメロットを見据え、ギュルリとのどを鳴らした。ただ、それだけのことなのに、とっさに手を引っ込め、固まってしまった。冷たい汗を感じ、どきどきと心臓の音が大きく聞こえてきた。 「ドレイス、キャメロットをからかうな」 呆れた声から、ドレイスも遊び心があることがわかったが、少しも怖さを和らげてはくれず余計に緊張を与えた。 「腹の辺りによしかかってろ、肌は硬いが体温はあるから暖かいぞ」 キャメロットは首を横に振った。顔色はかすかに青くなっている。 「石の上で眠るつもりかい?」 「…………あの」 「ベッド代わりにはならないが、壁よりましだろう」 「でも……」 カークはにこりともせず、金色の瞳がキャメロットを捉える。優しい言葉をかけてもらっているはずなのに、安心できず不安が広がる。冷たい表情からは、感情が読めない。 レオナルドと同じような雰囲気だと思っていたが、感じたことのない恐怖心が生まれる。どうしていいかわからず、レオナルドに救いの視線を送った。 傍に居たヘレスがレオナルドの足を突っつき、意味ありげな視線を送る。小さな溜息をはくと、低い声で言葉を漏らす。 「こっちに来い」 「…………」 キャメロットは、一瞬考えたが大人しくレオナルドに近づき、壁に寄りかかるように腰を下ろした。 「おい、寒いだろう。もっと傍へ来い」 腕を伸ばすと、引き寄せる。 自分のマントを広げ、包み込むように肩を抱いた。あまりに意外な行動に驚いて顔を上げた。 冷え冷えとした空気の中で夜をあかすには、キャメロットの服装は薄着すぎる。外にむき出しになっている腕は、冷たくなっていた。冷えた体に、温もりを感じる。伝わってくる体温が異様なほど熱く感じた。 目の前の光景に驚いたのは、カークの方だった。口元がかすかに上がる。そして、これはアスベルも大変だと思った。二人はあまり仲良くないと思っていたが、寄り添いあう二人を見る限り、鳥族同士という絆の深さは竜族では太刀打ちできないように思えた。 一見冷たい態度で接しているが、キャメロットをこの塔に住まわせているのは彼女のためだ。どんな考えがあるにせよ、大切な存在でないはずがない。鳥族が生きていられるのは、この塔だけ。少なくとも、ドランジェルトが竜族を統治している時代では、この塔以外で生きる術はない。 合いまみれない関係なら簡単にキャメロットを言い含めることが出来ると思ったが、二人の関係は塔に閉じ込めている者と、閉じ込められている者の関係だけではないと察しがついた。 しかし、レオナルドがどんなにキャメロットを大切に守ろうとしていたとしても、渡すわけには行かない。キャメロットを手に入れないと、楽園が手に入らない。 仲がいい二人を見れば見るほど、アスベルを応援する気持ちが強くなった。 「俺を閉じ込めておいてどうする気だ」 カークは、苛立った声を上げた。ぎらぎら光る瞳はレオナルドの本心を引き出そうと、獲物を捕らえる獣のように鋭いものだった。 「別に、どうする気もない」 「俺を人質にとっても無駄だぞ。あいつらは俺なんてどうでもいいからな」 レオナルドは、ちらりとカークを見ると鼻で笑った。 「竜族の王家らしいな」 「知ったようなことを……竜族が憎いのなら殺せばいい」 「鳥族は人殺しはしない。お前たちと一緒にするな」 「なら、何のために俺をここに入れておく」 「おびき出す道具だよ」 「だから無駄だと言っている」 「……あんたの親を呼び出すわけじゃない」 「は?なら誰を……」 カークは、眉をひそめる。 「……王族が動き出した。この塔を手に入れるために、何か仕掛けてくるだろう。あんたは知っているのか」 カークの問いを上手くさえぎった。カークもかわされたことに気づきながらも、それに答えた。それはあまりにも王がばかな行動に出たからだった。 「ああ、本当に動いたのか、あいつら。相変わらず馬鹿なやつらだ」 「塔を建てるとふれが出ていたが、本当か?」 「らしいな、それで楽園が手に入ると思っていやがる。あんた、手に入ると思うか?」 「思わない。入り口はこの塔の上。隣に塔を建てたところでどうなるものでもない。そもそも、それだけ高い塔を竜族に作れるわけがない」 「鳥族のあんたが言うんだ、事実なんだろう。俺としても同意見だね。でも、仕掛けてくるぞ。そろそろ俺が何かしていると思い始めているだろうからな。どうしても俺より先に塔を手に入れたいだろうから、焦ってもいい頃だ」 キャメロットは大人しく二人の会話を聞いていたが、内容はまったく理解できなかった。思ったより居心地の悪くないレオナルドの腕の中で、難しい話に顔をしかめる。読み取れるのはカークが自分の親である王と、うまく行っていないということくらいだった。 楽園を手に入れるという言葉に、レオナルドは反応してカークをにらんだ。 「どうして竜族がフォーリアにこだわるのか、わからない」 「もう楽園を手に入れるという問題じゃなくなったんだ。まあ、元々俺が楽園を欲したのは、楽園が欲しかったからじゃない。王が手に入れられなかった物を手に入れたかったからだ。それに加え今は、楽園を手に入れれば竜族が手に入る。絶対に手に入れなくてはならなくってね」 「どういうことだ?」 レオナルドの眉がつりあがる。意地悪そうに口元だけ引き上げたカークの瞳が光った。 「王に約束させたんだ、俺が楽園を手に入れることが出来れば、竜族の王座は俺に譲ると。俺は、あいつらを見返したい。俺を馬鹿にしてきたあいつらに、竜族の王には誰がふさわしいか思い知らせてやる」 カークの表情があまりにも闇に満ちていて、キャメロットは驚いた。王への恨みを感じる。恨みという言葉では片付けられない、痛々しい叫びに聞こえた。 「自分の親なのでしょ」 「幸せな育ち方をしたみたいだな」 カークは、意味ありげにレオナルドを見返した。一度視線を戻すと、不思議そうな表情を浮かべたキャメロットが、じっと見ているのに気づき鼻で笑った。 「俺にしてみれば、あんたがこの世に生きていることが不思議でならない」 「え?」 「止めろ」 レオナルドの瞳から怒りがあふれ、冷たい声がカークを制す。キャメロットを抱く腕に力が入った。 「今さらだろ?自分を殺そうとしたやつに優しさなんて向けられるのか……さすが鳥族だ」 「そんなことは言ってない。キャメロットに言う必要はないことだ」 ヘレスは威嚇するように羽根をばたつかせ、クリスはキャメロットの側に寄り添った。 「自分を殺そうって、私を?どうして竜族の王が私を殺すの?」 「キャメロット」 レオナルドの制す声など気にならない。悠然と微笑むカークに問いかける。 「呪われた子供だから?」 一瞬の変化も見逃さない、強い意志の目でカークを見る。憎らしい笑みを全く変えることなく、表情から心の中を読み取るのは難しい。 「それとも……鳥族だから?」 「全部含めてだろうな。鳥族は生まれた瞬間から生きられる可能性はない。親の手によって葬りさられる」 「え?」 「いい加減にしろ」 「嘘は言っていない。それが現実だ。竜王はこの世に鳥族が存在することすら許さない。竜族から生まれる鳥族は、呪いの象徴。すぐ死に結びつく。そして、その鳥族を生んだものにも裁きの手は伸びる。生まれたことを秘密裏に始末するのは親しかいない」 「……そんな」 ―― 捨てられるより、残酷な……。 生まれてきたことを、喜んだ者さえいなかったという現実はひどく頼りない感情を植え付けた。 辛いのかもしれないが、感情がついていかない。 「キャメロットは違う」 レオナルドの声に炎が混じる。冷ややかな分、恐ろしく感じる声だった。 「綺麗ごとを言うなよ。キャメロットだけが命を危険にさらさなかったとでも言うのか?自ら殺すか、捨てられるか。どちらの道をたどっても、死しかない。心優しい竜族はいるが、みんな自分たちが可愛い。鳥族を産み落としたなどという話は外に漏らしたくないし、そのネタを探し出し利用しようとする者もいる。一瞬の迷いが命取りになる。キャメロットが生き残れたのは奇跡に近い」 「……私は死を逃れてレオナルドに育てられたってこと?」 「そいつは、あんたに生々しい現実を教えたくないらしい。知らずにいたほうがいいこともあるのは確かだが……」 少し考えるように言葉をつむぐ。ちらりと視線を上げるが、怖い表情のレオナルドが、変わらずカークを睨んでいるだけだった。 「今さら、隠すことないでしょ?」 自分が鈍感な人間なことに感謝する。狭い世界で生きたから、どういった状況でも心が境地に追い込まれることがない。自分の心にさえ、触れたことがない証拠だった。今はそれがありがたい。ひどく残酷な出来事が他人事のように思えるから。よほど、物語を読んでいるときのほうが感情移入できる。今は、感情と状況が結びつかず、自分のことのように感じられなかった。 きっと、それは救いに違いない。 「……それは、やっぱり両親にすら愛されていなかったのはショックだけれど……」 「違う!キャメロットは、愛されていた。私は、お前を託された。その事実は変わらない」 「レオナルド……」 カークに言っているようで、キャメロットに伝えたい言葉のようだ。優しさと、強さが、心に響く。 「おい……キャメロットは一六歳ってことはないよな」 「そうよ、どうして?」 「まさか……」 「もういいだろう!」 レオナルドは、威嚇するようにカークを再びにらんだ。カークが、言葉を飲み込むほどの威力があった。その激しさに、脳裏に浮かんだかすかな記憶を封印した。 ―― 知らないほうがいい現実もある。 幼い日の、思い出したくない出来事を、その言葉とともに封印した。 「過去のことはともかく、今の現状も教えたほうがいいのではないか」 「知る必要はない」 「知る必要がない?本気で言っているのか?アスベルが言っていたが、キャメロットは塔から出たがっているのだろう。アストラートでの現実を知らないわけにはいかないはずだ」 「それって……」 「アストラートに鳥族の居場所はない。見つかれば即殺される」 するりとこぼれたカークの言葉と同時に、キャメロットは肩に痛みを感じた。レオナルドの腕の力がさらに強まった。 「殺される……?」 キャメロットの声は震えていた。その言葉で、初めて感情が動き出すのを感じた。他人ごとに見ていた過去が、自分の今とシンクロする。 少し考えればわかるはずだ。生まれたばかりの鳥族という命が奪われるのなら、成長した鳥族だって生きていられるはずがない。 気づかなかった方がおかしい。 でも、今の今まで事実を感じることが出来なかった。 憧れていたアストラート。その地に行けば自由が待っている、そう信じていた。美しい大地と、暖かい人々、すべてキャメロットが思い浮かべる理想の大地。 アストラートに行けば、自分も幸せになれるに違いない。アスベルにねだってどんなところか聞かせてもらっていた。いつか、その地に行けることを夢見て。それなのに、カークはなんと言っただろう? ―― アストラートに鳥族の居場所はない。見つかれば即殺される。 カークの言葉が重くのしかかり、混乱させた。 「ああ、過去に鳥族を滅ぼしただけでなく、呪いのように突然生まれてくる鳥族すら、あいつらは許さない。生まれたと聞きつければ、味方したと噂されただけでも、子供だけでなく関わった者すべてを抹殺する」 体中の血が凍りつき、ぶるりと体を震わせた。厳しい視線をカークに送りながらも、レオナルドの腕は優しくキャメロットを引き寄せた。 「すべて王族が決めた歴史だ。今の王は特にその傾向が強い。鳥族を忌み嫌い、楽園を奪い取る。俺の親だって?あんなやつが親かと思うとぞっとするぜ。キャメロット、あんたはそんなやつでも、親と言えというのか?」 答えることが出来なかった。家族がどんなものかもわからない。そして、殺されると言う言葉が頭の中で渦を巻いていた。混乱と、考えてもいなかったことへの恐怖がキャメロットを襲う。 「俺は竜族だ、その男の言うように人を殺さないなんてことは言わない。戦いもすれば、人も殺す。だけど、罪のない者や、意味もなく戦いを起こして人を殺すことは好きじゃない。鳥族だって別に恨んでなんていない、どちらかといえばどうでもいい。俺が憎み恨んでいるのは父親と、それにへりくだっている二人の兄だけだ」 熱のこもった声を押し出した。握り締めている手は血がにじむほど強い力がこめられている。ドレイスはそんなカークを見て、目を細めた。グルッとのどを鳴らす。我に返ったカークは少し表情を緩め、ドレイスの喉をなでた。 「滅んだというのは本当なのね……」 「ごめん、キャメル……」 「いいの……私を思って隠していたんだから……いいの」 鳥族が、生きているだけで殺される存在だとは思ってもいなかった。衝撃的で、残酷な響き。 突きつけられた現実に、思い描いていた憧れの世界が灰色に変わっていく。憧れが強ければ強いほど、それは急激に色を奪っていった。 アスベルも、綺麗な部分しか自分に話していなかったことに気づいた。アスベルの優しさだとわかる。でも、今は真実を隠されていたことが悲しかった。 「竜族は、昔から冷酷な生き物だ。血も涙もない。共に生きていたことなど昔に捨て去り、忘れ去った。鳥族の存在そのものを消してしまいたいのだ」 レオナルドは淡々と言った。 残酷な出来事はできるだけキャメロットに教えたくはなかった。 憧れているのなら憧れたままでいたほうがいいと思っていた。 現実的なことを考えると、カークのほうが正しい。 それでも、自らの口でそれを告げるのはためらいを感じていた。夢を打ち壊す役割は背負いたくなかった。 カークが無理にでも話してくれたことを、心のどこかで感謝している。知ってしまったら仕方がない、隠していることもできないと、覚悟を決めることができる。 「欲しいものは必ず手に入れる。その手段は選ばない。それが竜族だ……そう思っていないやつの方が遥かに多いのに、それを許さないのが王族なんだ。腐っているのは、昔から王族と決まっている。あいつらは考えを変えない。だから歴史も変わらない」 「貴方もそんな王族の一人なのでしょ」 「あいつらと一緒にしてもらいたくないね……子供は親を選べない。だから憎み恨む。そしてあいつらの変わりに、俺が上に立つ。踏みつけてでもあいつらをひれ伏してやる」 カークの冷たい声に、キャメロットはなぜか悲しみを感じ取った。 吐き捨てるような言葉に、大きな恨みを感じるが、その中には閉じ込められた切ない思いがあるような気がしてならなかった。 強がりを言っているわけではないと思う。しかし、親に見捨てられ、蔑まされることを喜ぶものなどいないと思う。 一人は孤独で寂しいものだ。孤独は、心を寂れさせる。愛情もない家族でも、家族と言う絆は簡単に切り離すことはできない。 口で言うよりずっと大きな存在として、刻み込まれている。 家族のいないキャメロットにとって、一番近い存在がレオナルド。反感を持つことが多かったとしてもその事実は変わらない。自分の中のレオナルドの存在を認めないわけにはいかなかった。 塔を飛び降りた時は、不信感ばかり募っていた。 頬をたたいた時は、本気で怒っていた。 頬に触れた時は、本気で心配し安堵していた。 あの態度から、レオナルドの中にも自分は生きているのだと感じ取った。そうでなくては、飛べない翼で塔から飛び降りたりはしないはず。自分を大切に思ってくれているに違いない。それは、とても嬉しかった。 共に生きてきた、ただそれだけの関係でも芽生える思い。 家族ならその思いも強いだろう。カークが父と兄に同じ感情を求めるのが自然だと思う。 カークは、認めてもらいたかった。必要とされたかった。ただ、それだけのことを、カークの父は拒んだのだ。 根深い親子の戦いは、楽園と竜族を賭けた戦いにまで突き進んでしまった。もう、後戻りできないところまで来ている。カークも、自分の感情を捻じ曲げても、口にする夢のために前に進み続けていた。その姿は、痛々しい。 「その男に感謝するんだな。生きていられるのは、そいつがこの塔で守ってきたからだ」 「おい」 「あんたのおかげだろ?この塔が鳥族にとって一番安全な場所だ」 「守ってきた……それが私を塔に閉じ込めてきた理由?」 自分を何のために塔に閉じ込めておくのか、何度も浮かんだ疑問の答えがそこにある。 カークの鋭い瞳も、反応を見つめている。 ヘレスは、傍らで切なそうにうなり声を上げた。レオナルドがどんな答えを言うのか分かっているようだった。 「私は、鍵が必要だっただけだ」 感情のかけらもない、冷たい声だった。 「鍵……楽園のためなの?」 ずきりと痛みが走る。 「……そうだ」 「私が、鍵だから連れてきたってこと?」 「……何度も言わせるな……」 冷たい声と、変わらない表情に心は震えた。えぐられたような痛みは消えなかった。 どこかではわかっていた、でも信じていたかった。信じようと思った瞬間、打ち消される優しい気持ち。理由などなく、ただ自分を傍においておきたかったのだと言ってもらいたかった。 誰一人として自分の事を知らなくても、鳥たちしか自分を愛してくれなくても、レオナルドがいる。 言葉がなくても、心を感じなくても、レオナルドがいる。 カークの言葉に希望を抱き、待ち望んだ答えはこんな言葉じゃない。 冷たく、悲しみに満ちた答えを聞きたかったわけではない。 嘘でも、心からでなくても、肯定して欲しかった。楽園のためではなく、守りたかったのだと。ただ、一人の仲間として傍においておきたかったのだと。 ―― どうして、こんなにも傷ついているのかしら? 冷えてしまった心は、伝わってくるレオナルドの体温では和らがなかった。この腕さえ作り物のようで、急に居心地悪くなった。 腕を振り払って、暴言を吐いてやればいい。一瞬そう思ったが、それを実行することは出来なかった。隣にいるのに、置き去りにされてしまった子供のように、孤独の中をさまよう。 キャメロットの視線をかわすように、レオナルドは微かに悲しい色を向けた。 「本当にそれだけか?」 レオナルドの様子を目ざとく見て取ったカークは、意地悪な笑みを浮かべた。 「どういう意味だ」 「俺から見ると、ただ楽園のためだけにキャメロットを傍においているように感じないってことだ」 「キャメロットは、鳥族にとって大切な存在だ」 「それはただ、鍵としてなのか?」 「……どういう答えを期待しているかわからないが、大切な存在なのは本当だ」 ただ、楽園のためにあんな顔をするはずがない、カークはそんな思いを抱く。一瞬見せたレオナルドの表情が目に焼きついていた。どう表現していいわからないくらい、切なさと、悲しみと、優しさに溢れた瞳。語りたいのに語れない、そう思ったのは自分だけだろうか。勘はいいほうだ。しかし、まったく感情を見せないレオナルドの態度に、カークは肩を埋める。 「あんたも楽園が欲しいのか?」 切望を向けているのが目の前のキャメロットではなく、楽園なのだとしたらわかるかもしれない。 「お前たちと一緒にするな」 「どう違う」 「私は、帰りたいんだ……フォーリアに」 声にはいつもの凄みはなく、儚くもろい色を表していた。 キャメロットは、息を飲み込み、悲しみに顔色を変え押し黙った。 ―― なんて顔をするのだろう。 無表情から見え隠れする悲しみの色に胸が痛い。 レオナルドにとってフォーリアがどれほど大きな存在か、鳥族にとってフォーリアがどれほど大きな存在か、初めて知ったような気がした。 どうしてそこまでと思うが、行った事のない鳥族の聖地にはそれだけの価値があるのだろう。知ることのできない真実があることに、悔しさを覚えた。 ヘレスは相変わらず表情を変えず、レオナルドの心を共有しているように切ないうめき声をあげる。 鳥族の過去。誰も教えてくれない真実に悲劇が隠されている。想像はふくらむばかりで、幻影のようにゆらゆらと蠢く。それはいつも形にならず煙のように消えてしまう。 キャメロットは、クリスが何も知らないお姫様だと言ったのを思い出した。本当にその通りだと、憤慨したかつての自分を戒めた。 ―― 私は何も知らない……。知らないから……知りたい。 「帰りたい?」 「そうだ。生まれ育ったあの場所に、私は帰りたい……お前たちのような卑しい望みなどない」 「まさか……あんた生き残りなのか!?」 驚きを表した声を上げる。 「だとしたらどうだというのだ」 それを冷たくあしらう声を上げる。 「永遠の命……?」 カークは、まじまじとレオナルドを見つめる。 呟きは消えるように小さなものだった。 金色の瞳がレオナルドを凝視する。 視線を無視し、表情すら変えず、レオナルドは座っていた。 「永遠の命?」 隣に座っていたキャメロットは、話がよく理解できない。 「永遠の命って……何?」 「……鳥族は永遠の命を持っている。もちろん死なないわけではない。病気になったり、血を流したりすることによって命を失う。ただ、寿命がない。環境のいいフォーリアでなら、多くの鳥族が年老いることもなく、永遠に生き続けることが出来る」 面倒くさそうに、説明した。 「永遠に死なない?私も?」 「そうだ」 「それは竜族には出来ないこと?」 「ああ……半分しか鳥族ではないのに、奇跡的に俺は生き続けている」 「滅びた時代を知っているということか?」 突然、カークが会話に飛び込んできた。 「そうだ、私は滅ぼされた時代を知っている。あの時何が起こり、なぜ滅びたのか。鳥族が何を望み、竜族が何を求めたのか。そして、鳥族が選んだ最後の望みも知っている」 「真実……」 「だから……竜族を絶対に許さない」 吐き捨てるように言い放つ。その瞳はいつか見たクリスの瞳と同じくらい赤く光っていた。 その迫力に、珍しくカークの方が押され、口をつぐんだ。 「老いることもない?」 険悪な雰囲気に恐怖を感じたキャメロットが、恐る恐る質問する。 「キャメロットが成長段階。翼が大きくなると成人。それからはそんなに容姿の変化も、体力の衰退もない。もちろん多少の変化は見られるが……」 滅びたのはいつだっただろうと、思い巡らす。 百年単位ではなかったはずと想像も出来ない年月を思い浮かべて、レオナルドを見上げる。年老いた人物を見たことがないが、たくさんの本の挿絵を思い浮かべると、いまだに若々しく美しい姿のレオナルドが異様なことは良くわかる。 それが鳥族なのだ、とすんなりと受け入れられるのはキャメロット自身が鳥族だからだろう。 「どうして片方しか翼がないの」 聞いてはいけないような気がして、聞かなかった質問が勝手に口を付いて出た。できるだけカークに聞こえないように小さな声になった。それほど広くない、静かな部屋では、声は意外に通るもの。カークのもとまで声は届いたのだろう、片方の眉がわずかに動いた。 「斬られたからさ」 「え?」 簡単な答えに、キャメロットは声を上げた。 「永遠の命を終わらせるための唯一の手段は、翼を失うこと。生きていられないだけではなく、二度と再生することもない。成人した者が羽根を斬られればその場で空へと還る。だが、成人しない鳥族の羽根を斬れば、鳥族としての人生は終わっても生きてゆくことが出来る」 知りたがっているキャメロットを抑えることは無理と思ったのか、中に入ってからすべてを話すと言った言葉を守ったからか、お前には関係ないとは言わなかった。 「滅びの時を感じた王は、成人しないものたちの羽根を斬った」 「それは、鳥族を滅ぼさないためか?」 「……ただ命を奪われるにはかわいそうだったからだろう……あの方はそういう方だ」 答えには迷いが含まれていた。 「当時、まだ成人していなかった私もその対象だった……片方斬られた瞬間、奇跡が起こったんだ。早く大人になりたいと思っていた思いが通じたのか、残った羽根が成長した。それに驚いたのは王の方だった。成人してしまえば羽根を切ることは出来ない……私は、不完全な醜い鳥族として生きることになった」 「醜い……」 レオナルドの瞳は遠くを見ていた。その瞳に映っているのは過去の自分。 「醜い姿でも生きることを選んだ?」 「それでも生き抜くことが私の願いだった……醜いから、自由に飛ぶこともできないからと言って死ぬわけには行かなかった」 「なぜ?」 「……約束をしたからだ……自分は違った形で鳥族を守ってみせると。情けないことに、その場所にさえ帰れずにいるがな……」 消えてしまいそうな声から、望みが消えつつあると言っているように思えた。キャメロットは眉をひそめる。自信のないレオナルドを初めて見た。 「もうその望みはないと?」 カークが鼻で笑った。情けない姿のレオナルドが、悦に入ったようだ。 「鳥族は滅び、フォーリアは失われた……それでも、長い年月の間、鳥族は何度となく生まれた。この世に生きたいと訴える強い力を感じるほど、ただ滅ぼされるだけでは終わらなかった。呪いなどではない。生き残った幼子たちが成長し、その血がどこかで受け継がれていたからだ。王は正しかった。命の鎖が繋がれたのは王が、そう決断したからだ」 「それは、竜族の中にも鳥族の血が混ざっているということか」 聞かされた事実にカークは驚きより、可笑しさをあらわした。なるほどねとうなる声にも笑いが含まれる。 「私は希望をもった。ひとりでも、ふたりでも、鳥族が生きている。鳥族は滅びなかったのだと。竜族の元から殺されるはずだった赤子を奪おうとした。放って置けば殺されることはわかっていたから。その命を守れるのは自分だけだった……成功はしなかったがな……」 落胆を感じる。それは、失った命への償いだった。もう少し自分に力があればと責めた。 「ここ数年は、いくら待っても生まれてこなかった。時ばかりが過ぎていくうちに、希望の火は消えかかっていた。あきらめかけた時、現れたのがキャメロットだ」 静かに、キャメロットに視線を落とす。その瞳とキャメロットのまっすぐな瞳が絡み合う。透明な青い瞳は、細められた。また悲しい色が映る。 「最後の希望と言うわけか」 「唯一の鍵なんだ」 「レオナルドだって鳥族でしょ」 「何度も言っているが、私ではだめだ。鳥族として不完全であることもあるが、もうひとつの鍵を手に入れられない」 「もうひとつの鍵?」 カークは、ぎらりと目を光らせた。新たな事実に驚愕の色を露にしている。キャメロットを手に入れただけでは、フォーリアが手に入らないと言われているのと同じだったからだ。 「……いずれわかるだろう。王の望みが、この時代まで残っている。それが竜族の言う呪いなんだろう。きっと、これが最後だ……キャメロットでなくてはいけないのだ」 レオナルドは、目を伏せた。長いまつげが、影を作る。深い闇を知っている、そんな瞳だった。長い時を、絶望の中で生きてきた。ひたすらフォーリアへ帰りたいと願い、鳥族の復活を祈った。どちらも叶わぬ願いとあきらめながらも捨てられない。 悲しみに溢れた鳥族の最後を知っているからこそ、レオナルドの心に広がる闇は深い。計り知れない孤独を知っている。 キャメロットは、レオナルドの心にもっと触れてみたいと思った。共に生きてきた時間では理解できなかった、本当の姿。レオナルドと言う人物を少しでも理解したかった。 ―― 知りたい。 穴が開くほど見つめながら、言葉に出さずにつむいだ言葉。 ―― レオナルドがどういう人物なのか知りたい。 「それに……」 「え?」 「いや……なんでもない」 微かに唇が動いたような気がした。カークになど絶対に聞こえないほど小さな囁き。 もう一度言ってと促す言葉に、レオナルドは言葉にすることを拒んだ。 小さな音のようなものを頭の中で反芻する。正しいかも分からない消し去った言葉……。 ―― キャメロットは、鍵よりも大切な人なのだ……。 最後まで聞きとることはできなかった。レオナルドの言葉とは思えない優しい言葉。自分が求めていた子供じみた言葉よりはるかに深い言葉。 だから、聞き間違いだと記憶から消すことにした。何度も鍵としての自分しかも求められていないことを実感したキャメロットは、消された言葉を信じ、また否定されるのが怖かった。 期待することを戒め、レオナルドは何も呟かなかったと、言い聞かせた。 「あの地は誰にも渡しはしない。到底、竜族には手にできない場所だ」 「鍵を手に入れればいいのだろう?」 「塔に登れない。呪いの門を通り抜けられなかったものには絶対無理だ……鍵も、手にできる人間は限られている」 確信があるのだろう。レオナルドの言葉は冷ややかだった。 カークはきつく唇をかみ締め、小さく身を振るわせた。悔しさからくる振るえだった。 舌打ちすると体を放り出すようにドレイスに寄りかかった。 「あの地は竜族が住んでも楽園とは感じないだろう。それでも欲しいのか?」 「楽園に住みたいから欲するわけじゃない。手にできないものを手にできる喜びを欲したいだけだ。誰にもできなかったものを手にする、それほど歓喜なことはないだろう」 「お前はそうだろう。だが、過去のすべての竜族の王がそうだったとは思えない」 レオナルドの視線を向け、気張っていた力が抜ける。ドレイスに寄りかかったままカークは答えた。 「神に愛された種族だからだろう、鳥族が……」 ため息交じりの声は部屋に響いた。 「どういうこと?」 もっと簡単に言って欲しいと、キャメロットは顔をしかめる。 「飛べない竜族は翼をうらやみ、命の終わりを見る竜族は永遠の命を欲する。翼はともかく、永遠の命という人間にはありえないものを竜族は何よりも欲しがった。永遠に君臨する自分の姿にでも酔いしれたんだろう」 ばかげたやつらだと、言いたげだった。 「楽園に行き、鳥族を殺せば、永遠の命が手に入ると思われていたんだ」 「鳥族の粉……」 レオナルドのつぶやきに、カークは訝しげな顔をする。 「まさか、本当にあるのか?」 「そんなわけ、ないだろう。確かに、鳥族はちゃんと死の儀式を受ければ空に還る。その光景は、金色の粉が風に乗る様に似ているが、それを手にすることはできない。できたとしても、永遠の命は手になどはいらない」 「……まあ、それが現実的だろうな。だが、竜族はそれを信じていたんだ」 「少し考えればわかりそうなものだが……」 呆れたように、レオナルドはため息とともに言葉を吐いた。 「鳥族は永遠の命を持っているからだ。竜族の王たちは永遠に自分たちがアストラートに君臨することを夢見た。だから、なんとしてでも永遠の命を手に入れたかったんだ。鳥族だけがもつ特別な力、楽園に行けばその秘密がわかるかもしれないとも思ったかもしれない」 「くだらない」 カークは、鼻で笑った。 「確かに、その通りだ。くだらない」 「我々とて、どうして永遠の命を持ち合わせているのかなど分からない。持っている本人がわからないものの秘密など、この世に存在しない。すべては、神の決められた節理なのだろう」 「誰だって、持っていないものを欲しくなる。竜族はその傾向が他の種族より強い。戦うことも、命を奪うことも厭わない。あさはかなまでに強欲に生き、馬鹿な考えから目をそむけない」 カークの言葉は、自分たちを蔑む言葉だった。認めたくなくとも、そういう生き物なのだと告白していた。自分はそういう生き方はしたくないという思いも含まれているのかもしれない。 キャメロットは、かすかにレオナルドの表情が緩むのを感じた。 「あんたの知っている確執の理由は、違っていたのか?俺は真実を知っているわけではない。ただ、王家に残されている資料と、俺の想像の域でしかない」 「……鳥族と竜族の間にできた溝は滅びるよりずっと昔にあった。私が生まれた時はすでに決裂していた。もともとはお前の予想通りだろう。ただ、滅びた理由は想像できるものではない……」 青い瞳が揺らぐ。泣いているわけでもないのに、涙の色を感じる。 「何か悲しい出来事があったの?」 「悲しい……か、そうだな……キャメロットが聞けばそういう感想を持つかもしれない……私は、あんな裏切りを受けるとは思っていなかった……王にずっと裏切られていたと思っていた。今は、少し違うがな……」 子供だったんだ、と言うとまた口をつぐんでしまった。 もっと聞きたいのに教えてくれない、少しむくれるように唇に力を入れる。 子供っぽい姿に、カークは笑い声を立てた。 「絶対に、竜族には楽園を手に入れられないのか?」 笑いを吹き飛ばす、まじめな声だった。 「呪いを解くことができれば別だ」 少し考えた後、レオナルドは確かにそう言った。キャメロットもカークもクリスさえ目を見開く。 「なんだ?」 「驚いたのよ、まさかそんな風に答えるとは思わなかったから」 キャメロットの目をまっすぐと見ていたレオナルドは、その瞳を伏せた。 「……最後の王が望んだ願い。私だって叶うと信じたいからな……呪いを解くことのできる竜族なら、門を抜けられる。そして、フォーリアに近づくこともできる。認めるに値する存在……たとえどんなに憎んでいる一族のひとりだったとしても」 レオナルドの言葉が静けさを生んだ。もう、それ以上語ることを拒んだ。すべてを教えてくれるって言ったのにと腹立たしく思うキャメロットも、今は言いたくないのだろうと納得し、何も聞かなかった。 カークも、少し疲れたのか眠ろうとしていた。 静まり返った部屋は、時だけが過ぎていく。もう眠れと、レオナルドはキャメロットの耳元でささやく。仕方なくキャメロットは目をつぶった。 大きな腕が、さらに体を包み込む。まるで親が子供を守るような優しい腕だった。 重たくなってきたまぶたをかすかに開けると、すぐ上にあるレオナルドの顔を見上げた。視線は落とされることがなく、眠ろうともしない。うつろい行く眠りと現実の狭間で、キャメロットはレオナルドをじっと見つめていた。 滅びた時からずっと生き続けてきたレオナルドは、誰よりもたくさんのものを見ている。時々映りこむ悲しい影。ぎりぎりの場所で願い続ける、かつての王の願い。そして、帰りたいと願う唯一の場所。 飛べない翼からは痛みを感じる。悲しい瞳からは、切なさを感じる。語るのをやめた姿から、心に負った傷がまだ癒えていないのだと知る。 語られない真実を心に感じようと、ひたすら見つめ続けた。少しでもいい、その痛みを分けて欲しかった。それがきっと、自分を守ってくれていたレオナルドへの恩返しになると思った。同じ鳥族だから分け合うことができる。たった二人しか居ないのならなおさら、もっと話して欲しかった。何も知らないままではいたくない。もう、守られているだけではいけないのだ。 この時、早く大人になりたいと強く願った。 ―― 私は、自由になりたかった……でも、自由って何かしら? キャメロットは自分に問う。 ―― 私は、幸せになりたかった……でも、幸せってどこにあるのかしら? 深い眠りに落ちるその瞬間まで考えた。 答えは見つからなかった。 レオナルドの温もりに安心して、思考は奪われる。見ることのできない答えを探すより、今ある優しさに浸ることを選んだ。 誰かのぬくもりを感じて眠るなんて、記憶にないことだった。けれど、懐かしいと思った。もしかしたら、忘れているだけで、過去にもこんな優しさに触れたのかもしれない。 優しい微笑を浮かべ、幸福な眠りに落ちた。こんなに安心して眠れたのはいつ以来だろう。それくらい深い眠りだった。 その頃、アストラートは真夜中にもかかわらず、緊迫とざわめきの中にあった。 それを、塔の中にいるものが知るのはもう少しあと。 今は、静かな夜がそこにあった。 +----------------------------------------------------------------+
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