第三章

 第二話 崩れた絆

   <月の図書館>   


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 太陽があるうちから、薄っすらと月が現れた。
 両極にいる太陽と月の距離は自分達の距離に似ていると、月が現れると逃げるように去っていく太陽を見ながら考えていた。
 アスベルが早々に立ち去ったあと、キャメロットはひとりで色々な事を考えていた。
 レオナルドがカークに何かしたのではないか。あの日に限ってやってこなかったレオナルドの行動が気になって仕方がない。
 楽園なんて知らない。この塔とどんな関係があるんだろう。始めて、この塔と自分の存在に疑問をもった。
 何のために自分はここにいて、この塔は何のためにあるのか。この塔に閉じ込められている自分の存在は何を意味するのか。塔は何を護り、何を求め、何のために沈黙しているのだろう。
 そして、レオナルドは一体何ものなのか。

「あの本は、なんて書いていたかしら?」

 記憶の糸をたどる。あの時読んだ本には何と書かれていただろうか?

「戦いが……」

 ―― 楽園を求めた竜族は争いを起こし、北の地に逃げた鳥族を滅ぼした。

 浮かんだ言葉にぞっとした。月夜に感じた寒さと同じだった。血まみれで大地に打ち捨てられ、横たわる無数の鳥族の躯の上を、不気味な笑みをこぼし塔を目指す竜族の姿が見えた。
 まるでその場面を見てきたように鮮明に浮かび上がる。
 先頭を行く影が、カークの姿に変わる。
 するとそこに黒い陰が現れ、長く変わった鍵のような形をした武器でカークを切り裂いた。
 キャメロットは小さな悲鳴をあげ、床に座り込んだ。生気を失った瞳、そして真っ青な顔色、がくがくと体を振るわせた。両手で体を抱きしめ、布を強く掴んだ。
 夢とも現実ともいえない冷たい世界。知るはずのない本に書かれた世界が、目の前に今見て来たかのように生々しく現れる。まとわりつく寒さ、氷の手に触られているように体中が冷たくなるのを感じた。
 その時、音もなく扉は開かれ、レオナルドはやってきた。聞こえるはずの足音も、開かれた扉の音もキャメロットの耳には届かなかった。

「どうした?そんなところに座り込んで」

 窓の下に座り込んでいるキャメロットを見ると、レオナルドはまったく感情のない声で話しかけた。
 音のない世界から一気に現実に引き戻され、その声に振り返る。握り締め、床に広がっていた布をかけなおすと、立ちあがりレオナルドから顔を背けた。

「なんでもないわ……」

 小さく呟く声は、まだ震えていた。

「……そうか」

 そうは見えないが、という雰囲気を飲み込んだ一言だった。それでも、何も気がつかない風に食卓のドアを開けようと手を伸ばす。
 そのレオナルドをキャメロットが呼び止めた。伸ばされた手は空をきって、振り返る。

「聞きたいことがあるの」

 声は感情を抑えるように、微かにかすれている。いつになく強い光を放つ視線を、レオナルドに向けた。
 振り返ったレオナルドの表情はわからない。しかし、珍しいキャメロットの姿に首をひねった。
 相変わらず、漆黒の布に覆い隠された男は、悪魔のようにも死神のようにも見えるが、似つかわしくなく左手に少し大きな籠を握っていた。いつも白い鳥が運んでくるものよりひとまわり大きい籠が、黒い布から顔を出している。

「何だ?」
「カークはどこ?」
「何のことだ?」

 まったくいつもと変わらない声で、レオナルドが聞き返す。けれど、キャメロットはあきらめない。

「ごまかさないで」
「なぜ、お前が竜族の王子を知っている?」

 キャメロットは、ちらりと視線を窓の外に向けた。珍しくクリスがうろうろと空を行きかっていた。キャメロットが心配で、いてもたってもいられないようである。

「やつはここにも来たのか」

 レオナルドの言葉には、疑問がなかった。

「やはり、カークに会ったのね」
「…………」

 何も答えないレオナルドに、体から血の気が引いた。

「聞きたいのはそれだけか?」

 動揺も見せない目の前の黒い男に、さらに不信感を募らせていった。表情がわからないため、何を考えているか想像も出来ない。それがたまらなく、不安をあおる。

「あなた、何者?私は、誰?楽園って何?鍵……いったい何なのよ!」

 はじめて叫び声をあげた。それは悲痛な心の叫びだった。何を信じていいかわからない、何を求めていいかわからない、自分の存在すら信じることが出来ない。

「私は、何のためにここに居るの?あなたは私を何のために閉じ込めているの?ねえ、教えて!本当のことを教えて!!そうでないと私は……私は…あなたを信じることが出来ない!!」

 何のためにここに自分を置いておくのか、わからなかった。今までなんとなく考えていたことを、深く考えなかった。
 得体の知れない男でも、共に過ごしてきた時を信じていたからだ。どんな男かわからなくても、無条件に信用できたからだ。
 けれど、キャメロットの中で保っていた均衡が壊れた。無条件に信じるわけにはいかない。
 ずっと、知りたかった答えを待った。
 レオナルドを好きだと思ったことはない。しかし、嫌いだとも思ったこともない。
 不満はたくさんあった。反発もした。それでも、レオナルドを信じていた。
 信じていた思いは、不信感と共にキャメロットを侵食し始めた。信じていたからこそ、揺らぎ始めた思いをどうしていいのかわからない。
 悲しくって寂しくってたまらない。どうしてそんな気持ちになるのか、自分でもわからなかった。まるで捨てられることに怯えるような、孤独に満ちた瞳をしていた。

「知る必要はない」

 すがるような瞳も、言葉も、レオナルドには届かなかった。
 何の変化もない声が部屋に響いた。
 ばっさりと、切り捨てられたような痛みを感じた。体に傷をつけられたわけでもないのに、ひりひりと痛む。どこが痛むのか、よく考えなくては、わからなかった。無意識に、胸元の服を握りしめた。その手がかすかに震えていた。
 ガラガラと音を立てて、キャメロットの中の何かが崩れた。こみ上げてくる感情が、自分で制御できない。

 ―― これは怒り?それとも、もっと別の何か?

 この時はじめて思い知った。
 目の前に居る得体の知れない男が、自分にとってどれほど大きな存在か。
 どんな男かわからなくても、共に生きてきた時は絆を作り上げていた。語らずとも、心すれ違っても、時という流れの中で出来上がった絆だった。
 それはどんなことがあっても崩れない気がした。
 信用という言葉で表さなくても、絆は消えることがないと思っていた。
 レオナルドがキャメロットにとって、唯一の世界だったのである。
 誰も居ない塔の上、彼だけが会うことのできる、話すことの出来る存在。
 まるで空気のように、大切だと考えることもなく浸透していた。
 崩れ落ちたのは、外の世界と交わったから。
 キャメロットは、絶望のふち淵に居た。教えて欲しいと願ったら、答えを求めたら、きっと望むべき答えをくれる。それはただの幻想に過ぎなかった。

「なぜ?カークは私が鍵だと言った。私に関係のあることなのでしょう?それなのに、なんで教えてくれないの?」
「キャメロットが鍵なのではない。鳥族が鍵なのだ」
「私が鍵だから閉じ込めているの?あなたの望みも楽園……?」

 しばらく、答えを言わなかった。小さく時を刻む音が聞こえてきそうなほど緊迫した空気がそこにある。
 キャメロットは、待った。その答えは、肯定ではなく、否定を待っていた。
 違うと言ってもらいたかった。しかし、その望みはたった一言で消え去った。

「そうだ……」

 目の前が真っ暗になるのを感じた。

「楽園って何?何でみんな欲しがるの……私を自由にして。鳥族が鍵なら私でなくてもいいのでしょう。私を自由にして」

 必死に訴える。
 孤独と不安に心が震え、頭の中は混乱していた。自分が考えている現実より、悪いほうへ悪いほうへと導かれる。
 だんだん、レオナルドが憎くなる。

「それは出来ない」
「どうして!」
「どうしてもだ……」

 レオナルドは強く制したが、その言葉はどこか悲しい雰囲気を漂わせていた。
 しかし、今のキャメロットにはそんなかすかな反応を感じ取る余裕などなかった。

「私には言えないのね……もういい……私は自由になる。あなたの言葉なんて、もう欲しくない……」

 そう言うと窓の出っ張りにのぼった。とても身軽だった。風は、キャメロットの髪をさらい、空に流れる。窓に身を投げ立っている表情は、すでに怒りよりも、無に近かった。

「キャメロット?」

 重たい空気にレオナルドが呟く。そして一歩前に踏み出した、その時……。

「もう、あなたは信用できない」

 言葉とほぼ同時だった。
 窓の枠にかけていた手は、軽くそこを押した。するりと体が窓を抜け、レオナルドの視界から姿を消した。
 手に納まっていた籠が、床に音を立てて落ちた。

「キャメロット!!」

 叫んだのは、レオナルドだった。

「キィ―――――――――――――!!」

 近くを飛んでいたクリスは、かん高い鳴き声を上げた。
 空に吸い込まれるように落ちてゆく。クリスが追いかけようと翼を羽ばたかせた時、視界を黒い影が覆いつくした。
 地上をめがけて落ちてゆくキャメロットを追いかける、ひとつの影。いや、ひとりの男がそこに居た。
 長い髪は美しい銀髪で、照りつける真っ赤な太陽に輝いている。重力に反し、空に放たれた髪の間から、白く大きな翼が姿を現した。
 クリスは、飛び降りるのも忘れて、その姿に見入っていた。

 ―― 鳥族……。

 クリスの目を奪ったのは、鳥族という事実よりもっと別なこと。キャメロットを追いかける姿は、飛んでいるというより地上めがけて落ちていた。

「片翼……」

 落ちてゆくのは当たり前だった。空に羽ばたく翼は見るからにおかしい。空に広がるのは片方の翼だけ――飛べるはずがない。

「どうして……」

 飛べるはずがないのに、追いかける。あの得体の知れない男が……クリスは状況が飲み込めず、呆然と下を見下ろしていた。
 その視界に一羽の鳥が現れ、落ちてゆく二人を追いかける。

「レオ!!」

 低い声が空に響いた。はじめて聞く声だった。
 落ちてゆくレオナルドは、キャメロットの腕を掴み、自分の胸に抱きこんだ。そのまま墜落すれば間違いなく生きてはいない。必死に翼を動かすが、飛ぶだけの力とバランスが取れない。
 レオナルドの翼は、無力だった。
 諦めた彼は、キャメロットを抱く腕に力を込めて、瞳を閉じた。
 もう、地上は近かった。荊の蔓が二人を待ち受けている。
 レオナルドの肩に、白い鳥が飛来した。鳥はクリスよりは大きかったものの、キャメロットと同じくらいの翼しか持ち合わせていなかった。
 そんな鳥が追いついたところで、二人を救う術はない。
 しかし、その体が急に変化した。
 二枚の翼は、鳥族の翼とそう変わらないほど大きくなった。雄大な翼を空に羽ばたかせると、鋭い爪をもった太い足が、レオナルドの両肩を捕らえた。爪はレオナルドの両腕を突き刺し、血があふれ、空に散った。
 落ちていく二人の体は、ゆっくりと動きを変え、風に浮くように地上におろされた。
 両腕に意識を失ったままのキャメロットを抱きかかえ、レオナルドは立っていた。その瞳は、腕の中に居るキャメロットに向けられている。硝子のような青い瞳に苦悶の色を表し、荒々しい息づかいに肩が揺れる。
 白い鳥はレオナルドの両腕から爪を引き抜くと、足元に飛び降りた。そして、レオナルドを心配そうに見上げている。真っ赤な血が肌の上を流れ、服を紅く染めていった。
 静かな世界に、レオナルドの息づかいだけが響いている。
 張り詰めた空気、冷たい風が二人に吹き付ける。
 身を震わすような出来事にレオナルドの目は凍りつき、体は微かに震えていた。
 黒い布で隠されていた感情が、今は手に取るようにわかる。

「レオ、すまない。急なことだったので爪を立ててしまった」
「かまわない。助かったよヘレス……」

 巨大化した体を元に戻したヘレスは、赤く光っていた瞳の色も元に戻っていた。
 腕に抱えていたキャメロットを、荊から逃れた場所にそっと下ろす。
 ぐったりとしたキャメロットの傍に、クリスが静かに舞い降りた。ときどきレオナルドの方を探りながら、髪を引っ張った。
 かすかな痛みに、うっすらと瞳を開ける。クリスの姿を見つけて、体を起こした。
 自分はいったいどうしたのだろうか、状況が飲み込めず上を見上げた。高く聳え立つ塔と一人の男が目に入った。強い視線を感じたキャメロットは、その目から逃れることが出来ない。
 男は、怒りを顔に表し、キャメロットに近づいた。そして、右手が空を切り、キャメロットの頬で音をたてる。鈍い音と、感じる痛みに我にかえる。

「命を何だと思っている」

 低い声は、重みのある言葉を怒りとともに吐き出す。
 声を聴くまで、目の前に居る男がレオナルドだと気づかなかった。ありえないものを見るように、視線が彼を追う。
 頬の痛みなど一瞬で消え去った。目の前に居るレオナルドの姿に比べると、些細なことのように思えた。

「…………」

 呆然として、言葉すら発せないキャメロットを見て、レオナルドは大きく息を吐いた。そして、叩いた手のひらで、頬に静かに触れた。

「どこもなんともないか?」

 声も、青い瞳も優しかった。

「平気……」

 レオナルドから視線をはずすことが出来ない。青い瞳に吸い込まれる。その瞳の奥底にある彼を見つけたいと、じっと見つめ続けた。
 ふと視線を落としたキャメロットの目に飛び込んできたのは、鮮血の血だった。ぞくりと背筋を震わすほど、血に脅える。

「あなたの方が平気には見えない……」
「誰のせいだと思っている」

 強い視線でにらまれたが、そこに怒りは感じなかった。

「ごめんなさい」
「覚えておけ。命は絶対に無駄にしてはならない。それだけは許さない」
「あなただって、カークを……」
「あいつなら生きている。しばらく閉じ込めておくがな」
「え?」

 レオナルドとキャメロットの話の間に、普段まったくしゃべることのなかったヘレスが割って入った。

「レオ、もう隠すことは出来ない。真実を語るべきだ」
「ヘレス」
「キャメロットは真実を知りたいと思っている。もう隠しておくことはできない。昔のレオナルドがそうであったように、翼の大きさは関係ない」
「…………」
「レオが隠し続けたいと思っている気持ちもわかるが、こんなことが何度もあっては私の身がもたない」
「…………」

 ヘレスの言葉に、レオナルドは考え込んでいた。

「自分を悪者にするのはいいが、このままでは何も変わらない」
「わかったよ」

 仕えているだけのように見えて、ヘレスはレオナルドを諭す。一番の理解者であり、唯一意見を言える相手でもある。二人の関係は切っても切る事の出来ない関係で、竜使いと竜の関係に似ている。

「悪者?」

 クリスが小さくつぶやくと、ヘレスの方を見た。どこかで聴いたことのある名前だと考えながら、レオナルドの背中が気になって仕方がなかった。

 ―― 片翼……。

 それを気にしているのはクリスだけではなく、キャメロットも同じだった。
 血に染まる背中に、寒気を感じたが、それ以上に切り取られたように付け根からなくなっている片翼から目が放せない。
 じっと見つめるキャメロットの視線に気が付いたレオナルドは、ちらりと背中に視線を落とす。ゆがむように目を細めた。

「ついて来い。あの男に会わせてやる」
「ま……待って。その前にその血を何とかして……痛そうで見てられないわ」
「痛そうではなく、痛い。元々われわれは竜族のように頑丈に出来ていないのだ。鳥族とは繊細な生き物だからな」
「いいからここに座ってよ!」

 キャメロットは、レオナルドの腕を引っ張った。
 その手は震えていた。
 血が怖かったからではない。自分が記憶する中で、始めて人に触れることに対しての震えだった。
 怖いような、不安なような、言いようもない感覚にとらわれながらも、暖かい温もりと懐かしさを感じた。
 不思議な感覚に、キャメロットは顔をしかめた。

「キャメロット……お前に出来るのか?」
「やるわよ!……私のせいだし……それにいくらあなたの鳥が優秀でも、手当ては無理でしょ。何ならカークに頼む?」
「冗談じゃない」

 クリスが、キャメロットの部屋から布を持ってきた。
 キャメロットがいくら引き裂こうとしても無理そうなのを見かねて、レオナルドが手を貸した。布は大きな音とともに綺麗に裂けた。
 ヘレスは再び、キャメロットの部屋へ戻り、水の入ったポットを持ってきた。本来なら酒のほうが消毒に向いているのだが、キャメロットの部屋にもレオナルドの部屋にもワインも、それに変わる酒類もおいていなかった。綺麗な水で代用するしかない。
 水をレオナルドの傷口にかけると血をふき取る。拭いても、拭いても出てくる血に、眩暈がした。
 ヘレスが持ってきた匂いの不気味な緑色の薬草を塗ると、つんと独特な匂いが鼻をかすめた。白い布を包帯代わりにぐるぐると巻きつける。こんな作業は初めてで、上手く巻いているとは言いがたかったが、血が流れ出ているよりはましだろうと自分に言い聞かせた。

「レオナルドも、鳥族だったのね」

 背中からレオナルドの顔を覗き込んだ。顔が見えると今まで見えなかったものが見えてくる気がした。
 塔の上にいる時の不信感が、いつの間にか姿を消していた。
 キャメロット自身、不信を抱いて飛び降りたということを忘れてさえいた。
 隠されていたレオナルドの姿を見たという衝撃より、気にかかることなどなかった。
 レオナルドの隠れた姿をずっと想像していた。見たことのない姿を、悪魔のような男だと決め付けていた。何度か本の挿絵で見たことのある、悪者の男たちの顔を当てはめながら。想像とは正反対の男が、目の前に居る。
 体つきはしっかりとしているが、戦う男というにはあまりにも繊細な雰囲気。きりっとした瞳は、何かを切望する強い光を持ち、硝子のように透明。肌は白く、日の光に透けて見えそうだった。
 長い絹のようなまっすぐに伸びた髪は、少し青みがかった銀髪で、軽く結い上げている。
 憎らしげな口元と、高い鼻、どこから見ても整った顔立ちだった。
 そして、思っていたよりずっと若かった。アスベルやカークより少し年上の容貌。見た目に似つかわしくないほど、落ち着き払っている。
 完璧な容姿に、欠落した羽が痛々しい。

「どうして、片方しかないの?」
「醜いだろう」
「え?」
「飛べない翼ほど醜いものはないと、お前が自分に言っている言葉だろう」
「それは言ったけど……」
「その通りだ。翼をなくした鳥族ほど悲しいものはない」

 キャメロットの瞳をまっすぐと見つめた。
 その視線には、果てしなく深い悲しみが映りこんでいて、ただ見ているだけなのに、悲しみがこみ上げてきた。
 何か悪態でもついてやろうと思っていたのに、何も言えなくなってしまった。仕方なく黙ったまま、手当てを続けた。
 布の端を結んでいる時だった、クリスが急に思い立ったように声を上げた。重たい沈黙が続いていたのを切り裂いた。

「ヘレスって、まさかあの伝説のヘレス?」

 突然の叫びに驚いて、あらぬ方向を見ていたヘレスが、クリスに視線を向ける。

「お前、何か伝説になるようなことをしたのか?」
「そんな記憶はない」
「確かにこいつがヘレスという名前なのは本当だ……伝説になりそうなことというとあれしかないな」
「王を裏切ったもの?」

 クリスは、キャメロットの肩に止まった。

「クリス?」
「やっぱり、あなたがあのヘレス様。だとしたら、レオナルド様は……」
「ちょっと、いったい何なの?裏切りって何」
「裏切ったわけではないのだが……」
「同じだろう。王の決断に反したのだから」

 にやりと笑みをこぼし、レオナルドがヘレスに言う。

「どうして?」
「……後で話してやる。真実とすべてつながっているからな」
「レオナルド、あなたは何者なの?」
「私は、ただの鳥族だ。ただ……何かひとつ鳥族でも違う存在だったといえば、最後の王ユリアの弟ということだけだ」

 キャメロットは、首をひねった。

「待って、だって最後の王?」
「いつか、私がお前に贈った『種族』という本は事実を語っている。多少違う部分もあるが……あの本が一番事実に近い」
「え?」
「鳥族は滅びた……いや、竜族の手によって滅ぼされたのだ」

 キャメロットが衝撃を受けたのはその言葉だけではなかった。レオナルドが見せた表情から、あふれ出すほどの怒りの炎を感じたからだ。

「滅びた?」
「そうだ、はるか昔に」
「私はいるわ……私は鳥族でしょ」
「キャメロットを生んだのは竜族だ」
「まさか……そんなこと……」
「あるんだ、信じだれないだろうがな」
「…………竜族から、生まれた」

 それは言い表せないほど、衝撃的な言葉で、当然信じられるわけもない。受け入れられないというよりは、ありえない出来事に意識が遠のく。竜族から生まれたということが、想像できない。だから、悲しいのか、嬉しいのか、苦しいのか、辛いのかも判断できなかった。ただ、無に近い感情で、頭が真っ白になった。
 この体を形成しているのは、竜族なのか、鳥族なのか。
 白い指先に目を落とす。かすかに震えているのがわかった。

「竜族は、それを鳥族の呪いと言う」
「呪い……?」
「自らの手で滅ぼした鳥族が、竜族の腹から生まれるんだ。信じられない出来事にそういうしかなかったのだろう」
「……呪い」
「鳥族からしてみると、耐え難いことだが、他に鳥族の血を残す方法がなかったのだ」
「どういうこと?」
「……少なからず、竜族の中に鳥族の血が入り込んでいるということだ。私自身、まさかこんなことになるとは思っていなかったが、ユリアは知っていたのかもしれない」
「私は……鳥族の呪いから生まれた一人……?」
「呪いなどではない……呪いなどではないのだ……」
「じゃあ……」
「これは、奇跡だ」

 そう言ったレオナルドの顔は、とても優しかった。青い目に長い銀色のまつ毛が影を落とす。作り物めいた整った顔がよく見える。人の表情は、何よりもたくさんのことを物語り、言葉より胸に響くことを知った。
 キャメロットは、いつもより素直にな自分がいることに驚いた。奇跡と表現した、レオナルドに瞳の奥が熱くなるのを感じた。

「私の……両親は、私のことがいらなかったのね」
「望まれない子などいない。鳥族は鳥族のもとで育つのがいいと思ってのことだろう」

 それは、嘘だとわかった。呪われた子供を育てたい親などいない。種族違いの自分は、捨てられたに違いない。
 真実を告げないのが、レオナルドの優しさだとわかった。
 ショックはあるが、悲嘆暮れるほどではない。逆に、受け入れられる自分に驚いたほどだ。理由はすぐにわかる。家族すら想像でしかないキャメロットにとって、親という存在も実感がなかった。
 捨てられるということに、悲しみは生まれなかった。

「私はどうやって塔に来たの?レオナルドが連れて来たの?」
「ああ、そうだ」
「どうして?」
「……お前が鍵だからだ」
「鳥族が鍵なら私じゃなくてもいいじゃない。あなただって鳥族でしょ」

 レオナルドは、少し目を細めた。

「それは無理だ」
「どうして?」
「お前はそればかりだな。まあいい……今この世にいる鳥族はキャメロットだけなのだ。私は完璧じゃない。それに私では鍵にならない、絶対にな。お前じゃなくてはだめなのだよ」

 冷たい声とは裏腹に、悲しみに満ちた表情だった。
 かすかに胸の奥が痛くなる。伝わってくる悲しみは、自分の事のように膨れ上がり、キャメロットを切なくさせる。
 もうこの世に鳥族がいない、自分とレオナルドだけがとりこのされている。そのつながりは鳥族にしかわからない結束のようにも感じた。

「レオナルドはずっと一人で生きてきたの?」
「……お前を塔に連れてくるまではな」

 見上げる、顔がかすかに笑ったような気がした。
 レオナルドは落ちてきた自分のマントを体に巻きつけ、欠けた翼を覆い隠す。

「ついて来い。風が冷たくなってきた。まだ寒季は終わっていない、夜は冷えるからな」
「ねえ、もうひとつ聞いていい?どうして夜しか塔にいないの?」
「半分しか鳥族じゃないからだ」

 レオナルドは、それだけ言うと他には何も語らずに、歩いていってしまった。キャメロットはあわてて後を追う。
 落ちたところより少し離れた場所に、レオナルドは突き進んでいく。
 キャメロットは後を追うので精一杯だった。こんなでこぼこな地面も、乾いた砂の感覚も初めてだった。
 一面に広がる大地は夕闇に飲まれてしまってよく見えない。化石となった荊の蔓が張り巡らされているため、よけながら歩かなくては傷だらけになりそうだった。
 不意に羽音が聞こえて、上を見上げた。巨大な翼に形を変えたヘレスが、キャメロットの肩に止まる。腕を掴むと軽々と飛び上がった。レオナルドの待つ場所まで運んでくれたことは嬉しいことだったが、鳥族としては情けないことだった。

「この塔には臭気が漂っている」

 頭の上で低い声が聞こえてきた。

「臭気?」
「鳥族以外のものには耐えられない、結界のようなものだ。レオは片方の羽を失っているため、鳥族としての機能が多少欠けている。臭気に弱くなったのだ。鳥族は夜飛ぶのが苦手なせいもあって、月の出ている間は昼間より体の力が向上する。だから夜の間の方が臭気に強い」
「だから、夜に塔へやってきていたの?」
「キャメロットを心配してということの方が大きいかもしれないがな」
「私を?」
「キャメロットは闇が怖いのだろう。たった一人で塔においておくのが心配だったのだと私は思っている」
「…………」

 ヘレスが、キャメロットをつれてくるのを見計らって、レオナルドは荊を押し上げた。
 そこには何か紋様が刻まれていて、レオナルドはその文字をなぞる。
 音もなく塔の一部が開いた。真っ暗な洞窟のような塔の中には、石の道が続いているようだ。
 ヘレスの言葉を思い出しながら、レオナルドを見上げる。
 それは真実かどうか探りたい思いでいっぱいだった。ほとんど表情を変えないレオナルドから、何かを掴み取るのは難しい。ときどき見せる感情の起伏だけが心を外に出す時だった。黒い布で覆い隠されている時とあまり変わらないかもしれない。でも、姿を見せたレオナルドの方が安心して、後を着いていけると感じていた。

「気をつけろよ、ここではヘレスは飛べないからな」
「え、ちょっと、待って!もう!!」
「のんびりするな、冷えてきたぞ」
「レオは女性の扱いを知らないようだな……。あわてずに着いておいで」
「ヘレス……クリス肩に乗って。地上に降りて一番初めからとんだ初体験ね……」
「自業自得だろ、塔から飛び降りたんだから」
「うっ……ごめんなさい」

 恐怖心を感じながらも、闇にのまれた塔の入り口へと入っていった。
 すぐ傍にレオナルドの姿を見つける。体に巻いた布のせいもあって、銀色の髪がかすかに闇に浮いて見えた。
 どこから差し込むのか、うっすらと明かりを感じる。
 レオナルドはときどき後ろを振り返り、キャメロットが着いてきているのを確認していた。優しいのか優しくないのか、よくわからない。

「引っかかって転ぶなよ」
「こんなに暗かったらわからないわよ」

 そういった瞬間から、何かに躓いて小さな悲鳴を上げた。足元に何があるかも見えない状態で、気をつけろという言葉は無意味に近かった。
 レオナルドの気配を感じはするが、姿は影にしか見えず、肩の上のクリスも何の役にも立たなかった。

「明かりはないの?」
「明かりをつけたほうが悲鳴を上げるぞ」
「え?」

 ぞっと悪寒が走った。立ち止まり、見えるはずのない道を見回す。

「いいから来い」

 レオナルドは、キャメロットの手を掴むと、また歩き出した。キャメロットは、大人しくついていく。
 手首に感じるレオナルドの感触が、落ち着かない。
 再び足を止めたのは、大きな扉の前だった。
 いきなり止まるので、キャメロットは大きな背中に激突した。キャメロットを導いていた手を離すと、大きな扉を両手で押した。力をいれずとも、その重たそうな扉は開かれ、光を感じた。
 ゆらゆらと揺れる人工的な光。
 かすかな油の匂いが、ランプの光だと教えてくれる。

「ここは……」

 中は自分の部屋を上に高くしたような感じだった。窓は遥か上についていて、がらりとした空洞のような印象を受けた。

「あ!」

 中に入ったとき、一人の男が竜に寄りかかり座っているのが目に入った。

「キャメロットじゃないか。まさかこんなところで会うとは思っていなかったよ」

 カークは、一週間以上行方不明になっていると言う割に、元気そうだった。
 キャメロットは後ろを振り返り、視線を上に上げる。そこには無表情の男がいた。
 レオナルドは、キャメロットの視線にも、カークにもお構いなしに部屋の隅に腰掛けた。ぐったりと壁に寄りかかる。その姿には、疲れたというより、辛さを感じた。青白い顔色は、自分のせいだと胸が痛くなった。
 静まり返った部屋には重たい空気が流れていた。
 キャメロットは、レオナルドとカークを交合に見て、首をひねる。
 肩の上のクリスに目を落とすと、首を振って顔をしかめていた。小さな息を漏らして、キャメロットは立ち尽くしてしまった。

「居心地が悪そうね」

 それは、環境のことではなく、その場を取り巻く空気のことだった。率直な感想に、クリスが小さく笑い声を立てた。
 少しだけ、なごむ瞬間だった。


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