第三章
第一話 生まれた不安 +----------------------------------------------------------------+
いつになく寒い日だった。 普段は窓を開け、外を眺めているキャメロットだったが、その日は部屋の中で本を読んでいた。真剣に文字を追う表情は緊迫していた。ちょうどクライマックスをむかえていて、その行方に周りの状況が見えないほど入り込んでいた。 だから、窓の外を行き交う白い影に気がつかない。 ―― トントン。 窓を突っつく音に、一瞬で現実に引き戻され、驚いたキャメロットの手から本が滑り落ちた。 振り向くと一生懸命に窓を突っつくクリスが目に飛び込んできた。 そして、その後ろには巨大にうごめく竜の姿があった。 「アスベル……」 急いで近くにあった布を羽織ると、窓を開けた。 異常なほど冷たい風が吹き込んでくる。ぶるりと背筋を震わし、布を深く巻き込んだ。 北の地は、冷たい風が吹く。 かつてフォーリアを見つける前の鳥族は、この寒季に耐えることが出来ず、多くの命が消えていった。 キャメロットもそうであるように、鳥族はこの寒季がやってくると活動能力が低下する。 あまり体の強くない鳥族にとって寒季は試練の時、耐え忍び生きていかなければならなかった。 塔に住むキャメロットは耐え忍ぶ事はなかったが、体を突き刺すような冷たい風は、体の芯を凍らせるほどの威力があった。 「気がつかなくってごめんなさい。窓を閉め切っていたものだから」 「別に構わないよ。こんなに寒いのだから当然だ……本当に寒いね」 アスベルは、体をぶるりと震わせると呟いた。 「北の地、特有の寒季よ……」 「こんな寒さ初めて体験したよ……同じアストラートなのに北の地はまったく違う場所のようだ」 ファルサにくくりつけてあったマントを取り出すと、体を覆った。厚い生地が風に揺れる。出てくる時は暑くて、つけるのも嫌だったマントに救われた。 「それよりも久しぶりね。このところ姿を現さないからどうしたのかと思っていたの」 椅子を引きずりながら大きな声で話しかける。 少し離れているため、塔の中に入ってしまうと大声でなくては聞こえないからだ。 窓のそばに椅子を置くと、窓辺に寄りかかるように座った。 窓の中を行きかうキャメロットの姿さえ、アスベルは懐かしく愛しそうに見つめていた。 会えずにいた間、会いたくって仕方がなかった。やっと会えた喜びにこぼれるのは笑みばかりで、自分でもしまりのない顔をしているのがわかった。 「寂しかった?」 キャメロットも同じ気持ちだったらいいのにと思っていたアスベルは、いたずらっぽく聞く。 キャメロットは、かすかに首をかしげて、もちろんと答えた。 きょとんとした表情に、アスベルは少し残念そうに顔をゆがめて、苦々しく笑った。 「アスベル?」 どこか乾いた笑いにとったキャメロットは、ますます困惑の表情を浮かべた。 不意に、アスベルの視線は真っ直ぐとキャメロットを捉えた。見たことのない大人びた表情に戸惑い、息をのむ。 「なんでもないよ」 そうつぶやいたアスベルは、優しいいつもの笑顔を見せた。キャメロットをほっとさせたが、すぐに暗い表情に変わった。 「実は色々とあってね……」 暗い表情はさらに暗さをまして、瞳は遠いどこかを見る。 アスベルだけでなく、ファルサさえいつもより重たい空気を持っている。 キャメロットは重苦しい二人の雰囲気に、ただならぬものを感じた。 まじまじと眺めたアスベルの顔はいつもより青ざめていて、疲れの色が現れている。 少し痩せたと感じるほど、顔がやつれていた。 マントに覆い隠されてしまった筋肉質な体に、傷痕と左肩には包帯を巻いていたのを思い出した。 心配な視線を感じ取ったアスベルは、重たい口を開く。 「王が戦いを起こしたんだ」 短い言葉に、ぞっとした。 「アスベルも行ってたの?」 「僕は竜使いだからね……それが使命なんだ」 しかし、それ以上何も言わなかった。キャメロットも何も聞けなかった。聞いてはいけない気がする。いつもあう視線が合わない。ずっと、その視線は下に向けられていた。 アスベルは、キャメロットの目を見るのが怖かった。 戦争になど縁のないキャメロットでも、何が行われる場所かくらい知っているだろう。 戦いとは、どんな理由を付けたところで、人殺しだ。 魔物を見るような目で見られていたら、と思ったら視線を合わせるのが怖かった。 「だから、しばらく来なかったのね……」 重たい沈黙が続く。ファルサに促されるまで、アスベルは自分が来た目的を忘れていた。 「今日は、キャメロットに聞きたいことがあってきたんだ」 「聞きたいこと?」 「ここに男が来なかった?綺麗な身なりをして、赤色の髪、鋭い金色の目をした男なんだけど」 戦地から戻ったアスベルの耳に入ってきたのは、カークが行方不明になっているという噂だった。 戦争にも加わらなかったらしい。 最後に姿を確認されたのが、アスベルと話した日の夜だということがわかっている。 竜に乗り、王城から飛びだっていった彼を見たというのが最後だった。 それからすでに、二十日以上たっている。 カークはふらりといなくなることがある。心配する必要はないのかもしれない。 けれど、あの日のカークとの会話を思い出すと、恐ろしい結論にたどり着いてしまう。 「名前は、カーク・デ・ドランジェルト」 大人しく窓に止まっていたクリスが激しく翼を羽ばたかせ、キャメロットの肩にとまった。 警戒もしているのだろうが、何か耳にささやいているように見える。 「来たわ。カークという人。私の見た二人目の人間ね」 「いつ……?」 「十日ほど前だったと思うけど」 「十日?」 「正確にはわからない……寒季がくる前だったと思う」 やっぱりという顔をしてファルサに視線を落とした。 ファルサも大きく息を吐き、首を何度か振ってみせた。あきれ返ったという風もあったが、何てことをしたのだろ言う方が大きい。 予想が当たっても喜びの顔など浮かべられはしない。 呪いの塔に近づいた者は、誰も帰ってこないという事を知っているからだ。 背筋が凍るような感じがしたのは、寒気のせいではなかった。 アスベルのくもった顔は、さらに青ざめていった。 「彼がどうかしたの?」 緊迫した空気を感じ取ったキャメロットは、動悸が早くなるのを感じた。 沈黙したまま空に浮かぶアスベルたちを見ながら、その時の事を思い出していた。 カークに会った、あの日の出来事を鮮明に覚えていた――。 不吉な夜、体を襲う寒さから逃れるようにベッドにうずくまり、振るえながら眠りに落ちた。 目覚めたのは昼頃だった。朝食と昼食のバスケットがテーブルの上に並んで置かれていた。 何も食べる気が起きなかったが、温かいミルクをカップに注ぐ。しっかりと閉められている窓を見てから、カップに口をつけた。 熱いはずのミルクが熱く感じなかった。 昨日からずっと感じている寒さがまだ残っている。今まで感じた事がないくらい嫌な気分だった。 暖かいものを求めてバスケットを覗き見ると、少し冷めた昼食用のスープをゆっくりと飲み始めた。 優しい味が口に広がる、少しだけ心が休まり息をつく。 ふと、見上げた瞳に映ったのは窓の外を行き交う黒い陰だった。 飛ぶというよりはうごめくといった感じのものが目に入り、キャメロットは持っていたスプーンを床に落とした。カラカラという音と共に立ち上がると、窓に駆け寄った。 アスベルではないことはわかっていた。 この時間には現れない、いつももう少し遅い時間にやって来る。それに、動きは似ているが黒い陰からファルサではない事も感じとった。 恐る恐る窓を開け、外を覗き見る 耳をつんざく恐ろしい咆哮が聞こえてきて、悲鳴を上げるほど驚いた。 開けた窓に身を隠すように、体を縮めた。 咆哮の主は鋭い牙を持った、巨大な茶色の竜だった。ぎょろりと動いた竜の目は、血に飢えた獣のようにギラギラらしている。 ファルサしか見たことがなかったキャメロットには、この竜は恐ろしいという印象しか与えなかった。 恐怖心と好奇心がキャメロットの中で戦いあう。出て行こうかと思いつつも、恐怖は捨てられずしばらくそこを動けない。 「これは驚かせてしまったようですね、お嬢さん?」 窓の隙間から人の声が聞こえた。 竜の背中に乗った男は、とても紳士的に話し掛けてきた。 竜は窓と同じ高さの位置に止まる。結界からも少し離れた位置だ。輝かしく強い光を放つ太陽は男に降り注ぎ、赤い髪がオレンジ色になって光って見える。 何か不吉なものを感じたのだろうか、クリスが勢いよく空から舞い降りてきた。 いつもより警戒した態度のクリスを見て、キャメロットも緊張して動けなかった。スープで温まったはずなのに、また復活してきた。指先から冷たくなるのを感じる。 「怖がらないで。私は、カーク・デ・ドランジェルト。竜族の……王家のものです」 「…………」 キャメロットは、じっと見つめたまま動かなかった。あからさまに警戒心を剥き出しにする。 「結構しっかりしているのですね」 カークは感じの悪い笑みをこぼすと、キャメロットを見た。 キャメロットの瞳は決して優しいものではなかった。アスベルを始めて見た時とはまったく違う。 あの時は、驚きはあったが不信感は生まれなかった。肉食の竜に乗っているから感じるものではない。カーク自身に心許せない何かを感じた。 いや、カーク自身というよりはむしろ竜族の王家という言葉だったのかもしれない。 キャメロットの中で危険という警戒音がなっている。 気を抜いてはならない、気を許してはならない、どこからともなく声が聞こえる。これは本能。キャメロットに流れる血の記憶。自分でも知らない間にそれを感じとる。 警戒心に満ちた瞳を感じとったのか、カークはまたくっくっと笑い声を立てた。 「警戒するのはいいことだ、簡単に誰でも信用する人間はろくな人生を歩まない。私はアスベルの友人だ。君の事を取って食ったりしないよ」 そういうと先ほどまでの嫌な笑みは消え、優しく微笑んだ。 「気の強い女は嫌いじゃないが、君はアスベルの大切な人だからね」 アスベルの友人という言葉に少し安心したのか、窓を全開にして姿を現した。静かに椅子に座ると、いつものように窓枠に寄りかかった。 「私は、キャメロット」 「アスベルから聞いている。アスベルがほれ込んだ少女というものを見てみたかった」 作り笑いを浮かべたカークだったが、キャメロットが姿をあらわした事にほっと肩を撫で下ろした。 塔にたどり着けた事が何よりも嬉しかった。アスベルの後についてきた時はなんなくたどり着く事が出来たのに、城を飛び出してずっとここを探していたが、たどり着けなかった。 真っ直ぐ塔に向かって飛んでいるはずなのに、全然近くならない。まるで異空間に建っているかのように、ある瞬間突然姿を消したかと思うと、まったく違った大地にたどり着いていてカークは驚きと戸惑いに眩暈がした。ドレイスすらその原因がわからない。 確かに塔に向かって飛んでいるはずだった。まるで見えない敵に踊らされているように空をさまよいさすらった。 やっと塔にたどり着いた時、体が喜びに震え上がった。正直、このまま翻弄されたまま命を落とすのではないかと思ったくらいだ。 森に迷い込んだ時には、出口さえ見つからなかった。うっそうと茂る巨木は、竜の感覚すら狂わすようで、どちらの方向に向かっているのかさえわからず、ひたすら前に向かって進むしかなかった。今となっては、どうやって森を抜けたのかもわからず、塔にたどり着いた道筋も思い描けない。 突然姿を消し、目前に現れた、そんな感じだった。 さまよっている数日間で、やっとここが呪いの塔と呼ばれているのが分かった気がした。 塔に行った者は帰らない、と言われていたものの半分は、塔にたどり着けなかったのではないかと思った。 きっと、ここを一度離れればまたたどり着けない。アスベルはどうしていとも簡単にここへたどり着けるのか、それが不思議でならなかった。 しばらく考え、アスベルは楽園を欲しているわけではないからではないか、と出ない答えを勝手に結論付けた。それ以外考えられなかったからだ。 呪いが本当にあるのなら、楽園を欲しているものが近づけないのは頷ける。何らかの力が働いているのだろう。アスベルは無害ということだ。 塔の外を上に向かって飛び上がり、ひとつの窓を目指す。 そして、キャメロットを見つけた。 カークの望みはひとつだった。楽園の鍵であるキャメロットから、楽園を手に入れるための術を聞き出すこと。あくまでも紳士的に、警戒されていては聞けるものも聞けない。 アスベルの友人という言葉は、もっとも効果的な言葉だった。キャメロットが警戒心を解いた。簡単にカークの策略にはまった。にやりと口元から喜びが漏れる。 「王家の人なのに、アスベルと友達なの?」 「俺は変わり者さ」 「アスベルに何かあったの?」 「いいや、そうじゃない」 「では、どうしてここへ?」 警戒心を解いたためか、無邪気にカークに話し掛けた。 しかし、いつもより気のたっているクリスは激しく羽根をばたつかせた。 「キャメロット、やつは竜族の王子だ」 「クリス?」 肩に止まったクリスは、怒りを表して騒ぎ立てた。 カークに向かって鋭い威嚇をする。小さな鳥とは思えないほど耳障りで大きな鳴き声をあげた。頭の奥にキーンと響くような高い悲鳴。 「クリス!」 カークは耳を抑え、ドレイスは何事かとその場で羽根を数回羽ばたかせる。 「あいつは竜族の王子、近づいては駄目だ。鳥族にとってもっとも危険な奴等だ!」 「ねえ、クリスどうしたの?」 クリスが珍しく興奮していた。瞳の色が微妙に赤く変化している。その異様なまでの変貌に驚いた。警戒心というよりは攻撃的なオーラをあらわにした。 姫を護る守護神を思わせる強いオーラは、カークにも伝わった。 ほう、と感心したような笑みをうかべ、声を漏らす。 たとえカークがどんな悪さを考えたとしても、ここではキャメロットに触れることは出来ない。それは、クリスにもわかっていた。 それでも、体の奥底から湧き出す竜族王家への憎悪を打ち消す事は出来なかった。 クリスの中にもまた、彼らに対する憎悪が根付いている。体に流れる血、体を作っている細胞のひとつひとつに埋め込まれる記憶のように。それは鳥族と同じもの。 「クリス心配しないで、落ち着いてよ。どうしたって言うのよ」 戸惑っていたのはキャメロットの方だった。こんなクリスを見たのは初めてだった。 「キャメルは、竜族について知らなさすぎる」 クリスの言葉は冷たかった。まるで吐き捨てるように叫んだ。 「二人で話すのはやめてくれないか?俺にもわかるように話してくれ」 「ごめんなさい……」 「俺が何しに来たのかと聞いたね。目的はひとつ、楽園を手に入れるため。それだけだ」 鋭い金色の眼はギラリと光った。クリスはさらに羽根をばたつかせ、今まで聞いた事もないような声をあげた。 キィ――――――――。 甲高く鋭く通る叫びは、空に木霊した。怒りと悲しみを感じるような声。その声は耳に入り込み、がんがんと心を揺さぶった。カークの言った言葉とシンクロするように、寒さはまたキャメロットを襲う。 「楽園?」 「知らぬはずがないだろう、キャメロット。君がその楽園を護る鍵なのだから」 カークは信じていた。キャメロットを手に入れれば楽園が手に入ると。 アスベルがそれは間違いだと言っても、曲げないくらい強い信念を持っていた。自分が強く信じなければ支えている糧を失う事になる。自分が生きていくためには、楽園を手に入れるしかない。カークは心より楽園を欲し、その望みを手放さなかった。楽園さえ手に入れれば自分は自分の道を生きていけるのだと言う思いに飲み込まれ、視界が狭まる。 キャメロットは鍵、キャメロットが鍵。まるで呪文のように、自らに言い聞かせた。 「知らないわ、楽園なんて。私は、何も知らない」 悲しみに満ちた表情で、カークを見返す。綺麗な緑色の瞳に、嘘は感じない。 カークは、体の力が抜けるような感覚に捕らわれた。支えていた柱がぐらりと歪む。 「本当に楽園を知らないのか?」 縋りつくような寂しげな瞳に、キャメロットは言葉を失った。 「本で、読んだわ。この世の楽園……フォーリア」 「本?」 「種族という物語」 「物語だって?あれは……」 言葉の続きを言おうとしたその時、再びクリスが鳴き声を立てた。 キィ――――――――。 驚きのあまりカークは、言葉を飲み込んだ。 「楽園が欲しいのなら、『審判の門』に行けばいい」 怒りをあらわにしたくちばしから、感情のない声が飛び出した。 「審判の門?」 「キャメロット通訳してくれないか?」 「……楽園が欲しいのなら審判の門に行けばいいと」 クリスは続ける。 「楽園に繋がるこの塔の入り口の事だ」 キャメロットはそのままカークに伝えた。 訝しげに眉をゆがめたが、すぐににやりと笑みを浮かべた。その話に裏があったとしても、試さないわけがなかった。クリスを挑発するように、睨みつける。 「どこにある?」 「自分で探せばいい。大きな扉があり、鳥族の紋章が刻まれている」 カークは飛び出していこうとしたその瞬間、クリスは大きな音を立ててカークの気を引いた。振り返ったカークにキャメロットが伝えた。 「審判の門は呪いの門……楽園へ入ることを許されるか試される最初の砦。ここを通れない者は、この塔に登る資格のない者。行くのなら心していくがいい」 伝えるように言ったのはクリスで、キャメロットは言葉の意味など知らぬはず。けれど、キャメロットの言葉には何の感情も篭っていなかった。 クリスの言葉を棒読みのように口にした。光を失った瞳は何処も見ていない。ぞくりと、背筋を凍らせるほどの冷たさがこもっていた。 廃墟と化して分かりにくいが、塔の周りには石造りの壁が張り巡らされている。 かつては美しい姿であっただろうその壁は、今では枯れた木々の蔓に張り巡らされ、その面影はすでにない。 荊のように刺のある蔓、枯れて石のように硬く曲がった大木、壊れて崩れている壁の残骸。砂漠の砂のような大地に砂塵が巻き起こる。 キャメロットの窓は南側にある。アストラートに向かっているというとわかりやすいだろうか。 その反対側に、この塔に入るための唯一の門が存在する。 ただの廃墟のように見えるが、結界により人の目には見えないものが存在する。外から見ても何があるかわからない、高い壁の中は迷路のようになっていた。 塔に近づくまで長い道が存在し、その道を歩くものを楽園へ近づいてもいいものか試す。 何を試されるか、知るものは誰もいない。理由は簡単だ。門をくぐって出てきたものは誰もいないからだ。 塔に入りたいのなら、そこを通るしかない。そこを通らなければ、塔に入ることも、登ることも出来ない。もちろん、楽園にも手は届かない。 はるか昔、この門を通り抜け、塔の中に入ったものがひとりだけいたという。 それは勇敢な武人でもなく、野心に燃えた王様でもない。 楽園を欲しいなど一度も考えた事のない、まだ歳若い少年のような目をした男だった。 彼の名は、ジーク・デ・ジェラルド。 竜族を率いて、鳥族を滅ぼした血にまみれた王、ジェラルド二世の第一王子だ。 ジークは、門をくぐり塔に登った。 彼が欲したのは楽園ではなく別のもの。 そして、彼が望んだのは鳥族の王が望んだものと同じ、二つの種族が共に生きる世界だった。その彼の願いと希望が、後の惨劇へとつながる事になる。 「俺は、必ず手に入れる。キャメロット、俺に協力してくれ。楽園を俺にくれさえすれば、塔から出してあげよう。自由が手に入る」 自由という言葉は、甘い囁きのように思えた。しかし、カークの誘いにキャメロットは微笑まなかった。 「あなたでは、楽園は手に入らない……」 変わらず、感情ない声で答える。含みのあるかすかな笑みを落とすほど、余裕も見えた。キャメロットらしくない表情に、クリスさえ違和感を覚えた。 「キャメロットまでそう言うのか?」 どこか寂しげなカークの瞳に、キャメロットは我に返る。 自分でも驚くほど自然にその言葉が生まれたのである。どうしてそんな風に思ったのかわからない。しかし、そう思えてならなかった。 自分が口にしたのに、他の誰かが離しているような不思議な感覚に怖くなり、ぎゅっと唇をかんだ。 「カークだからじゃない。きっと、竜族には手にいれることは出来ない」 ささやくような独り言に、カークの瞳が冷たく変わり、ひるんだキャメロットは口を閉ざした。 「竜族には、門を通り抜けることは出来ない。きっとカークもそんな竜族のひとりだ」 そう言ったのはクリスだった。 「それでも、俺には楽園が必要なんだ。この命を懸けたとしても」 挑戦的な目で二人をを見ると、口元に自信に満ちた笑みを浮かべて雲に飛び込んでいった。 必ず手に入れる、という意思を感じた。 真っ白な雲は巨大な竜にかき乱されて、形を変えた。消えた先から、地上を隠すように雲は再び広がっていく。 形を変える雲を見ながら、キャメロットは大きな不安を覚えた。 何かが起こっている。 昨日の寒気といい、不吉な空気を敏感に感じ取る。何が起きているかわからない、それが何よりも悲しかった。 大きなため息は、昨日までと少し違っていた。自分を悲観してではなく、体の中の不安を追い出すようにため息を落とした。 その日の夜、あたりまえのような習慣が歩みを止めた。 月が現れてもレオナルドは現れなかった。 いつも食事をする部屋に、たったひとりで座った。側にある蝋燭に明かりをつけても、向こう側に居るはずのレオナルドは居ない。 白い鳥が羽ばたいてきて、バスケットを置きにきた。 キャメロットが座る側に降り立ち、バスケットを置いた。いつもはすぐさま飛び立って行くのに、その日は少しそこで羽根を休めていた。 あたりまえだった事が形を変えた。もうずっと同じだったのに、変わってしまった。 キャメロットは、もっと不安になった。 その日に限っていないレオナルド。食事をとるのを見張っているかのような白い鳥。どうして、その日に限って違うことばかり起こるのだろう。 不安で一杯になって食事が上手く喉を通っていかない。不安が募る、募りすぎてそれは不穏な空気になった。押しつぶされるように胸が痛んだ。 恐怖、絶望?――――よくわからない。 白い鳥が去った後、ひとり見上げた月をキャメロットは忘れられなかった。 凍えた冷たい月。 暖かさも優しさもなく、見ていると悲しくなるような儚い月だった。 寒季を告げる薄氷の月だが、キャメロットにはもっと不吉な出来事が起きるような気がした。見ているのがつらくなって、目をそらした。 「キャメロット?」 ピクリと体が動いた。キャメロットは俯いていた顔を上げ、声の主を見る。 心配そうな表情のアスベルが目に入る。 過去の世界に浸りすぎていたことに、アスベルを見て気づいた。 「カークは、その門へ向かったんだね」 「たぶん、そうだと思うの」 「どんなところ?」 「中の事はわからない」 首を横に振った。ちらりとクリスを見たが、クリスも頭を振った。 「カークが戻っていないって本当?」 「本当なんだ」 「…………」 「きっと、カークだったらここに来ていると思ったんだ……無事だろうか?」 心配を通り越して、恐怖の色を表していた。 それ以上に不安でたまらないキャメロットは、何も言えなかった。その不安を口にすることもできなかった。 とりあえず戻って今後のことを考えると飛び立ったアスベルを見送りながらも、キャメロットの頭は別な事を考えていた。キャメロットの不安は、あの夜レオナルドがここに来なかったということにある。 どうしてあの夜に限ってレオナルドは来なかったのか……? キャメロットの中に、ひとつの疑問が生まれた。 カークが、戻っていない。 レオナルドは、現れなかった。 そのふたつの言葉が交互に浮かんできた。うごめく二人の人間が頭の中を通り過ぎていく。 ―― レオナルドが……? キャメロットの脳裏に黒いマントを翻すレオナルドが現れた。微かに顔が見えてくる。口元だけがあらわになり、その口元が不敵な笑みを浮かべた。 自分の鼓動が激しく頭に鳴り響く。体温を失い、体が凍りつき動かない。その姿を消すように頭を振った。 ―― レオナルド…………まさか。 肯定したい思いと、否定したい思いが交錯する。 信じたい、でも信じられない。自分の叫びに翻弄され、どう考えていいのかわからない。 「私は何も知らない……レオナルドがどういう人間か。でも……」 悪い事をするような人ではない。そう信じ続ける自分がいる。 大きな溜息がこぼれる。 どうして良いのかわからないキャメロットは、大地に近づいていく太陽をただ見つめていた。 +----------------------------------------------------------------+
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