第二章

 第三話 カークの野望

   <月の図書館>   


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 やっと、熱帯期が過ぎていった。
 残っていた熱気もだいぶなくなり、人々は普通の生活へと戻っていった。
 閉まっていた店も開けられ、また活気溢れる街へと変わっていく。静まり返った数日前の街と比べると、まるで別世界のように人々の声で溢れていた。
 働く事は楽しいだけではない。
 しかし、生きる上で必要な事。そして、結局は働く事が生き甲斐だった。
 休息のあとの仕事に、水を得た魚のように喜びさえ覚える。
   
 一際賑わいを見せているのはコルサットだ。朝から客足がとまる事がない。久々の忙しさに手を焼いていた。
 息をつく暇さえない、とはこういうことを言うのだろう。
 厨房から人を誘うようないい匂いがする。それにつられるように客はやってくる。
 ガチャガチャと皿同士がぶつかり合う音が、人々のにぎわう声に混じる。時々割れる音まで加わり、賑わいというよりは騒がしいという表現があっているかもしれない。あちこちから人の大きな話し声が飛び交い、騒然とした雰囲気だった。
 店内を行き来するアスベルの手には、たくさんの料理が盛られた皿が握られていた。身も軽くあっちこっちと飛び交う。
 店の回りは手際よく、すばやいが基本だ。
 昼時にはとにかく店が忙しいので、メニューが三つと決まっていた。アスベルが注文を受けては厨房へと伝え、出来上がったものを運ぶ。
 その動きは的確ですきがない。幼い頃から店を手伝っているアスベルにとって自然な事だったが、普通の人では混乱してしまうくらいの忙しさだった。
 この時間に、アスベルなしでは店の繁盛はないだろう。せわしなく時間に追われているものたちが多いこの街では、食事の時間すらのんびりとしていられない事が多かった。
 早く、美味しく、雰囲気もいい。そんな店であるからこそ、コルサットは人気があった。
 時には気性があらいものも集まってくる。酒によって暴れだす者もいる。
 それを治めるものアスベルの仕事だ。時には力技で止める事もあったが、普段にっこりと笑っているアスベルが見せる強い視線に、酔いすら覚めるという。
 喧嘩は絶えず起こるが、大事になったことは一度もなかった。
 アスベルは、誰よりも強かった。
 人は見た目から、それを忘れてしまう。
 戦う男には見えない、優しい少年だ。しかし、彼が本気を出せばたいていの男は倒すことが出来る。
 竜族で対等に戦えるのは、カークと武力の達人と言われる第一王子だけだということはあまり知られていない。

 店の忙しさが途切れた頃だった。
 アスベルが何時もの散歩に出かける時間のほんの少し前、店のドアが開けられた。

「いらっしゃいませ」

 元気のいい声が響く。振り返るとそこにはカークが立っていた。

「カーク、いらっしゃい」
「ちょっと付き合えよ」
「え?」
「話がある」
「話?」

 いつになく真剣な目つきのカークは、表情が少し強張っていた。

「入りなよ。今飲み物を」
「いや……外へ行く時間だろ、外で話そう」

 珍しい事だった。アスベルはカークをじっと見つめ首をひねった。
 人に聞かれたくない話なのだろうか。めったにないことなのでその真意がわからない。

「わかった。ちょっと待っていて」

 アスベルは一度厨房へと姿を消した。しばらくすると、カークの前に姿を表し、ふたりは連れ立って湖のほうへ歩いて行った。
 特にふたりが一緒に居るのが珍しいわけではなかった。
 王子と平民と言う身分の差はあっても、アスベルは力を持っている。特殊兵隊であり、王宮で行なわれている訓練にも参加している。
 そこでは身分の差など関係がない。人とレベルが違うカークとアスベルはたいていふたりで訓練していたし、アスベルの店はカークの溜まり場でもあったため、仲がいい。街のものなら誰もが知っている。
 しかし、ふたりが連れ立って歩いくと言う光景には驚いた者の方が多かった。
 アスベルはともかく、カークはどこへ行くのも竜に乗っていたからだ。王子として威厳高々に竜に乗り移動する。
 ついた下町では確かに歩いて行き来していたが、後をつけてくる子供達の姿はあっても、真剣に話をしながら歩くカークの姿など見たことがなかった。
 カークはしばらく黙っていたが、人通りが少なくなってくると意味ありげに笑みを浮かべて、アスベルの顔を覗き込んだ。

「アスベル、呪いの塔に通っているだろう」

 カークはそう言って、またにやりと笑った。

「!?」

 アスベルは息を飲み込んだ。深い緑色の瞳が、丸くなる。驚きの表情のまま固まってしまった。
 なぜ、カークが知っているのだろう。
 問いかけてきた言葉に、疑問を感じなかったことに背筋が寒くなった。明らかにカークは、断定して問いかけてきている。

「嘘をついてもダメだ。俺は見たからな。悪いとは思ったが後をつけさせてもらった」
「…………」

 アスベルはしばらく黙ったまま、カークの一歩後を歩いていた。

「お前が毎日ファルサの散歩に行く場所は、呪いの塔……違うか?」
「……そうだよ」
「隠していた理由は?」
「あそこへ行く事は、禁じられているし、母さんに心配かけたくなかったから……」
「禁じられた塔に通うほど愛しているのか?塔の上の住人を」
「……キャメロットのことも知っているんだね。愛って良く分からない。俺僕は、それ程大人じゃない。だけど、キャメロットが好きだよ」

 そう言って俯き頬を染めた。
 静に浮かべた微笑、瞳には溢れんばかりの優しさが現れ、その緑色の瞳には真剣さを映し出す。
 カークは、喜びを押さえつけるように手を握り締めた。

「キャメロットと言うのか、その鳥族は」

 アスベルは、歩いていた足を止めて不思議そうな顔をした。

「何だ、アスベル?」

 止まった足音に、カークが振り返った。

「どうしてキャメロットが鳥族だと知っているの?」
「あたりまえだろ、呪いの塔に居るのだから」
「塔に居るとなんで鳥族なの?」
「アスベル、今更何を言っているんだ。お前はどこまで知っている?呪いの塔について」
「どこまでって、呪いの塔に行った者は帰ってこない、だから行く事を禁じられている」
「生き残りが居るっていうのは?」
「生まれてきた鳥族の赤子をさらっていく、という影の話なら聞いた事あるけど……?」

 カークは、呆れ顔で溜息を吐いた。

「まさか、楽園についての話は知らないって事はないだろうな」
「知っているよ。あの塔に上れた者は楽園への扉を手に入れられるって」
「それだけか?」
「他にも何かあるの?」

 カークは、頭を横に振った。

「まったくお前と言う奴は、肝心な事を知らないのだな」

 遥か向こうに見える塔を、見つめた。

「塔にはこういう言い伝えがある。塔の上には鳥族がいて、その鳥族を手に入れたものが楽園を手に入れることが出来ると。塔の上の住人はすなわち扉を開く鍵。楽園への扉を開く事の出来る唯一の存在なんだ」
「楽園の鍵?」
「キャメロットは塔の上の住人。彼女こそが鍵。すべてから隔離されて育てられ、楽園を守ってきた塔の上の姫君なのだよ」
「まさか!」
「アスベル、キャメロットが欲しくないか?」
「どういうこと?」
「俺は、楽園が欲しい!」
「カーク!」
「アスベル協力してくれ!」
「……何を言っているかわかっているの?」

 カークから溢れ出す緊迫した空気。訴え掛ける瞳には、今まで見たこともないくらい強い光が溢れていた。
 その光は常に野望を秘めて、赤い炎のように燃え上がる。
 この街にいて、禁じられた塔に手を出す事がどんなに危険な事か知らないものはいない。
 禁忌の地に足を踏み入れることはそれなりの覚悟が必要だった。
 鳥族と、そして竜族の王を敵に回すことになる。
 アスベルはその地に足を踏み入れている。それは罪とされてもおかしくなく、楽園を欲しているわけではなくとも竜王の逆鱗に触れないとも言えない。
 それでもアスベルは行くことをやめない。そこにキャメロットがいる限りやめることができない。
 命を失う覚悟ならとうに出来ていた、キャメロットの為になら命さえ惜しくはない。
 向けられる思いの強さが空気からも感じられる。
 動かない体、止まったままの時。真っ白な頭に浮かんできたのはキャメロットの姿だった。
 脳裏に浮かんだ考えを振り払うように、頭を大きく振った。
 アスベルがキャメロットを求めるのと同じように、カークは楽園を求めている。

「カーク、何を考えている?楽園を手に入れるなんて」
「俺は絶対手に入れて見せる。たとえどんな事をしてもな。わかっているのか、アスベル。塔の上の住人が鍵、キャメロットさえ手に入ればいいんだ。そしてお前はそのキャメロットを愛している。 彼女を自分の物にすればいいだけの話だ。毎日会っているのだ、キャメロットだっておまえのことを好きなのかもしれない。もう手に入ったようなものじゃないか」
「カーク、あそこは禁じられた塔だ」
「お前が言えた事か?かつて誰も上れなかった呪いの塔、塔の住人にすら誰も会った事はない。その住人とお前は出会った。これはチャンスだ。楽園はこの世の永遠の地。俺は必ず手に入れてみせる、俺が最も王にふさわしいという証のためにも、あきらめはしない」
「楽園には手を出したらダメだ。そして、キャメロットにも!」
「俺にはキャメロットなどどうでもいい。彼女が扉を開けさえすればいいだけの話だ。脅して扉を開けさせればいい。でも、お前は違う。欲しいだろう、手に入れたいだろう。今まで誰も目に入らなかったお前が、禁を犯してでも会いたかった相手だぞ。俺と協力すれば手に入る。そして、愛するもののためになら簡単に扉を開けるだろう」
「それは違う。その話はただの言い伝えだ。そんな簡単なものじゃない!」
「どうしてそう思う」
「キャメロットは、楽園なんて知らないと思う」
「まさか!」
「キャメロットは自分の存在すら知らない。そんなキャメロットが楽園への道なんて知るはずがない」

 カークは、その言葉を信じられないという風に聞いていた。瞳には炎を残したまま、アスベルの言葉に口を閉ざした。
 王家に伝わるその言い伝えが本物かどうか、確証があったわけではない。
 代々伝わっている、たくさんの書物を読んだ。
 しかし、誰が真実を知っているというのか。
 もうはるか昔の話、隠し隠されてきた鳥族の存在。そのものたちが残した楽園への道。それについて語られている話が事実かどうか確認するすべがない。
 その時を生きた者達以外には真実はわからないだろう。
 時代とともに、真実はゆがめられるものだ。ましてや、竜族のもとに残る鳥族の話に真実なんてあるのだろうか?
 キャメロットに会った事のあるアスベルが言うことは、自分の古臭い言い伝えより現実に近いように思えた。

 ―― 真実なのか?

 信じたくなかった。本当なら光を失ってしまう。
 諦めたくなかった。何よりも望み、誰よりの手に入れた野望を簡単に手放せるはずがない。
 まるで何かに取り付かれたかのように、楽園を欲した。
 自分は必ず手に入れられるというどこからともなく生まれてきた自信を疑う事がなかった。
 アスベルさえ味方につければ、必ず道は開かれると信じていた。アスベルとなら呪いの塔を制覇できると、誰よりも強くそれを望んでいた。

「ならば……あいつに聞くまでだ」
「あいつって……もしかしてレオナルドに会ったの!?」

 アスベルの声が急に強張り、カークの目を覗き込む。その金色の瞳は微かに喜びを見せた。

「会ったというよりは見かけたと言った方がいいな。視線だけで火花を散らした。あいつもきっと呪いの塔に関係している者に違いない」

 アスベルは急に寒くなり、身震いした。
 開いたままの瞳は、オレンジ色の髪がなびくのを映していた。

 ―― クリスはなんと言った?

「レオナルドは……」

 彼に姿を見られたことが、恐ろしい事への始まりのように思えた。
 アスベルの中で、レオナルドは悪でしかない。
 キャメロットから夢も希望も、自由さえも奪った得体の知れない人物。
 見えない影に脅えるように、心の奥底から恐怖すら感じた。
 一度も会ったことないのに、彼の存在がなぜか怖かった。
 キャメロットの口から『あの人』という言葉を聞くのが何よりも嫌だった。
 不安が生まれ、どうしようもなくキャメロットを抱きしめたくなる。
 キャメロットを塔から連れ出し、自分の側に……そんな思いが生まれる。
 けれど、そんな思いに支配されたとき必ず、『危険』と言うシグナルが鳴る。

 ―― レオナルド……?
 
 カークを見ていると不安になる。
 必ず何かが起きる。
 力では止められない不穏な空気。光り輝く太陽の下にいるにもかかわらず、しめったような陰気な空気が流れていた。
 近い未来にこの地が混乱に陥ると感じとっていた。
 そして、その引き金を引くのはまぎれもなく、カークであるに違いなかった。
 楽園に手を出せばただではすまない。

「アスベル、協力しろ。キャメロットを助け出す事ができるのだぞ、あの呪われた塔から」
「それは出来ないよ、カーク。たとえ命令でも」
「なぜ?」
「僕は約束したんだ」
「約束だって?キャメロットと?彼女が出たくないとでも言ったのか?」

 アスベルは首を振る。

「彼女は誰よりも自由になりたいと思っている。でも、約束を破る事は出来ない。僕にはキャメロットが大切だから」
「アスベル!大切だから救ってやるべきではないのか?」
「鳥族があそこか出て、幸せになれると思っているの?」
「それは……」
「キャメロットにとってアストラートは憧れの地。しかし、ここでは鳥族がどうなるか君が一番知っているだろ。永遠に自由のない生活を強いられていたとしても、たとえこの手に抱けなくとも、キャメロットには生きていて欲しい。ここへ連れてきたら、キャメロットを幸せには出来ない、守ってやる事すら出来ない!」
「アスベル……」

 ―― 塔から出してはならない……。

 アスベルの瞳が、カークをとらえる。まっすぐと向けられる視線に力強い意志がある。
 珍しく感情をむき出しにしたアスベルに、カークはピクッと眉を動かした。
 一瞬ののち、アスベルは何時もの表情へと戻った。すっと、あふれ出ていた感情を引っ込める。そして、少し考えてカークの身を案じるように不安だけを示した。

「カーク、楽園には手を出してはいけない。再び争いが起きるだけだ」
「争い?滅びた鳥族と?誰と戦うのだ、アスベル」

 嘲笑うように言った。
 楽園が欲しい。
 カークの体から流れ出す欲望は、何かに魅せられている。
 過去の王たちの亡霊に取り付かれていると言ってもいい。
 それくらい楽園と言う地に執着していた。
 かつての王も楽園に魅せられて、命を失った。
 今のカークのような目をして楽園を求めていたのかもしれない。
 獲物を狙う鷹のように鋭いが、どこか違う世界を見る空虚な瞳。

「カーク、どうか塔をあのままにひっそりとさせておいて」
「ひっそりと……」
「王や王子たちを見返すための道具にしないで。楽園など手に入れなくても、カークは彼らに必要とされるはずだ」
「必要とされる?俺はそんなことは求めていない。あいつらを王座から引きずりおろすのが俺の望みだ。竜すら扱えないのに、竜族の王だと?笑わせるな」
「だからと言って、楽園を手に入れるなんて……」

 カークの瞳がギラリと光る。

「お前の口からそんな言葉を聞くとは、アスベルが一番あの塔への思いは強いと思っていた。お前が楽園に興味がないということは俺にもわかる。お前にとって楽園は何の意味もない物だ。ある意味、キャメロットの存在が楽園だからな。でも、例えこの地に彼女の幸せがないとわかっていたとしても、守ると言って彼女を自由にしてやると思っていた。ここから去ったっていい。お前達くらい逃がしてやるだけの力は俺にはある」

 アスベルの様子を見るように、言葉を切り、また話し出す。

「キャメロットを救いたい、そう言うと思っていた」
「もちろん、救いたい」
「でも、救おうとはしない。何を恐れているんだ」
「恐れてなんていない」
「塔に居るのが本当に幸せか?生きてさえいればいい?」
「鳥族だ、外では生きていけない」
「相手なんてどうでもいい。お前はどうなんだ」
「え?」
「見ているだけで幸せなんて、お前は子供だ。愛しているなら触れたいと思うだろ、抱きたいとも思うだろ。もっと愛したいとは思わないのか?すべてをかけてでも手に入れたいと、思わないのか?……彼女の愛が欲しいと思わないのか!!」
「カーク……?」
「お前は、キャメロットに自分の気持ちを知られるのも、鳥族と竜族の関係を知られるのも、何もかもが怖いんだ。あそこにいて、あの距離にいて、幸せな時間を過ごしているつもりでいるほうが、その関係を壊してしまうよりはるかにリスクが少ないからな」

 カークの言葉は、痛かった。
 言われるまで気づかなかったが、確かに自分は恐れている。
 竜族と知られるのも恐れている。キャメロットが、鳥族だと知られるのが嫌なのと同じように。拒否されるというのが本能的に分かるからだ。
 嫌われて、拒絶されて、会えなくなるのも怖い。
 幸せな時間を壊されるのも怖い。
 ならば、今の関係を壊さずにいたいという思いもある。
 けれど、それよりもっと怖いことがある。アスベルは、かすかに鼻で笑った。
 鼻で笑われたのが、自分だと思ったカークは、一瞬アスベルをにらんだが、アスベルの顔を見た瞬間、自分を笑ったものではないことが分かった。

「違うよ、カーク。僕が恐れていたのはもっと根本的なことだ。僕は、この想いをキャメロットに知られるのが怖かったんだ」
「想い?」
「好きだって想いだよ」
「ふられるのが怖かったってことかよ」

 からかいの表情で、尋ねる。それに、首を振ることで答えた。

「……そうじゃない……いや、それもあるけど。好きという想いすら彼女には邪悪なものの気がするんだ」
「意味が分からん」
「なんて言っていいか、そんな想いを向けてはいけないっていうか、知られてはいけないっていうか……」

 綺麗な形の眉がゆがむ。鋭い目に瞬きの回数が増えた。少し考えた末、言いにくそうにカークが口を開く。

「待てよ、お前ら両想いじゃないってことか?」

 アスベルは、また鼻で笑った。

「……もちろん、告白してないもの」

 その答えに、カークは全身の力が抜けるのを感じた。

「禁忌を冒して毎日会っているのに?」
「キャメロットは、純粋に僕からアストラートの話を聞きたいだけだよ」
「どんなお子様だよ」
「愛でも語り合っているとでも思ったの?」
「当たり前だ」
「まさか」
「まあ……お前だということを忘れていた。しかも、相手を神聖化しすぎだ」
「キャメロットに会えば分るよ。とても、純粋なんだ」
「あの塔の上で隔離されて育ったんだから当然ということか」
「だから、カークの言うように、そんなことまで考えられないっていうか……」
「ああ、分かった……そこまで盛り上がってないってことだろ」
「まあ、そうなのかな……キャメロットは好きだし、自由を手に入れて幸せになってもらいたい。もちろん、この手で幸せにできたらと思ってはいるけど……」
「具体的な先の未来は夢見てないってことだろ、わかったよ。俺の恋愛のペースと一緒に考えていたのがばかだった」
「カークが早すぎるんだよ。しかも、未来なんて見てないだろ」
「いや、間違いなくお前がおかしいだろう。お前だけでなく、その女もな。俺の場合、未来を見ているから先がないんだ」
「カーク……」

 遊びでしか付き合わないカークと、気持ちがない相手とはデートすらしないアスベルでは恋愛間の溝は埋まらない。
 互いに、相手に対してため息が漏れる。
 カークは、幼すぎるアスベルの恋愛に対して。
 アスベルは、奔放すぎるカークの恋愛に対して。
 食い違った見解を埋める会話をしたほうがいいかと、考える暇がなく
 ふたつの大きな陰がアスベルとカークに降ってきた。

「ファルサ?」
「遅いから迎えに来た。どうかしたのか?」

 ファルサはアスベルを覗き込むと、側にいたもう一人の男に視線を向けた。
 巨大なごつごつした体を震わす赤茶色の竜は、落ち着きなく羽を動かしていた。微かに開けられた口からは鋭い牙が顔を見せている。ゴムのような体にぶら下がる手綱にカークは手をかけるとふわりと背に上った。
 骨ばった翼をばさばさと動かす。
 カークはファルサの視線に気がつきちらりと目を向けた。そして片方の眉を微かに下げ、口端を片方だけ上げた。不敵な笑みを浮かべ瞳をそらさずに睨みつける。
 ファルサの透明な瞳にカークが映る。
 まるで心の奥底までも見透かすように穴があくほど見つめていた。
 カークの体から生まれてくるオーラは、闇に染まり始めたとファルサは感じ取った。
 カークひとり闇に飲まれるのならどうでもいいが、アスベルがかかわるのは目に見えて明らかだ。
 鋭い感性に、警告が走る。

「アスベル、俺は諦めない。たとえ、ひとりでも手に入れてみせる……でもきっと、お前は協力することになる。絶対にな!」

 カークは、意味ありげな笑みを浮かべた。
 楽園への思いは絶対に消えない。カークは間違いなく、王と兄を蹴落として王座に就くつもりだ。そのための手段は選ばないだろう。竜という味方を付けている今、絶対的な権利を主張するために、誰も手に言えられなかった場所を手に入れる。
 実に竜族の王子らしい発想だ。
 けれど、カークはとても脆い内面を持っている。
 強くいなくては、崩れ落ちてしまうほど、繊細で壊れやすい内面。 
 アスベルは、カークの弱さを知っている唯一の人物だろう。だから、とても心配だった。王と兄を見返すためだけに保っているといっていい均衡が崩れた時、カークが壊れてしまうのではないかと思えてならない。
 
「……そんなことにはならない」

 そう返すが、言葉に力はなかった。

 ―― 迷い……?

 アスベルの中に迷いが生まれた。
 塔に手を出してはならないという思いと、キャメロットと共にいたいと言う思いと、それが彼の心を揺さぶった。
 いつからこんなに、キャメロットを想うようになったのだろう。
 その想いの深さに驚いた。
 カークは小さな声で「行け!」と竜を促した。
 巨大な体は動かされる羽根によって揺れ、ゆっくりと持ち上がる。小さな風が巻き起こり、乾いた道に土ほこりを撒きたてる。
 舞い立ったほこりで辺りがかすみ、カークが空高く消えていくのがぼやけて見えた。
 去り行く姿を見送りながらアスベルは不安そうに胸元を強く握った。
 そして、決断しかねる自分の立場に、悩んだ。

「アスベル?」
「ファルサ…どうしよう……」

 弱々しい声をあげるとファルサの首によりかかり、毛の海に顔をうずめた。

「僕のせいだ」
「アスベルどうしたんだ?」

 体に感じるアスベルの体は、微かに震えていた。
 掴んでいる鬣に強い力を感じる。
 平和だったすべてが焼き尽くされてしまう危機感。
 何もかも悪い方へ悪い方へと向かって歩き出しているように思えた。
 そして自らがその道に踏み込もうとしているのを感じていた。「お前は協力することになる」というカークの言葉が耳について離れない。

「カークが楽園を欲しがっている」
「!!」

 ファルサは、尾を内側に巻き込んでアスベルを包み込んだ。

「カークが本当に欲しいのは楽園ではない」
「ファルサ?」
「カークが何よりも望んでいるのは楽園を手に入れた後の栄光だ。王と兄弟を見返すためにも……かわいそうな奴だな」
「かわいそう?」
「ああ、かわいそうだ」
「どうして?」
「たとえ、楽園を手できたとしても、望んでいるものが手に入るとは限らない」
「そうだね……」
「それに……あの地は竜族には意味のないものだ」
「……ファルサ」
「どうした?」
「一瞬、カークに従いたいと思ったんだ」

 まるで、懺悔するかのように重々しく心の内を吐露した。ファルサの目をまっすぐ見られないほど、それが禁忌の言葉のように暗い顔をした。

「…………そう思うことは罪ではない」
 
 ファルサは迷いなく言った。
 アスベルは優しく笑い、目を伏せた。溜息をひとつ吐き出すとファルサの背に飛び乗った。

「行こうファルサ。もたもたしていると今日は会えなくなってしまう」
「……わかった」

 ファルサは何か言いかけたが言葉を飲み込んだ。
 言いたくてもあえて言わなかったのか、言うべきではないと思った言葉なのか。

「心配しないで、ファルサ。大丈夫、クリスとの約束は守るよ」
「アスベルのことはわかっているさ、問題はカークだな。あいつは何をしでかすかわからない。きっと呪いの塔に向かうだろう。楽園を手に入れるために」
「……諦められないよね。誰よりの親兄弟を恨んでいるし……でも、どうやって塔に登るのか?結界は張られているし、レオナルドもいるし、何よりキャメロットがそんな重大な鍵とは思えない」
「すべて勝手な想像か……それでも歴史は繰り返すのかもしれないな」

 アスベルは握っていた角から見を乗り出してファルサを見下ろした。

「ファルサは知っているのか、真実を!!」

 突然、風に体が大きく揺れ押し戻された。

「危ないから、ちゃんと座っていろ。竜使いが竜から落ちたら笑いものだぞ」
「ごまかすなよ、ファルサ」

 自分の発言を隠すために、ファルサがわざとスピードを上げたことを敏感に感じ取る。
 ファルサは失言したと心の中で呟いた。

「知る必要はない……もう過ぎ去った過去の出来事だ」
「でも!!」

 黙ってしまったファルサの口を割る事は出来ない。
 誰よりも口の堅い奴である。古くから生きている竜はその現実を目の当たりにしているのかもしれない。
 ファルサはいつの時代から生きているのか、アスベルは知らない。
 自分をまったく話さない。いつも上手く誤魔化す。

「語りたくないほど悲惨な過去なの?」
「……もし、知る必要があるのなら、私が話さなくとも知るときが来るだろう」
「ファルサ……」

 ―― 再び繰り返す?

 ファルサの言葉が気にかかって仕方がなかった。
 心にいくつもの闇雲が立ち込め、自分の中の迷いをより深くする。
 
 ―― 知りたい。

 はるか昔、あの塔で何が起きたのか、知りたい。
 そして、今何が起きようとしているのか知らなくてはならない。
 アスベルにも感じ取れる。
 抗うことができない運命の時が、近づいているような気がする。
 これは定め。
 鳥族が滅びた遥か昔から、決して避ける事は出来ない戦いだ。
 運命の日は、必ず来る。
 それも、すぐに。
 動き出すための鍵は、すべてそろった。歴史は、再び繰り返す。
 もはや、誰にも止められない。
 運命とは、そういうものなのかもしれない。


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