第二章

 第二話 密会

   <月の図書館>   


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 アストラートには、季節はない。
 一年中暖かく、気候に恵まれている。
 毎日のようにスコールがなければ、水に飢えた土地だったに違いない。
 恵まれた大地は神に愛された大地であり、何ひとつ不便などなかった。
 そんな季節のないアストラートにも、数日間とてつもなく暑い日がやってくる。照りつけるぎらぎらと燃える太陽、じりじりと音を出す赤い道、風は生温く重たく、粘りつくじとじととした水分を含んでいる。
 草の匂いが立ち込め、土の匂いが鼻についた。
 『神の眠った日』、神の加護をもらえない日のことを竜族はこう言った。
 熱帯の時期もそのひとつだった。
 この時期には決まって何か不気味な出来事が起こる。
 戦いが始まったり、伝染病が発生したり、あらゆる苦難が降りかかる。
 遥か昔、鳥族が滅びたのも『神の眠った日』だった。不吉な陰を感じ、いつもとは違った何かが起きた時、誰もがその日を『神の眠った日』と呟く。
 神の寝ている間に悪魔が入り込み、この恵まれた大地に悪を呼び起こして去っていく。ほんの短い時間で神が目覚めれば何事もなく過ぎ去っていくのだが、神が目覚めなければ多少なりと損害が出る。まるで事の起こりを見つめるのを嫌がっているようにも思えた。
 いつかは神が目覚めてくれることを信じ、不吉なことが起こるとまとめてこう表現した。
 たったそれだけのこと、呟くかのように。

 この暑さの中では仕事ならないため、休息日と決められていた。働くと罰せられる日。
 普段忙しいものたちは喜びの日のように聞えるが、何をしていいか分からず戸惑ってしまう者達の方が遥かに多い。家の中でじっと絶えながらこの日々を過ごすが、結局のところ時間を持てあましてしまい、こっそりと仕事をするのが現実だった。
 アスベルは、湖への道を歩いていた。
 彼もまた剣の稽古と店がないと、気が抜けてする事がない。
 こんなのんびりした日はめったにないのだからゆっくりとした休息を楽しまなくてはと思いはするのだが、仕事が休みになるほどの暑さは元気にとは行かなかった。
 特に変わったことはせず、いつものようにファルサと遊び、キャメロットへ会いに行こうと思っていた。普通なら外に出るのも億劫なこの時期に、散歩に出るなんて苦笑するしかない。
 呪いの塔へ行くことは毎日の日課で、遊ぶより休息より仕事より大切な一時だった。
 あまり好きではない剣の稽古すら楽しく思えた。
 平凡で味気ない世界が眩しく温かい世界へと変化し、心は常に満たされていた。
 足取りも軽く、湖への道を行く。
 普通、町まで竜は主人を迎えに来るものだが、ファルサは人がたくさんいるところを好まなかったので、アスベルがいつも出向いていた。アスベルも道をのんびりと散歩するのを楽しみとしていたので、あえて迎えに越させるような事はしなかった。急な時などだけ呼び寄せる事もあったが、そんなことはめったにない。
 ファルサは物静かで、大人しい種類の竜ではあったが、中でもそれに輪をかけて無口だった。
 アスベル以外の者とはほとんど口を利かない、他の竜達とも少し距離を置いて生活している。
 独特な雰囲気を持ち、深く澄んだ瞳は優しく美しい。穏やかで落ち着いた竜だ。どの竜からも一目置かれる存在で、純白ということもあり神々しさをかもし出している。
 美しく、賢いこの純白の竜は、生まれたばかりのアスベルを主人に選んだ。
 仕える相手を選ぶのは竜であり、人ではない。
 竜に選ばれなくては、たとえ竜使いであったとしても竜を持つことは出来ない。
 長い年月を生きることの出来る竜にとって、誰かについていくということは一大決心だった。一生に一度の決断の時なのである。決めてしまったら変えることは出来ない。その者と共に残された時間を生きなくてはならない。
 主人のいない竜は長い時を生きることが出来るが、主人を決めた竜はその主人と同じ時しか生きる事は出来ない。死ぬ時は一緒という不思議な連鎖がある。
 どんな主人を見つけるかで、自らの人生も決まる。
 いい人生になるか、悪い人生になるかも見通し決断するのが彼らの一番の仕事だった。
 若い女は、苦しみの内に自ら命を絶とうとした。その手に生まれたばかりの息子を抱いて。
 ファルサは、その赤子の鳴き声を聞いて、この人が主人だと感じた。
 正しく運命の出逢いだった。
 生まれたばかりの赤子、どんな人間かも、どうやって育っていくかさえわからない。それでも自分の決断に疑いなど持たなかった。ファルサはアスベルを選んだ事を一生後悔しない自信があった。アスベルと出会わなければ、一生主人を選ばなかったとさえ思う。それほどアスベルを愛していた。
 それはまるで自分の子供を愛するのに似ている。それが竜の愛情である。
 父を知らないアスベルにとって、ファルサは父親のような存在だった。
 誰よりも信頼し、誰よりも大きな存在。仲の良い友であり、頼りになる父である。

 アスベルが湖に着いた時、ファルサは水の中を泳いでいた。
 広い湖には澄んだように空が浮かびあがり、その青さを映し出している。流れていく白い雲はかすかに生み出される波紋により、掻き乱される。
 アスベルは優しく微笑み、近くの岩に腰掛けて頬杖をついた。
 強い太陽の光が木々の隙間から差し込んでくる。
 木漏れ日はアスベル目指して降りそそぎ、薄っすらと額に汗が浮かび上がってはポツリと大地に落ちて消えていった。
 何もしなくても汗が吹き出してくる。
 いいようもない熱気があたりに立ち込め、息をするのも苦い。
 そんな暑ささえ、今のアスベルはたいして気にしていなかった。まるで暑さなど感じないといった風に、涼しげな表情でファルサが泳ぐのを見て楽しむ。そして、ときどき視線を眩しそうに空へ向け、輝かしい光に目を細める。
 胸の奥に住んでいるなにかを吐き出すように、大きく息を吐く。無意識のうちに頬に当てている手は絶えず動き、落ち着きなさを現していた。
 胸の奥がきしきしと痛む、何かに締め付けられているのではないかと思うほど胸が痛い。

 ―― なんだろう?落ち着かない……。

 苛々するわけではない。しかし、消化しきれない感情が今にも溢れ出てくるように感じる。初めての感覚。戸惑う先に頭に浮かぶのは、一人の少女。

「キャメロット……」

 呟いた言葉にまた、胸の痛みは激しさを増した。

 名前と、顔と、声。そして、塔の上にいるということしか知らない少女は、アスベルの心を支配する。
 キャメロットは自分の事は何も語らない。自分自身も何も分からないのだと言い、話したがらなかった。

 ―― もっと話して、もっと。それがどうなったの?

 当たりまえの生活をしらないキャメロットは、まるで珍しい事を聞くように知りたがる。
 輝かしいほど喜びに満ちたキラキラした瞳で真っ直ぐ見つめられ、アスベルはその笑顔を見たいばかりにたくさんの話をした。
 もちろんキャメロットがどうしてこんな生活を送っているのか知りたくないはずがない。何も知らないから知りたいと願うのか、もっと別な何かが心を揺れ動かすのか。
 熱く激しい胸の痛みの理由に、アスベルは気づいていた。

「人は、特別な人ができるとこんなにも変わるのか……」

 肉親でも使いの竜でもない、友人とも違った大切さ。自分のすべてをかけてもいい、自分の命より大切な人。
 会って間もない、ほとんど何も知らない少女に、まさかこれほどまで惹かれるとは信じられなかった。
 どんなにステラにアプローチされても、心はまったく動かなかった。
 それなのに、キャメロットに会ったあの瞬間、一瞬で世界すべてが変わった。
 この少女に会うために生まれてきたのだ、とさえ思った。
 理由などない、そう直感したのだ。
 雲の動きを瞳に映しているが、アスベルの視界には空すら映っていなかった。自然と、自嘲めいた笑みが頬を動かす。
 マルセルがその表情を見たら、そんな大人の表情ができるようになったのかと驚いただろう。
 急速にアスベルは、大人の階段を駆け上がっていた。
 黒い陰が落ちてきた。ひんやりとした冷たい感触を感じて、我にかえる。
 真っ直ぐな視線に降りそそぐ綺麗な琥珀色の瞳は、どこか心配そうな思いを込めて見下ろしていた。

「そんなところで、ぼんやりいると暑さに倒れるぞ」
「ファルサ」

 ファルサは突然体を大きく震わせた。

「わっ!」

 辺りには無数の水の粒が飛び散り、アスベルは体中に水をかぶった。かすかな生温さを感じる水の粒も、この暑さの中ではひんやりと染み込んでくる。
 ファルサはアスベルの暑さが少しでもやわらげばと思い、わざと大きく体を振るわせてみた。

「暑い日が続くな」
「この時期は暇でいけない。働いてばかりいると休みたいと思うけど、こうやって仕事を取り上げられてしまうと寂しいものだな」
「アスベルは少し働くことを忘れた方がいい」
「あはは……そう?でも、それが僕の生活だからね。それに忙しくないとなんか調子が出ないんだよ」

 ファルサの毛の海に顔をうずめた。かすかに湖の匂いがした。鼓動と、呼吸によって揺れ動く体に、いいようもない安らぎを感じる。
 生まれたばかりの赤子が母の腕の中にいると安心するように、アスベルはファルサの背が一番心休まる場所だった。
 ファルサはアスベルを暑さから守るために、尾を軽く揺らし、風を起こす。まるで、抱きかかえた卵を守る親鳥のように包み込んでいた。
 撫でられている体に心地よさを感じているのか、ファルサは気持ちよさそうに目を細めた。
 そんな、時だった。
 一羽の白い鳥が、舞い降りた。
 空を突っ切って一本の線を引く、ファルサはピクッと反応し顔を動かした。アスベルは急に動いたファルサに驚き、閉じていた瞳を開けた。

「クリス?」

 白い鳥は、ファルサの角の一本に止まったままアスベルを見つめた。
 小刻みに首を動かし、羽根をしまった。
 ファルサは目だけで上を見たが、角に何か止まった感触はあるものの、あまりに小さいため姿を見ることは出来なかった。そのかすかに感じる重さに気味悪さを感じ、首を大きく振った。
 ファルサの体から顔を離し、じっと鳥を見つめる。アスベルの「クリス」という言葉に翼をはばたかせた。
 無意識のうちに背筋が寒くなるのを感じた。さっきまで感じていた胸の奥の痛みとは違って、不安が大きくなる。
 キャメロットの元へ通うと、いつもそこにはクリスがいた。
 どの鳥も同じに見えるが、この鳥は正しくクリスだろう。
 憤然たる態度、決して自分には心を許していないというその空気を感じとった。言葉の壁のせいかとも思ったが、それだけではない事をクリスから送られる鋭い視線から感じ取っていた。
 時々話を遮る瞬間、冷ややかな冷気さえ感じる。
 それが何を意味するかはわからない。
 何か言いたい事があるのかとファルサに尋ねるように言った事もあったが、何の答えも返っては来なかった。
 突如現れた男に警戒をしている、それだけは確信が持てる。

 クリスの思いはただひとつ、キャメロットを守る事。
 ファルサがアスベルを守るのと同じように、クリスもキャメロットを守りたかった。
 小さな羽や体では、何の役にも立たないことを知っている。力なさに自信を無くすほど、強く心に刻まれる。出来る事は少ない。
 すべてから守り抜く事が出来なくとても、キャメロットを不幸へ導くものから守りたかった。
 クリスにして見れば、竜族は敵だ。レオナルドよりも強く嫌悪を感じている。
 キャメロットが外の世界への憧れからアスベルの訪問を心から切望している事も、本能がそうさせているのか自分が鳥族だという事実を隠している事も知っていた。
 キャメロットの真意まではわからない。もしかすると小さな羽を見られたくないから隠しているのかもしれない。
 でも、彼女の血に流れる、鳥族の本能がそうさせていると思っていた。鳥族は、無意識のうちに竜族から身を守ろうとする習性がある。鳥族であることを知られれば、命に危険が及ぶと、頭ではなく本能で感じるのだ。
 竜族に恐怖や嫌悪を感じないわけがない。それは、人に警戒心を抱かせないアスベルが相手でも同じこと。
 そんな本能と戦いながらも、キャメロットはアスベルが来なくなってしまう事を一番恐れているようだった。
 アスベルは憧れの世界と繋がっていられる唯一の存在。キャメロットにしてみれば、そのつながりを切り離すことは何にも代えがたい辛いこと。
 クリスや他の鳥達は、自らがついた嘘がばれると言う事以上に、キャメロットが真実を知る事を恐れていた。憧れが大きければ大きいほど、真実はキャメロットにとって悲痛な嘆きを与えるに違いない。
 あまりに残酷で、あまりにも悲惨な現実がそこにある。
 キャメロットが憧れているほどアストラートは綺麗なところではない。塔から出ることが出来たとしても、鳥族に残された道は残酷な結末しかない。

 ―― 憧れは、憧れのままの方がいい。

 クリスは心からそう思った。
 たとえアスベルがどんなにいい人間でも、そんな事は関係ない。竜族は竜族に変わりなかった。

 クリスは、ファルサの角から鼻先へと飛び降りた。
 ファルサは、目を真中に寄せてむずむずとくすぐったい鼻先に気をとられていた。
 そんなファルサに、クリスは話し掛けた。その声にぴたりと動きを止める。

「なぜだい、クリス」
「いいから伝えてくれよ」
「何?ファルサ?」

 アスベルは、首をかしげてクリスの顔を覗き込んだ。ファルサは訝しげな顔を見せ、クリスの言葉どおり伝えた。

「もうキャメロットには会わないで欲しいと」
「え?どうして?」

 驚きの声とともにクリスを見つめた。

「アスベルが竜族だからと」
「竜族だといけない?」

 ファルサは通訳者のように、アスベルとクリスの間に入り会話をしていた。
 クリスに尋ねたファルサはその答えを聞き、目を大きく見開いた。
 そして、アスベルの方へ首を向けてじっと見つめた。その瞳の色は驚きよりも、悲しみが強く表れている。

「ファルサ?」

 ファルサの表情に言い表せないほどの不安を抱き、手に力が入る。

「彼女が、鳥族だからだそうだ」
「え?」

 一瞬、頭が真っ白になった。視線をファルサからクリスへと移動させ、呆然と見つめた。

「まさか……?」
「本当だ、知っているだろう。竜族から稀に鳥族の子が生まれる事を」
「キャメロットが、鳥族?しかも、種族越えの赤子……」

 驚きの声をあげた。
 滅びたはずの鳥族が存在していて、それがキャメロットなのだから当然かもしれない。しかも、ただの噂だと思っていたありえない出来事が、本当にあったことを物語っている。
 過去に何度か、竜族から鳥族が生まれたという、信じられないことがあったらしい。違う種族が、違う種族の子として生まれてくるなど、信じられる話ではない。ただの作り話かと思っていたが、本当にあった話なのかもしれない。いまだに確信がもてない、アスベルは半信半疑だ。
 もし事実なら、生まれてきた鳥族や、その周りの者たちがたどった道も事実なのではと思いつく。
 キャメロットが鳥族という話より、ぞっとして顔をしかめた。
 竜族ならば、その残酷な展開もあながち作り話ではないことは確信が持てた。
 アスベルが知る限り、鳥族が生まれてきたという話は聞いたことがない。もう伝説のようなものだと思っていた。
 どんなに隠そうとしても、アスベルの仕事柄たいていの噂話は耳に入ってくる。鳥族の子が生まれたという噂話など耳に入らないはずがない。
 鳥族の命を救うのは難しい。たとえ親がその子を愛していたとしても、王家がそれを許しはしなかった。
 常に竜族の王家は、鳥族を根絶やしにすることを望んでいる。たとえ、事実ではない噂話でも、嫌疑をかけられただけで処罰を逃れることが出来ないという話も耳にした。実際、産み落とした女が公開処刑にあったという話も聞いたことがある。どこまでが真実で、どこまでがねじまがった情報なのか知らないが、その手の話は無数にあった。
 アスベルは、一度もその手の話を信じたことがなかったが、クリスが嘘を言っているとは思えなかった。
 そして、アスベルはやっと、キャメロットが塔の上にいる理由が少し分かった気がした。

 ―― あそこにいれば生きていられるから……?

 しかし、それだけだった。

「竜族と鳥族だと会ってはいけないの?」

 クリスは信じられないものを見る目で、アスベルを見た。
 竜族は、鳥族を憎しみの対象としてみるものだと思っていた。
 けれど、アスベルからは醜い感情を感じない。そこにあるのは純粋な問いかけだった。

「どうして、そんなにキャメロットに会いたいの?」
「どうしてだろう……よくわからないけれど、一番幸せを感じるんだ。姿、笑顔、小さなことに会える喜びを感じる」
「会う事だけが望み?」
「もちろん」
「キャメロットを欲しいと思わない?」
「それはキャメロットを塔から出して、自分のものにするという事?」

 しばらく口をつぐんで考えた。静かに閉じた瞳の奥には、キャメロットがいた。体の奥から吹き出してくるその想いをどんな言葉で表したら良いのか、言葉がなかなか見つからない。
 アスベルは、クリスに視線を向けた。
 言葉はなくとも、その想いの熱さを視線からクリスは感じ取った。
 語りかけるような強い想い。真っ直ぐで揺らぎ無く伝わってくる真剣さ、キャメロットへの愛情。

「手に入れたいと思わないはずがない、キャメロットが欲しいよ。いつも自分のそばにいて欲しいと思う」
「…………」
「でも、キャメロットを塔から出せない事は良く分かった。結界の事も……そして、種族という意味でも。なぜ彼女が塔に囚われているかはわからない。でも、わかることもある。キャメロットは鳥族だからあそこにいる。そうだろ?外の世界では生きられない……」
「だったら……」
「関係ない!……関係ないんだ。ただ、会いたい。顔を見るだけでいい、話ができるだけでいい……それがいけないこと?」

 優しい表情、穏やかなまだあどけない笑顔、その表情には嘘も偽りもない。
 手にとるように周りの空気からも伝わった、分かりやすい優しさ、そして愛情。
 疑う事もなくアスベルは、キャメロットを愛していた。
 まだ、欲望も駆け引きもない、純粋で無垢な想いを感じる。

 ―― これが竜族か?

 クリスは、正直にそう思った。
 アスベルならキャメロットを幸せに出来るのではないかと、一瞬その言葉が頭を駆け巡った。
 けれど、すぐに打ち消す。
 どんな事をしてもキャメロットを塔の外へ出したくはなかった。そのためになら自分の存在を恨まれてもかまわない。
 塔にいる事が一番の幸せだとも思わない。
 けれど、キャメロットには竜族が鳥族にした真実を知られたくなかった。あまりに残酷で、冷たさに満ちた過去、真実を知りたいキャメロットに隠しつづけたい歴史。
 今も続く鳥族への憎悪と嫌悪。
 稀に生まれた子供への仕打ち。
 塔にいるという事はそのすべてから隔離され、たとえつまらない暮らしでも、生きていられる。
 命がすべて、生きることがすべて、クリスはそう思っていた。
 キャメロットの幸せを誰よりも強く願っているからこそ、生きて欲しかった。
 正体のわからないレオナルドを信用しているわけではなかったが、彼に味方する形になっている事は嫌ではなかった。
 塔にさえいれば、命が保証される。幸せでいられる。
 クリスの考えをキャメロットは間違っていると思うかもしれない。
 こんな生活では幸せなどつかめるはずがないと思うかもしれない。
 こんな事を考えているクリスを怒るかもしれない。
 クリス自身よく分かっていた。
 しかし、それでもクリスにはそう願うしかキャメロットを守ることが出来なかった。

 もし、すべての竜族がアスベルのようだったらどんなに救われる事だろう。
 もしかすると、同じ考えの竜族も数多くいるのかもしれない。
 しかし、王族の心の中だけは変わっていない事を、知っている。
 王族は鳥族を永遠に受け入れはしない、それが事実。
 クリスは、考えた。
 キャメロットの唯一の楽しみを奪うか、危険をおかしてもアスベルを信用するか、色々な思いと思惑が交錯しあった。

「約束を守ることが出来る?」
「約束?」
「たいした事じゃない。絶対種族の話をしない事。鳥族が滅びているとことを、キャメルは知らない。俺たちは、鳥族は今も生きていると嘘をついた。キャメルはとっても会いたがっていたから……。残酷な現実をわざわざ話さなくてもいいだろう。キャメルにその質問をされたら上手くかわすことが出来るか?」
「もちろん」

 アスベルは軽く返事をした。

「もうひとつ……キャメルが鳥族だと気がついていないふりをして欲しい」
「何故?」
「キャメルが鳥族だって気づいた?」
 
 アスベルの顔が、何かに気づいたように反応した。
 
「いや……」
「キャメルの羽はまだ成人していないせいで小さい。閉じると正面からは見えない。まだ空も飛べないほど小さなものだ。キャメルはそれを醜いと思っている。そして、本能的に竜族に翼は見せない。だから、間違っても見せてなんて言わないで欲しい」
「わかった……それを守れば会いに行っても良いと?」

 クリスは不機嫌そうに、顔をしかめた。

「この約束を守らなくても平気だと思わないことだ。キャメルを傷つけたら俺は黙ってはいない。レオナルドに教えてやる事だって出来る。レオナルドは正体がわからない。キャメルを閉じ込めている張本人だ。あんたと会っていると知って黙っているはずがないからね。そして、キャメルを塔から出そうなんて考えない事だ。あんただって自分の身は大事だろう。脅しじゃないよ」
「わかった心しておくよ。ありがとう、クリス」

 アスベルの瞳をちらりと確認すると、またたくまに空へと飛び立っていった。
 その姿をしばらく眺めて見送ったアスベルは、小さく息を吐く。

「どうする、今日はやめるか?」
「いいや、行こう。クリスのお許しがでたからね。キャメロットが鳥族か……」

 心は、かすかに動揺してはいた。
 でも、すんなりと受け入れるだけの心を持っていた。
 あの塔にいるんだ、気づかないほうがおかしいのかもしれないと、自分を情けなく思う。
 けれど、すぐに思い直した。どうでもよかったからだと、気づいたからだ。
 キャメロットが何者でもかまわなかった。
 キャメロットは、キャメロットであって、種族が何であれ嫌いになる事など出来ない。
 アスベルにとっては些細なことであり、想いが揺らぐことはない。
 キャメロットの正体が少しわかったことが、逆に嬉しかった。

 晴れ渡った空には、いくつも雲が張り巡らされていた。その中をまるで湖の中を泳ぐように一体の竜が空を切る。
 アスベルを背に乗せたファルサは、雄大な空の散歩を楽しんでいた。
 一身に太陽の光は降りそそぎ、暑さは休まる事を知らなかったが、そんな暑さも吹き飛ばす風を感じた。
 流れていく風は、体に感じる熱を剥ぎ取ってくれる。
 ファルサの二本の角にしっかりとつかまったアスベルは、その風を気持ちよさそうに浴びていた。

 ひとつの陰が意味深げに揺れ動く。
 まるで雲に隠れながら動くようだ。
 アスベルの目をごまかすように静かに泳ぐ大きな竜の陰。
 ファルサは優雅で穏やかな飛び方をするが、この竜は鋭く荒々しい飛び方をする。
 赤茶色に灰色の混ざったゴムのような肌、険しく恐ろしい顔には鋭い牙が二本外に現れていた。背にある二枚の翼はファルサのそれとは違い、骨ばかりが目立つ。
 そんな背には大きな剣を背負った男が、牙からつなげられた手綱を手に腰掛けていた。
 大きなマントを翻し、立派な生地の服を纏っている。
 降りそそぐ光の反射を防ぐ為か、飾りはほとんどつけていなかった。耳のピアスだけは小さな光を反射して、赤い色を際立たせている。綺麗な石のピアスだ。
 後ろでひとつに束ねた赤オレンジ色の髪は陽にあたり、ピアス以上にキラキラ輝いていた。
 アスベルの様子を伺い、ある程度の距離を保ちながら、ピッタリと後をつけているのは、カークだった。
 アスベルの行動に不信なものを感じたのは、野生の感としか言えない。あのアスベルが、毎日のようにどこかへ通っている。
 恋人ができたのなら、ファルサで出かける必要はない。もしくは、一緒に乗っているだろう。
 それに、それくらいのことならば、恥ずかしがっても隠すことはない。
 アスベルは、全く行先を言わない。嘘が下手なあの男が、ひたむきに隠すもの。その正体に興味があった。
 絶対に何かあると感じてから、予想をたてた。
 その予想がもし事実なら、こんなに思惑通りのことはない。
 少しずつ手繰り寄せる希望の糸が、手中に握られたているような気がした。
 現実味がなく、馬鹿げた事と思うかもしれない。けれど、カークは確信めいたものを感じ、全く疑わなかった。
 そして、真意を見るために、あとをつけている。
 しかも、状況はカークの予想通りに進んでいる。

 ファルサは、空で動きを止めた。
 それを察知するとすぐさまカークは雲の中に飛び込み、アスベルよりも上空へと逃れた。
 そこは、まったく雲の切れ目が見当たらず、何があるのかわからない。
 前には進んでいるはずだ。けれど自信がない。感覚が失われるほど息苦しく、激しい風に目もあけていられない。
 竜ですらバランスを失う気流が流れている。ふらふらと飛び、外にのがれた。追い出されたといってもいい。
 どこにいるのかわからず、一瞬上を見上げたが、そこは雲で覆われていて何も見えなかった。
 雲の群れは円を描くように渦を巻き、集まって来る雲たちを飲み込んでいる。
 どうやら、入った場所に引き戻されたようだ。

 アスベルを探した。
 すぐに見つかり、ほっとする。すぐそこに、白い竜が浮かんでいた。
 そして、もう一つ視界に飛び込んできたものに息を飲んだ。

「やはり……」

 そう口にしてニッと口元が上がった。勝ち誇ったような笑みとはこういう顔を言うのだろう。一瞬、金色の目が光る。

「俺の睨んだ通りだった」

 嬉しそうに不敵な笑みを浮かべ、カークはアスベルを見下ろす。
 細める瞳には甘美なる毒が含まれている。その雰囲気には妖艶な香りすら立ち込めていた。
 一種の震えを全身に感じ、喜びに叫ばなかった自分を誉めた。
 ひしひしと感じる喜びを抑えながら、カークは静かに上昇し、危険のない雲に身を隠した。
 視界を覆うものが雲しかない空の上では、すぐに見つかってしまう。
 ことを早急に進めるには手っ取り早くていいが、焦って悟られてはならない。これはとてつもなく重要な事、騒ぎ立てて水の泡にはしたくはない。
 やっと掴んだ最大のチャンスは、慎重に進めなくてはならない。

 ―― 隠しているのはどういうことか……。これを知れば誰もが驚くだろう。

 カークは、色々なことを考えていた。その目は、アスベルだけを目で追い続ける。
 遠目に見ても、塔の上の住人を愛している男の顔だった。
 住人は、女。

「望むものを手に入れるための鍵。俺の運命を変える……最後の希望」

 つぶやくように紡いだ言葉に、カークはぎりぎりと歯を食いしばる。相変わらず震えが止まらない。武者震いだろう。

「アスベルを使ってでも、手に入れてやる。楽園は、俺のものだ」

 ずっと願い続け、夢にまで見ていた現実が見えた。眠っていた野望は、形になる可能性を帯びて膨れだす。

 夕日が沈み、月が薄っすらと天に登ったころ、カークは雲から抜け出した。
 辺りは薄明かりで次第に訪れる闇が塔の住人から、自らの姿を隠してくれる。
 勢いよく飛び出すと、一面に広がる雲の絨毯に姿を消した。
 嬉しさのあまり震える手を握り締めた。鼓動の早打つ音が体に響く、煮えたぎるような熱い血が体を駆け巡る。
 野望への思いが体の血とともに流れ出し、カークの心を揺さぶった。叫びたいのを抑えて、震えを噛み締めた。目は獣のように輝いている。
 カークが、雲から出た時だった。
 嬉しさに注意力がかけていたのかもしれない。人の気配に気づかなかった。
 嬉しさを打ち消すような鋭い視線を体に感じた。氷のように冷たく射抜くように強い。不気味で、敵意を感じる視線。強い意思すら感じた。

 ―― なんだ?

 雲の切れ目から強い感情の糸を感じ、振り返った。
 怒りにも似た思いが剥き出しの視線と、視線がぶつかり合う。
 そこには、闇に溶け込む黒い陰が浮かんでいた。
 感情は空気を通して伝わってくる。
 その感情に負けない強い視線を送り返す。
 視線は絡み合い、火花を散らした。
 どんな顔をしているかまではわからなかったが、その瞳から流れてくる感情だけは伝わってきた。
 黒いマントを翻し、頭の上からかぶっている。かすかに瞳の辺りと、髪が風に揺れて窺い知れた。
 男か、女かさえ判別は難しい。
 しかし、漂わせる圧倒的な雰囲気は、男のような気がした。

「鳥族……?」

 口をついて出た言葉だった。
 確信して言った言葉ではない。
 少なくとも背中の羽根は風に大きく揺れるマントに隠れ、見ることが出来なかった。
 カークの乗っている竜はそんな視線の喧嘩にもお構いなしに、空を飛び続けた。振り返りながらもその陰との視線の戦いを止めなかった。
 時間にしたらわずかなものだろう。けれど、とても長く感じた。

「何者だ?」

 ただならぬ緊迫した雰囲気に、早くここを立ち去った方が良いと全身で感じた。決して手綱をひかなかったのもそれを肌で感じたからだろう。
 間違ってもあの男は味方ではない。
 いずれ、戦う事になるだろう人物だと予感した。
 はっきりとした正体がわからないのはとても気持ちが悪かった。逃げ去るのもプライドが許せない。だが、今危険を冒さないほうがいいという判断は、カークの冷静さを現していた。

 闇に包まれた塔の、暗い一室に陰は舞い込んでいった。
 誰もいないはずの空っぽの部屋に、どこから現れたのか、キャメロットに食事を運んでくる白い鳥が窓に止まっていた。
 レオナルドは、頭の上にかけられている布を肩へと落とした。現れたのは美しい青みがかった銀色の髪。長さは分からない、肩のところでマントの中に押し込められている。
 ふう……と大きく息を吐き出した。そして、白い鳥を通り越し、現れた黒い影に視線を向ける。

「ジュラ、奴は何者だ?」

 不機嫌そうな声が響いた。
 ジュラは月を背に窓辺に止まっていた。すぐ傍で、白い鳥は鋭い視線をジュラに向ける。

「奴?アスベルのことですか?アスベルはただの竜使い。家は食べ物屋をしております。キャメロット様とは毎日会っていられるようですが、まあ、恋人ごっこといったような浅い付き合いでございます」
「誰が、その男の話をしている。肉食の竜にのっていた男のことを聞いているんだ!」
「ああ。先ほどの……それは失礼。彼はカーク・デ・ドランジェルト……まあドランジェルトJ世の三番目の王子です。彼はそれほど心配ないのではないですか?キャメロット様と接点もないようですし。アスベルのほうが問題かと」
「黙れ!王族だと!」

 鋭く制する声と、王族と忌み嫌った叫びがこだました。威圧的な視線をジュラへと向けた。
 真っ白な陶器のような肌は月の光に反射して、よりいっそう美しい作り物の様に見えた。
 青色の透き通った瞳からは強く怒りにも似た光を放ち、ジュラを睨みつけた。ジュラはその冷ややかな瞳にゾクッと体を震わせたが、恐る恐る口を開いた。

「彼が何か?」
「あいつを見張れ」
「え?でもアスベルは?」
「奴は放っておけ」
「しかし……?」
「今は放って置くのだ。まだ時はきていない。いずれその時がくれば自ら動き出すだろう。しかし、あの男はダメだ。あの目は血に飢えた獣の目。楽園を手に入れるために必ず何か仕掛けてくるはずだ。あの時と同じ竜族の王家の瞳!」
「わかりました、レオナルド様。言いつけ通りに……」

 ジュラは不思議そうに首をかしげながら、再び闇の中へと飛び立っていった。
 レオナルドが何を考えているかなんてまったくわからなかった。
 ジュラは、頭のいい鳥だ。
 たいていの事には頭は回る。しかし、レオナルドの考えている事だけは長い年月をともにしていてもわからなかった。
 彼は何も語らない。そして誰にも心を開かない。
 どんなに長く一緒にいたとしても、その思いの淵にどんな思いが隠されているのかなんてわからなかった。
 もしかすると、白い鳥だけは何かを知っているかもしれないが、その鳥はさらに何も語りはしなかった。同じ鳥にさえも。
 ずっとレオナルドの傍にいて、彼を見守っている。レオナルドに使える鳥たちの中で、彼ほど忠実なものはいない。

 薄暗い部屋でレオナルドは、窓の下に寄りかかった。
 上を見上げて差し込む月光を浴びている。
 綺麗な顔が、月明りに浮かぶ。
 大人びていて冷めた瞳はどこか儚く、悲しみに満ちて見えた。
 口元には絶望に似た思いを残している。

「やっとこの時がきた……長かった……待ちに待ったこの時が……」

 レオナルドの瞳はどこか懐かしそうだった。そして、一瞬で変化する。激しい緊迫感と怒りに満ちた目には炎すら感じた。

「予想外だ、カーク・デ・ドランジェルト……王家の鼠が!」

 優しかった声はいきなり豹変し、冷たいささやきへと変わってしまった。
 一瞬の幻だったのだろうか。
 竜族の王子への敵対心を隠そうとしなかった。
 青い瞳に月が写り、ギラリと光る。
 白い鳥がかすかに悲痛な泣き声を立てた。
 レオナルドに向けられた瞳はどこか切ない、悲しみの色を表していた。

「王族め!決して許しはしない。フォーリアは私のものだ」

 強く手を握り締めて、勢いよく立ち上がった。
 再び布をかぶり、ドアから外へと滑り出る。
 月の光はゆらりと雲に隠れて光を失い、真っ暗な闇に飲み込まれてしまった。
 これから起きる未来を暗示する、不吉な闇だった。


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