第二章

 第一話 竜族

   <月の図書館>   


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 アストラートは今も変わらず、竜族の支配下にある。

 森から抜ける風は、水面を撫でるようにして吹いていく。
 水辺に休む竜達は、気持ちよさそうに水を浴びていた。
 透明な水は陽に輝き、キラキラと眩い光の粒をあたりに振りまいている。
 森の奥には人影はなく、竜たちの憩いの場となっていた。
 そこから少し離れた場所、たくさんの木々を道に沿って抜けると街があった。
 神秘的な竜の住む水辺とは違って、そこは人の気配しか感じないざわめきと賑わいを見せていた。
 ガーラ、アストラートの中心都市。
 すべてがここに集まっている。
 街のほとんどは赤色の土の道。脇には市場があり、下町の雰囲気を出していた。一本の大きな道が真っ直ぐ伸び、森から近いとこから民の民家、遠のくにつれて身分の高い者達が住んでいる。奥に行くほど高貴な雰囲気が現れ、街の雰囲気が変わっていく不思議な街でもある。
 竜族には身分がある。
 王族、貴族、武族、平民の4つの階級に分かれている。
 ほとんどのものが平民で、食べ物を作り、動物を飼い、布を織り、それを市場で売りながら生活する、人々の生活に根付いた仕事をする者。
 武族とは、戦いに関する役職を持つ者。
 貴族は、大金持ちで、人を使う役目にある者。
 そして王族は、竜族すべてを統治する最高の存在。
 王族の歴史はいろいろな面で華々しいものだった。
 美しいたとえではなく、血に飢えた一族へ竜族を導いたものたちという暗黒の歴史を持っている。血なまぐさい歴史を書き留めるにはいくら紙があっても足りない。何十冊という書物が積み重なるだろう。その血筋は今も変わらない。
 街の一番奥には大きな城があり、高い城壁に囲まれた堅苦しい建物だ。
 気性が荒く戦闘的な竜王。
 その王の気性を現す城の造りは、人の侵入を防ぐような排他的なつくり。まるで城砦、戦いの為に造られた城である。暖かみもなければ安らぎもない、あるのは驚異的な権力だけだった。
 現在の王、ドランジェルトJ世は過去の王の中でも上位に立つほどの野心の塊だった。
 戦いを好み、周辺の国を襲撃するという経歴をいくつも持っている。どんなに領土を広げても、どんなに配下に付く国を従えても、もっと欲しい、もっと欲しいと、とどまることを知らなかった
 たくさんの力を持っても、たくさんの財力を持っても満ち足りる事はない。欲は膨れ上がるばかりだった。
 近隣の国をすべて牛耳っている彼が今一番欲しいのは、手を出してはいけない禁断の地、『楽園』。もし、楽園を手に入れられる方法があれば間違いなくそれを実行しただろう。しかし、それが見つからないからよけいに欲しいのかもしれない。
 この世の楽園フォーリアは、竜族の王誰もが欲しがった永遠の地だった。


 太陽が高くなってきた頃のことだった。
 一人の少年が両手にたくさんの果物を抱え、道を歩いていた。
 足早な足音は、どこか楽しそうな響きをたてて道を進んでいく。
 日の光に茶色の髪がなびき、焼けた腕が健康的に顔を出していた。
 アスベルは頼まれた買い物を終え、歩きなれた市場から家へ帰るところだった。
 平民の家に生まれたアスベルは、王家の警備隊のうちの一人だった父を戦争で失っている。母が小さな食べ物屋を開いて、その収入で生計を立てていた。
 それほど裕福な家ではなかったアスベルの家は、本来なら店などもてるはずはない。貧しいものは市場で物を売るのが普通だからだ。
 店を持つことはそれなりのお金のある者が出来る特権だ。
 アスベルの家は、お金に恵まれていたことなどない。母も下働きで城の飯炊きをしなくては暮していく事さえ出来ないほど、貧しかった。
 しかし、夫をなくしたアスベルの母は店を持つことが出来た。
 理由は簡単だ。
 それは『力』のおかげだった。力を持って生まれた者は、王族から援助を受ける事が出来る。
 昔は誰もが持っていた力、竜との対話。
 今、持っている者は少ない。アスベルはその力を持って生まれてきた数少ない竜族だ。
 力を持って生まれてきたアスベルのおかげで、食堂の主人が約束された。
 しかし、それは力を王家に売っているのと同じだった。
 王家にとっても、一族にとっても、力がないということは命の危険にさえなりかねない。力を持って生まれたものは尊ばれた。
 生活を約束された事は喜ばしい事だったが、手放しで喜ぶわけにはいかなかった。いつ戦いが始まるかもわからない竜族。夫と同じように戦いで息子を亡くすかもしれない、そんな恐怖すらあった。
 幼い頃から武術の訓練を受けているアスベルは、顔とは裏腹に剣の腕前は誰もが認めるものだった。
 普段はまったく剣を持ち歩いていなかったが、護身用に竜に乗るときは竜の背に与えられた剣が付けられている。王家からの証、紋章のついた力を持つものだけが持てる剣。これを栄誉としているものも多いが、アスベルはあまり好きではなかった。何より、母がその剣を見る目が悲しいものだと感じていたからだ。
 力を持った竜族は、戦いが始まれば真っ先に出向く運命の中にある。幸いな事に、今は戦いが起きるほど緊迫した国関係はない。
 母もその関係が崩れない事だけを願い続けていた。

 ―― これ以上何が欲しいというのか?たくさんのものを持っているではないか?たくさんの命を犠牲にしてまで王は何を欲しているのか?

 誰もが心の中ではそう思い始めていた。ただ、それを口に出来るものはいなかった。歯向かうことは死を意味し、ひとりの抗議では道端の石ころにもならないことを皆知っていた。
 従うしか生きる道がない、その苦しさは計り知れない。
 アスベルの性格は、育てた母の優しさを見習っている。
 明るく元気、そして優しい人、マルセルはそんな人柄で有名だった。はきはきしたさっぱりした性格で、店の切り盛りをそつなくこなしている。
 夫を亡くして大変じゃないはずがない。たったひとり取り残された若い娘だったマルセルが、アスベルを育てるだけでどれほどの苦労をしてきたのだろうか。生まれたばかりのアスベルを抱え、死ぬことすら考えた。もし、アスベルが力を持って生まれてこなかったら、この親子はここにはいなかった。
 生活できず生きることを諦め、命を絶とうとした。
 その時、二人を助けたのがファルサだった。まだ言葉すら話せない赤ん坊のアスベル。そのアスベルの声をファルサは聞いた。優しいファルサの瞳の前で、マルセルは大粒の涙を流してアスベルを抱いたという。
 今の母の姿があるのも、若き日の過ちがあるからかもしれない。
 やって来るお客様に対する小さな心遣い、優しさ、温かさ。そのマルセルの優しさに心安らぐために訪れる客も多かった。
 アスベルは、母を尊敬していた。昔の苦労も知っていた。
 だから、自分が力を持って生まれたことを心から喜んだ。この力のおかげで自分たちはここにいるのだと、ファルサと共にいられるのだと。そのために戦わなくてはならなくとも、母の恩返しになるのなら構わなかった。少しでも力になりたい。働く事、愛すことで、今まで自分を守ってきてくれた分だけ返したい。
 アスベルがマルセルを思う気持ちは街の人にも伝わるらしく、孝行息子として有名で、暖かい理想の家族、人々はそう囁いた。
 戦いを愛す竜族も、今では平和を愛す人のほうが多くなっている。戦う事によって見出されるものが少ない事を知っていたからだ。たくさんの命を代償にして何が得られるというのか。
 しかし、どんなに争いを嫌っても争いが起きる、それが竜族だった。悲しい竜族の血。
 そして、王家こそがその引き金を引く。
 王家の心が変わらない限り、竜族から人々の血を拭い取ることは出来なかった。

「アスベル〜!」

 静かな道に、かんだかい女の声が響いた。
 青空に似合う元気な声。
 パタパタという足音と、声は真っ直ぐにアスベルの元へ駆けてきた。

「ステラ?」

 振り向いたと同時だった、彼の視界に影が飛び込んできた。手に持っていた果物が飛び散った。

「わ!」

 大地に映る影がふたつからひとつになった。
 辺りには赤やオレンジ色の果物がころころと散らばり、陽に輝いて見えた。
 女は、しっかりとアスベルの体に抱きついている。
 アスベルは両手を上にあげて彼女に触れないようにしていた。その顔は微かに赤い。空気からも戸惑いが伝わってきた。

「ちょっ……ステラ……」

 気持ちよさそうに抱きついていたステラは、そのまま顔を上げた。
 キラキラと輝いたその瞳一杯に、アスベルの赤い顔が映っている。
 かなり露出度の高い胸の開いた服は派手な赤色で、かすかに緑がかった髪をひとつにまとめていた。その髪がかすかに風にそよぎ、甘い香りが広がった。

「アスベル〜働いてばかりいないで私と遊んでよ!」
「いや……そう言うわけにも……忙しいから……」

 アスベルはかなりたじろいでいた。
 彼女の名はステラ、十七歳になる。
 見た目は大人っぽくって派手、いつも香水の匂いを振り撒いている。少し焼けた肌、きりっとした猫のような瞳は薄緑。唇は赤い色のはっきりした口紅をつけていた。性格はかなり自分勝手、周りなどどうでも良い、かなり自分中心に世界が回っている。しかし、それはいいところでもあり、サッパリした性格は気持ちがよくもあった。まったく裏表のない性格で、すべて顔や言葉で何を考えているかわかる。
 大きな宿屋の娘で、かなりの美人。貴族などの身分はないにせよ、お金持ちの娘には違いない。
 ステラは、アスベルが一番。
 毎日のように強くアプローチをしている。それにアスベルは嫌がってはいなかったが、困ってはいた。なれない事にたじろぎ、どうして良いかわからないといった風だった。年下に良いように遊ばれている、そんな風にも見えた。
 ステラだけでなく街の女の子に絶大な人気があるアスベルは、どんな女の子にも目を向けてはいなかった。
 忙しいのと、それほど興味を持っていなかったからだ。誰にでもときめくことなどない真面目な男と言えば聞こえはいいが、単に人より遅れているといったほうが良い。初恋すらまだ、十六、七で結婚する事の多い竜族で十八歳にもなった男が初恋もまだとなると、かわっているという噂さえあった。その噂を耳にしても、仕方がないじゃないかと、相手にしなかった。

「もう冷たいんだから」
「ステラ……離れてくれない?」

 嫌そうな顔をしたが、渋々体を離した。

「もう、うぶなんだから」

 不機嫌そうにプイッと顔をそむけた。

「はははは……」

 照れたように笑ったが、ごまかしただけだった。
 こういった時にどう反応していいかわからない、それが素直な気持ちだった。
 もちろんステラが嫌いなわけではない。
 可愛いとも思ったし、好意を寄せられている事は気分的にいいものである。
 しかし、それだけだった。
 恋とか愛とか、熱い想いは生まれない。兄弟のいない彼には妹みたいなもので、それ以上でも以下でもない。
 アスベルはステラに聞かれないような小さなため息をこぼし、落とした果物を拾っては袋に詰め込んだ。

「これからまたお店?」
「うん……これを持ってかなきゃいけない」
「その後は?」
「え?その後は……ファルサの散歩」
「ふーん」

 ステラは、顔をしかめた。
 女の勘は鋭い、ことさら恋をしている女は一瞬の顔の変化も見逃さない。一瞬見せたアスベルの焦りの表情を目に焼き付けた。しばらく怒っているのかステラは何も言わなかった。
 それは珍しいことだったのか、アスベルも不思議そうに彼女を覗き込んだ。もちろん、初恋すら経験のないアスベルには彼女が黙ってしまった理由などわからなかった。  
 ふたりは、マルセルが開く店へとたどり着いた。
 お昼少し前、これからが忙しくなる時間だ。
 『コルサット』と、書かれたそれほど綺麗ではない木の看板が見える。
 店もそんなに大きいものではない。
 こぢんまりとした小さな造りの店だったが、人通りの多い道に面して建っているためか、人の出入りは多い。
 暖かい日は外にも椅子とテーブルを並べ、テラスでも食事が出来るようになっている。洒落た雰囲気のためではなく、外にまでテーブルを置かないと人で溢れてしまうのが理由だ。
 何人かの人がすでに食事に来ていた。酒を飲んでいる人もいる。朝早くから夜遅くまで店は開かれているが、人が絶える事はない。
 アスベルのほかに女が三、四人時間交代で店を手伝っていて、調理もマルセルと手伝いのものが二人こちらも交代で入っていた。
 マルセルは、朝から晩まで店にいた。働きすぎのためか、人の半分ほどしか体の厚みがなかった。それでも丈夫なのだから不思議である。
 アスベルも無理はするなと常に言ってはいたが、仕事が生き甲斐の人に何を言っても無駄だった。
 仕方なしに、時間があるときは一生懸命働く事によって助ける事にしていた。

「ただいま、母さん。買ってきたよ」
「ああ、ありがとう。そこに置いておいて」

 綺麗な声とは言いがたい声が、調理場から響いた。
 その時また、数人の男たちが食事をとるために店に入ってきた。あと数十分もすると男たちで店は狭くなるだろう。忙しさは増すばかりだった。
 一人の若い男が、アスベルが入ってきたのを見て座っていた椅子から立ち上がった。
 片手に泡だった大き目のグラスを持ち、ふらっと歩いてきた。
 少し長めの赤い髪が窓から差し込む太陽の光にさらされて、ときどきオレンジ色に光って見える。焼けた肌に金色の目。背はアスベルよりずっと高かった。
 コルサットには似つかわしくないほど綺麗で立派な服を着ていて、無駄に飾りがついている。歩くたびにシャラッという耳飾りの音が響く。
 少し勝ち誇ったような憎らしい笑みを浮かべた男は、アスベルの手を引っ張って脇にある開いた椅子に押し込んだ。

「わ!!」
「よう、アスベル」
「カーク王子?」
「カークで良いよ」

 テーブルを挟んで座ったカークは面白くないといった風に吐き捨て、グラスの液体を飲み干した。
 カーク・デ・ドランジェルト、竜王ドランジェルトJ世の第三王子。
 ハンサムだが、気の強い顔をしている男はいわゆる変わり者の王子。親からも見離された不良王子だった。そうでなければこんな所で、酒など暢気に飲んでいるはずがない。
 カークには、二人の兄がいる。
 王にとって優秀で信頼厚い兄達二人とは違い、カークは王の期待など背負っていなかった。
 何をしても優秀な兄と比べられ、いつも兄達の下に見られていたため、嫌気がさしている。どんなに頑張ってもかなわない優秀さ。王の言う事を何でも聞き言う通りに動く兄達。それを見るだけで吐き気がした。
 素直に出来ない自分にも嫌気がさした。反抗することでそのうさを晴らしているようだった。
 自分が勝るのはひとつだけ。自分だけが竜族の力を持っていること。それだけは兄にも、父にも勝る最大の能力だった。
 しかし、それがかえって家族の溝を生んでいた。
 力を持たない兄達は、持っている弟を羨み妬んでいた。
 力を持たずして王になったドランジェルトさえ、息子の力を妬んでいた。
 どんな時代も、王家の乱れから膿が生まれてくる。
 野心ばかり生まれてくるこの王家は、家族の中も冷え切っていた。
 手に入れたいもののためだったら、親兄弟だとしても殺し合いをする。
 過去に、何度も恐ろしい争いを繰り返している。
 カークは、自由を求めて街を彷徨歩いた。
 親に従うのは嫌だったが、兄と同じ事をすることも嫌だった。
 しかし、カークは見放されるのも、視界から除外されているのも面白くなかった。
 いつか自分を馬鹿にしている父と兄を見返してやる。
 素直に従わないカーク、羨む力を持つ弟、思い通りにならないのが気にくわない王。
 決して交わる事のない心。そこに、家族の絆など存在しない。
 関係は両極に距離が開くばかりだった。
 普段から街をふらついているためか、カークは街の者とも仲が良かった。
 敵にさえしなければいい男、そんな人だと思われている。
 わがままで偉そうな男ではあったが、生まれ育った環境と、身分があるため誰もそれを咎める事ができなった。
 人をひきつける力を持っていて、恐れながらもカークの周りには人が集まってくる。
 ただふらついているわけではない。
 何も考えなく動くほどバカな男ではなかった。無駄な事は決してしない。下町を彷徨歩くことによって、城の中では手にすることのできないものを手に入れようとしている。
 そんな思惑を持っていたとしても、街の純粋な少年たちにとってカークは親分的な存在で、憧れの人でもあった。

 王子なのに俺達と話してくれる。
 王子なのに俺達と同じ物を食べている。
 王子なのに……。

 それがひどく近い人物に感じるらしい。
 気軽に話していたとしても、カークは誰にでも心を許しているわけではなかった。
 カークの言うことを聞く者は多くいたが、友人はアスベルだけだった。
 アスベルだけには、カークも心を開いていた。
 コルサットは、暇さえあれば朝から晩まで入り浸るほど、心地がいい場所だった。
 最初は、父親や兄を出し抜く情報を得るために街に下りた。
 しかし、過ごしやすい時間をコルサットで過ごしているうちに、慕ってくる者や、気軽とはいかないまでも話しかけてくる者に出会い、ここでの時間を楽しく感じるようになった。
 アスベルをからかったり、いじめたりするのも楽しい。
 アスベルも、気を使いながらも対等に話してくれる。
 カークはここでは受け入れられていた。受け入れられる居場所というものはとても温かい場所だ。
 親からも愛されない彼も、ここでは大切な存在。
 ただ、そのことにカーク自身が気付いていなかった。
 ひとりの人間として愛されているから、居心地がいいのだと考えてみたことすらないだろう。
 当たり前の感覚にカークは欠けている。育った環境がそうさせた、可愛そうな男だ。

 ―― 認められたい、見返してやりたい、あいつらを……絶対に跪かせてやる!

 孤独なカークの中には、つねに大きな野心が潜んでいた。
 決して人に知られないように、心の奥に閉じ込めながら、その機会をずっと狙っている。
 冷え切った王宮で育った彼にとって、肉親など関係ない。王座を奪い取ってでも、自分を排除する人間を見返すことが強い願いだった。
 愛される事を知らないカークにとって、アスベルと言う人間がどこか羨ましかった。
 何かに熱中できる、そんな経験が彼にはなかったから。
 店と、母を大切にしているアスベル。誰かを大切に思う心を羨ましいと思っていた。
 しかし、これはアスベルの生活であって、自分がいくら望んでも手に入らないことはわかっていた。
 だから、そんな甘い感情は捨て去った。
 自分は、王の息子だ。
 ならば、竜族の王家の血筋らしく、どんな手段を使ってでも欲しいものを手に入れてやる。
 心の奥に、赤い炎を燃やす。そうすることでしか、自分の存在意味を見出すことができなかった。
 父と兄に勝利するための武器を、常に探していた。

「聞いたぜ、アスベル」
「何を?」
「ここのところ毎日どっかに通っているんだって?」
「え!?」

 アスベルはちょっと顔を赤くした。
 その変化を見流さなかったカークは、「面白い」とにたりと笑みをつくる。
 さらに追求しようとした時、ステラがカークを押しのけて入り込んできた。

「ちょっと、どこに通っているっていうのよ!」
「うるさい!これからそれを探るんじゃないか、ステラ」
「偉そうなのよ、カーク!」
「俺はいいんだよ!そんな事より、女でも出来たのか?」
「ちょっと、私のアスベルにかぎってそんな事ないわ!」

 カークの首を締め付けそうな勢いでステラは叫んだ。
 こんな騒ぎは日常茶飯事で、賑わいを見せた店では誰も気に止めない。

「うるさいって」

 本当にうるさいというように顔をしかめた。
 そんなやり取りをアスベルはまったく聞いていなかった。心臓がドキドキと早打った。
 ステラに抱きつかれた時ですらこんなに胸が早打った事はない。

「な……何の事だよ、カーク」
「何よ!!今の間。アスベル、本当なの…女…ああ言いたくないそんな…誰にだまされたの、私というものがいながら」

 カークは面白そうに、ステラは腹立たしく、アスベルに食って掛かってきた。
 街で噂になっていた。
 『コルサット』の看板息子が同じくらいの時間に、楽しげにファルサに乗って出かけていくと。これは女が出来たか、アスベルもやっと目覚めたかと。
 普段真面目で、働き者のアスベルだっただけに、それは皆の耳に伝わっていた。
 奥でマルセルも面白そうに聞き耳を立てていた。流石に女の子にあまりに興味ないのを心配してきたらしい。
 お昼の忙しさを抜けたら少し休みが欲しいと言ってきた。
 ファルサの散歩をしたいからだというが、今まで時間の指定などしてこなかった。空いた時間にファルサに会いに行っていたのに、なぜいつも同じ時間に行くのか、マルセルも不思議だった。
 アスベルは、何とかごまかしたかった。
 彼の通っている先はキャメロットのいる呪いの塔。その事実を誰にも知られてはいけないと秘密にしていた。
 呪いの塔へ行っていると知られたら大変だと言う気持ちと、キャメロットの存在を自分だけのものにしておきたいという気持ちと、両方の思いを考えた結果だ。

「ファルサの散歩だよ」
「同じ時間にか?」
「この時間の方がファルサの機嫌が良いんだ」
「本当?本当なの?アスベル」
「本当だよ」
「カーク、本当だってよ。アスベルは私の物なんだから」

 あえてその言葉に反論しなかった。
 カークは疑いの目を変えなかったが、笑っただけでしばらく何も言わず、新しく運ばれた酒に口を付けた。
 その静けさがかえって無気味だった。
 アスベルは逃げるように席から立ち、入ってきた客の相手を始めた。
 仕事に入ってしまえばカークもステラも、これ以上その話を続けられない。
 上手く逃げられたなとカークは、酒を飲みつつステラにつぶやいた。
 アスベルを追うカークの視線は鋭く、獰猛な火竜を思わせた。

「まあ、いい……いつまでも俺をごまかせると思うなよ」

 ―― 呪いの塔……。

 アスベルがなぜ呪いの塔に通っていることを隠したか、それは呪いの塔に関する伝説を知っていたからだ。竜族なら知らない者はいない。
 入ることさえ禁じられた死界の森は、関わることさえ許されない禁断の地だ。
 ―― 滅びた鳥族が創り上げた、楽園への道。

 呪いの塔に近づいた者は、二度は戻ってこられない。竜族の間ではそう言い伝えられていた。
 遥か昔、自ら滅ぼし、葬り去った鳥族。
 彼らの呪いがかかっている塔に近づいた竜族は、呪いを受けるとささやかれる。
 生きているのか、死んでいるのかも分からない化石と化した木が絡み合い、塔を取り巻いている。荊のような刺ばかりの蔓が表面を覆い尽くす。ひっそりとした塔は人を排除し、何よりも竜族を近づけない。
 呪われた塔と言い出したのはもちろん、竜族だ。彼らを滅ぼした事への罪悪感からか、恐れていた。滅ぼした者へ恐怖を感じたのは、鳥族だけだろう。
 竜族は、たくさんの人を切り裂いた。血で汚れた剣を持ち、両手は男と、女と、子供の血で赤く罪色に染まっている。殺す事への罪悪感などあるはずがない。彼らにそんな感情があれば、これほど血に染まった一族とはならなかっただろう。
 そんな、絶対的な強さを持った竜族さえも、鳥族の滅亡に恐怖を感じた。

 滅びたはずなのに、近づけない塔。
 滅びたはずなのに、消えてなくならない鳥族の存在。
 滅びたはずなのに……。
 呪いと言われるほどの、何かが存在していた。

 かつて、塔に登れば、楽園が手に入ると言われていた時代。
 まるで埋められた金塊を掘り当てる盗賊のように目を光らせ、楽園に魅入られ竜族は塔を目指した。
 しかし、誰一人として塔に登れたものはいなかった。
 それ以前に、塔の中に入れた者すらいなかった。
 いや、もしかすると塔に近づくこともできず、森で姿を消したのかもしれない。
 まるで何事もなかったように人を飲み込み、そこには陰すらのこらなかった。
 楽園を欲しがる限り、そんな事が続いた。
 無数の野心に燃えた竜族が、忽然と姿をけし、二度と戻ってこなかった。
 最強とうたわれた竜族が戻ってこなかったのだ、恐怖心が姿を現す。
 時と共に気持ちは失われ、命が一番大事だと感じたのか、塔を手に入れようと思うものは減っていった。
 ただ、呪いだけが残り、言い伝えだけが伝えられた。
 真実はわからなくとも、近づきたくない不気味さと、関わりたくない恐怖心は、竜族から楽園を欲する気持ちを奪っていった。
 そして、恐怖を感じているなど知られたくない彼らは、鳥族と言う存在すら口に出すことを拒んだ。
 アスベルも暗黙のルールのように、塔に近づいた事などなかった。
 近づこうと思っても近づくことはできなかったのかもしれない。
 雲に隠れたその地を見つけることは困難だ。目指したところで行き着けるという確信はない。
 今までファルサの散歩をしていて、禁じられた死界の森に入り込むことなどなかった。
 あの日は、まるで何かに呼び寄せられるようにたどり着いた。
 そして、呪われた塔に住む美しい少女に出会ってしまった。
 キャメロットから呪いの塔だと聞いても、アスベルの中に恐怖は生まれなかった。
 驚きはあった。
 しかし、二度と家に帰れなくてもいい、一瞬本気でそう思ったのだ。
 キャメロットに惹かれた。たった一瞬で心を奪われた。世に言う、一目惚れというものだろう。言葉ではうまく説明できない。すとんと、落ちたという感覚。
 心をとらえられ逃げ出せないのだから、それも呪いなのかもしれない。船乗りが人魚に恋をして、海に引きずり込まれる逸話に似ていると馬鹿げたことまで考えてしまった。
 それくらい、自分ではどうしようもできないほど、キャメロットにとらわれていた。
 呪いの塔に行っているとマルセルが知ったら、きっと心配するだろう。
 禁じられた場所へと通っているのだから、罪悪感もあった。
 何がおきても可笑しくはない。その覚悟は、持っている。それでも通わずにいられなかった。
 危険を冒したとしても、どうしてもキャメロットに会いたかった。
 キャメロットに会えるのなら、他に何も望まない。
 いつまで秘密にできるかはわからないが、今は奪われたくない。
 嘘をついていることに申し訳なさを感じたが、ファルサの散歩であるのは事実だからと自分に目をつぶった。
 アスベルは、店にいる間はとにかく必死に働いた。キャメロットのことを考えたらぼうっとしてしまうからだ。
 皿を運ぶ今この時も、ふとした瞬間にキャメロットのことを考えてしまう。脳裏に浮かんだ彼女の姿を、軽く頭を振ることによって打ち消した。

「今は仕事中……しっかりしろ」

 初めての恋は、アスベルから集中力を奪っていった。浮かれている自分に心の中で叱責した。 
 その瞬間だけは平常心が保たれる。
 忙しさに集中していると、次第に甘い誘惑から現実に引き戻され、キャメロットの姿は消えてなくなった。

 働くアスベルから、カークは探るような視線を外さなかった。
 そして、何かを確信したように、口元に笑みを浮かべる。
 喜びを押さえつけるように強い酒をあおった。

「絶対に何かある」

 カークは、アスベルの変化を感じとっていた。そして、その理由に気づき始めていた。カークの目を逃れる事は出来ない。仮にも彼は、竜族を牛耳る王家の血をひく男。
 ばん!グラスを叩きつけるように置き、席を立った。

「また来るよ」

 酒代より多い金額の金貨がばらばらと広がった。
 ころころと音を立ててテーブルの上を転がる。その音は、不吉な音色を響かせていた。
 平穏を望まないカークは、王家の血が騒ぐのか事が起こるのが大好きだ。

「わくわくしてきた、きっと近いうちに世の中が動く」

 争いの先にしか未来はないと、体の隅々まで刻まれているカークは、獣の鼻のようにきな臭い状況を嗅ぎ付けていた。

「俺の時代がきっと来る」

 その目は、コルサットに遊びにくるカークの目ではなく、間違いなく竜族の王子の目だった。


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