第一章
第4話 出逢い +----------------------------------------------------------------+
美しい日だった。 空気が澄み、青い空が一面に広がっている。 一八〇度見通せる塔の上で、キャメロットは窓の外を眺めていた。 いつもと同じ空の絵、違うのは白い雲の形だけ。しかし、ひときわ美しい空を見るのは好きだった。遠くまで見える澄んだ空気を肌で感じながら、まぶしく輝く太陽の光を浴びていた。 クリスが窓の外を飛んでいる。 他にもたくさんの鳥が遊びに来ていた。 このごろ落ち込みがちのキャメロットを慰めるために、鳥たちは集まってくる。朝食に残したパンの欠片を窓のところにまきながら、嬉しそうにパンを突っつく鳥たちをぼんやりと見ていた。 「相変わらず元気がないね」 「そんな事ないわ。皆が遊びに来てくれるから喜んでいるわよ」 「でも、顔が沈んでいるよ」 クリスの指摘に肩をうめた。 「いいわよね、お前達は自由で。ここへきてもまた外へ行く事が出来る」 「キャメルだってそのうち飛べるさ。鳥族は大きな翼を持った一族なのだから」 「そうかしら?私は出来そこないなんじゃない?体は大きくなったのにちっとも翼は大きくならない。ずっと昔からこの大きさよ」 キャメロットは大きなため息を吐き、肩を落とした。そして、そっと背中に目をやった。ちょこんと顔を出す白い翼を見ると、憎らしくさえ思える。 ―― なんでこんなに小さいのだろう。これでは自分の体重さえ支えられない。 そしてまた、ため息を吐いた。 ―― 白くて綺麗な翼を持つ鳥族。その子孫なのに、私の翼はなんて醜いのだろう。 日々の生活で、空を飛べない翼ほど醜いものはないと思うようになっていた。翼を閉じてしまえば、人族にしか見えない。 「この翼がもっと大きかったら、自由に空を飛べるのに」 鳥たちはキャメロットを励まそうとしたが、うまくいかなかった。 あんな風に空が飛べたらと、鳥たちの飛ぶ姿を見て心から羨ましく思う。 鳥たちと遊べる嬉しさとは裏腹に、彼らの背中の羽を見ると自分の存在を消し去りたくもなる。 このままここで生き、死んでいくのか? 出口のない部屋に迷い込み、うろうろとさまよい歩く。真っ暗なその部屋は、どろどろした感情を呼び覚まし、抜け出せない闇に飲み込まれそうになる。必死に足掻けばあがくほど深みにはまり、抜け出せない息苦しさにあえいでいた。 変わらない毎日は追い討ちをかける。 気分転換もままならない平坦な毎日は、救いを生み出すどころか、より深い迷宮に追い込むだけだった。 その日は、太陽の光がいつになく強い日だった。 最初はあまり気にもしていなかったのだが、いつもと違う何かを感じとったキャメロットは、じっと違和感の元凶を見つめ続けた。 雲の下のほうで何かがキラキラ光っている。 「何かしら?」 「何が?」 「何か光っている」 「カラスが光物でも持って飛んでいるんじゃない?」 「違う、もっと大きい……」 雲の間を割るようにキラキラと太陽の光に反射する。何に反射しているのかはまったく見る事は出来なかった。その光の反射の動きは思ったより速く、雲に隠れ、また現れた。 こんな早い鳥は今まで見たことがない。 立ち込める雲はその姿を隠してしまい、確かめる事は出来ない。次から次へと動くのでとうとう見えなくなった。 「見て来ようか?」 そう、クリスが言った瞬間だった。窓のすぐ下にある雲を突き抜けて、光の反射が目を襲った。 「キャ!」 雲は、風とは違ったものによって流れを変えた。 少しずつ目を開けた時、驚くべき『モノ』が視界に入ってきた。 真っ白な巨大な生き物、長い体に長い鬣をたらしていた。背と思われるところにふたつのぎざぎざな翼を持っている。骨ばった鳥とは違った翼。ひょろりとしたしっぽのように後ろの方が細くなっている。 その生き物が顔を向けた。 大きなふたつの目がじっと視線を向けてくる。 灰色がかった黄色い目は、巨大な体からは想像も出来ないほど優しく透き通っていた。 巨大な生き物もキャメロットの存在に驚いたようだ、視線を向けたままその目が揺れ動く。 羽が風を巻き起こすようにゆっくりと動かすだけで、先ほどまでのすばやさが嘘のようにその場にとどまっていた。 頭に立派な角が二本生えており、そこで陰が動いた。 「どうした、ファルサ?」 その生き物の頭上から、ひょっこりと少年が顔を出した。 キャメロットとその少年は視線がぶつかり、しばらく時が止ったように動かなかった。 驚くべき出来事に、声すら出なかった。 無意識のうちに、背中の翼を閉じた。小さな翼はさらに小さくなり、サラッと肩から零れ落ちた銀髪の髪に隠れてしまう。 小年のサラサラとした茶色の髪が風に揺れ、その隙間に見え隠れする薄い青色の瞳がじっとキャメロットに向けられていた。 キャメロットも塔からほんの数メートル先に釘付けになった。 戸惑いと驚きにただじっと息を呑む。 頭の中は真っ白で、今起きている状況が飲み込めない。 「キャメル!キャメル!!」 クリスの声すら耳に届いているのかわからない。 「あ……」 止ってしまった時の中で動いているのは、白い生き物とクリスだけだった。 「アスベル、何をそんなに驚いているんだ」 響く声が空に広がった。 「あんた、喋れるんだな」 クリスが言った。 ギュロッとした大きな目が、こちらを向いた。 怒っている風ではなかったが、気にくわないと言ったようにすばやく訂正してきた。 「あんたではない、ファルサだ。羽竜の中でも白羽竜は王にも等しい高貴な存在だ」 体の大きさの為か、喋り方はのんびりしていた。 怖そうな顔立ちのわりには優しい雰囲気を漂わせている。人懐っこいといった雰囲気はないが、危害を加えるような凶暴な空気もなかった。自ら高貴と口にするだけあって、見た目の美しさだけではない気品がある。 「俺は、クリス。キャメルの友人だ」 クリスがファルサに向かって話し掛けた。 「キャメル?君キャメルって言うの?」 鳥の言葉がわかるわけではない。 ファルサがアスベルに、なにやら言葉をかけていた。 ファルサの言葉の方は、キャメロットには何を言っているのかわからなかった。大きな『音』にしか認識できない。 しかし、今そんな事はどうでも良かった。目の前にある出来事に意識が集中していて、ほかの事など考えられない。 身動きすら取れずに棒立ちになった体、指先に力が入らなかった。心臓の音は辺りに聞こえそうなほど大きくなっている。耳元で大きく打つ心臓の音がうるさくて仕方がない。 「私は……キャメロット……あ…あなたは?」 声がかすかに震えていた。 「僕はアスベル、見てのとおりの竜使いなんだ」 「竜使い……?」 「キャメロットはここで何しているの?ここって呪いの塔だろ?」 不思議そうに塔を見上げた。 その『呪いの塔』という言葉にキャメロットの顔は驚きから、くもり顔に変わった。眉をひそめて、下を見て小さく呟く。 「呪いの塔が、北のはずれに建つ塔のことなら確かにここよ。ただ、私はここにずっといるから良くわからないけど……」 「ふーん」 どうしてそんな顔をするのか飲み込めていないアスベルは、適当に返事をした。 そして、もう少し塔の側へとファルサに指示をだした。 それを聞いたキャメロットは、下を向いていた目をアスベルに向けた。その表情はこの世の終わりを見たかのように青ざめている。 「ダメ!それ以上近づかないで!!」 窓からのり出して叫んだ。 移動しようとしていたファルサが、前に突っ込むようにして止った。 角につかまっていたアスベルが、頭から落ちそうになって、体を大きく前後させる。 「わっ!」 「結界が……死にたくなかったらそれ以上こっちにこないで!」 最初は冗談かと思っていたアスベルだが、真剣な緑色の目を見てファルサに下がるように言った。目に見えない何かがここにある、ファルサもそれを感じ取った。 「外からの進入を拒むように、この塔には結界が張られているの」 「どうしてそんな……何のために君はここに?」 キャメロットは暗い顔をした、そして首を横に振った。 「わからない。私のほうが知りたい」 「そう……」 その雰囲気に何も言えなくなった。 今まで見たこともないほど美しい少女に、アスベルは目を奪われていた。 塔に閉じ込められ、孤独と戦い、自分が誰かもわからない不思議な少女。目が離せないほど、魅力的だった。 これほど色の白い人を見たことがあっただろうか。こんなに綺麗な銀髪を見たことがあっただろうか。まるで、天使でも見たかのような神聖な空気を感じていた。 アスベルは、優しい表情でキャメロットを見つめ続けた。 キャメロットにとってアスベルは、『あの人』以外はじめて見る『人』だった。外の世界から突如姿を現した、憧れの世界の住人。 ―― 私を連れて行って。 喉まででかかった言葉。 しかし、それができない事は自分が一番良く知っている。この結界からは逃れる事は出来ない。今まで意味のない結界だと思っていた。こんな高い塔の上に来る人などいないと思っていたからだ。 しかし、今その意味がわかった。こういうことを恐れたのだ。 あの人はどんな事をしても自分の身をここに留めておきたいのだと、痛いほど感じた。 ―― なぜ? 疑問しか浮かばない、苦しさしか感じない、孤独しか思い出せない。 けれど、どこかで感じていた。 自分はどこへ行こうと独りなのだと。 頭で、心で知っていたのではない。生まれながら持つ、記憶とでも言うのだろうか、体に流れる鳥族の血が囁く。 とっさに翼を隠したという行為がそれを物語っていた。 翼を持っていると知られたくない。頭ではなく、瞬間的にそう動いた。醜い小さい翼だからと言うわけではない。 鳥族の本能に違いなかった。竜族に対する恐怖がそうさせる。 アスベルから向けられる視線から目をそらす。人に初めて会った戸惑いは想像以上で、どうしていいかわからない。 初めて感じる緊張感に戸惑っていたが、ぐるぐると考えた後、あることに気がついた。 憧れの地の住人にそう会える機会はない。 その瞬間、キャメロットの中にあった戸惑いが吹き飛んだ。 外への憧れは、戸惑いを打ち消すほど彼女の心を駆り立てた。 キャメロットの目は輝きを増す。好奇心が何よりも勝った瞬間だった。 「ねえ、アスベル。外の世界のこと教えて」 その言葉に驚いたのは、アスベルではなくクリスだった。急にせわしなく羽を動かした。 「外?」 「そう。私の世界はこの塔の中だけ、生まれてからずっとここから出たことがないの。アスベルはアストラートに住んでいるのでしょ?私の憧れの場所なの。外の世界がどんな世界なのか私は知りたい。アスベルの知っている外の世界の話を聞かせて」 目を輝かせて、思いを語るキャメロットの瞳には、目の前のものは映っていなかった。憧れの美しい大地へ飛び立っていったようにさえ見えた。しかし、それは一瞬、またすぐに暗い顔になった。 「いくら想像してもダメ……浮かんでこないの。話には聞く、本でも読む。でも、それは見たことがある人だから想像できる。一度も見たことのない私にはそれがどんな形で、どんな広さで、どんな温度なのかもわからない。だから教えて」 「外って言ったって……」 「何でも良いわ。そうね……アスベルがどんな暮らしをしているか、それなら教えてくれる?」 「そんなの聞いたってつまらないよ」 「そんな事ないわ。アスベルにはつまらない事でも、何も知らない私には素敵な事なのよ」 アスベルはまじまじとキャメロットの顔を見て、にっこりと微笑んだ。可愛らしい笑顔だった。 歳は一七、八歳くらいのまだ若い男だったが、笑うとさらに子供っぽく見える。整った顔立ちの中にもあどけなさを残し、人の良さが顔に表れているせいか温和で優しい雰囲気を持っていた。 キャメロットもそれを感じ取っている。 レオナルドには感じなかった温かさだ。 「いいよ。僕の話なら。面白くないかもしれないけど……」 「ダメだよ!」 慌てて口を挟んだ。 「どうして、クリス」 少しむっとしたように反抗した。ぷっくりと頬を膨らましている。 アスベルは何を言ったのかとファルサに尋ねた。 「どうしてって……」 はっきりと答えることが出来ない。 クリスにしてみると、外の世界をありのままに話されると困ったことになる。 今まで自分達が必死に隠してきた事が、すべて嘘だとばれてしまう。 それだけは避けなくてはならない。 ―― まさか、竜族がここに来るなんて……。 クリスは、焦った。 竜族が、塔にたどり着けるなどと考えてもいなかった。キャメロットに、外の世界の話をするものが自分たち以外出てくるとも思わなかった。 つき続けていた嘘が、嘘だとばれる日が来るなんて当然考えなかった。 クリスの頭の中には無数の言葉が駆け巡った。 ―― 何とかしないと。キャメロットは、鳥族が滅びていることを知らない……。 竜族に滅ぼされ、この世に鳥族はいないことを、クリスはずっと隠し続けていた。キャメロットが奇跡のような存在であることも知らない。そして、竜族にとって鳥族がどういった存在かも話していない。 すべてを隠して話し続けているため、鳥族がアストラートの片隅で今も幸せに生きていると思っている。 ひとつの嘘がばれると、すべての嘘がばれてしまう。クリスは、キャメロットに現実を知られたくなかった。 「それは……えっと……」 その時、クリスの目に飛び込んできたのは、救いともいえる赤い夕日だった。 遠くの空で、真っ赤に燃える太陽が今にも地に火を灯しそうなほど勢いよく動いているのが目に入った。 少しずつ空は、オレンジ色に染まっていく。 真っ白だった雲は、赤く染まり風に流れ始めた。 「ここから見る夕日……なんて綺麗なんだ……。神秘的な時間とはこういうことを言うのかな」 アスベルが感動的に語った。 「ほら、キャメル……もう月が出る」 「……暁の時……孤独の前の美しい時間」 「キャメロット?」 大きなため息と共にアスベルを真っ直ぐ見つめた。 「もう帰ったほうがいいわ。あの人が来る。見つかったら大変な事になる。アスベルは鳥ではないから。私をここから連れ去る事の出来ない小鳥とは違う……。折角出会えたけど、もう来ない方がいいわ」 ―― 喜びもつかの間でしかない。ここにいる限り私に自由はないのだ。 「あの人って?」 「私をここに閉じ込めている人、レオナルド」 「レオナルド?」 「名前もこの間はじめて知ったの。他には何も知らない。顔すらも。声だけしか知らないの。低い……低い声……」 はっと、言葉を飲み込んだ。 飲み込んだ言葉はなんだったのか、その言葉にキャメロットは身震いした。 とっさに絶対そんな事はないと否定した。 あの人は冷たい人なのだと、自分を苦しめるためにここに閉じ込めておくような心無い人なんだと言い聞かせた。 「今日はもう帰るよ。でも、また来るよ。君に会いに……いいかな?」 優しく笑いかけた。 「でも……」 「いつなら会える?」 「……本当に?また来てくれる?危険な目にあうかもしれないのに……」 「それは怖いけど、ファルサもいるし。空を散歩している途中に君を見つけてしまったんだ。偶然は何度でも起きるってことかな?それに、君にまた会いたいと思うから」 少し頬が染まっていた。それを隠すように空は赤く燃えている。 アスベルの笑顔は、眩しかった。 感じたこともない不思議な緊張感に心臓が早打つ。急に恥ずかしくなって、キャメロットは見つめていたアスベルから慌てて目をそむけた。 ―― 何かしら?胸の奥で何かが泳いでいる。 「太陽が出ている時なら会えるわ。あの人は月の出ている間しかここにいないから」 「わかった昼間に来るね、問題はまたこの塔にたどりつけるかだけど……がんばってみるよ」 赤く燃えた空が、だんだんと暗くなっていくのを感じた。背筋にいつものように寒さを感じた、身震いをひとつした。 「早く、もう月が出るわ」 「じゃあ、また会おう」 「ファルサ!!」そう言うが早いか、ファルサは動き出した。 アスベルの背中をキャメロットは見送った。もう長く付き合っている友人を送るような不思議な感じだった。 アスベルは少し行ったところで振り返り、手を軽く振って雲の中に消えていった。 ファルサによってかき乱された雲を見つめながら、ただ立ち尽くしていた。取り残されてしまったように、ひどく寂しい。 鳥たちと別れるより、強い寂しさを感じる。もう一度会えるという保証がないからかもしれない。 ―― また孤独がやってくる。 キャメロットは、暗闇がとても怖かった。闇は不安を駆り立てる。より孤独なのだと思い知らされる。 太陽が顔を出すまで、キャメロットの部屋から明かりが消えることはない。小さなろうそくの明かりでも、ないよりはましだった。 そして、独りでいるよりは、レオナルドとの時間の方がまだましと思うほど、恐怖心は強かった。 夕日が沈むこの時間は、塔から見る景色の中で一番美しい時間だが、その美しさが逆に怖かった。 太陽にすべて持っていかれてしまうような、切なさがかすかに瞳を潤ませる。 「俺も行くね」 「うん……またね」 珍しく早々に立ち去ったクリスは、勢い良く雲の中に消えて行った。 残されたキャメロットは窓に手をつき、薄っすら出はじめた白い月を見つめていた。 「優しい声……か。何でそう言おうとしたんだろ」 ぽっつっと呟いた。 『低くて優しい声』、そう思った自分がどこか信じられなかったが、そう感じている自分がいることを認めるしかなかった。 レオナルドの存在に不信感は抱いていたものの、恐れは感じていない。 自分に危害を加えることもない。そう絶対的な信頼感が存在していた。 ここから出たいという思いのほうが強かった。しかし、真実を知りたい、それが一番の願いだった。 何のために、私はここにいるのか? 何のために、私は存在しているのか? 私は、誰? 私は、生きている意味があるのだろうか? 意味があるのなら知りたい。 それが、何なのか知りたい……。 強い風が吹いた。 不吉な出来事を予感させる、不気味な風がキャメロットの髪をなびかせた。 月を仰ぐ。 いつもと同じように、月はそこにあった。 +----------------------------------------------------------------+
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