第一章

 第三話 月の夜に

   <月の図書館>   


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 『あの人』は、月が出ると部屋を訪れた。
 月の夜にはふたりで食事をする、それが幼き日からの決まりごとだった。誰が決めたのか、その理由さえ知らなかったが、物心ついた時からすでに習慣のように続いている。
 それがとてつもなく嫌だと言うわけではなかったが、最近疑問ばかり生まれてくるので、だんだん態度に現れてくる。

 ―― きっとこの人は悪者なのだ。

 そんな言葉が頭を横切った。
 毎日増えていく不信感。そして、閉じ込められている事への怒りが、炎のように揺らめいている。憎しみや、恨みに近い感情だ。今まで感じたこともなかった醜い心に嫌気がさし、自分は心の広い人間だと言い聞かせた。

 ―― 何か理由がある、私を閉じ込めておく理由が、きっとある。

 それさえ分かればもっと信じられるのに。それが、キャメロットの本心だ。
 嫌いなわけではない。
 あの人はここに閉じ込めておくだけで、傷つけることはなかったし、生活するすべてを用意してくれる。少なくとも大切に育ててきてくれた事は知っている。一人では決して生きてこられなかっただろう。
 その思いとは裏腹に、自分について何も聞かせてくれない事へ腹立たしさを覚える。
 信じたいのに、信じさせてくれない。
 嫌いと好きを行き来する、複雑な感情だ。

「何をそんなに機嫌悪くしているのだ?」
「機嫌なんて悪くないわ」
「ならもう少し美味しそうに食べたらどうだ?」
「放っておいてよ」

 ふたりの間に会話という会話は存在しない。
 たまにどちらかが問い掛けて、言葉を返すくらいだ。
 聞きたい事は何も聞かなかった。知りたいと思っていることを質問したところで、何も答えてはくれないことは良く分かっていた。聞くだけ無駄だと悟り、口にしなくなった。
 食事はとてもシンプルで、焼きたての香ばしい匂いのするパンと、少しの魚。ボイルされた野菜、そして温かい豆のスープ。
 変わっているのは、食事の内容より取り方だった。
 ふたりは長いテーブルの端と端に座っていた。明るい場所でさえ遠く感じる食卓に、灯りはキャメロットの側に蝋燭が一本立っているだけ。石造りの部屋は薄暗くぼうっと照らされ、蝋燭の揺らめきとともに空気の動きが壁に映る。
 キャメロットからあの人の姿はほとんど見えず、黒い陰が動いているくらいにしか感じられない。フォークとナイフを動かす音がたまに聞こえるくらいで、他に何の音もしない。楽しく食事をとるとは程遠い、暗い雰囲気が漂っていた。
 朝と昼は、来ないあの人の変わりに、決まった時刻に大きな白い鳥がバスケットをくわえてやって来る。白い鳥は何も語らず、それを置くとキャメロットの様子を探るように一瞥してから去っていく。
 キャメロットがいくら話し掛けても答えはくれない。自分の事を何か知っていたら教えて欲しいと語りかけても無視する。
 最初は言葉が聞こえないのかとも思ったが、そうじゃないことは感じ取っていた。ギロッとした鋭い目でキャメロットを見る姿が、いくら質問しても無駄だと訴えていた。あの人とまったく同じ空気を感じる。
 無駄な時間を過ごす事さえ嫌い、すぐに颯爽と飛び立っていってしまう。
 雄大な空を堂々と白い影が落ちていくのを、キャメロットは見つめることしか出来なかった。

 ―― こんな食事なら、一人の方がいいのに。

 気詰まりな食事の時間を過ごすと、ついそんなことを考えてしまう。小さなため息をつくと、赤く揺らめく蝋燭の炎をぼんやりと眺めた。

 しかし、その日はいつもと違った出来事が起きた。
 些細な出来事がここでは大きな変化となる。
 何か気配を感じると振り返った瞬間、すぐ傍にある小さな窓から黒い陰が舞い込んできた。

 ―― バサバサバサ。

 騒ぎ立てるようにうるさい羽音が聞こえてきた。クリスとは違って、もっと騒がしい音。

「レオナルド様!」

 がらがらとした耳障りで大きな声が耳に入ってくる。

 ―― レオナルド?

 聞こえていた皿に当たる金属の音がぴたりと止ったかと思うと、ガタン!と椅子を引く大きな音が響いた。

「何の用だ、ジュラ!」

 低い声は、冷たく鋭い声に変わっていた。自分に向けられたことのない、冷ややかさにキャメロットは驚いた。

「すみません、レオナルド様!でも!」

 かなり慌てた感じのその鳥は、突如キャメロットの目の前にとまった。

「キャ!」

 突然現れた黒い影に驚いて、悲鳴と共に持っていたフォークを床に落とした。カランと言う音が余韻を残して消えていく。
 黒い陰は、蝋燭の火で照らしても真っ黒だった。紫がかった闇の羽根をまとった鳥だ。鳥はとまったと同時にキャメロットの方を見た。

「ギャ〜!これは失礼、お嬢さん」

 大きな声で騒ぎ立てたかと思うと、また飛んでいってしまった。

「いいかげんにしろ、ジュラ。こっちへ来い」

 ため息交じりの呆れた声をあげ、ドアの外に鳥を連れ、立ち去っていった。

「キャメロット、お前はこのまま食事をしていろ」

 そういい残して……。
 あっけに取られひとり取り残されたキャメロットは、ガラスのコップに入れられた水を飲み込んだ。

「レオナルド?そう……レオナルドって言う名前だったの。べつにあなたがいなくたって食べるわよ」

 ぼそぼそと独り言を呟くと、あわててパンを口に頬張った。

「私、十六年あの人と一緒にいたけど、何も知らないのね。名前も、顔も、生きてきた過去さえも。私が知っているのは、あの声だけ……。あの人のことなんて知らなくてもいいから、どうしてここに私が閉じ込められているかは知りたいわ」

 ふんっと鼻を鳴らして言った。
 しかし、鼓動が早くなっていることに気づかないふりをしただけだった。不安とも、喜びとも言えぬ得体の知れない思いが心に生まれた。それは空に浮かぶ雲のように、心の中を支配する。

 ―― なんだろう?胸の奥がチクチクする。

 キャメロットは、そんな思いを振り払うようにパンにかぶりついた。

 その頃、レオナルドは長い階段の上にいた。
 螺旋状の階段が果てしなく続く真っ暗な塔の中、その横にあるひとつの扉に入った。
 何もない、ただの部屋だった。キャメロットの部屋と違い、あるのは硬いベッドがひとつ。空気すら冷たい雰囲気が漂っている。ひとつだけある窓から月の光がほんのりと差し込んで、床に窓の影を残していた。
 コツコツと響く靴音は、腹立たしさを露にしている。

「私は言ったはずだ。キャメロットの前で名を呼ぶなと、姿を現すなと。お前はおしゃべりがすぎるからな」
「すみません、レオナルド様。もう食事の時間は終わったかと」
「それで何の用があったと言うのだ」
「それが、塔の近くに竜が飛んでいると言う報告があったので」
「何?」
「塔を目指しているわけではないのですが、もしも何かあったらと思いまして」
「本当か?」
「はい、私も先ほど確認しました。ここから少し離れた場所を飛ぶ竜とその使い手を。それで急いで報告に」
「ここを探していたわけではないのか?」
「はい、私の目にはただ飛んでいるとしか……」
「空の散歩か」
「はい、でも、もしキャメロット様と会うことがあっては困ると思いまして」
「…………」
「レオナルド様?どういたしましょうか?」
「いや、放っておけ。下手に騒いでは逆効果だ。雲の上までは来はしないだろう」
「しかし!」
「うるさい!私の言う事が聞けないのか?とりあえず見張っていろ。今はそれだけでいい。お前が下手に動くと大事になりそうだからな」
「わかりました」
「何かわかったらまた報告に来い。ただし、この部屋にだ」
「了解しました」

 ジュラは窓から出て行った。まるで闇に溶けたかのようにすぐに姿が見えなくなった。

 レオナルドは、何もない石の床に座った。
 窓から差し込む月光に、黒い布が照らされていた。
 顔を上げて頭を壁に置く。空にポッカリと浮いた月が、美しい光を放っている。
 意味もなく、悲しくなるような淋しい光に感じた。
 大きなため息が勝手に口からこぼれていた。

「時代は動くか?やっと時が来るのか?いや、すべては……これからだ……」

 黒い布に隠されたレオナルドの体が、微かに震えていた。
 何もない埃まみれの寂れた部屋で、レオナルドの脳裏には過去の自分がよみがえる。
 そして、はっきりと覚えている美しい場所を思い出す。離れていれば離れているほど、記憶から消えない特別な場所。

「フォーリア……」

 そうつぶやいた彼の表情は、深い悲しみに満ちていた。


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