第一章

 第二話 幽閉された少女

   <月の図書館>   


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 「何これ!」

 一人の少女が、窓際にもたれかかって本を読んでいた。
 広い石造りの部屋は、少女に合わせ可愛らしい物で溢れている。
 部屋を占領しているのは、木で造られた天蓋付のベッド。可愛い刺繍が施された白い布がたれている。洋服ダンスも凝った模様が掘り込まれ、テーブルも椅子も丸みの帯びたカーブの美しい形をしている。ソファーはゆったりとしていて、布の部分は細かい花柄が施されていた。
 置いてある家具すべてが可愛らしい造りをしている。
 家具だけではなく、小物も可愛らしく、目に付くのは花柄とレースばかりだ。
 趣味のよさなのか、うるさすぎず、主張しすぎず、ひっそりと施されているものばかりで、部屋はよい統一感で作り上げられていた。
 少女のために用意された部屋なのだろう、部屋の主は可愛らしい部屋にいても違和感がない。考えられて描かれた絵画のように、ひとつ欠けると何かが足りないと思うほど完成された雰囲気があった。
 少女が一番好きな場所はくつろげる長椅子ではなく、何もない窓のそば。一日のほとんどをそこで過ごす。開けられた窓には青い空と白い雲が広がり、美しい世界を作り出していた。
 小さな木の椅子を窓辺に置き、窓に肘を付きながら雲の小さな動きを眺めるのが日課だが、日に数時間は本を読む時間に当てていた。
 少女は、本をぱたりと閉じながら叫んだ。
 その顔は曇っていて、眉をひそめるとぽんと本を投げ出した。
 本は、小さな音を立ててベッドで跳ねる。見るのも嫌と言った風に、行く先を目で追うこともない。むしろ視界から消えてくれたほうがいいというほど勢いよく飛んで行った。
 両手で顔を支え、窓の外を眺める。
 風はまったく感じなかったが、目前の雲が少しずつ流れて行く。ふわふわとした白い絨毯は地上をすべて隠し、時折雲の小さな隙間から地上を感じることしか出来ない。

「はあ……」

 大きくため息をこぼすうつろな顔は、退屈さを意味していた。

「何をそんなにくもった顔しているんだよ、キャメル」

 窓の外から声がし、少女は目線を上げた。声の主は窓の出っ張りにちょこんと止っている。

「クリス……」

 白い鳥は少女の座る椅子の背に止ると、長い髪を軽く引っ張った。
 『キャメル』は、クリスだけが使う少女の愛称だ。本当の名前をキャメロットと言う。

「そんなにくもって見える?」
「眉間にしわが寄っていて、可愛くないよ」

 クリスが言うのなら相当なのだろと、眉間を指でさすって伸ばす。
 そんなキャメロットに、クリスは呆れたように羽根を数回羽ばたかせた。
 クリスは、キャメロットと一番仲のいい鳥だ。
 記憶のある限りずっと傍にいて、寂しさを紛らわせてくれている。一番大切な存在と言っていい。

 『呪われた塔』――その昔、鳥族が建てたフォーリアへのたったひとつの道。楽園への扉のある場所。
 かつては、無数の竜族が楽園を求めて塔を目指したが、今では人々の記憶から忘れ去られ、ひっそりと北の地に建っている。
 天高く聳え建ったその塔の頂きを、地上から見ることは出来ない。
 いつも白い雲を纏った塔は、まるで何かを隠すように、人の目に頂きをさらす事はなかった。
 塔の周りは、結界が張り巡らされていて、外からの侵入を防いでいる。
 無理に入ろうとすれば塵のように消えると噂されている。その真実を確かめる者がいないため、真実なのか、噂なのかはわからない。
 ただ、実際に塔に近づき帰って来た者はいないという噂は、真実味を帯びていた。
 そんないわくある塔に近づく物好きはいないため、塔を目指す者はいなくなった。同時に、楽園は語り継がれるだけの幻影になった。
 空を飛び回る鳥たちは例外で、呪われた塔の噂など知らないのか、気にしないのか、その身を塵に変える事もなく塔への侵入を試みる。
 塔に住む、キャメロットに会うためだ。
 キャメロットは、ずっと塔の上にいた。塔の中の、可愛いもので囲まれた部屋だけがキャメロットの世界。部屋には鍵がかけられ、外に出ることは出来ない。
 誰もいない寂れた塔に住むキャメロットは、いつも孤独だった。
 時だけが知らず知らずのうちにすぎていく生活。空の色と、雲の形しか変化しない日々。
 話し相手すらいなかったキャメロットの友達は、鳥だけだ。
 鳥たちも、キャメロットの孤独を知り、塔に遊びにくる。
 孤独から救ってあげたかった。世間知らずで、子供っぽいキャメロットが愛しく、素直で心優しいキャメロットが大好きだった。
 毎日、ご機嫌を伺いに行かずにはいられない。自然と塔の窓辺を通り過ぎてはキャメロットをからかい、慰めていた。
 キャメロットにしても、鳥たちの訪問が何よりも楽しみだった。
 楽しい会話が出来るのも、外の話をしてくれるのも、鳥しかいない。鳥たちが遊びに来てくれなければ、ずっと一人でただ部屋にいるだけの日々をすごすことになる。『話す』という行動すら忘れてしまうに違いない。人形のように椅子に座るだけの日々をすごしたら、本当に人形になってしまうかもしれないと思うほどだった。
 
「生きるって、退屈……」

 小さく呟くその言葉が、最近の口癖だった。
 前なら鳥たちが遊びに来てくれれば、ぱっと明るくなって華やいでいた表情は、ここのところずっとくもっていた。
 美しく透き通った白い肌、陽にキラキラと輝く銀髪の長い髪、緑色の大きな瞳、薔薇の花びらのような薄ピンクの唇。ほっそりした体に、ふわりとした美しい布のドレスを纏う。
 彼女を見た者は、その美しさに言葉を失うだろう。
 まだ少し幼さが残っており、美しいというよりは可愛らしい少女という表現が合っているかもしれない。
 誰が見ても惹かれるだろう容姿を持っていても、その機会がなければ何の意味もない。キャメロットは、自分の容姿が人をひきつける物だと考えていなかった。
 鳥たちは容姿など気にも留めていなかったし、その姿を称えたことなど一度もない。クリスがときどき、そんな顔をしていたらもったいないと、暗いことを指摘する時しか自分の顔を意識することもなかった。
 ずっと当たり前だと思っていた今の生活に、少し疑問を覚え始めたキャメロットは、ここ数日その可愛らしい顔をずっとしかめさせていた。

「ねえ、クリス。私は何でここにいるのかしら。外の世界ってとっても広いのでしょ。たくさんの人がいて、たくさんのものに出会える。どうして私は、窓から見えるこの空だけがすべての景色で、小鳥だけが友達なのかしら?」

 そう言って窓に頭を置いた。長い髪が青い空に溶け込んだ。

「キャメル?」
「最近特に思うの、ここから出たいって。もっと自由で広い世界に私は行きたい。無理だってわかっている……あの人は私を永遠に閉じ込めておくんだわ……」

 遠い目には陰りが映り、力ない言葉はため息に混じる。

「あの人は、何のために私をここに閉じ込めるのかしら?ここにいて私に何かさせるわけでもない、ただ閉じ込めておくだけなのよ」

 クリスは、そっと少女の肩にとまり髪を突付いた。
 鳥なりの慰めだろうが、彼は何も言わなかった。答えを持っていないのだ。キャメロットも答えを期待していたわけではないが、またため息を落とした。
 キャメロットは、塔からだけではなく、部屋から出たこともなかった。
 広い部屋にはいくつかの扉があって、何不自由なく暮らすだけの空間を持っていた。しかし、外への道は『あの人』によって阻まれた。
 唯一開かれた窓から外へ出るのは簡単だったが、空を飛べない限り無謀な挑戦だ。高い空の上、地上さえ遠い場所。飛び降りたりすれば、生きていられないことを世間知らずのキャメロットにさえわかることだった。
 塔での暮らしは、何の変化もない毎日。苦労なく暮らせるが、時の流れすら感じない。それを、豊かな暮らしと言う者いるだろうが、キャメロットには退屈でつまらないものとなっていた。
 当たり前だと思っていたものが形を変えたのは、鳥たちが『外の世界』を話して聞かせたからだ。
 地上の人々の暮らし、どんな風に働いて、どんな風に遊んで、どんな風に恋をして、生きて、死んでいくのか。
 キャメロットにとってまったく知らない新しい世界は、今まで読んだどんな物語より輝かしく聞こえた。
 目を輝かせて話を聞くキャメロットに、鳥たちはたくさん話をして聞かせた。話は、知識として刻まれていく。しかし、それは知識でしかなく、現実ではなかった。
 目を閉じると浮かんでくる、美しき『恵まれた大地』アストラート。どんなに色鮮やかに想像しても、それがどんな場所で、どんな暮らしなのかまったくわからなかった。わからないという事が、『外の世界』に大きな憧れを抱かせた。
 キャメロットの中に生まれた好奇心は大きくなるばかりで、止めることは誰にも出来ない。 暇さえあれば、窓の向こうの世界を思い描いていた。

「外に出たいな……」

 自分のおかれた状況を恨んだ。そして、自分を閉じ込める『あの人』に疑問を感じ始めた。

 外の世界へ行きたい。
 なぜ私はここにいなくてはならないのだろうか?
 ここにいる意味は何か?
 自分は何のために存在しているのか?

 今まで考えてもみなかった疑問が、無数に生まれてきた。それは、外の世界への憧れを駆り立てる。
 キャメロットには、外の世界は美しく、誰もが幸せに暮らせる夢のような世界に感じられた。
 醜い部分など微塵もない、平和で優しい世界。人の醜さに触れたことのないキャメロットらしい発想だ。
 けれど、人の世には光もあれば闇もある。美しさもあれば醜さもある。決してキャメロットが夢見ているような優しい世界ではない。特に、アストラートは、あの竜族が住む大地だ、血と闇にぬれている。
 アストラートを自由に飛び回ることが出来る彼らは、地上の楽園が美しいだけではないという現実を知っていた。
 決して話すことの出来ない『外の世界』の真実がある。
 それを、鳥たちは示し合わせたようにキャメロットに隠し続けた。
 美しい話だけを、楽しい話だけを、語り続ける。鳥たちによって作られた、より美しいアストラートは、キャメロットの憧れの場所だった。

「いつか、必ず、アストラートで暮らすわ」

 思い描くことしかできないのはひどく惨めだ。夢を、ただの夢としないために、強い言葉を口にする。
 クリスは、その言葉につぶらな目を悲しくゆがめるだけで、何も言わなかった。

「ところで、何で不機嫌だったの?」
「だってその本、面白くないんだもの」
「これ、どうしたの?」

 本の題名を見て、クリスの声が急にまじめになった。

「あの人が持ってきた中にまぎれていたのよ」
「面白くない?」
「その物語、なんか怖い」
「物語?」
「だってそうでしょ?」
「キャメル……これが現実にあったことならどうする?」
「え?」
「この『種族』って本が現実だったらどうする?」
「まさか、だって鳥族が滅んだなんて……私はここにいるわ」

 キャメロットは目線を背中の方に向け、銀髪の髪の中からちょこんと顔を出す白い小さな翼を覗き見た。胸元より大きく開いたドレスの背に、覗き見ないと見えないほど小さな翼があった。

「私と同じ鳥族が滅んでいるのなら、どうして私が生きているの?」

 不思議そうに尋ねるキャメロットの目には、まるで疑いの影がない。クリスは、首を一回り動かしてから、小さく笑った。

「そうだね……変なことを言ってごめん」

 一度開きかけた嘴を、再び閉じた。絞り出すような声は、冗談めいた謝罪の言葉だった。飲み込んだ言葉がある。それは、ここに居れば知る必要のない事実だ。すべて、真実を知ることが幸せとは限らない。知らない方が幸せなこともあるはずだ。
 クリスは、キャメロットの出生の秘密が知らないほうが幸せな真実であると確信していた。

「あの人は……なんで…?」

 キャメロットを塔に閉じ込めている『あの人』が、何者なのか知りたかった。
 『あの人』が味方なのか、敵なのか、それが知りたい。
 何も知らない純粋な少女を、自分達なりに守りたかった。その思いは、使命にも近い。

「楽園……?」

 クリスは、はっとしたように小さく呟いた。
 その声を掻き消すように大きな羽音をたてた。しかし、クリスの心配は無用だった。
 キャメロットは遠い空をじっと見つめていて、クリスの言葉は聞き取った様子はない。思いを地上に飛ばし、ここにはいない。 それに、ほっとして翼を閉じた。

「この翼がもっと大きかったら……。私の体を支えられるくらい大きな翼だったら、私はここから飛びたてるのに……」

 キャメロットはそう言って、悲しそうに翼を見つめた。
 飛べるだけの力がない、小さな翼。動かすことすらままならない、飾りのような翼だった。鳥族では翼の大きさで成人しているか、していないかを測る。飛べない翼のうちは、子供の鳥族だということ。
 空を飛べる翼が欲しい。ただ、鳥族であることを主張するだけの翼を恨めしく眺める。
 見つめていたからと言って急に大きくなるわけではないのに、毎日、少しでも大きくなっていないかと調べることが止められなかった。
 飛べる翼が、塔から解き放たれるための重要なアイテムであることは間違いない。飛べるようになったら、閉じ込められてなどいない。窓から外に逃げ出せる。
 待っていても来ない幸せを自分でつかむためにも、今すぐ飛べるようになりたかった。
 たくさんの人が溢れる世界、その中に自分も入りたい。
 独りはひどく寂しかった、寂しいことなのだと知った。だから余計に憧れたのだ、夢のような世界アストラートと、地上での生活。
 それは、かつての鳥族が夢見た世界と同じだった。
 早く、大人になりたい。
 その思いは、日増しに強くなっていった。

 知らないうちに、空がオレンジ色に染まり始めていた。窓から見る一八〇度の世界は美しく、神秘的な空間に変わっていく。
 この時間は、キャメロットにとって一瞬の喜びを味わう時間だった。
 しかし、その幸せな時もすぐさま悲しい夜へと変わってしまう。
 暗くなり始めた遠くの空に、薄っすら白い月が出ていた。その丸い月を見て顔を強張らせた。

「もう帰って。月が出た、あの人が来る」
「寂しいならここにいようか?」
「ダメよ!あの人は何をするかわからない。この塔に私を閉じ込めているような人よ。クリスまで自由を奪われたら嫌だわ」
「そんなことはないと思うけど……わかった、またね」

 その時だった。
 コツン、コツンと石を鳴らす音がした。
 キャメロットは入り口の方を振り返り、顔色を変えた。
 背筋が硬直したのを感じる。

「早いわ!!早く、クリス外へ!!」
「そんなに慌てなくても、そいつってそんなに悪者なのか?」
「そんな説明している暇はないわ。ここから出られなくなったら嫌でしょ?」

 キャメロットの顔には、恐怖が表れていた。落ち着きを無くし、クリスを放り投げるように外へ押しやった。
 その瞬間、石の扉が音を立てて開けられた。
 そこに立っていたのは、黒ずくめの背の高い人。
 人のようだが『人』とはわからない。黒い布を頭からかぶっていて、そこにあるといったほうがいい。ただ、立っているだけなのに強い存在感を感じる。
 キャメロットは、息を飲み込んだ。
 クリスは、その中の様子を窓のところの出っ張りに止って見ていた。自分の背中でクリスを隠すキャメロットの様子から見て、彼女の言う『あの人』とはきっと恐ろしい人物なのだと思った。
 しかし、それとは反対の思いも抱いていた。

「俺にはそんなに悪いやつには思えないんだ……キャメル。君をここで守っているとしか思えない」

 ぽつりと呟いて飛び立っていった。窺い見ることの出来ない、真っ黒な人影を目に焼き付けながら。

 へばりつくように窓の前に立つキャメロットの目は、真っ直ぐ黒い人に向けられていた。その目は、恐怖と言うよりは憎しみに似た光を放つ。

「何をそんなに窓にへばりついている?」
「べつに……」

 低く、深い男の声だった。
 表情も何も分からないが、その声は不審がっている様子を伝えていた。
 チラッと横目でクリスがいないことを確認すると、窓から離れて椅子に座った。
 『あの人』キャメロットがそう呼ぶ男。正体はなぞに包まれている。
 黒い布で覆い隠された姿と同じで、存在すら覆い隠している。
 名前すら知らない。
 ずっとそばにいるのに、まったく得体の知れない男だ。
 キャメロットが今一番知りたいのは、この男の正体だった。


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