エピローグ

   <小説>   


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 王城から少し離れた場所に、王家の所有する離宮がある。
 まだ新しい建物は、それほど豪奢ではないが、住み心地のいい宮だった。
 少しずつ増えはじめた緑に溢れ、水の匂いがするくらいすぐ傍に美しい湖がある。
 ゆっくりとした時間が流れるその場所で、少ない人間と共にアリオルトはミラと暮らしていた。
 十七歳から激動の時代を生きていたアリオルトにとってこんなに穏やかな時間はない。
 目が見えないことは気にならなかった。これが最後の罪ならば、と思うくらいだ。
 新たに王位を継いだ息子は罪のない時代に生きて欲しい。
 これから生まれ生きていく者たちには、あのような苦しみの時代を過ごして欲しくない。
 そのために、王が最後に背負う罪ならば視力など自分から差し出したに違いない。
 
「ミラ?」
「足音だけで判断できるなんて」
「ミラの足音が判らなくなったら困るよ」
「綺麗な月が出ていますよ」
「そうなのか?いい風が吹いていると思って」
「もう夏ですものね」
「どうかしたのか?」
「アリウスが戻ってきました」
「そうか」
「ちゃんと成し遂げたようです。貴方と同じ、行く前より少し大人になったようでした」
「それは良かった」
「明日、改めて来るって言っていましたよ」
「帰ったのか?忙しいやつだな」
「もう寝ているのかと思ったのですが……」

 わざとですね、とミラは笑った。
 アリオルトは苦々しく笑うと、肩をうめる。ベランダに置かれた長いすに深く座った。

「何か飲まれますか?」
「ああ、ワインを」
「お祝いなので、とって置きのものを持ってきましょう」

 楽しそうに部屋から出て行った。
 ミラの言ったことは本当だった。
 アリウスに目の前で失敗したと聞かされるのが怖かったのかもしれない。
 自分がいけなかったのも同じ理由なような気がする。
 珠は割れなかった。契約は守った。でも、剣をたて力なく倒れたエルの姿を思い出すたびに、もう目覚めないのではないかと思わずにいられなかった。
 アルキーネの存続のために、ひとりの精霊の命を無駄にしたなどと考えたくもないことだ。

「良かった……これで精霊たちにも平和がくるだろう」

 安堵の声を上げ、静かに笑う。
 その時だ、目が見えなくなって感覚が鋭くなったのだろう。ベランダの空気が変わったことに気づく。足音はない。誰も傍にきていないはずだ。でも、気配を感じた。

「誰?」
「すごい、視力を失ったから?空気だけで読み取るとは思わなかった」
「……エル?」
「久しぶりだね、アリオルト」
「どうして」
「今日、君に会えなかったからね」
「精霊は森から出られないんじゃ……」
「出られるよ、住めないけどね」
「そうなのか」

 エルはすぐ傍まで来たようだ。彼なら足音がしなくても当たり前だ。今も宙に浮いているのかもしれない。

「息子が世話になったね」
「彼もいい王になりそうだね」
「そうか?これからよろしく頼む」
「それはこちらの台詞でもある。今度、王位を継ぐことになったんだ」
「おめでとう。やっとと言う感じか?」
「その通りだ。それで、王位継承の儀式がある。アリオルトにも出席して欲しい」
「私にも?」
「当然だろう。招待状を持ってきたんだ。視力を失っても体はあるんだ、来られないことはないだろう」
「わかった。君がそう望むなら」

 エルはアリオルトの手に招待状を握らせた。
 手に触れる間隔からいる方向に顔が動くが、瞳は動くことなく一点を見つめている。それが視力を失った彼の姿だ。
 エルは顔をゆがめた。美しかった瞳から王としての光が失われていた。

「ごめん」
「何が?」
「その目……守ることが出来なかったから」
「ああ、構わない。もう私が出来ることはすべてやった。世界が見えなくても、息子が見てくれる。視力を失ったことを理由に、ミラとのんびり過ごせるしね」
「それでも、僕は辛いよ……綺麗な瞳だったのに」
「気にしないで、気にされると私が辛いから。見えなくなったからこそ見えるものもある。これからはアリウスの支えとなって大陸を守っていきたい」
「思ったとおり、貴方は強い人だ」
「私は、今も弱い人間だよ」
「相変わらず、謙遜ばかりだね」
「……笑ってくれないか」

 エルは、ぎょっとしたように目を見開いた。

「何を言っているんだ?」
「きっと傷ついた顔をしているんだろう?エルは笑っているほうがいい。あの笑顔は私の支えだった。君が目覚めて、あの笑顔が見られないのは残念だ」
「見えないんだろ?」
「見えなくてもわかるよ。空気で伝わってくるんだ」

 思わず、エルは噴出した。それは大きな笑いになり、涙が混じる。

「もう行くよ、儀式には必ず来て」
「約束するよ」
「契約じゃないの?」
「契約はもういい、重圧が大きいからな」
「じゃあ……」
「ああ、気をつけて」

 エルはベランダの柵に飛び上がる。
 風が髪を揺らし、月の光が降り注いで美しく光った。幻想的な姿が浮かび上がる。
 しばらくそこに立っていたエルは、アリオルトを振り返った。

「ありがとう」

 一言、その言葉を残すと、ふわりと姿を消した。アリオルトは口元に深い笑みを作った。

「やっと、あの笑顔に会えた……」

 苦しみの中でアリオルトは決して挫折しなかったわけではない。
 エルの命を握っていると言う重圧は、相当なものだった。
 それでも負けずに前に進めたのは、エルという存在があったからだ。
 愛するミラを守りたい、民を守りたいと言う思いと同じ場所にエルを救わなくてはという強い思いがあった。
 あの笑顔は、ミラの笑顔より強力で、自分を王として奮い立たせる大きな存在だった。きっと、エルはそんなこと知らないだろう。それくらい、エルはアリオルトにとって大切な存在だった。
 戦友?親友?ふたりの関係を現す言葉を知らない。語ることのできない深い信頼がそこにある。

「お礼は、私の言葉だよ」

 ベガール大陸は、再び戦乱の時代を迎えることはなかった。
 それは、古からの風習を打ち砕いたひとりの王の業績だった。
 自分が王ということを呪っていた青年が、時代のうねりに飲み込まれることなく、強く願った世界を作り上げた。
 そして、精霊との間に生まれた大きな溝すら埋めてしまった。
 祖父の犯した罪を背負い、償い、新たな関係を作り上げる。彼はまさに、創造の神だった。
 ベガール大陸にとって、アリオルトと言う王は永遠に忘れられることのない王の中の王だ。もしかすると、地上に生まれた神だったのかもしれない。
 アルキーネと精霊との約束は、破られることなく続いていった。



 聖樹は、今もあの地に聳え立っている。
 変わるこのない美しさを保ちながら。血で穢れることのない水はよりいっそう美しさを増し、聖樹に力を与えている。
  そして今もなお、聖樹の傍には憎まれ口をたたいて些細なことで喧嘩するふたりの精霊と、その喧嘩を呆れ止めに入る美しい少年王がひっそりと暮らしているのだった。


                                              ― 完 ―


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